新・ことば事情
4447「海老原ら」
ニュースを聞いていたら、あるアナウンサーが
「海老原らが」
というフレーズを言いにくそうにしているのに気付きました。
「えびはららが」
は「ら」が2回続くのと、「はららが」と「アの母音」が4回続くので、言いにくいのだと思います。ところが!たしかに、
「海老原・らが」
と意味の上で正しく考えて言うと言いにくいですが、これを切るところを変えて、
「海老・ハララが」
とすると、なんと、言いやすい!
もちろん、「・」のところで、「明らかに切る」のではなく、
「意識の上で区切りを付ける」「短く息継ぎをして『ハララが』を言い直す』
ような感じですが、明らかに言いやすさが変わるのではないでしょうか?
その理由のひとつには、「海老原」と言ってしまうと息が全部出てしまって、そこに付け加えた「らが」を言うところまで息が続かなくて言えないような気がが、少しします。(実際はそんなこと、ないと思いますけど。)
またアクセントも、
「エ/ビ\ハララガ」
と「ビ」の前で上がって「ビ」の後に下がる、そこで「完結した感じ」がします。でもそのあとに「らが」がまだ残っていて、これはアクセントをもう一度上げることなく、低いところで、
「ハララガ」
と、同じ「ア」の母音で4つも言わなくてはならなくて、息が持たないのではないでしょうかね。
「海老」で少し切って「ハラハが」と一息で言う方が言いやすいんでしょうね。そうするとアクセント的にも、
「エ/ビ・ハ\ララガ」
のような感じで、「ハ」から一気に降ろす勢いがある。厳密に言うと、「ハ」の高さは「ビ」の高さと同じではなく「少し下」ですが、少しだけアクセントを下げるのを遅らせている、その分だけ、最後まで息が持つような気がします。「気がして」ばっかりですが。
もうひとつ、おそらくこれは、「ハララ」というのを「ひとつのつながり」と捕らえている「脳」の存在があると思います。
「ウララ」「キララ」「ピララ」「ハララ」
のような擬態語は「ラ」が続いても、言いにくくないですよね。それを利用したのではないでしょうかね、脳が。この説に、イエス?脳?