新・読書日記 2011_162
『最終講義~生き延びるための六講』(内田樹、技術評論社:2011、7、25)
内田先生の論調、好きではないと言いながら、さすがに「最終講義」と銘打たれると買って読んでしまう。「本当は"好き"なんじゃないの?」と聞かれるかも。
最後の方の6つの公演録。
書いたもの(文章)にくらべて、話していた内容だけに人当たりが柔らかく、これなら喜んで聞くかもなあという気がしました。
「やめていく人間がこの場で過去にそういう罪を犯したことをここに懺悔致したわけですので、どうぞご海容願いたいと思います(笑)」(15ページ)
「これで最後なので、教壇に立って、人を扇動したり、悪い影響を与える機会のない人間の末路ということで、ご海容願いたいと思います。」(94ページ)
と、やたら「海容」なんて硬い言葉が出てきたが、これもネタにさせていただきました。
また大谷大学での講演では「倍音は宗教儀礼の核心部分」とか、「太宰治は倍音的文体の作家である」(つまり、心地よいということか)とか「ホホウ」と思わせる話が続きます。お経は退屈だけど、上手なお経(読経)を聞くと、「グレゴリオ聖歌」のような音楽的な心地良さを感じますからねえ。共通するものは、あると思いましたが、それが「倍音」だったのか。合気道と哲学、ユダヤ研究、はたまた音楽まで、さすがです。
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