新・読書日記
2011_166
『この国を壊す者へ』(佐藤優、徳間書店:2011、8、31)
『アサヒ芸能』で2010、3、11号~2011、8、18.25合併号に連載されていたものに、第一章「独裁者へ」を書き下ろして加えた本。著者はひと月に、原稿を80本も書いているらしい。スゲエ。その分量は、400字詰めで1200枚!全部締め切りがあるとは、なんて胃に悪い・・・!
これを読んでいると、鈴木宗男受刑者とかが、とってもいい人・信念の人に思えてくる。
時々文章が"ちょっとお下品(下ネタ)"に"振れる"のは、連載した雑誌の読者層に合わせているのだろうか?いろいろ読者のことも考えて書かれているなあと感じざるを得ない。
やはりマクロの視点から日本と世界の関係を考える人たちがいないと、目先のことばかりでは国は立ち行かないということを読んでいて感じる。「官僚」も本来「マクロ」を考える(あるいは実行する)そういう仕事のはずなのに、なぜか、そうなっていない。
後輩の若いアナウンサーに「佐藤優って知ってる?」と聞いたら。全然知らなかった。はたしてどのくらいの年代の人たちに浸透しているのか?若い人は知らないのかな?
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(2011、9、11読了)
2011年9月27日 23:51
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新・読書日記
2011_165
『「怒り」のマネジメント術~できる人ほどイライラしない』(安藤俊介、朝日新聞出版:2011、9、30)
大体この手の本を読むと、怒りっぽい私はすぐに、
「そんなことが出来るくらいなら、こんな本を買って読まない!」
と、かえって怒りに火がつくことが多いのですが、そんな私が怒らずに読むことができた、ということは、なかなか説得力のある本なのではないでしょうか?
大体、この手の本は、
「怒ると、損ですよ」
というような「損か、得か」に話を持って行って、
「ほーら、怒るとあなたにとって損なんですよ。だから怒らない方がいいでしょ」
と丸め込もうとするのですが、こっちは「損・得」で怒っているわけではなく、スジが通らないことは許せないと思って怒っているわけですから、損なことは・・・いや「そんなこと」は先刻承知済み。なのに、そういうスケベ根性みたいな説得をするから、余計に怒りに火がつくのです。
この本も最初はそんな感じで「やっぱり・・・」と思ったのですが、でもまあ、たいていの人は「損をするなら怒るのやめよう」と考えるみたいなので(まあ、私もそれを考えないわけではないのですが、それが「第一義」にあるわけではない)、そこにターゲットを絞るのは仕方がないかもしれません。
この本が、ほかの本と違う(と私が感じた)のは、
「アンガー・マネジメント」
という考え方を持ち出した(紹介した)こと。これが新しいところかな。ベストセラーの他の「怒らない」本よりも、こちらの方が私には向いていました。(万人に通用するというわけでは何けれど。)
私は、音楽記号の「p」を「ピアノ」としか読めない人よりは、「パワー」と読む人の方がなんとなく親しみを感じます。
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(2011、9、21読了)
2011年9月27日 18:36
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新・読書日記
2011_164
『相手に9割しゃべらせる質問術~1対1が苦手なあなたへ』(おちまさと、PHP新書:2011、7、29第1刷・2011、8、26第2刷)
実にPHPらしい一冊。書き言葉ではなく「話し言葉」で平易に書かれていて読みやすい。
一応、私はアナウンサー(プロのしゃべり手)なので、こういった「入門書」のような本はどちらか言うと「書き手の立場」で読みます。つまり、自分が教えるとすればどういうふうに教えるか、またそれを文章で書くにはどういうふうに書くか、その参考に(ありていに言えば、よいところがあればマネしてやろうと)という視線で読むことが多いです。ですから、書かれていることが「できる、できない」または「こんなこと、当然」ということではなくて、「ほう、あれをこういうふうに教えるか」という目線で読んでいます。その意味でも、参考になる本でした。後輩の若いアナウンサーに読ませたい。
「インタビュー」って本当に難しいんですが、結局、相手の懐に飛び込めるかどうか、そこですよね、ポイントは。飛び込むためには、また飛び込んで受け入れてもらうためには、どういう準備をして、どういうタイミングで飛び込むか?その参考になるようなことが書かれていたと思いますよ。
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(2011、9、8読了)
2011年9月27日 12:35
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新・読書日記
2011_163
『ワインと外交』(西川恵、新潮新書:2007、2、20)
イマドキ珍しい、シンプルなタイトル。
著者は毎日新聞の記者としてテヘラン・パリ・ローマで勤務。「外交」の舞台の取材を続けた。そのなかで、「饗宴」の持つ意味、そしてその「メニュー」を、国家の意思・首脳の機嫌などを示す「外交」を読み解くひとつの貴重な資料として分析、エピソードを教えてくれる。
「安倍総理と小泉総理、中国で厚遇されたのはどっち?」
とか、思わず覗き込んでしまう「饗宴外交」の中のご馳走の数々。
そうだったのか!ということが多い。メニューを見れば両国の関係がわかる?
もちろん「ワイン」も。高級ワインを大使館が買いためていて「もったいない!」とバッシングを受けたことがあったが、あのワインは、趣味で買ったのではなく、「外交の武器」として買っていたのだ。それなら、そういうふうにきっちりと説明してよ、この本のように。そうしたら「ムダだ」と言われずに済んだのに。あ、マスコミサイドの取材不足だったのかもしれない・・・。バッキンガム宮殿にも「懐事情」があって、あんまり高いワインをポンポンとはは出せない・・・と宮殿側が言っても、女王が「いいのです!」とキッパリ言うシーンなんかも良かったです。
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(2011、9、7読了)
2011年9月21日 17:50
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新・読書日記
2011_162
『最終講義~生き延びるための六講』(内田樹、技術評論社:2011、7、25)
内田先生の論調、好きではないと言いながら、さすがに「最終講義」と銘打たれると買って読んでしまう。「本当は"好き"なんじゃないの?」と聞かれるかも。
最後の方の6つの公演録。
書いたもの(文章)にくらべて、話していた内容だけに人当たりが柔らかく、これなら喜んで聞くかもなあという気がしました。
「やめていく人間がこの場で過去にそういう罪を犯したことをここに懺悔致したわけですので、どうぞご海容願いたいと思います(笑)」(15ページ)
「これで最後なので、教壇に立って、人を扇動したり、悪い影響を与える機会のない人間の末路ということで、ご海容願いたいと思います。」(94ページ)
と、やたら「海容」なんて硬い言葉が出てきたが、これもネタにさせていただきました。
また大谷大学での講演では「倍音は宗教儀礼の核心部分」とか、「太宰治は倍音的文体の作家である」(つまり、心地よいということか)とか「ホホウ」と思わせる話が続きます。お経は退屈だけど、上手なお経(読経)を聞くと、「グレゴリオ聖歌」のような音楽的な心地良さを感じますからねえ。共通するものは、あると思いましたが、それが「倍音」だったのか。合気道と哲学、ユダヤ研究、はたまた音楽まで、さすがです。
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(2011、8、28読了)
2011年9月21日 10:19
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新・読書日記
2011_161
『「オバサン」はなぜ嫌われるか』(田中ひかる、集英社:2011、5、22)
なんとも刺激的なタイトル。これ、男性が書いたら怒られそう。著者は1970年生まれの「女性」でした。
「第1章 なぜ女性は年を隠すのか」では、「女性の年齢」をめぐる社会的な待遇の問題、もちろん「生殖」と関連してくるのだが。そして後半の「おばさん」と「オバサン」では、社会的な年齢による区別ではなく、そういった年齢になった際に「ハタ迷惑な行動」を取るかどうかによって区別されていると。男の場合は「おじさん」も「オジサン」もそんなに違いはないが「おっさん」「オッサン」と言われるとハラが立つ。(もちろん女性も「おばはん」「オバハン」じゃ、メチャクチャ腹が立つでしょうが。)
110ページ「『オバサン』は差別語か」あたりは、じっくり読みたい。
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(2011、9、8)
2011年9月20日 12:20
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新・読書日記
2011_160
『選挙演説の言語学』(東照二、ミネルヴァ書房:2010、6、10第1刷・2010、7、10第2刷)
去年、出た時に、新聞の書評で読んで購入したのだと思う。読むのが1年遅くなってしまったが、その分、落ちついて読めた。
著者は、政治家の言葉分析の第一人者。社会言語学と政治学が混ざったような感じの本。
選挙演説には「感情(ラポート・トーク)」と「理性(リポートトーク)」があって、選挙演説では「ラポート・トーク」が有効であるという、その実例を、ご自身が実際の選挙演説をじかに聴きまわって、その言葉を収集・分析し、その後の当落などもあわせて分析している。「ラポート・トーク」が有益ということは、やはり感情に支配されやすい日本人の気性ということが言えるのか。なかなか「頭ではわかっているが、なかなかねえ・・」「わかっちゃいるけど、やめられない」的な投票行動が繰り返されているということか。感情が支配している最たるものは(「人気調査」であるところの)「支持率調査」であろう。「理性」で国を動かそうとするのなら、あんなもの、いらない。でも、それ(理性)だけでは人は動かないのだという現実がある。だからこそ、選挙演説にはテクニックが必要なのだが・・・キチッとテクニックを使えている「言葉のプロ」は少ないのでしょうね。
一番おもしろかったのは、小泉元総理の演説テクニックについて書いてあったところ。「ラポートトーク」の最たるものですが、このテクを使うだけで、ある意味、
「誰でも小泉純一郎になれる」
ぐらい、すごい。え?どんなんだって?えー、それは本書を読んでもらって・・・・・・・でも、ちょっと書くと、
「語尾に、『~んです!』をひたすら使い続けること」
です。いっぺん、やってみてください。「小泉気分」が味わえます。
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(2011、9、6読了)
2011年9月13日 20:11
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新・読書日記
2011_159
『冠婚葬祭でモメる100の理由』(島田裕己、文春新書:2011、6、20)
「冠婚葬祭」にまつわる様々な質問を100項目挙げ、それを簡潔に見開き2ページで答えていく、大変有益な一冊。「冠」「婚」「葬」「祭」という4つの場面がありながら、36問から90問までの、つまり本書の半分以上は「葬」について。生きている間の「冠」「婚」「祭」は、もし失敗があっても相手も生きているのだから取り返しがつく。しかし「葬」だけは、当人は死んでいて文句が言えないし、だからこそその周りの生きている連中は、勝手に自分が主導権を握ろうとして「自分の思い」をぶつけてくる。やっぱり「葬」が一番面倒なんだなあ。著者の『お墓なんていらない』がベストセラーになったのも納得。悩んでいる人が多いから、買う人がたくさんいるのだな。
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(2011、9、7読了)
2011年9月13日 12:44
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新・読書日記
2011_158
『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(想田和弘、講談社現代新書:2011、7、20)
テレビ・ディレクターとしてドキュメンタリーを40本以上制作。その後、どうもテレビ局が求めているものと自分が撮りたいものは違うと気づき、フリーに。事前のリサーチや打ち合わせ、台本なし、ナレーションなし、説明テロップも音楽もなし、正味「映像だけ」で勝負する「ドキュメンタリー」を撮り出した。2007年、東大時代の同級生が選挙に出ることを聞いて、それに密着して自民党の選挙の舞台裏=日本型民主主義の裏側をありのままに撮影した『選挙』。これが彼の言う「観察映画」の始まりだった。『選挙』は一部では評判となり、多くの賞を獲得。業界の「知る人ぞ知る」という感じ。私もチラッと見た覚えがあって(ニュース「ZERO」で特集していたのだったかな?)、「ああ、あれを撮った人か」と思い当たった。
著者は「アンチ・テレビ型」の映像を作り続けているという。「テレビ」はいうまでもなく「マス」(=大量)の情報メディアである。情報も大量だが、それを流す相手も大量である。個別の事象までに入って行けないという欠点がある。そこで掬いきれないものや感情・出来事を掬うのは、これまでは「ミニコミ」と呼ばれていたメディア。しかし、インターネットの登場以降、「マス」ではないが、これまでのような「ミニ」でもない「メディア」ができてきた。「ミディー」なコミュニケーション。そんな中に位置づけされるのかなという気がした。
しかし、映像だけで、と言っても日本語をしゃべる人たちの映像を外国に紹介する時には、やはり「テロップなし」に映像だけでは無理ではないか?と思ったが。
大変、勉強になりました。本当の意味で「ジャーナリストだなあ」と思いました。
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(2011、8、16読了)
2011年9月12日 22:42
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新・読書日記
2011_157
『神様のカルテ』(夏川草介、小学館文庫:2011、6、12初版・2011、7、4第4刷・単行本は2009、9)
夏休みに旅行先で読んだ。これが「漫画」になったものはこれまで連載で読んでいたのと、映画化されたということもあり、「元の小説を読みたいなあ」と思っていたら、なんと息子がこの本を買って旅行先に持ってきていた。「先に読む?」と言って貸してくれた。ありがとう。
うーん、こんなに一生懸命働くお医者さんたちが、いっぱいいるんだよなあ。「命」の問題そして「命の質(QOL=クオリティー・オブ・ライフ)を考えるのに最適な本だと思います。良かったよ。
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(2011、8、16読了)
2011年9月 9日 22:28
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新・読書日記
2011_156
『原発のウソ』(小出裕章、扶桑社新書:2011、6、1第1刷・2011、6、5第2刷)
うーん、これを読んだら、やはりもう「原発」は「未来のエネルギーではない」と感じざるを得ない。そもそも石油や石炭の方が、ウランより埋蔵量が多いなんて知らなかった。「石油」がなくなるから「ウラン=原子力発電」に...となったんじゃなかったの?
それと、やはり放射性廃棄物の問題。これは「問題の先送り」以外の何ものでもなく、その問題解決のための「プルサーマル」は危険この上ないと、本書を読むとそう考えて当然だろう。
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(2011、8、30読了)
2011年9月 9日 20:27
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新・読書日記
2011_155
『日本人の誇り』(藤原正彦、文春新書:2011、4、20)
帯には、著者の大きなカラー写真とともに、
「『国家の品格』から6年、渾身の書き下ろし~日本人の覚醒と奮起に期待したい」
とある。第1章の「嘆き」は、ほかの本でも同じようなことが書かれているので「またか」という感じだが、後半は「歴史の教科書」である。特に「昭和の戦争」とその後の「東京裁判」「南京大虐殺」に関する記述は、一軒「右寄り」のように見えて「中道」の冷静な記述のように感じた。
もう一度しっかりと「歴史」を勉強するところから、あしたへの、未来の日本への一歩が始まる。
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(2011、8、26読了)
2011年9月 9日 12:15
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新・ことば事情
4453「デンワじゃないのよスマホは。(ハッハーン)」
7月13日の日経新聞朝刊「スマートフォンエコノミー(中)」という記事を読みました。それによると、6月6日、病気療養中のアップルの最高経営責任者(CFEO)のスティーブ・ジョブズが、サンフランシスコで開かれた新サービスの発表会で、
「パソコンはまもなくデジタルライフの主役でなくなる」
というふうに、
「ポストPC時代の到来」
を告げたそうです。現在、最新のスマホに搭載されているCPU(中央演算処理装置)の処理速度は、10年前の大型汎用コンピューターの3倍(2ギガヘルツ)にも上るんだそうです。
うーん、なんだか難しい。スゴイことになっているぞ。
これを読んで私の頭の中に浮かんだのは、中森明菜さんの名曲(井上陽水さんの作詞・作曲)、
「飾りじゃないのよ涙は」
でした。え?曲が流れたのかって?いえ、メロディーではなくて、タイトルがそのまま置き換わって、
「デンワじゃないのよスマホは。(ハッハーン)」
ということでした。スマートフォンはもうデンワと言うよりは「携帯型のパソコン」ですものね、その機能から考えると。記事の内容はそれを裏付けていますね。それでそういうイメージが浮かんだのでした。
で、これを書きかけておいていたら、スティーブ・ジョブズが引退してしまいました。がんとの闘いが、やはり大変なのでしょうね・・・頑張ってほしいです。
(2011、9、4)
2011年9月 8日 12:53
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