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『道浦TIME』

新・ことば事情

4465「豆の木」

 

9月27日のお昼の関西ローカルニュースを見ていたら、兵庫・丹波の黒豆の収穫の話題を伝えていました。「紫ずきん」という種類の豆でした。そのニュースの中で、

「豆の木」

という表現が出てきて「おや?」と思いました。

「ジャックと豆の木」

という有名な童話があるので「豆の木」という言葉には、ひとつの「成語(成句)」として「なじみ」があります。でも映像で見た「豆」は、とても「木」という感じではなく「茎」に生っているように見えました。つまり、

「木」

というのは、どういう状態なら「木」と呼べるのか?という問題が浮上したわけです。(もう既に「豆の木」でオンエアーしちゃったけど。)

私が思うに、

「木は、茎が堅く木質化していないとだめ。『ウドの大木』と言うように、大きくても『ウド』のような茎の状態では『木』とは呼べない」

ということで、その意味では「紫すきん」の黒豆は「木ではない」と思います。「ヒマワリ」だって、いくら大きくても、

「ヒマワリの木」

とは言わないな。ということは、「一年生=1年で枯れてしまうようなもの」「木ではない」。「多年生」であることも「木の条件に入る」のではないか?

辞書(『精選版日本国語大辞典』=電子辞書)を引くと、

「木」=「地上部の茎が木質化している多年生の植物。茎の大小長短により、低木(潅木)と高木(喬木)の二類に分けるが、多くは高木をさしていう。樹木。木本。」

やはり、「茎」というか「幹」というか、あの垂直に伸びている部分が、

「硬く乾燥して木質化していること」

が条件なんですね。大きければいい、というものではありません。

ネットで調べてみたら(Wさんが調べてくれました)、「マメ科」の植物には、

「木本(もくほん)」と「草本(そうほん)」

2種類があるそうです。「フジ(藤)」なんかは、弦のような枝が伸びますが「フジ棚」を作るぐらいですから、あれは「木」ですよね。「エンドウ」「スイートピー」なんかは「草花」ですから「木ではなく、草」ですね。

で、「黒豆」ですが・・・「一年生」だから、やはり「草」なんじゃないでしょうか。

ちなみに、取材させてもらった農家の人は、

「豆の木」

と言ってたそうです。丈が80センチくらいありますから、大きいものは一般的には「木」と言う傾向があるのでしょうね。

 

(2011、9、27)

2011年9月28日 18:49 | コメント (0)

新・ことば事情

4464「タクシーを待つ乗客は」

 

「ミヤネ屋」のニュースのテロップをチェックしていたら、台風15号の影響を受けた首都圏の人たちにインタビューしているものがありました。そのテロップには、こう書かれていました。

「タクシーを待つ乗客は」

一見、何の変哲もない、普通のテロップですが、「ちょっと待った!」この人たちは、

「タクシーを待っている」

のでよね。つまり、

「まだタクシーには乗っていない」

のですよね。乗っていない人を「乗客」と呼んでしまってよいのだろうか? という疑問が。結局これは、

「タクシーを待つ客は」

としました。「客」には違いありません。タクシーを利用しようとしているのだから。でも、まだ乗っていない。あ、そうか、

「タクシーの利用客は」

としても良かったですね。でもまだ「利用できてはいない」のですが。

なんとなく見過ごしてしまう表現ですが、よく考えるとおかしい言葉って、ありますよね。

 

(2011、9、26)

2011年9月28日 12:47 | コメント (0)

新・ことば事情

4463「経綸」

 

9月14日、国会の代表質問での自民党・谷垣総裁の発言をフォローする字幕スーパーで、「ミヤネ屋」のMディレクターから、

「道浦さん、"ケイリュウ"って、漢字でどう書くんですか?」

と聞かれて「ケイリュウ」を調べましたが、意味が合う適当なものがありません。

Mディレクターは、

「最初"ケイリン"って聞こえたけど、辞書に意味が合うものがなくって・・・」

と言うので、文脈も見てみると、谷垣総裁は野田総理に対して、

「本日は、総理のケイリンをお聞かせ願いたい」

と言っています。それなら、と、

「けいりん」

を引くと、ありました。

「けいりん(経綸)」=国家を治めととのえること。天下を統治すること。また、その施策」

と載っていました。「競輪」「桂林」は知っていますが「経綸」は知りませんでした。

「これだ!」と思いましたが、このまま漢字にルビを振って出しても、意味がわからないでしょう。そこで字幕は、

「本日は、総理の経綸(けいりん=施策)をお聞かせ願いたい」

として放送しました。

政治家ってなんでこんな「耳で聞いてわからない言葉」を好むんでしょうね?国民を煙に巻こうとしていませんか?

 

(2011、9、27)

2011年9月28日 08:47 | コメント (0)

新・読書日記 2011_166

『この国を壊す者へ』(佐藤優、徳間書店:2011、8、31)

 

『アサヒ芸能』で2010311号~2011818.25合併号に連載されていたものに、第一章「独裁者へ」を書き下ろして加えた本。著者はひと月に、原稿を80本も書いているらしい。スゲエ。その分量は、400字詰めで1200枚!全部締め切りがあるとは、なんて胃に悪い・・・!

これを読んでいると、鈴木宗男受刑者とかが、とってもいい人・信念の人に思えてくる。

時々文章が"ちょっとお下品(下ネタ)"に"振れる"のは、連載した雑誌の読者層に合わせているのだろうか?いろいろ読者のことも考えて書かれているなあと感じざるを得ない。

やはりマクロの視点から日本と世界の関係を考える人たちがいないと、目先のことばかりでは国は立ち行かないということを読んでいて感じる。「官僚」も本来「マクロ」を考える(あるいは実行する)そういう仕事のはずなのに、なぜか、そうなっていない。

後輩の若いアナウンサーに「佐藤優って知ってる?」と聞いたら。全然知らなかった。はたしてどのくらいの年代の人たちに浸透しているのか?若い人は知らないのかな?

 

 


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(2011、9、11読了)

2011年9月27日 23:51 | コメント (0)

新・ことば事情

4462「『ほだす』の漢字」

 

「気持ちがほだされて」

と使う「ほだす」ですが、漢字でどう書くか、知ってますか?私は知りませんでした。

たまたま「ミヤネ屋」のスーパーをチェックしていて「ほだされて」とあったので、

「漢字で書くと、どういう字かな?」

と思って辞書を引くと、なんと、おなじみのあの漢字が!

「絆す」

とあったのです!

「絆(きずな)」

って、訓読みは「きずな」だけじゃなかったの?動詞の「ほだ(す)」も訓読みもあるんだ・・・当て字かな?

先日、「平成ことば事情」で「絆」は「糸が、半分と半分が結ばれるから」とウソの語源説を書きましたが、その後NHKの原田邦博さんが「絆」の「半」には「ぐるぐる巻き」の意味があるようで、「撹拌」の「拌」は「かき混ぜる」という意味だがこの「半」と相通じるようだと教えてくれましたが、しかしまさか「ほだす」を漢字で書くと「絆」だなんて・・・よく目にする言葉だけど、漢字で書かれたものにはお目にかかっていなかった気がします。

ま、しかし、テレビの字幕で、ルビを振って、

「絆(ほだ)す」

と使うことは、ないと思いますが。

 

(2011、9、27)

2011年9月27日 22:46 | コメント (0)

新・ことば事情

4461「シャンディーガフ」

 

とんとカクテルなど飲まない日々が続いていますが、たまにカクテルを飲むと、甘いけどおいしかったりして・・・。

先日、会社で雑談をしていたおりに、

「ビールとジンジャエールのカクテル、あれ、わりとおいしいよね。なんて言ったっけ?」

という話になりました。え?ビールのカクテル?ジンジャエールは好きだけど、ビールのカクテルは知らないなあ。ビ-ルのカクテルで知っているのは、トマトジュースで割った「レッドアイ」でしたっけ?あれぐらいしか知りません。

すると女性のスタッフが、

「『シャンディーガフ』です」

と初めて聞く名前を教えてくれました。

ふーん、またひとつ、新しいことを覚えました。今度飲んでみよう!

あ、それでひとつ、なぞなぞができました。

「神様を『頑張れー!』って応援する飲み物はなーんだ?』

 

・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・

・・・・・・・・

・・・・・・・

・・・・・・

・・・・・

・・・・

 ・・・・・

・・・・

・・・

・・

【答え:ジンジャエール(=神社エール)】

 

(2011、9、26)

2011年9月27日 20:42 | コメント (0)

新・読書日記 2011_165

『「怒り」のマネジメント術~できる人ほどイライラしない』(安藤俊介、朝日新聞出版:2011、9、30)

 

大体この手の本を読むと、怒りっぽい私はすぐに、

「そんなことが出来るくらいなら、こんな本を買って読まない!」

と、かえって怒りに火がつくことが多いのですが、そんな私が怒らずに読むことができた、ということは、なかなか説得力のある本なのではないでしょうか?

大体、この手の本は、

「怒ると、損ですよ」

というような「損か、得か」に話を持って行って、

「ほーら、怒るとあなたにとって損なんですよ。だから怒らない方がいいでしょ」

と丸め込もうとするのですが、こっちは「損・得」で怒っているわけではなく、スジが通らないことは許せないと思って怒っているわけですから、損なことは・・・いや「そんなこと」は先刻承知済み。なのに、そういうスケベ根性みたいな説得をするから、余計に怒りに火がつくのです。

この本も最初はそんな感じで「やっぱり・・・」と思ったのですが、でもまあ、たいていの人は「損をするなら怒るのやめよう」と考えるみたいなので(まあ、私もそれを考えないわけではないのですが、それが「第一義」にあるわけではない)、そこにターゲットを絞るのは仕方がないかもしれません。

この本が、ほかの本と違う(と私が感じた)のは、

「アンガー・マネジメント」

という考え方を持ち出した(紹介した)こと。これが新しいところかな。ベストセラーの他の「怒らない」本よりも、こちらの方が私には向いていました。(万人に通用するというわけでは何けれど。)

私は、音楽記号の「p」を「ピアノ」としか読めない人よりは、「パワー」と読む人の方がなんとなく親しみを感じます。

 

 


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(2011、9、21読了)

2011年9月27日 18:36 | コメント (0)

新・ことば事情

4460「Return to Tray」

 

たまたま入ったセルフ・サービスのカフェ。そのトレーを返却するところに、こう書かれていました。

Return to Tray

うーん、あんまり英語は得意でない私ですが、この英語、おかしくないですか?これではまるで、

「トレーに返れ(戻れ)」

ではないでしょうか?さらに、

Retun to Nature」(自然に帰れ)

なんて言葉を思い出しました。

また、「お皿の返却場所」には、

Dish Return

お皿が、自らの意志で帰る(返る)みたいです。『バットマン・リターンズ』って映画がありましたね。いっそのことマッカーサーみたいに、

Dish shall Return

なら気が利いている?

中学で英語の教師をしている友人に、「これってどうなの?」と教えを請うたところ、

「そんなんに目がいくのはさすがやねえ。『トレーを返すところ』は、他にも言い方はあるやろけど、

Where to return your tray

しか思いつかんなあ。『Return to ○○ Tray』は、

『トレイに(何かを)戻す」

っていう意味。『お皿の返却場所』は、『Dish Return』でいいと思う。Returnに名詞の用法あるし、『皿返却場所』みたいな感じではないでしょうか。」

ということでした。

 

(2011、9、26)

2011年9月27日 15:46 | コメント (0)

新・読書日記 2011_164

『相手に9割しゃべらせる質問術~1対1が苦手なあなたへ』(おちまさと、PHP新書:2011、7、29第1刷・2011、8、26第2刷)

 

実にPHPらしい一冊。書き言葉ではなく「話し言葉」で平易に書かれていて読みやすい。

一応、私はアナウンサー(プロのしゃべり手)なので、こういった「入門書」のような本はどちらか言うと「書き手の立場」で読みます。つまり、自分が教えるとすればどういうふうに教えるか、またそれを文章で書くにはどういうふうに書くか、その参考に(ありていに言えば、よいところがあればマネしてやろうと)という視線で読むことが多いです。ですから、書かれていることが「できる、できない」または「こんなこと、当然」ということではなくて、「ほう、あれをこういうふうに教えるか」という目線で読んでいます。その意味でも、参考になる本でした。後輩の若いアナウンサーに読ませたい。

「インタビュー」って本当に難しいんですが、結局、相手の懐に飛び込めるかどうか、そこですよね、ポイントは。飛び込むためには、また飛び込んで受け入れてもらうためには、どういう準備をして、どういうタイミングで飛び込むか?その参考になるようなことが書かれていたと思いますよ。

 

 


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(2011、9、8読了)

2011年9月27日 12:35 | コメント (0)

新・ことば事情

4459「1参加につき」

 

近くのショッピングモール(商店街)のくじ引きに「参加」しました。500円、2000円などの商品券が当たるのです。くじ引きをするには「お買い上げのレシート」が必要です。レシート5000円分につき1回抽選ができます。週末に、一週間分の食材を買いだめするので、何回か抽選ができます。そこの看板に、こう書かれていました。

「抽選は1参加につき最大30回までとなります」

この「1参加」の「参加」は助数詞ですね。こんなふうに、助数詞に使われるんだ、「参加」という言葉は。

ちなみに、ここで「1参加」というのは、5000円で1回抽選ができるんだけれども、

「連続で抽選をするのは30回まで」

ということで、もし30回(つまり15万円分!)を超える分のお買い上げがあったとしても30回を超える分の抽選は、もう一度列の後ろに並び直してくださいね、ということのようです。というのも、結構長い列ができていて、一人であまり何回も抽選をする(機械のボタンを押すだけなんですが)のは、後ろの人の迷惑になるから、ということのようです。

いろいろな助数詞があるんだなあと思ったのでした。

 

(2011、9、26)

2011年9月27日 08:45 | コメント (0)

新・ことば事情

4458「鉄管ビール」

 

小林信彦の自伝的小説の第3部『流される』(文藝春秋:2011915を読んでいたら、こんなフレーズが出てきました。

「〈鉄管ビール〉とは、私の父の世代が、水道の水を指していう言葉だった」

小林信彦氏は1932(昭和7年)生まれ。その父の世代はというと、おそらく明治末生まれ。それが20歳前後のときは、大正末から昭和初めでしょうかね?「大正デモクラシー」よりあとかな?

実は私は、この、

「鉄管ビール」

という言葉は知っていました。(聞いたことがありました)父から聞きました。父は、昭和10年(1935年)生まれですから、小林信彦さんとほぼ同世代です。その父は、父の父(つまり私の祖父)から聞いて知っていたそうです。祖父は明治40年(1907年)生まれでした。

この「鉄管ビール」が流行ったのは一体いつの時代だったのか?

こういうときは、やはり米川明彦先生の『日本俗語大辞典』か『明治・大正・昭和の新語・流行語辞典』を引くのがベストでしょう。早速、引いて見ると、やはりありました!

 

「鉄管ビール」=水道水。<類義語>ヒネルシャー・ヒネルトシャー・ヒネルトジャー。◆『訂正増補新らしい言葉の字引』(1919年)<服部嘉香・植原路郎>「鉄管ビール 平民階級の人間が痩我慢を張つて叫んだ楽天家振りの言葉である。水道の水のことをしゃれて言つたもので、水道の水が鉄管で引いて来てあるからかく名づけたのである」

 

この用例で挙げられた本が出たのが1919年=大正8年。その時に既に「新らしい言葉」として使われていたのですから、やはり「鉄管ビール」が誕生・流布したのは「大正初年」でしょう。「大正デモクラシー」の中で生まれたのではないでしょうか?「モボ・モガ(モダンボーイ・モダンガール)」などの仲間のように感じます。

その昔、江戸時代に「平賀源内」が生み出した「洋風ネーム」の「オストデール」などの流れで。大正時代の初めにこういった「しゃれた名前の言い換え」があったと言われています。歩いていくのを「テクシー」とか、「あんパン」を「オストアンデル」など。これについては前に書いた気が・・・。あとで検索しよう。

その仲間なんですね、この「鉄管ビール」は。Google検索(926日)では

「鉄管ビール」=6580

出てきました。

※検索したところ「平成ことば事情606 オストアンデル」20023に書いていました。それによると、1918727日の東京朝日新聞に「其日の話26」として載っているか、1902125日の「滑稽新聞」には、

「スワルトバートル」(袴)=座ると 場 取る

「オストアンデル」(饅頭)=押すと 餡 出る

「イキムトヘーデル」(放屁)=いきむと 屁 出る

「ノムトヘル」(巻煙草)=呑むと 減る

「フルトサス」(傘)=降ると さす

「コーバシー」(炒豆)=香ばしい

というのが載っていたそうです。

 

(2011、9、26)

2011年9月26日 19:01 | コメント (0)

新・読書日記 2011_163

『ワインと外交』(西川恵、新潮新書:2007、2、20)

 

イマドキ珍しい、シンプルなタイトル。

著者は毎日新聞の記者としてテヘラン・パリ・ローマで勤務。「外交」の舞台の取材を続けた。そのなかで、「饗宴」の持つ意味、そしてその「メニュー」を、国家の意思・首脳の機嫌などを示す「外交」を読み解くひとつの貴重な資料として分析、エピソードを教えてくれる。

「安倍総理と小泉総理、中国で厚遇されたのはどっち?」

とか、思わず覗き込んでしまう「饗宴外交」の中のご馳走の数々。

そうだったのか!ということが多い。メニューを見れば両国の関係がわかる?

もちろん「ワイン」も。高級ワインを大使館が買いためていて「もったいない!」とバッシングを受けたことがあったが、あのワインは、趣味で買ったのではなく、「外交の武器」として買っていたのだ。それなら、そういうふうにきっちりと説明してよ、この本のように。そうしたら「ムダだ」と言われずに済んだのに。あ、マスコミサイドの取材不足だったのかもしれない・・・。バッキンガム宮殿にも「懐事情」があって、あんまり高いワインをポンポンとはは出せない・・・と宮殿側が言っても、女王が「いいのです!」とキッパリ言うシーンなんかも良かったです。

 

 


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(2011、9、7読了)

2011年9月21日 17:50 | コメント (0)

新・読書日記 2011_162

『最終講義~生き延びるための六講』(内田樹、技術評論社:2011、7、25)

 

内田先生の論調、好きではないと言いながら、さすがに「最終講義」と銘打たれると買って読んでしまう。「本当は"好き"なんじゃないの?」と聞かれるかも。

最後の方の6つの公演録。

書いたもの(文章)にくらべて、話していた内容だけに人当たりが柔らかく、これなら喜んで聞くかもなあという気がしました。

「やめていく人間がこの場で過去にそういう罪を犯したことをここに懺悔致したわけですので、どうぞご海容願いたいと思います()」(15ページ)

「これで最後なので、教壇に立って、人を扇動したり、悪い影響を与える機会のない人間の末路ということで、ご海容願いたいと思います。」(94ページ)

と、やたら「海容」なんて硬い言葉が出てきたが、これもネタにさせていただきました。

また大谷大学での講演では「倍音は宗教儀礼の核心部分」とか、「太宰治は倍音的文体の作家である」(つまり、心地よいということか)とか「ホホウ」と思わせる話が続きます。お経は退屈だけど、上手なお経(読経)を聞くと、「グレゴリオ聖歌」のような音楽的な心地良さを感じますからねえ。共通するものは、あると思いましたが、それが「倍音」だったのか。合気道と哲学、ユダヤ研究、はたまた音楽まで、さすがです。

 

 

 


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(2011、8、28読了)

2011年9月21日 10:19 | コメント (0)

新・読書日記 2011_161

『「オバサン」はなぜ嫌われるか』(田中ひかる、集英社:2011、5、22)

 

なんとも刺激的なタイトル。これ、男性が書いたら怒られそう。著者は1970年生まれの「女性」でした。

「第1章 なぜ女性は年を隠すのか」では、「女性の年齢」をめぐる社会的な待遇の問題、もちろん「生殖」と関連してくるのだが。そして後半の「おばさん」と「オバサン」では、社会的な年齢による区別ではなく、そういった年齢になった際に「ハタ迷惑な行動」を取るかどうかによって区別されていると。男の場合は「おじさん」も「オジサン」もそんなに違いはないが「おっさん」「オッサン」と言われるとハラが立つ。(もちろん女性も「おばはん」「オバハン」じゃ、メチャクチャ腹が立つでしょうが。)

110ページ「『オバサン』は差別語か」あたりは、じっくり読みたい。

 


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(2011、9、8)

2011年9月20日 12:20 | コメント (0)

新・ことば事情

4457「詳しい原因を調べています」

 

実に久しぶりに(4か月ぶり)に、アナウンス部のローテーションでニュースを読みました。原稿を読んでいると、

「どうも息が苦しいな、ブレスがきっちり入らない、20数年アナウンサーやってきても、やはり毎日訓練していないと、発声が苦しくなるのかな。本番は違うな・・・」

と思って、ブレスが入らない自分の腹のあたりを見ると、スーツのボタンがはちきれんばかりになっています。ためしにボタンを外してみると、あーら不思議。急にブレスが入って、楽にちゃんと声が出るようになりました。なんだ「太ってただけ」。毎日の訓練とは関係ありませんでした。しかしよく考えるとこのスーツは、レギュラーでニュースを読まなくなっていた2年前に買ったもの。最近のスーツは、ボタンの位置が高いのです(Vゾーンが狭い)。ですから、ボタンを留めると胃の腑の辺り(横隔膜の上)を圧迫してブレスが入りにくい。しかも細身。しかも座っているので余計にギューギューになる。いろいろと、ブレスが入りにくい条件が揃っていたのですね。「原因」は「詳しく調べ」ないとダメですね。

さて、その「原因」「調べる」

きょう(918日)読んだニュース原稿は、兵庫県姫路市で2歳の子どもが、母親の交際相手に虐待を受けていたというニュースで、その中に、

「警察で詳しい原因を調べることにしています」

というフレーズが出てきました。

ちょっと待って。

「詳しい原因」

って、「原因」に「詳しいもの」と「詳しくないもの」があるの?これは正しくは、

「原因を詳しく調べています」

ではないか。ということで、そのように直して読みました。

あれ・・・これって。前に書いたこと、なかったかな・・・と、ふと思って、調べてみると・・・ありました。10年前に書いていました。

「平成ことば事情354詳しい出火原因」

という短い文章ですが。やっぱり「詳しく調べないとダメ」ということでした。オチがつきました。落ち着いた・・・。

 

(2011、9、18)

2011年9月19日 15:22 | コメント (0)

新・ことば事情

4456「連日続く厳しい暑さ」

 

9月18日、NHKの夜7時のニュースを見ていたら、女性アナウンサーが、

「連日続く厳しい暑さ」

と原稿を読んでいました。それを聞いて、「あれ?」と思いました。

「連日」は「日が連なる」のですから、その中に「続く」という意味は含まれているのではないか?つまり「重複表現ではないか?」と思ったのです。

まあ、重複表現といってもそれほどおかしな表現ではないので、普通は聞き過ごしてしまうのでしょう。しかし、「連日」と「続く」が続けて出てきたので違和感があったのだと思います。

これが「連日」と「続く」を少し離して(間に「厳しい暑さが」を入れて)

「連日、厳しい暑さが続いていますが」

なら、何ら違和感なく聞いていたと思います。

私も、今後そういう原稿を書かないように(読まないように)注意します。

 

(2011、9、18)

2011年9月19日 10:20 | コメント (0)

新・ことば事情

4455「沿岸部」

 

「ミヤネ屋」で台風12号の被害を報じる原稿の中に、

「川の上流の沿岸部では」

という表現が出てきました。字幕スーパーにもありました。この

「沿岸部」

に違和感を覚えました。「沿岸」というと、どうしても思い浮かべるのは、

「日本沿岸」「太平洋沿岸」

など、

「海の近くの岸」

です。「川」に使うのはどうなのか?

辞書を引くと「海」のほか「川」「湖」にも使えるようなことを書いてありますが・・・。そこで、原稿とスーパーを、

「川の上流の両岸では」

と直しましたが、もうひとつこなれない。あ、そうか「沿岸」とか「両岸」とか言わなくてもそのまま、

「川の上流では」

でいいんだ。ということで原稿は解決しましたが、「沿岸」問題は残りました。

 

(2011、9、13)

2011年9月19日 01:18 | コメント (0)

新・読書日記 2011_160

『選挙演説の言語学』(東照二、ミネルヴァ書房:2010、6、10第1刷・2010、7、10第2刷)

 

去年、出た時に、新聞の書評で読んで購入したのだと思う。読むのが1年遅くなってしまったが、その分、落ちついて読めた。

著者は、政治家の言葉分析の第一人者。社会言語学と政治学が混ざったような感じの本。

選挙演説には「感情(ラポート・トーク)」と「理性(リポートトーク)」があって、選挙演説では「ラポート・トーク」が有効であるという、その実例を、ご自身が実際の選挙演説をじかに聴きまわって、その言葉を収集・分析し、その後の当落などもあわせて分析している。「ラポート・トーク」が有益ということは、やはり感情に支配されやすい日本人の気性ということが言えるのか。なかなか「頭ではわかっているが、なかなかねえ・・」「わかっちゃいるけど、やめられない」的な投票行動が繰り返されているということか。感情が支配している最たるものは(「人気調査」であるところの)「支持率調査」であろう。「理性」で国を動かそうとするのなら、あんなもの、いらない。でも、それ(理性)だけでは人は動かないのだという現実がある。だからこそ、選挙演説にはテクニックが必要なのだが・・・キチッとテクニックを使えている「言葉のプロ」は少ないのでしょうね。

一番おもしろかったのは、小泉元総理の演説テクニックについて書いてあったところ。「ラポートトーク」の最たるものですが、このテクを使うだけで、ある意味、

「誰でも小泉純一郎になれる」

ぐらい、すごい。え?どんなんだって?えー、それは本書を読んでもらって・・・・・・・でも、ちょっと書くと、

 

「語尾に、『~んです!』をひたすら使い続けること」

 

です。いっぺん、やってみてください。「小泉気分」が味わえます。

 

 


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(2011、9、6読了)

2011年9月13日 20:11 | コメント (0)

新・読書日記 2011_159

『冠婚葬祭でモメる100の理由』(島田裕己、文春新書:2011、6、20)

 

「冠婚葬祭」にまつわる様々な質問を100項目挙げ、それを簡潔に見開き2ページで答えていく、大変有益な一冊。「冠」「婚」「葬」「祭」という4つの場面がありながら、36問から90問までの、つまり本書の半分以上は「葬」について。生きている間の「冠」「婚」「祭」は、もし失敗があっても相手も生きているのだから取り返しがつく。しかし「葬」だけは、当人は死んでいて文句が言えないし、だからこそその周りの生きている連中は、勝手に自分が主導権を握ろうとして「自分の思い」をぶつけてくる。やっぱり「葬」が一番面倒なんだなあ。著者の『お墓なんていらない』がベストセラーになったのも納得。悩んでいる人が多いから、買う人がたくさんいるのだな。

 

 


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(2011、9、7読了)

2011年9月13日 12:44 | コメント (0)

新・読書日記 2011_158

『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(想田和弘、講談社現代新書:2011、7、20)

 

テレビ・ディレクターとしてドキュメンタリーを40本以上制作。その後、どうもテレビ局が求めているものと自分が撮りたいものは違うと気づき、フリーに。事前のリサーチや打ち合わせ、台本なし、ナレーションなし、説明テロップも音楽もなし、正味「映像だけ」で勝負する「ドキュメンタリー」を撮り出した。2007年、東大時代の同級生が選挙に出ることを聞いて、それに密着して自民党の選挙の舞台裏=日本型民主主義の裏側をありのままに撮影した『選挙』。これが彼の言う「観察映画」の始まりだった。『選挙』は一部では評判となり、多くの賞を獲得。業界の「知る人ぞ知る」という感じ。私もチラッと見た覚えがあって(ニュース「ZERO」で特集していたのだったかな?)、「ああ、あれを撮った人か」と思い当たった。

著者は「アンチ・テレビ型」の映像を作り続けているという。「テレビ」はいうまでもなく「マス」(=大量)の情報メディアである。情報も大量だが、それを流す相手も大量である。個別の事象までに入って行けないという欠点がある。そこで掬いきれないものや感情・出来事を掬うのは、これまでは「ミニコミ」と呼ばれていたメディア。しかし、インターネットの登場以降、「マス」ではないが、これまでのような「ミニ」でもない「メディア」ができてきた。「ミディー」なコミュニケーション。そんな中に位置づけされるのかなという気がした。

しかし、映像だけで、と言っても日本語をしゃべる人たちの映像を外国に紹介する時には、やはり「テロップなし」に映像だけでは無理ではないか?と思ったが。

大変、勉強になりました。本当の意味で「ジャーナリストだなあ」と思いました。

 

 


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(2011、8、16読了)

2011年9月12日 22:42 | コメント (0)

新・読書日記 2011_157

『神様のカルテ』(夏川草介、小学館文庫:2011、6、12初版・2011、7、4第4刷・単行本は2009、9)

 

夏休みに旅行先で読んだ。これが「漫画」になったものはこれまで連載で読んでいたのと、映画化されたということもあり、「元の小説を読みたいなあ」と思っていたら、なんと息子がこの本を買って旅行先に持ってきていた。「先に読む?」と言って貸してくれた。ありがとう。

うーん、こんなに一生懸命働くお医者さんたちが、いっぱいいるんだよなあ。「命」の問題そして「命の質(QOL=クオリティー・オブ・ライフ)を考えるのに最適な本だと思います。良かったよ。

 

 


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(2011、8、16読了)

2011年9月 9日 22:28 | コメント (0)

新・読書日記 2011_156

『原発のウソ』(小出裕章、扶桑社新書:2011、6、1第1刷・2011、6、5第2刷)

 

うーん、これを読んだら、やはりもう「原発」は「未来のエネルギーではない」と感じざるを得ない。そもそも石油や石炭の方が、ウランより埋蔵量が多いなんて知らなかった。「石油」がなくなるから「ウラン=原子力発電」に...となったんじゃなかったの?

それと、やはり放射性廃棄物の問題。これは「問題の先送り」以外の何ものでもなく、その問題解決のための「プルサーマル」は危険この上ないと、本書を読むとそう考えて当然だろう。

 

 


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(2011、8、30読了)

2011年9月 9日 20:27 | コメント (0)

新・読書日記 2011_155

『日本人の誇り』(藤原正彦、文春新書:2011、4、20)

 

帯には、著者の大きなカラー写真とともに、

「『国家の品格』から6年、渾身の書き下ろし~日本人の覚醒と奮起に期待したい」

とある。第1章の「嘆き」は、ほかの本でも同じようなことが書かれているので「またか」という感じだが、後半は「歴史の教科書」である。特に「昭和の戦争」とその後の「東京裁判」「南京大虐殺」に関する記述は、一軒「右寄り」のように見えて「中道」の冷静な記述のように感じた。

もう一度しっかりと「歴史」を勉強するところから、あしたへの、未来の日本への一歩が始まる。

 

 


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(2011、8、26読了)

2011年9月 9日 12:15 | コメント (0)

新・ことば事情

4454「生謝罪」

 

8月31日の「スポーツニッポン」=スポニチを読んでいたら、TOKIOの山口達也が、

無免許運転をしていたことについて謝るという記事が出ていました。その見出しが、

 

「山口達也、無免許運転きょう早朝ZIP!で生謝罪」

 

ええ!「生謝罪」?

初めて見ました、こんな言葉。「生」ばやりの昨今ですが、ついにこんなところにまで「生」が出現したのか・・・。生々しいですねえ。

Google検索したら(95日)

「生謝罪」=20400

もありました!ただ、その中には、

「女子大生謝罪」「ニコ生謝罪会見中継」「留学生謝罪

のように、たまたま「生」という字と「謝罪」がくっついただけのものもかなりありました。それでも、

「山本モナが生謝罪」

「たむけんTV生謝罪」

「カンニング竹山 浮気を生謝罪」

など、ありますねえ・・・ネット用語というわけでもなさそうですし。ヘンな言葉!

 

(2011、9、5)

2011年9月 8日 18:00 | コメント (0)

新・ことば事情

4453「デンワじゃないのよスマホは。(ハッハーン)」

 

7月13日の日経新聞朝刊「スマートフォンエコノミー(中)」という記事を読みました。それによると、6月6日、病気療養中のアップルの最高経営責任者(CFEO)のスティーブ・ジョブズが、サンフランシスコで開かれた新サービスの発表会で、

 

「パソコンはまもなくデジタルライフの主役でなくなる」

 

というふうに、

「ポストPC時代の到来」

を告げたそうです。現在、最新のスマホに搭載されているCPU(中央演算処理装置)の処理速度は、10年前の大型汎用コンピューターの3倍(2ギガヘルツ)にも上るんだそうです。

うーん、なんだか難しい。スゴイことになっているぞ。

これを読んで私の頭の中に浮かんだのは、中森明菜さんの名曲(井上陽水さんの作詞・作曲)、

「飾りじゃないのよ涙は」

でした。え?曲が流れたのかって?いえ、メロディーではなくて、タイトルがそのまま置き換わって、

「デンワじゃないのよスマホは。(ハッハーン)」

ということでした。スマートフォンはもうデンワと言うよりは「携帯型のパソコン」ですものね、その機能から考えると。記事の内容はそれを裏付けていますね。それでそういうイメージが浮かんだのでした。

 

 

で、これを書きかけておいていたら、スティーブ・ジョブズが引退してしまいました。がんとの闘いが、やはり大変なのでしょうね・・・頑張ってほしいです。

 

(2011、9、4)

2011年9月 8日 12:53 | コメント (0)

新・ことば事情

4452「もがり」

 

ある日突然、

「もがり」

という言葉について考えが浮かんできました。

 

「もがり」は「喪がり」ではないか?

 

「がり」は「痛がる」「おもしろがる」の「がる」の名詞形ではないか?と思いついたのです。そして、その意味については、

「その人が生きていないと頭ではわかってはいるが、気持ちとしてはとても死んだとは思えない、きっとどこかで生きているに違いない、生きていてほしい、と思う期間。」

というのはどうかな、と思いました。辞書(『精選版日本国語大辞典』)を引くと、

 

「(喪(も)上(あがり))の変化した語という」

 

と語源について書かれていました。意味は、

「貴人の葬儀の準備などが整うまで、遺体を棺におさめてしばらく仮に置いておくこと。またそのところ。あらき。そのお。」

ふーん、そもそもは「貴人」についての風習だったのか。

 

あ、そうだ、思い出した。河瀬直美監督の映画『殯(もがり)の森』に関する新聞記事を読んでいて、それで「もがり」について考えたのでした。

あ、そういえば、

「虎落笛(もがりぶえ)」

というのもあるな。意味を引くと、

「冬の激しい風が柵や竹垣に吹き当たって発する、笛のような音」

あれはなぜ「虎落」と書いて「もがり」なんだろうか?「虎落」を引いてみました。

「虎落(もがり)」=(「虎落」は、中国で粗い割り竹を組んでつ作った垣のこと。用字はその転用)(1)竹を筋違いに組み合わせ、縄で結い固めた柵。また、枝を落とした竹を荒く編み合わせて家の囲いとした垣根や塀など。竹もがり。(2)枝の付いた竹などを立て並べ、物を干すのに用いるもの。特に紺屋で紺掻きなどの干し場に高く作った設備。

とありました。中国語からの転用かあ。

 

(2011、9、4)

2011年9月 7日 17:52 | コメント (0)

新・ことば事情

4451「無許可キャバクラ」

 

山口もえさんが離婚をしていたという記事の中に、もえさんの夫(もと夫、になりますが)が逮捕された容疑が、

 

「無許可キャバクラを営業していた疑い」

 

とありました。この、

 

「無許可キャバクラ」

 

は、大変言いにくい。「東京特許許可局」ぐらい言いにくい。

3回舌をかまずに言えますか?

無許可キャバクラ無許可キャバクラ、ムキャコキョバクラ・・・ありゃありゃ。

で、これは当然、

 

「無許可でキャバクラを営業していた」

 

というふうに、

「で」

を入れれば言いやすいしわかりやすい。「無許可」と「キャバクラ」を ダイレクトにくっつける必要はないわけですよね。

本番ではそのように原稿を直しました。一応、デスクの「許可」を得ました。

 

(2011、9、4)

2011年9月 7日 12:42 | コメント (0)

新・ことば事情

4450「カルボナーラの言い間違い」

 

平成ことば事情4435「『超特急』の言いまつがい」で、小学1年生(6歳)の娘の言い間違い(「トートッキュー、トーチョッキュー」)について書きましたが、それ以外にも「言いにくくて難しい発音の言葉」はあるようです。

先日は、

「カルボナーラ」

のことを、

「カルノナーラ?カルオナーラ?」

5回以上、間違えました。

かわいいー!

これは「言い間違い」なのか「記憶違い」(きっちり覚えていない)なのか、あるいはその両方なのか、わかりませんが、正しく言えていない点では同じ。やはりカタカナが続く外来語や、本来、漢字(漢語)でできている言葉の「オト(音)」というのは、幼児には認識されにくいのではないでしょうか?これを専門用語で、

「幼児用語」

といいます・・・ウソです。(はたしてどれだけの人が「用字用語」のダジャレだとわかってくれたでしょうか?)

『最新!平成ことば事情』(ぎょうせい)6にも「言い間違い」の例がたくさん載っています。読んでね!

 

(2011、9、4)

2011年9月 6日 18:42 | コメント (0)

新・ことば事情

4449「サザンのら抜き言葉」

 

「ら抜き言葉」を広めたことに「サザンオールスターズ」の曲の歌詞が一役買っている、と以前から思っていました。しかし、いざ「サザン」の歌詞の中に「ら抜きことば」を探すと・・・なかなか見つからないのです。しかし先日、ひょんなところで見つけました。たまたま行ったカラオケ店で、若い人がなぜか古いサザンの曲を歌っていました。

「C調言葉に御用心」

という曲です。私が高3の受験生の頃に聞いていた覚えがあるから、1979年、今から30年以上前の曲です。その歌詞の中に、

 

「そうとうクールでいれるのが妙ね」

 

というものが。あ!これは「ら抜き言葉」だ!正しくは、「いれる」ではなく、

「いられる」

ですね。やっぱりサザン、桑田さん、「ら抜き言葉」をい使ってたんだあ・・。

ようやく見つけました。

 

(2011、9、4)

2011年9月 6日 12:18 | コメント (0)

新・ことば事情

4448「野田新総理」

 

「ミヤネ屋」の「ヨミ斬りタイムズ」のコーナーの下読みで、Mアナウンサーが、

「野田新総理」

と言うと、なぜかこれが、

「ノ/ダシン・ソ\ーリ」

に聞こえます。もちろん

「『ノダシン』じゃないよ。『ノ/ダ・シ/ンソ\ーリ』だよ」

と言うと、

「わかりました!」

と言うのですが、やはりそのあとも、

「ノ/ダシン・ソ\ーリ」

に聞こえます。というのも、「・」で区切らないで読めば、

「ノ/ダシンソ\ーリ」

となり、区切ってないにもかかわらず、「ノダシン・ソーリ」と区切ったのと同じアクセントパターンになってしまいます。ですから、意識的に「ノダ」の後に間をあけて「シンソーリ」を言い直すことが必要なノダ。

ま、「新」が付くのはしばらくの間だけで、その後は、

「野田総理」

なので、区切っても区切らなくても

「ノ/ダソ\ーリ」

と同じなので、こういったことは起こりません。これでいいノダ。

 

(2011、9、4)

2011年9月 5日 18:17 | コメント (0)

新・ことば事情

4447「海老原ら」

 

ニュースを聞いていたら、あるアナウンサーが

「海老原らが」

というフレーズを言いにくそうにしているのに気付きました。

「えびはららが」

「ら」が2回続くのと、「はららが」と「アの母音」が4回続くので、言いにくいのだと思います。ところが!たしかに、

「海老原・らが」

意味の上で正しく考えて言うと言いにくいですが、これを切るところを変えて

「海老・ハララが」

とすると、なんと、言いやすい!

もちろん、「・」のところで、「明らかに切る」のではなく、

「意識の上で区切りを付ける」「短く息継ぎをして『ハララが』を言い直す』

ような感じですが、明らかに言いやすさが変わるのではないでしょうか?

その理由のひとつには、「海老原」と言ってしまうと息が全部出てしまって、そこに付け加えた「らが」を言うところまで息が続かなくて言えないような気がが、少しします。(実際はそんなこと、ないと思いますけど。)

またアクセントも、

「エ/ビ\ハララガ」

「ビ」の前で上がって「ビ」の後に下がる、そこで「完結した感じ」がします。でもそのあとに「らが」がまだ残っていて、これはアクセントをもう一度上げることなく、低いところで、

「ハララガ」

と、同じ「ア」の母音で4つも言わなくてはならなくて、息が持たないのではないでしょうかね。

「海老」で少し切って「ハラハが」と一息で言う方が言いやすいんでしょうね。そうするとアクセント的にも、

「エ/ビ・ハ\ララガ」

のような感じで、「ハ」から一気に降ろす勢いがある。厳密に言うと、「ハ」の高さは「ビ」の高さと同じではなく「少し下」ですが、少しだけアクセントを下げるのを遅らせている、その分だけ、最後まで息が持つような気がします。「気がして」ばっかりですが。

もうひとつ、おそらくこれは、「ハララ」というのを「ひとつのつながり」と捕らえている「脳」の存在があると思います。

「ウララ」「キララ」「ピララ」「ハララ」

のような擬態語は「ラ」が続いても、言いにくくないですよね。それを利用したのではないでしょうかね、脳が。この説に、イエス?脳?

 

(2011、9、4)

2011年9月 5日 12:16 | コメント (0)

新・ことば事情

4446「モモカワ アクション」

 

会社に電話がかかってきました。その電話を取ったADが、ディレクターのF君のところに、メモを持ってきました。そこには、こう書かれていました。

 

「モモカワ アクションから、お電話ありました。」

 

ところが、F君は「モモカワアクション」という名前の会社に覚えがありません。タレントのプロダクションでしょうか?わかりません。

「なんの用件?」

と聞くと、

「さきほどFさんがかけた電話のお返事だそうです。」

そこでF君は思い当たりました。さっき電話したのは、

「文部科学省」

だったのです!早口の東京の人の言葉を、AD君は「モモカワアクション」と聞き間違ってしまったのです!3回ほど尋ね直したそうですが・・・。

たしかに「モモカワアクション」を早口で言うと、おもしろいことに、だらしない感じの「モンブカガクショウ」に聞こえます。ローマ字にして発音が似ているか比べてみました。

「モモカワアクション」momokawa akusyon

「モンブカガクショウ」monbukagakusyou

「モンブカガクショウ(文部科学省)」の「ンブ」nbuが、「モカワアクション」の2回目の「モ」moに聞こえ、「モンブカクショウ(文部科学省)」の「ガ」gaが「モモカワアクション」の「ワア」wa aに聞こえさらに「モンブカガクショ(文部科学省)」の最後の「ウ」uが、「モモカワアクショ」では、「ン」n)になっているということですね。つまり「モモカワアクション」よりも、

「モーカークショー」

と言っている感じ。つまり「b」や「g」といった「濁音」をはっきり発音せず、その部分を「前の母音」を伸ばして発音している、「だらしない発音」だったと思われます。

はっきりと母音を発音せず短く言うことで「早口」になり、「早口」だからはっきりと聞き取れないという悪循環の中に、今後の日本語の進む方向が見えますが・・・きれいな日本語とは言えない気がしますね。

 

(2011、9、2)

2011年9月 4日 21:11 | コメント (0)