新・ことば事情
4428「真逆」
拙著『最新!平成ことば事情』(ぎょうせい)出版のお知らせメールを送ったところ、たいこめ仲間のOさんからメールが来ました。その中で、昨年7月に東京・銀座で開かれた「たいこめ15周年の会」で出た様々な議論について教えてくれました。議論の中に、こういうものがあったそうです。
「『真逆』という言葉はおかしい。正しくは『正反対』。でも、うっかりするとわたし自身も『真逆』を使ってしまっていそう。先日、大半大学免疫系医学の先生も『真逆』と言っておられた。」
そうですね。わりと「真逆」と言う言葉は耳にしますね。私は使いませんが。これは「若者言葉」の一種ではないでしょうか。
今年3月に、私も所属している日本新聞協会の新聞用語懇談会 放送分科会が出した『放送で気になる言葉2011』の中にも、
『「正反対」の意味で近年よく使われるようになった。「真」という言葉には「真冬」「真上」のように次に来る言葉を強調する働きがあり、「逆」の強調表現として「真逆」と誤用されたようだ。若い世代には抵抗感なく使っている人も多いが、業界用語から転用された新しい言葉であり、一般には使わないほうがよい。「正反対」「180度違う」等の表現が望ましい。』
と新たに採用されて、注意喚起している言葉です。
『広辞苑』『明鏡国語辞典』『デジタル大辞泉』『精選版日本国語大辞典』には「真逆」は載っていませんが、新しい言葉をいち早く載せることで知られる『三省堂国語辞典・第6版』(2008年1月刊)では「真逆」を見出し語として載せています。
「真逆」=(俗)まったくの逆。正反対。(例)「自分とは真逆の性格」
「俗語」の扱いです。用例に出ている文章についてですが、この辞書の編纂に当たった早稲田大学非常勤講師の飯間浩明さんは、「真逆」という言葉を何の気なしに使う人たちとは「真逆」の日本語感覚をお持ちではないかなと推測します。
あ、冒頭の「たいこめ仲間」の「たいこめ」について、説明していませんでしたね。
「回文」というのをご存じでしょう。
「たけやぶやけた(竹薮焼けた)」「わたしまけましたわ(私負けましたわ)」
のように、「上から読んでも下から読んでも同じ文章になるもの」です。この回文の仲間が「たいこめ」です。これは「上から読んだものと下から読んだものが別の文」になっていて、「しかも呼応しているもの」を指します。名前の由来は、
「タイ釣り舟にコメを洗う」
という文章です。さかさまから読むと・・・ちょっとエッチな文章になります。
1994年に『週刊文春』誌上に読者投稿による「たいこめ」コーナーがあり、私も一度だけ、掲載されたことがあったのですが、その雑誌の連載終了後、その時の「たいこめマスター(読者投稿の選者)」だった、某大手広告代理店のコピーライターのO氏を中心に、雑誌に掲載されたことがある人達で創作活動を続けようということになったのです。名づけて「たいこめの会」。会員は約40人で、事務局長は某大手メーカーの人事部長さん(当時)。会員には、名門進学高校の教師からカメラマン、地方議会の速記者、主婦、新幹線の車内販売の売り子さんなど、ひと癖もふた癖もありそうな面々が揃っています。毎月、皆が3作品ずつ事務局に郵送で(!!)投稿して、その作品(無記名)に皆が5票、投票する。得票の多いものから順にランキングが発表されるものでした。今だったら「メール」あるいは「ツイッター」でしょうか。SNSでサイトというか掲示板というか、そういったものを使ってやっているでしょうね、きっと。
当時の優秀作(私の独断と偏見で)としては、
*「どれ、携帯電話か・・・」=「買わんでいたいけれど・・・」
*「お、済まないな、カツオ!」=「おっかないな、マスオ」(岡田直也氏)
*「よし、行こっと」=「どっこいしょ」(石原正雄氏)
*「時計、朝、鳴るね」=「寝るな!さあ行け!と」(金子厚典氏)
*「そう、流れ星に願いを」=「おい、かねにしぼれ。かなうぞ」(加藤穣氏)
*「適材適所」=「ヨシ、来て!イザ、来て!」(阿奈井文彦氏)
*「内閣改造」=「ウソ!威嚇かいな」(拙作)
といったもののほか、タイトルを付けて状況設定したものもあります。
(背中の子どもが指をさし)「柿、赤トンボ、パパ!」=「はは、ほんとか、秋か・・・」(石原正雄氏)
中には、片方の文だけで273文字という長大なものもありました。残念ながら、長過ぎて、また「下ネタ」過ぎるため、品位あるこのページには載せられないのですが。
この「たいこめ」に夢中になっていた頃は、街で看板などの文字を見ても、すべてさかさまから読むクセがついてしまいました。あまりに熱中したので「これは、いかん」と、ひと月のうち「たいこめ」に取り組むのは「1日だけ」と自己規制をかけたこともありまあした。しかし、会員にとっても、やはり毎月毎月コンスタントに作品を作るのは難しい上、事務局長の本業が忙しくなったこともあり、この会の活動は2001年12月、6年半の歴史を閉じました。時々、OB会のお知らせが「ハガキで」届きます。