新・ことば事情
4416「敷居が高い2」
平成ことば事情3721「敷居が高い」で書きましたが、
「敷居が高い」
の本来の意味は、
「何か悪いことをして、もう一度そこを訪れることに対して心理的抵抗感があって、行きにくい」
ということです。それを最近は、
「値段が高い」「趣味が違う」
など、「不義理」以外の理由で訪れにくい、しかも「再訪」ではなく、
「一度も訪れていない場合」
に使われることが増えているようです。
2011読書日記134で書いた松尾貴史さんの『接客主義』(光文社知恵の森文庫:2004、3、15) の中にも、「弁護士事務所」について、こんな「敷居が高い」が出てきました。
「ひとたび相談に訪れようものなら、話を聞いてもらうだけでいくらとられるか分かったものではないという『白い巨塔』のかたせ梨乃状態になる恐怖心も根強い。つまりは、弁護士事務所というとこれは、なかなか『敷居が高い』場所なのである。」(226ページ)
松尾さんも「(一般の人が)初めて訪れる」ケースとして「敷居が高い」を使っているように見えます。
国語辞典は、新しい意味での「敷居が高い」を載せているのでしょうか?手許にある、
『広辞苑』『新明解国語辞典』『精選版日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』(電子辞書)『明鏡国語辞典』『集英社国語辞典』『学研現代新国語辞典』『新選国語辞典』『新潮現代国語辞典』『岩波国語辞典』
は、すべて「不義理をしたので行きにくい」という従来の意味でした。そして用例として、
「朝帰り 敷居は 箱根八里なり」
という古川柳を載せていました。「箱根八里」は歌でも有名な「天下の険」、つまり「大変、高く険しい」のです。
唯一、新しい言葉の意味を素早く取り入れるといわれている『三省堂国語辞典』には、2番目の意味として、そして「誤用」として、
「②(あやまって)【高級な店などに】気軽に入れない。」
と載っていました!しかし、「誤用として」載っているのですから、新しい意味を認めた国語辞典は、私が調べた11種類の中にはひとつもないことになります。
『デジタル大辞泉』のインターネットのサイトでは
【◆文化庁が発表した平成20年度「国語に関する世論調査」では、「あそこは敷居が高い」を、本来の意味である「相手に不義理などをしてしまい、行きにくい」で使う人が42.1パーセント、間違った意味「高級すぎたり、上品すぎたりして、入りにくい」で使う人が45.6パーセントという逆転した結果が出ている。】
とありました。そういえば文化庁の調査があったような気がします。
と思って調べてみたら、実は新聞・通信・放送各社が加盟する関西地区新聞用語懇談会の2008年(平成20年)10月の会議で、「40の言葉の誤用」について各社にアンケートを取っていて、そのうちのひとつに、
「単に行きにくいという意味での『敷居が高い』(本来は不義理などがあって人の家に行きにくいこと)を使うか?」
というものがありました。これに対して「本来の意味で使っている社」はたった「3社」、それに対して「単に『行きにくい』の意味で使っている社」が13社で、「行きにくい」「(単に)ハードルが高い」という意味で「敷居が高い」を使っているということでした。
その時に出た「言葉」、ここに記しておきます。
(1)本来の意味とは違う意味で使っている社が多い言葉
・「雨模様」
正=今にも雨が降り出しそうな天気:誤=すでに雨が降っている天気
・「アンケート調査」
正=アンケート。「アンケート」の中に「調査」の意味を含んでいるので「アンケート調査」とすると重複表現。
・「(セールスポイントとしての)売り」
正=「売り物」「セールスポイント」。「売り」「ウリ」は俗語。
・「(悪いとわかっていて行う)確信犯」
正=宗教的・政治的に「正しい」と思って犯罪行為などを行うのが「確信犯」。
・「(追い抜く意味での)かわす」
正=「2位以下の追撃をかわす」「相手のパンチをかわす」のように「よける」意味。:誤=「追い抜く」意味で「先頭のランナーをかわしてトップに立った」。
・「(激励の意味での)「檄を飛ばす」
正=各方面に自分の考えや主張を知らせ、同意を求めること:誤=「激励する」「励ます」の意味。
・「(肯定的な意味での)こだわる」
正=一つのことに執着する=マイナスイメージ:誤?=一つのことに力を入れる=プラスイメージ。
★「(単に行きにくいという意味での)敷居が高い」
正=相手に対して面目ないことがあって、その人の家に行きにくい、会いにくいという意味。単に「難易度が高い」とか「ハードルが高い」意味で使うのは、本来は間違い。
・「(いい意味での)白羽の矢が立つ」
正=「いけにえ」などに選ばれた場合に使う。
・「(パソコンや組織を)立ち上げる」
=「立ち上がる」は元々あったが、自動詞と他動詞が混ざった「立ち上げる」には違和感があるといわれた。パソコンなどの機械に限定して使うケースも。実態としては「組織」から何から、「設立」の意味で「立ち上げる」は、頻繁に使われている。放送局では、放送機器を「立ち上げる」と古くから使っていた。その意味では業界用語かもしれない。
・「手をこまねく」
=元々は「こまぬく」だったが、今は辞書にも「こまねく」が載っている。)
・「(興奮・感動で)鳥肌が立つ」
正=恐怖・寒さの時のようにマイナスイメージの時のみ「鳥肌が立つ」は使われてきた)
・「(単に兼業をするという意味で)二足のわらじをはく」
正=「泥棒と刑事」のように、相反する二つの職業を兼ねる場合に使う。
・「波紋を呼ぶ・投ずる・投げかける」
正=「波紋を広げる・広がる」。誤用は「一石を投じる」との混用か?
・「(不満・立腹の意味での)憮然(ぶせん)」
正=意外な出来事に驚いて、呆然とするさま。また失望してぼんやりするさま。
・「魅せる・魅せた」
正=「見せる」「見せた」~スポーツ紙・スポーツ面の「見出し」によく出てくる書き方。
・「(少数について使う)乱入」
正=「大勢が乱暴に押し入ること」としている辞書も多いが、「乱暴に押し入ること」とだけして、人数には触れていない辞書もある。
(2)本来の意味で使っている社の方が多い言葉
・「垣間見せる」
正=「垣間見る」。
・「かねてから・古来から・従来から」
正=かねて・古来・従来。それぞれに「より」の意味が含まれているので、重複表現。しかし近年は辞書にも「かねてより」「かねてから」などと載っている・・・。
・「過半数を超える」
正=「半数を超える」。「過半数」の意味が「半数を超える」なので、それに「超える」をつけると重複。
・「極めつけ」
正=極めつき:誤=極めつけ。「極め」=「鑑定書」の意味なので、「極めつき」は「鑑定書つき」の意味。
・「公算がある・強い・高い」
正=公算が大きい:誤=公算がある・強い・高い。
・「(声を)荒げる」
正=「荒(あら)らげる」:誤=「荒(あら)げる」)ただし、NHKも20年近く前に「荒(あ)らげる」「荒(あら)げる」をOKにして、読み方は①アララゲル②アラゲルの順としている。
・「(一時的ではない)里帰り」
正=他家にとついだ新婦がはじめて実家に帰ること。婚礼に伴う儀式として、ふつうの3日または5日後に行われる。外国に流れた美術品などが一時的に帰ってくる時にも、比喩的に使われる。
・「(いい意味での)ジンクス」
正=悪いことが起きる場合が本来の「ジンクス」。いいことの場合は「ゲンかつぎ」。「ゲン」の語源は一説に、「縁起(えんぎ)」をひっくり返した「ぎえん→げん」だという。)
・「(否定形を伴わない)全然」
正=否定形を伴って「全然おいしくない」など。ただ、明治時代には夏目漱石なども「全然素晴らしい」などと、否定形を伴わずに使っていたという歴史がある。
・「~たり、~たり」の片方を省略
正=省略しない形。
・「熱にうなされる」
正=熱にうかされる。熱に「浮かされて」、「うなされる」ことはありうる。
・「(別れの場面以外での)はなむけ」
正=別れの場面で、馬の鼻を行き先の方向に向けるところから「はなむけ」という言葉がある。
・「早逝」
正=「早世(そうせい)」)
・「(運動選手などの現役の最後を指して使う)晩年」
「晩年」は人生の「最・後期」を指すのが本来の使い方。
・「耳障り(耳触り・耳ざわり)がよい」
正=「聞き心地がよい」「耳に快い」。本来「耳障り」はマイナスのイメージなので×。ただし『日本国語大辞典』では「耳触」を見出しに採用している。用例は『俳諧・雲の峯(1807)』より「風の音 みみさわりよき 幟かな」。(←この用例は、私が8年前に愛知県の大学の図書館に行って見つけてきたものです。)
・「燃えたぎる」
正=「煮えたぎる」。「たぎる」は「液体が沸騰している様子」なので、「燃え」と一緒には使わない。
(3)本来の意味で使っている社と誤用を認めている社がほぼ同数の言葉>
・「けがを負う」
正=「けがをする」「重傷を負う」:誤=「けがを負う」ytv&日本テレビ系列では「けがをする」を使っています。
・「至上命題」
正=「至上命令」。なぜか後半が「命題」とされて使われるケースが多い。
・「(反撃の意味での)追撃」
正=敗走する敵を追いかけて討つこと。
・「(議論が行き詰まる意味での)煮詰まる」
正=議論が結論に近づく時に使う。「行き詰まり」の意味では、本来は「煮え詰まる」だった。
・「(合格発表の情景描写などで使う)悲喜こもごも」
正=一人の人間の中での喜びや悲しみを表す)
・「『~べき』で文を止める」
正=「べきだ」とするか「べし」とする。)
・「(直後の意味での)矢先」
正=「しようとして、まだしていない」時。「してしまった直後」ではない。ただ『広辞苑』をはじめ、いくつかの辞書では「した直後」の意味も採用している。
以上です。