新・ことば事情
4399『複合語のコンパウンド」
「複合語」の結合が強くなり「一語」として認識されると、そのアクセントは、
「コンパウンド(compound)」
するようになります。「コンパウンド」とは、
「テ\レビ」+「ド\ラマ」=「テ/レビド\ラマ」
のように、二つの語がくっついて一つの語になるときに、単独の時とは異なるアクセントになり、「アクセントの山が一つになる現象」を言います。
「コン(com)」ですから「一緒に」「結合する」のですね。英和辞典を引くと、まさに、
「複合語」と出ています。
コンパウンドしたあとは、とりあえず高いところで「平板」がキープされます。しかし、「複合語全体が『平板アクセント』」の場合を除いて、どこかでアクセントが「下りる(下がる)」ところを意識しなくてはなりません。
「えーい、面倒だ、このままでいこう!」
とアクセントが下がらなくなった場合は、先ほども書いたように「平板アクセント」になります。しかし、アクセントの高いところで平板が続きすぎると、息が続かなくなって、
「下りたく」なってきます。それは、何拍ぐらいが限度で下りたくなるのでしょうか?
ということを考えていたら、いい本を見つけました。窪園晴夫先生の『数字とことばの不思議な話』(岩波ジュニア新書)です。
第5章「電話番号の秘密」に、複合語の後節要素が連濁するかしないかは、4モーラ(音節)と5モーラの間に境目があり、5モーラになると「連濁する」と書かれています。例として、「赤本(アカホン=4モーラ)」は濁らないが、「カラー本(カラーボン=5モーラ)」は濁ると。この項目のタイトルは、
「エロ本とエッチ本」
で、「エロ本」(=4モーラ)は濁らないが、「エッチ本」(=5モーラ)は濁るとも書かれています。(一体何を書いているんだ。)
また、2モーラずつまとまったものを「フット」と呼び、2フットまでと3フットの間にも大きな境目があるとも書かれています。
これは「連濁」に関してなんですが、アクセントに関しても似たようなことが起きるのではないか、と思ったのです。
例えば「電子辞書」は「電子+辞書」という複合語で、
「デ/ンシジ\ショ」
というコンパウンドした形のアクセントですが、アクセントが「山」で高くなっているところのモーラは「ンシジ」の「3モーラ」です。
「携帯電話」は「携帯+電話」で、
「ケ/ータイデ\ンワ」
で、アクセントの山の部分は「-タイデ」の「4モーラ」です。
「北京オリンピック」は「北京+オリンピック」で、
「ペ/キンオリンピ\ック」
で、アクセントの山は「キンオリンピ」の「5モーラ」です。あれ?「連濁」の「4モーラと5モーラの間に境目」というのが成り立ってないな・・・。
あ、そうか、これらは「山」の部分のモーラ数よりも、アクセントが「下りる場所」が共通していますね。つまり、
「語の最後から3モーラ目と2モーラ目の間」
で、アクセントが下りてきています。これがポイントかな。またこれらは「辞書」「オリンピック」は後節要素のアクセントと同じアクセントですが、「電話」は、本来のアクセントは「デ/ンワ」と平板なのに、「デ\ンワ」という形にアクセントが変わっていますね。
「国際通貨基金」
の場合は(あ、そうだ。例に挙げている複合語は適当に思いついたものですので、その語の意味・内容は全く関係ありません)
「コ/クサイツーカキ\キン」
で、やはりおしりから2&3モーラの間で下りてきていますね。これも後節要素の「基金」は元のアクセントの「キ\キン」と同じです。
「日本国憲法」
は、
「ニ/ホンコクケ\ンポウ」「ニ/ッポンコクケ\ンポウ」
ありゃ。3モーラと4モーラの間だ。これは「日本国」と「憲法」の親和が緩いか、後節要素の「憲法」の意味合いが強くて「憲法」の本来持つアクセントが保存されているのかな。それとも「ケン」で1モーラと感じられているのか?
「グリム童話」
は、「グ\リム+童話(ド/ーワ)」ですが、コンパウンドして、
「グ/リムド\ーワ」
となって、後ろから2&3モーラの間にアクセントの谷が来ています。
きりがありませんが、なんとなく正しいような正しくないような。一定の法則がありそうな気がします。時間があれば、もう少し調べてみます。