新・読書日記 2011_136
『原発報道とメディア』武田徹、講談社現代新書:2011、6、20)
著者は、いま一番冷静で的確な指摘をできるジャーナリストの一人だと思う。本書の中には、
「被曝者の健康調査を継続的に行う制度の開設や、晩発性障害が出た場合に治療を公費で施す医療保障制度を政府に決定させるように世論を形成していく」
「グレーなリスクについて社会全体で負っていく方向を示し、それをもって『安心』を確立してゆく。そうした流れを作ることに寄与することこそ、『基本財としての安全・安心』を確立する報道の一例にならないだろうか。」
というような提案があった。また、
「結果的にグーグルは世間で関心を持たれていることを知ろうとする人に情報提供の便宜を図り、関心によって繋がる共同体を形成してゆく」(181ページ)
という部分に付いて、その前に読んだ内田樹と名越康文の対談集『14歳の子を持つ親たちへ』(新潮新書:2005、4、20第1刷・2011、4、10第15刷)の中に出てきた、
「同質性のグループを作り、少数者を排除してゆく今の社会」
というのと同じだと感じた。
効率を求めていくと、そのようにならざるを得ないのか。合理化の果てにたどり着く世界は、多様性が排除された社会であろう。そして、多様性を失った社会は「もろい」のではなかろうか。
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