Top

『道浦TIME』

新・ことば事情

4422「急死」

 

7月20日、元サッカー日本代表のラモス瑠偉さんの奥さん初音さん(52)が亡くなったというニュースが入りました。「急死」でした。52歳、早すぎる他界です・・・。

この「急死」ですが、

(1)   文字通り、急に死ぬこと。

(2)   闘病していたことや病状の悪化を本人や家族は知っていたが、周囲の人たちは知らなかった。急に訃報を聞いた場合。

2つのケースが考えられるのではないでしょうか。

本来の意味は(1)だと思われますが、「訃報」が「突然」の場合に、私たち第三者は「急死」だと感じます。

辞書を引いて見ましょう。

『精選版日本国語大辞典』=とつぜん死ぬこと。頓死。急逝。

『デジタル大辞泉』=急に死ぬこと。急逝。頓死(とんし)。

『新潮現代国語辞典』=急に死ぬこと。急逝。頓死(とんし)。

『新選国語辞典』=とつぜん死ぬこと。急逝(きゅうせい)。

『明鏡国語辞典』=突然死ぬこと。

『広辞苑』=突然死ぬこと。急逝。頓死。

と、ほぼ同じ内容で、全部(1)の意味ですね。

これに対して『新明解国語辞典』は、2つの意味を載せています

「①短期間わずらって死ぬこと。②思いがけない事故に会って死ぬこと。」

つまり、「死因」が、①病気、②事故の2種類に分けられています。「事故」で死ぬ場合は多くの場合「急死」に繋がりますね。ただ文字が、

「事故にって」

となっていますが、普通は、

「事故にって」

ではないのかな?

『岩波国語辞典』は、「急死」の対象を「動物」にまで広げています。

「丈夫でいた人(動物)が、急に死ぬこと。」

動物に「急死」という表現を使ってよいとする立場ですね。「死亡」と言う言葉についてははどうでしょうね?動物に使ってもいいのかな?『岩波国語』は?

「死亡」=人が死ぬこと。

あ、こちらはやはり「動物」は認めていないのですね。それと「丈夫ではない人」は「急死はしない」のでしょうか?少し疑問が残ります。

「元気だった人(動物)が」

とした方がよいのではないでしょうか?「丈夫ではない人」でも「元気」なときはありますからね。

『三省堂国語辞典』は、「新解さん」並みに「死因となった病名」にまで踏み込んでいます。

「心臓まひ・脳出血などの急な病気のために、みじかい時間のうちに死ぬこと」

話が少し飛びますが、「死因」というのは、私はすごくいい加減なものだと感じています。なぜなら、直接の死因は誰でも、

「呼吸停止」「心臓停止」

によるわけです。だからそれを「死因」と言うのは、

「言っても言わなくても同じ」

だと思うのです。どちらかと言うと、「間接的な死因」が知りたいなと思うことが多いように感じます。

それはさておき、『三国』(=『三省堂国語辞典』の略称・愛称)は果敢に「急死」の語釈に斬り込んでいるなという感じはしますね。

 

『語感の辞典』も引いて見ました。

 

「急に死ぬ意で、会話にも文章にも使われる漢語。(例)<交通事故による急死><心臓発作で急死する>*「即死」はもちろん「頓死(とんし)」と比べても、そこまで急激な死という感じはない。」

 

ということで、いくつかの辞典が載せている「頓死」とはニュアンスが違うと明記しています。

でも、私が2番目に挙げた意味、

「(2)闘病していたことや病状の悪化を本人や家族は知っていたが、周囲の人たちは知らなかった。急に訃報を聞いた場合。」

という意味を書いた辞書は、調べた限りではないですね。

まだ辞書が認めた用法ではないということですが、検討の余地があるのではないでしょうか。

 

(2011、7、25)

2011年7月29日 09:52 | コメント (0)

新・ことば事情

4421「人の子」

 

『不思議なキリスト教』(橋爪大三郎×大澤真幸、講談社現代新書:2011、5、18)という本を読んでいたら、

「聖書に出てくる『人の子』というのは『メシア(救世主)』のことである」

と書かれていました。ああ、「三位一体」「父と子と聖霊」という、あれですね。そう思って読み進もうとして「あ!」と思いました。というのは、合唱をしている人なら誰しも一度は歌ったことがある曲のひとつ、

『大地讃頌』

という曲の中の一節を思い出したのです。その歌詞は、

「母なる大地の懐に 我ら人の子の喜びはある」

人の子ら 人の子その立つ土に感謝せよ」

「我ら人の子の 我ら人の子の 大地を誉めよ」

というふうに、繰り返し、

「人の子」

が出てくるのです。これまで特に意識せずに、「大地」という「自然」に対する「人間の子」という意味だと思ってこの曲を歌ってきました。

しかし、もしかしたら単なる「人間の子=私たち」ではなく、

「キリスト教的な『人の子=メシア(救世主)=キリスト』

を指しているのではないでしょうか?ニュアンスは明らかに「キリスト教的」な匂いがするのですけど。

今度、詳しい人に聞いてみます。

 

(2011、7、25)

2011年7月28日 18:51 | コメント (0)

新・ことば事情

4420「自撮り」

 

2011724日、フジテレビのサッカー番組「なでしこジャパン」の面々7人が生出演していました。その際に、ブログに自分の写真をよくアップしているという丸山桂里奈選手が放った言葉に、

「ジドリ」

というのがありました。え?ジドリ・・・・地鳥?焼鳥?と一瞬思いましたが、話の流れから、これは、

「自撮り」

であろうと推測しました。と言うのも、ブログに自分の写真を載せるということは、その写真は誰が撮るかというと、

「自分で(自分を)撮る」

という結論になるからです。しかもその発言を受けて、ほかの選手も「ジドリ」という言葉を使っていましたから、少なくとも「なでしこジャパン」のチーム内では「普通の言葉」として使われているのでしょう。

報道記者や刑事さんなどが「ジドリ」と聞くと、

「地取り」

つまり、容疑者や被害者の周辺で聞き込みをして、その地域の証言を固めることを言いますが、まさか「なでしこ」にそれは関係ないでしょうからね。(辞書を引くと、そのほか「囲碁用語」やら「相撲用語」、そして文字通り地面を取る「建設関係の用語」でも「地取り」がありました。)

Google検索してみると(725日)、

「自撮り」=171万件

ええっ!そんなにあるの!?

「AKB48自撮り神決定戦」「自撮り画像掲示板」「お外で自撮り」

など、ネット上は「自撮り」であふれています・・・!

自分で自分の写真を撮るなんてことは、これまでのカメラでは「セルフタイマー」を使うかどうかしないと無理だったわけで、技術的には「ケータイ」のカメラの普及によって生まれたものでしょう。そして技術的に可能でも、自分で自分の写真を撮るなんて、よっぽどのナルシストでもなければしなかったと思うのですが、今は、

「ブログに載せる」

という目的においては、それほどナルシストでなくても、自分で自分の写真を撮る(記録する)という行為は普遍的になっているのではないでしょうか。

報道の学生アルバイトの男の子「ジドリって知ってる?」聞くと、

「5、6年前には使われてましたけど、最近はあまり聞かないっす。だって、自分で自分の写真を撮るのって、恥ずかしいじゃないですか!」

とのこと。また最近「ミヤネ屋」に入ったADの若い女の子「ジドリって知ってる?」と聞くと、

「もちろん、知ってます。焼鳥で食べる、宮崎地鶏、おいしいですよね」

と言うので、

「違うよ、ケータイのカメラで自分の写真を撮ることだよ。"地鶏"を答えるなんて"オッサン"入ってるな!」

と答えると、

「ああ、そのジドリ、知ってます。でも私、宮崎出身なんで、ジドリと聞くと地鶏がまず思い浮かんだんです」

「ジドリ」には「年齢差」と「地域差」があるようです。

 

(2011、7、25)

2011年7月28日 09:49 | コメント (0)

新・ことば事情

4419「なでしこ」

 

女子ワールドカップ優勝から一週間。まだまだ「なでしこブフィーバー」は収まりそうもありません。

いやあ、見れば見るほど、みんなすごい選手ですよねえ。決勝戦の宮間選手の同点ゴール(1点目)なんて、シュートするまでになんと50メートル以上走ってゴール前に来てるんですよ。ボールを持たないで走る距離がどんなに長いか。これはすごいプレーだなあって、改めて思いました。もちろんシュートも「ワザあり!」でしたが、その前の「ラン」ですよ。感動しました。頭をなでてやりたい。

そう!

それそれ!

「なでしこ」は、漢字で書くと、

「撫子」

ですよね。漢字二文字ですが、平仮名を混ぜて書くと、

「撫でし子」

です。つまり「し」は「過去の助動詞」なんですね!

「来(こ)し方」

の「し」と同じ。それがひとつの「単語=名詞」として定着してしまったんだ!「名詞」としてしか普段は見ていないから分からなかったけど、よーく細かく見て分析すると、見えてくるものがあるんですね。でもなぜ「撫でしこ」なんだろうか?かわいいから?

「撫でる」で思い出すのは、

「腕撫(ぶ)す」

という言葉。「撫す」と「撫でる」(撫づ)は同じ意味ですから。でも「撫でる」の代わりに「撫す」を使ったら、「なでしこ」ではなくて、

「撫しし子」

になっちゃうなあ。「ぶししこ」。なんだかあんまり、かわいくないです。

ちなみに私の名前は「とししこ」ではなく、「としひこ」です。

 

(2011、7、25)

2011年7月27日 17:48 | コメント (0)

新・ことば事情

4418「なでしこ関西上陸」

 

平成ことば事情554で「関西上陸」について書いたのは2002年2月6日でした。その時は、

「ドン・キホーテが関西初上陸を果たします。」

という一文を取り上げ、

「"上陸"という言葉は、海から陸に上がる時、つまり、主に海外から進出する時に使うのではないか?」

ということを書いていました。

で、あれから9年、今回またもや「関西上陸」が出てきました。先日女子ワールドカップで優勝して世界一になった「なでしこジャパン」です。

「なでしこ関西上陸」

しかしここで今回は、

「ちょっと待てよ」

と思ったのです。

「東京から上陸はしない、と以前書いたが、『空路』なら『上陸』になるのではないか?『着陸・離陸』。船と飛行機が用語で似ているのは『陸を離れる』という点において、交通機関として共通点があるからではないか。」

「でも『海から陸』に『上がる』から『上陸』なので、『空から陸』には『降りる』ので、『上陸』ではなく『降陸』では?そんな言葉はないか。」

 

なかなか一筋縄では行きそうもありません。ここで、「上陸」で思い出すのは、

「台風」

です。「台風」は「海から」上陸するのでしょうか?それとも「空から」でしょうか?

「台風」は「気象現象」ですから、原則海にはなく、「空」にあります。では、

「『上陸』ではなく『着陸』」

なのではないでしょうか?

「台風が徳島県に着陸しました」

うーん、明らかにおかしい。「着陸」は「そこがゴール=目的地」であることが必要な感じがしてきました。(たとえ「不時着」でも。)そして、「台風」は「陸の上」に来ても「陸=地面」には降りていない、陸には着いてないので「着陸」にはあらず、文字通り、

「陸の上に上陸」

なのでしょうか。うーん、屁理屈。

台風はそのもの自体は「空」にあっても、「地上=陸地部分」に大きく影響を与えるので、「陸の上空」にきたら「上陸」と呼ぶのでしょう。広い意味での「上陸」なのでしょう。

とここまで書いて9年前に書いたものをもう一度読んでみると、

「ちなみに空からやってくる時は『着陸』ですね。」

「空から」について一言触れているが、「台風」に関する考察はありませんでした。

 

(2011、7、25)

2011年7月26日 18:00 | コメント (0)

新・ことば事情

4417「看板か?ポスターか?」

 

2011725日の読売テレビのお昼のニュースで、阪急電鉄がきょうから10%の節電を行うため、一部の電車で8両編成を6両編成にしたり、照明を間引きしたりという対策を採り始めたと伝えていました。そして、その「節電の取り組み」を乗客に伝えるため、

「看板や放送で乗客に知らせていました」

という原稿をアナウンサーが読んでいました。しかし、そのナレーションのバックに流れている映像「看板」ではなく「ポスター」でした。正確に言うと、

「看板に張られたポスター」

なのですが。

私の感覚では、

「看板」=板に直接文字が書かれたもの

「ポスター」=紙に書かれたもの

です。その映像は、

「紙に書かれた掲示物」

でしたから、私は「ポスター」とするかあるいは「掲示(物)」とした方がよかったのではないかと思いました。

「ポスター」というと文字だけでなく「絵」がかかれているイメージですけどね。その意味では、今回は文字だけだったので、

「掲示物」「張(貼)り紙」

の方がいいかな。

あとでデスクとアナウンサーには、その旨、伝えました。

 

(2011、7、25)

2011年7月26日 15:46 | コメント (0)

新・ことば事情

4416「敷居が高い2」

 

平成ことば事情3721「敷居が高い」で書きましたが、

「敷居が高い」

本来の意味は、

「何か悪いことをして、もう一度そこを訪れることに対して心理的抵抗感があって、行きにくい」

ということです。それを最近は、

「値段が高い」「趣味が違う」

など、「不義理」以外の理由で訪れにくい、しかも「再訪」ではなく、

「一度も訪れていない場合」

に使われることが増えているようです。

2011読書日記134で書いた松尾貴史さんの『接客主義』(光文社知恵の森文庫:2004315 の中にも、「弁護士事務所」について、こんな「敷居が高い」が出てきました。

 

「ひとたび相談に訪れようものなら、話を聞いてもらうだけでいくらとられるか分かったものではないという『白い巨塔』のかたせ梨乃状態になる恐怖心も根強い。つまりは、弁護士事務所というとこれは、なかなか『敷居が高い』場所なのである。」(226ページ)

 

松尾さんも「(一般の人が)初めて訪れる」ケースとして「敷居が高い」を使っているように見えます。

国語辞典は、新しい意味での「敷居が高い」を載せているのでしょうか?手許にある、

『広辞苑』『新明解国語辞典』『精選版日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』(電子辞書)『明鏡国語辞典』『集英社国語辞典』『学研現代新国語辞典』『新選国語辞典』『新潮現代国語辞典』『岩波国語辞典』

は、すべて「不義理をしたので行きにくい」という従来の意味でした。そして用例として、

「朝帰り 敷居は 箱根八里なり」

という古川柳を載せていました。「箱根八里」は歌でも有名な「天下の険」、つまり「大変、高く険しい」のです。

唯一、新しい言葉の意味を素早く取り入れるといわれている『三省堂国語辞典』には、2番目の意味として、そして「誤用」として、

「②(あやまって)【高級な店などに】気軽に入れない。」

と載っていました!しかし、「誤用として」載っているのですから、新しい意味を認めた国語辞典は、私が調べた11種類の中にはひとつもないことになります。

『デジタル大辞泉』のインターネットのサイトでは

【◆文化庁が発表した平成20年度「国語に関する世論調査」では、「あそこは敷居が高い」を、本来の意味である「相手に不義理などをしてしまい、行きにくい」で使う人が42.1パーセント、間違った意味「高級すぎたり、上品すぎたりして、入りにくい」で使う人が45.6パーセントという逆転した結果が出ている。】

とありました。そういえば文化庁の調査があったような気がします。

と思って調べてみたら、実は新聞・通信・放送各社が加盟する関西地区新聞用語懇談会2008年(平成20年)10月の会議で、「40の言葉の誤用」について各社にアンケートを取っていて、そのうちのひとつに、

「単に行きにくいという意味での『敷居が高い』(本来は不義理などがあって人の家に行きにくいこと)を使うか?」

というものがありました。これに対して「本来の意味で使っている社」はたった「3社」、それに対して「単に『行きにくい』の意味で使っている社」が13で、「行きにくい」「(単に)ハードルが高い」という意味で「敷居が高い」を使っているということでした。

その時に出た「言葉」、ここに記しておきます。

 

(1)本来の意味とは違う意味で使っている社が多い言葉

「雨模様」

正=今にも雨が降り出しそうな天気:誤=すでに雨が降っている天気

・「アンケート調査」

正=アンケート。「アンケート」の中に「調査」の意味を含んでいるので「アンケート調査」とすると重複表現。

「(セールスポイントとしての)売り」

正=「売り物」「セールスポイント」。「売り」「ウリ」は俗語。

・「(悪いとわかっていて行う)確信犯」

正=宗教的・政治的に「正しい」と思って犯罪行為などを行うのが「確信犯」。

・「(追い抜く意味での)かわす」

正=「2位以下の追撃をかわす」「相手のパンチをかわす」のように「よける」意味。:誤=「追い抜く」意味で「先頭のランナーをかわしてトップに立った」。

・「(激励の意味での)「檄を飛ばす」

正=各方面に自分の考えや主張を知らせ、同意を求めること:誤=「激励する」「励ます」の意味。

・「(肯定的な意味での)こだわる」

正=一つのことに執着する=マイナスイメージ:誤?=一つのことに力を入れる=プラスイメージ。

★「(単に行きにくいという意味での)敷居が高い」

正=相手に対して面目ないことがあって、その人の家に行きにくい、会いにくいという意味。単に「難易度が高い」とか「ハードルが高い」意味で使うのは、本来は間違い。

・「(いい意味での)白羽の矢が立つ」

正=「いけにえ」などに選ばれた場合に使う。

・「(パソコンや組織を)立ち上げる」

=「立ち上がる」は元々あったが、自動詞と他動詞が混ざった「立ち上げる」には違和感があるといわれた。パソコンなどの機械に限定して使うケースも。実態としては「組織」から何から、「設立」の意味で「立ち上げる」は、頻繁に使われている。放送局では、放送機器を「立ち上げる」と古くから使っていた。その意味では業界用語かもしれない。

・「手をこまねく」

=元々は「こまぬく」だったが、今は辞書にも「こまねく」が載っている。)

・「(興奮・感動で)鳥肌が立つ」

正=恐怖・寒さの時のようにマイナスイメージの時のみ「鳥肌が立つ」は使われてきた)

・「(単に兼業をするという意味で)二足のわらじをはく」

正=「泥棒と刑事」のように、相反する二つの職業を兼ねる場合に使う。

・「波紋を呼ぶ・投ずる・投げかける」

正=「波紋を広げる・広がる」。誤用は「一石を投じる」との混用か?

「(不満・立腹の意味での)憮然(ぶせん)」

正=意外な出来事に驚いて、呆然とするさま。また失望してぼんやりするさま。

・「魅せる・魅せた」

正=「見せる」「見せた」~スポーツ紙・スポーツ面の「見出し」によく出てくる書き方。

・「(少数について使う)乱入」

正=「大勢が乱暴に押し入ること」としている辞書も多いが、「乱暴に押し入ること」とだけして、人数には触れていない辞書もある。

 

(2)本来の意味で使っている社の方が多い言葉

「垣間見せる」

正=「垣間見る」。

・「かねてから・古来から・従来から」

正=かねて・古来・従来。それぞれに「より」の意味が含まれているので、重複表現。しかし近年は辞書にも「かねてより」「かねてから」などと載っている・・・。

・「過半数を超える」

正=「半数を超える」。「過半数」の意味が「半数を超える」なので、それに「超える」をつけると重複。

・「極めつけ」

正=極めつき:誤=極めつけ。「極め」=「鑑定書」の意味なので、「極めつき」は「鑑定書つき」の意味。

・「公算がある・強い・高い」

正=公算が大きい:誤=公算がある・強い・高い。

・「(声を)荒げる」

正=「荒(あら)らげる」:誤=「荒(あら)げる」)ただし、NHKも20年近く前に「荒(あ)らげる」「荒(あら)げる」をOKにして、読み方は①アララゲル②アラゲルの順としている。

・「(一時的ではない)里帰り」

正=他家にとついだ新婦がはじめて実家に帰ること。婚礼に伴う儀式として、ふつうの3日または5日後に行われる。外国に流れた美術品などが一時的に帰ってくる時にも、比喩的に使われる。

・「(いい意味での)ジンクス」

正=悪いことが起きる場合が本来の「ジンクス」。いいことの場合は「ゲンかつぎ」。「ゲン」の語源は一説に、「縁起(えんぎ)」をひっくり返した「ぎえん→げん」だという。)

・「(否定形を伴わない)全然」

正=否定形を伴って「全然おいしくない」など。ただ、明治時代には夏目漱石なども「全然素晴らしい」などと、否定形を伴わずに使っていたという歴史がある。

・「~たり、~たり」の片方を省略

正=省略しない形。

・「熱にうされる」

正=熱にうされる。熱に「浮かされて」、「うなされる」ことはありうる。

・「(別れの場面以外での)はなむけ」

正=別れの場面で、馬の鼻を行き先の方向に向けるところから「はなむけ」という言葉がある。

・「早逝」

正=「早世(そうせい)」)

・「(運動選手などの現役の最後を指して使う)晩年」

「晩年」は人生の「最・後期」を指すのが本来の使い方。

・「耳障り(耳触り・耳ざわり)がよい」

正=「聞き心地がよい」「耳に快い」。本来「耳障り」はマイナスのイメージなので×。ただし『日本国語大辞典』では「耳触」を見出しに採用している。用例は『俳諧・雲の峯(1807)』より「風の音 みみさわりよき 幟かな」。(←この用例は、私が8年前に愛知県の大学の図書館に行って見つけてきたものです。)

・「燃えたぎる」

正=「煮えたぎる」。「たぎる」は「液体が沸騰している様子」なので、「燃え」と一緒には使わない。

 

(3)本来の意味で使っている社と誤用を認めている社がほぼ同数の言葉>

・「けがを負う」

正=「けがをする」「重傷を負う」:誤=「けがを負う」ytv&日本テレビ系列では「けがをする」を使っています。

・「至上命題」

正=「至上命令」。なぜか後半が「命題」とされて使われるケースが多い。

・「(反撃の意味での)追撃」

正=敗走する敵を追いかけて討つこと。

・「(議論が行き詰まる意味での)煮詰まる」

正=議論が結論に近づく時に使う。「行き詰まり」の意味では、本来は「煮え詰まる」だった。

・「(合格発表の情景描写などで使う)悲喜こもごも」

正=一人の人間の中での喜びや悲しみを表す)

・「『~べき』で文を止める」

正=「べきだ」とするか「べし」とする。)

・「(直後の意味での)矢先」

正=「しようとして、まだしていない」時。「してしまった直後」ではない。ただ『広辞苑』をはじめ、いくつかの辞書では「した直後」の意味も採用している。

以上です。

 

(2011、7、25)

2011年7月26日 09:45 | コメント (0)

新・ことば事情

4415「ながいもの短冊」

 

居酒屋にて。

 

メニューを見ながらなんだか納得のいかない顔をしていた先輩の一言。

 

「この『ながいもの短冊』の『長いもの』って何ですか?」

 

 

 

 

店員「・・・長芋です」

 

(2011、7、25)

2011年7月26日 01:29 | コメント (0)

新・ことば事情

4414「イクジイ」

 

2011713日の朝日新聞に、

「頼もしいイクジイ」

という見出しが。「イクジイ」とはお察しの通り、

「定年後、地域の子育てに積極的にかかわる高齢の男性」

のことを言うようです。育児に積極的な男性(父親)を「イクメン」と呼ぶのにならって、「イクジイ」と名付けたNPOもあるとのこと。チラチラ耳にする言葉です。

「育児」+「爺」=「イクジイ」

ということですね。

「イクジイ」は、周りの助けのいない「孤育て」家庭や、仕事で忙しい現役世代を支える頼もしい存在になっているそうです。

『現代用語の基礎知識2011』を引きましたが、「イクメン」は載っていましたが、「イクジイ」は載っていませんでした。

Google検索では(725日)、

「イクメン」=285万件

「イクジイ」=8840

でした。また「ィ」が小さい「イクジィ」は、

「イクジィ」=9970

で、「イクジイ」より多かった。これはつまり「育児」のことなのかな?長野県の松本市に、

「月刊イクジィ」

って雑誌があるみたいですね。「爺」を追加して検索してみたら、

「イクジイ・爺」=278

やはりまだ少ない。

「育爺」 =2140

「イク爺」=4300

「育ジイ」= 311

ということで、表記はまだ統一されていない感じですね。ばらつきがあります。全部カタカナの「イクメン」に揃えて「イクジイ」がややリード。でも「イク爺」も頑張っているようです。我が家も「イクジイ」にはお世話になっています。

あ、おばあさんは、「イクバア」と言うのかな?

「イクバア」=220

「いないいないばあ」みたい。居ない居ない婆?・・・「イナバウアー」にも似ています。懐かしい。一応「イクジイ」と対「イクバア」もあるようです。

「イクジイ・イクバア」=192

「育婆」=3120

「イク婆」=129

「育バア」=22

と、ここまで調べて書いてなんですが・・・・私「イクメン」については「平成ことば事情」では書いてないと思うのですが、「イクジイ」いや「育爺」については以前、書いておりました!・・・トホホ。

平成ことば事情903「育爺」です。書いたのはなんと9年前!20021031日。その頃に、「育爺」は既に登場していたのですね!

そのまま転載します。

****************************************

◆ことばの話903「育爺」

2002年)10月23日の日経新聞夕刊を読んでいたら、「生活」欄でこんな記事を見つけました。

「われら"育爺"リタイアしたら孫育て」

ホオ、"育爺"。初めて目にしました。記事を読んでみると、

「定年後、働く娘の育児を手伝う男性が目立ち始めた。孫の保育園のお迎えやベビーシッター役を担い、家族の中に仕事に変わる生きがいを見出しつつあるようだ。"塩爺(しおじい)"ならぬ"育爺"たちの奮戦ぶりを追った」

とあります。記事の中に出てくる、中空瑞(みずき)ちゃんの祖父・喜彦さん(66)は、自らを「保育士」ならぬ「保爺」(ほじい・・・ですかね?)と読んでいるそうで、一年間の育児記録を本にまとめてこの夏、自費出版したほどだというからスゴイものです。喜彦さんは、「単なる守り役ではなく、人間を育てているとの自負がある」んだそうです。恐れ入りました。

記事のもう一つの見出しは、

「『働く娘を助けたい』家庭で役割、生きがいに」

です。この「育爺」という言葉は、この記事を書いた記者の造語なのでしょうかね?辞書には載ってないよな。またインターネット検索をしてみましょう。

Googleで・・・「11件」出てきましたが、そのうち「7件」は中国語のホームページ。日本語のものは「4件」で、そのうち「2件」はこの日経の記事関連なので、独自に「育爺」を使っている例は日経以外には「2件だけ」でした。ということは、マスコミ的には日経の「造語」「新語」と言ってもいいのではないでしょうか。

塩川財務大臣を"塩爺"と呼んだのは、元々は宮崎駿監督のアニメ映画「千と千尋の神隠し」に出てくる「釜爺(かまじい)」を倣ったのでしょうが、その影響がこんなところまで・・・と見る事が出来るでしょう。

実際、うちの父も、時々孫の保育園の送り迎えをやってくれます。もちろんそれだけが楽しみという訳ではないのですが。

「育爺」、今後増えるかもしれませんね。

その点、おばあさんははい間々でもそうやって着たのに、全然取り上げられないので、ちょっと不公平かな?でも「育婆」なんて、あまり響きが良くないですよね。

いない、いない、婆。

**************************************

「いないいないばあ」って、9年前もおんなじ「オヤジギャグ」を言ってるよお・・・進歩してねえなー!

でも、9年前は「育爺」は実質「4件」しかなかったのに、現在は「2140件」ですから、「育爺」の方は進歩しているようですね。しかもカタカナの「イクジイ」になってるし。表記は「育爺」→「イクジイ」という流れのようです。

 

(2011、7、25)

2011年7月25日 22:43 | コメント (0)

新・ことば事情

4412「耳置いてきちゃった」

 

2011年7月22日(金)の「ミヤネ屋」に出演した、レギュラー出演者の芸能リポーター・駒井千佳子さん。出番が終わって、スタジオから出る時に、こう言いました。

「あ、耳、置いてきちゃった」

え!耳を置いてきた!?

・・・もちろん、分かりますよね。本当に自分の「耳」を置いてきたわけではありません。通称「エアモニ」と呼ばれる、

「イアホンの付いたオンエアーモニター(放送が聞けるラジオのようなもの)」

を外してスタジオに置いてきてしまった、ということです。

たしかにわれわれ、普段から「イアホン」(あるいはこの「エアモニ」)のことを、

「耳」

と言っています。しかし、例えば「マイク」のことを、

「口」

とは言いませんし、「靴」のことを、

「足」

とは言いません。なぜ、「イアホン」だけ「耳」と言うのか?考えてみました。

それは「イアホン」「エアモニ」という名前より、「音を聞く」という「機能」として、また「その器具を付ける場所=耳」の方がなじみがある呼び方だからなのではないでしょうか?

ふだん、何気なく使っている言葉ですが、改めて「なぜ?」を考えると不思議です。

 

(2011、7、22)

2011年7月24日 12:27 | コメント (0)

新・ことば事情

4411「DVDレンタル最大手」

 

2011722日の毎日新聞に、

DVDレンタル最大手のゲオの役員がインサイダー取引の疑い」

という記事が出ていました。ここで私の注目は記事内容より、

「DVDレンタル」

という言葉。これが、

「ビデオレンタル」

ではなく「DVDレンタル」である点でした。

夕刊各紙を見ると、

(朝日)レンタルソフト大手

(読売)DVDレンタル大手

(産経)DVDレンタル大手

で、朝日新聞だけが「DVD」を使わず「レンタルソフト」としていました。

これ、「DVD」の時には「レンタル」が「後ろ」につき、「ソフト」の場合には「レンタル」が「前」に付くんですね。「ビデオ」の時には、

「レンタルビデオ」

「ビデオレンタル」

の使い分けは、一般的には、

「レンタルビデオ(店)」

で、業界の名前としては、

「ビデオレンタル業界」

のように使っていたような気がしますが、どうでしょうか?

 

(2011、7、22)

2011年7月23日 19:26 | コメント (0)

新・ことば事情

4410「満身創痍と注入」

 

最近よく見かける、手書きで書くのはちょっと難しそうに見える四字熟語は、

「満身創痍」

です。そんなに難しい漢字はないけれど、「痍」が表外字なのと、全体的に画数が多いので、難しく見えます。

どういったところで出てくるかと言うと、まず『週刊文春』(721日号)の記事で、菅総理大臣が、76日の衆院予算委員会で早期退陣か衆院解散を求めた渡辺喜美・みんなの党代表に対して、

「大きな激励と受けとめた。満身創痍、刀折れ、矢尽きるまで、私の力の及ぶ限りやるべきことをやっていきたい」

と答えたと載っています。つまり「菅総理」が自身のことを指して「満身創痍」となるまで頑張ると言っていますが、既に「満身創痍」でしょう。

もうひとりの「満身創痍」は、719日の琴欧洲との取り組みに敗れたあとに「引退」を表明した大関・魁皇720日の読売新聞朝刊では、

「まさに刀折れ矢尽きたという表現がふさわしい。(中略)満身創痍の体。最後の心の支えとして目標にしてきた最多勝記録を更新し、気持ちの張りが失われた面もあるのだろう。」

と、菅総理と同じ「刀折れ矢尽きた」という表現と一緒に出てきました。

魁皇関には、「お疲れ様」と言いたいですが、菅総理は・・・ねえ。サッカー女子ワールドカップで初優勝を遂げた「なでしこジャパン」の表敬訪問を受けて、

「あきらめないことの大切さを学んだ」

というようなことを言ったそうですが、菅さんが「なでしこ」から学ぶべきは、

「チームのために身を挺して"一発退場"となった、岩清水選手の態度」

ではないか、という声もチラホラ。

さて、もう一つよく目にする・耳にするのは、

「注入」

という言葉。もちろん、福島第一原発の事故関連で、

「冷却水を注入」

したり、

「窒素を注入」

したり、やたらいろんなものを「注入」します。

東日本大震災の前に「注入」と聞いて思い浮かべたのは、例の、

「ラブ、注入♡」

というギャグ(?)のフレーズでしたが。

「注入」という文字は簡単だけれども硬めの表現の、普段の話し言葉への「そぐわなさ」を感じます。

「満身創痍」なのは「日本という国・全体」なのかもしれない。そこに「なでしこ」が「元気を注入」してくれたのは確かです。「やる気」が出たことで、しっかりと前を見据えて、足元の仕事をやっていきたいと思います。

 

(2011、7、20)

2011年7月23日 12:25 | コメント (0)

新・ことば事情

4409「澤選手のお母さんの名前」

 

FIFA女子ワールドカップで初優勝し、世界一に輝いた「なでしこジャパン」。

その原動力となったのは言うまでもなく、キャプテンでMVP・得点王にも輝いた精神的支柱・澤穂希(ほまれ)選手。

そのお母さんの名前は、

「満壽子(まいこ)さん」

といいます。難しい漢字のお名前です。読み方も普通は「ますこ」となるところでしょう。

「壽」

というは旧字体で、略字体(新字体)では、

「寿」

ですね。テレビでは、基本的には旧字体を用いないので、

「満寿子」

と表記している局もありましたが、日本テレビ・読売テレビでは(特に話し合ったわけではありませんが)旧字体の「壽」を使って、

「満壽子」

としています。読売テレビ「ミヤネ屋」としては、

「名字の『澤』が旧字体なのだから、名前だけ略字体(新字体)というのは整合性がない」

と考えたからです。

しかし、新聞各社はそもそも、「名字」のほうも略字体で、

「沢」

としているようなので、それなら名前も、「満寿子」でいいと思います。

いずれにせよ、旧字体問題は、すごくややこしいです。

 

(2011、7、20)

2011年7月22日 19:23 | コメント (0)

新・読書日記 2011_134

『接客主義』(松尾貴史、光文社知恵の森文庫:2004、3、15)

 

雑誌『BRIO』に20024月から20036月に連載されていたもの。

連載から時間が経って文庫本化され、さらに本が出てからずいぶん経って読むと、

「ああ、たしかにそういう時代があったな・・・」

と、ほんの数年でも「ときの流れ」というものを感じることができる。

著者の松尾さんは「ミヤネ屋」の火曜日レギュラー・パネリストでもあり、普段スタジオでの発言にも接しているが、その知識は、こういった実際の取材に基づくものであるのだなと、改めて感じる。

それにしても『BRIO』という雑誌(の担当者)・・・というか松尾さんの好みなのか、ふだん我々がなかなか行かないようなお店の選択が多く、興味深い。その取材内容、が文章とイラスト・写真を通して「時代」を浮かび上がらせるとともに、「接客=サービス」というものの実体、どうあるべきかという姿も浮かび上がってくる一冊である。

中で、「おや?」と思ったのは、「敷居が高い」という言葉。本来は、

「何か不義理をしたために、再び訪れにくい」

というものだったが、最近は「値段が高い」「趣味が違い」など、「不義理」以外の理由で訪れにくい、しかも「再訪」ではなく「一度も訪れていない場合」に使われることが増えているが、松尾さんも「(一般の人が)初めて訪れる」ケースとして「敷居が高い」を使っているように見えた。以下の箇所である。(「弁護士事務所」について)

「ひとたび相談に訪れようものなら、話を聞いてもらうだけでいくらとられるか分かったものではないという『白い巨塔』のかたせ梨乃状態になる恐怖心も根強い。つまりは、弁護士事務所というとこれは、なかなか『敷居が高い』場所なのである。」(226ページ)

 

 


star3_half

(2011、7、22読了)

2011年7月22日 12:27 | コメント (0)

新・ことば事情

4408「追い出し盗」

 

7月13日の読売新聞朝刊にこんな文字が出ていました。

「追い出し盗」

いろんな形の「盗み」があり、それらを、

「○○盗」

という表現をするようですが、「追い出し盗」は初めて見ました。

どういうものかと言うと、

「家の外から声を掛けて住民が外に出たすきに室内に忍び込んで金品を盗む」

という手口だそうです。

具体的に記事を読むと、今年1月、「自転車のサドルがはずされて駐輪場に捨てられている」ウソを言い、大阪市都島区の72歳無職女性が外に出ているうちに現金22000円などを盗んだ疑いで、66歳の男が今年6月に起訴されたと。都島区内では20074月~20115月末までに、同様の手口の「追い出し盗」が70盗まれたキャッシュカードで現金を引き出す「払い出し盗」が10件。被害総額は600万円あり、現在、余罪を追及中とのことです。

「盗まれたキャッシュカードで現金を引き出す」

のは、

「払い出し盗」

と言うのですね。

「引き出し盗」

とは言わないのでしょうか?それにしても・・・世に盗人のタネは尽きまじ。

 

(2001、7、20)

2011年7月21日 12:42 | コメント (0)

新・ことば事情

4407「地サイダー」

 

20011713日の読売新聞朝刊に載っていた記事に、こんな文字が。

「地サイダー、地ラムネ」

阪神百貨店梅田本店の食品売り場で、全国各地の飲料メーカーが製造した「地サイダー」を集めたコーナーが人気なんだそうです。日本で初めて作られたといわれるサイダーの復刻版「ありまサイダーてっぽう水」(兵庫県)、「しおサイダー」(石川県)、メロンの香りのする「大阪サイダー」など全部で約40種類ものサイダーがあるそうです。

「地ビール」は聞いたことがありますが、「地サイダー」や「地ラムネ」というのは初めて目にしました。いろんな「地」があるのですね。

Google検索(7月19日)では、

「地サイダー」= 44万3000件

「地ラムネ」 =  2万1300件

「地ビール」 =974万0000件

でした。思いのほか、「地サイダー」が多いのにビックリ!と言ってもやはり「地ビール」の20分の1以下ですが。いろんな飲み物のご当地ならではの「地○○」が出てくると、旅の楽しみも増えますね。ま、元祖は何と言っても日本酒、つまり、

「地酒」

でしょうけどね。

「地酒」=1440万0000件

さすがの「地ビールのヒトケタ上を行く件数」です。

「地サイダー」と「地ラムネ」は酔えないからなあ。(「地ビール」と「地酒」は、酔ったら正確な数字が分からなくなったりして・・・)

 

 

(2011、7、19)

2011年7月20日 12:34 | コメント (0)

新・読書日記 2011_133

『数字とことばの不思議な話』(窪園晴夫、岩波ジュニア新書:2011、6、21)

 

窪園先生とはお会いしたことはないが、お名前は存じ上げています。神戸大学にいらっしゃったと思ったら、本を読むと、去年から国立国語研究所に移られたと。知りませんでした。

「日常的に使っている数字の中に、不思議な現象がたくさん眠っており、それらを一つ一つ丁寧に紐解いていくと、ことばの法則が見えてきます。」(7ページ)

そのとおり、そのとおり!うんうん、と言いながら読み進めます。あれ?「紐解く」の使い方、これでいいんだっけ?ま、それは置いといて、「ジュニア」向けですので、丁寧です。そして、大人が読んでも「そうだったのか!」という発見がいっぱい!

それより何より、まず開いてページに載っていたのが、私がその時悩んでいた、

「0は複数形か?単数形か?」

という問題の答え。(90ページ)「あっ、これだ!」と。常に悩んでいると、こういう風に答えが目の前に出てくることが、本当にあるんだなあと思いました。

「言葉」と「数・数え方」について興味や疑問を持っている人は、必読の書です!

 

 


star4_half

(2011、7、7読了)

2011年7月19日 18:30 | コメント (0)

新・読書日記 2011_132

『ほまれ~なでしこジャパン・エースのあゆみ』(澤穂希、河出書房新社:2008、7、30)

 

 

「なでしこジャパン」のエース、女子ワールドカップで世界一・MVPに輝いた澤穂希選手の「自伝」。北京オリンピックの前に出たもの。1978年9月6日生まれ。「穂希」と書いて「ほまれ」と読むその名は、その年はお米が不作だったので、お米がいっぱい穫れますようにとお父さんが名付けた名前なのだそうだ。よく間違えて「ホキちゃん」と呼ばれたという。

その北京オリンピックでは「ベスト4」であった。

「2008年6月10日」に記されたこの本の「あとがき」には、

「目の前に壁が立ちはだかっているのは、自分の成長のために大切なことだ。それはこれからも変わらない。いつか世界の頂点に立つ日、その夢の実現までには、まだまだ長い道のりが続くだろう。今はまだ、その通過点だ。」

とある。そう、確かに「通過点」であった。そして思ったより早く(?)3年と1か月後に「世界の頂点に立つ日」がやって来た。日本時間の2011年7月18日。

澤穂希選手の座右の銘は、

「夢は見るものではなく叶えるもの」

だそうだ。たしかに「有限実行」の澤選手。すごい!

澤選手が身近に感じられ、誰もがファンになってしまう一冊。

 

 


star3_half

(2011、7、18読了)

2011年7月19日 12:28 | コメント (0)

新・読書日記 2011_131

『スピーチの奥義』(寺澤芳男、光文社新書:2011、5、20)

 

著者の寺澤さんは、元・野村證券副社長から国際金融機関の長官、そしてその後、日本新党の細川護煕氏から誘われて参院議員になり、経済企画庁長官も務めた人。その寺澤氏が、野村證券の米国法人の社長を務めていた時に、大学生時代の私は、グリークラブのアメリカ演奏旅行で、初めて海外・アメリカの地に向かった。ニューヨークで過ごした5日間、ニューヨーク稲門会(早稲田大学のOB会)会長でもあった寺澤さん(「テリー寺澤」と呼んでくれと当時言っていた。いまや「テリー」といえば「伊藤」だが、それより前に私にとっての「テリー」は「寺澤さん」だった)のお世話になって、ニューヨーク証券取引所でなぜか「吉野家の牛丼」を食べさせてもらったり、、ニューヨークのイタリア料理店に大人数で連れて行ってもらったり、ま、いろんなところを案内してもらった。(あんまり覚えてないけど。)そしてイタリア料理の後だったかに、

「ラーメン食いたい奴、手ェ挙げろ!」

と学生を誘導してラーメン屋にも連れて行ってくれた。ご自宅の「マンション」(ワンフロアがすべて寺澤さん宅)にもお邪魔して、奥様手作りの「おにぎり」を食べさせてもらった。あのテリーである。(なんだか、メシの話しか覚えていないような・・・)

何かで読んで知ってはいたのだが、70歳を過ぎてから、あの奥様と「離婚」されたとか・・・。そのあたりの事情も本書には出てくるが、意表を突く続きの話は、全く知らなかった

あれから29年が経ったとは、とても思えないのだけれども。経ったんだなあ。

読んでメモした部分。「腹にストンと落ちる」という表現。

「また独立自尊という言葉の意味するところが腹にストンと落ちる感じで消化されるらしく、ぼくの言いたいことをすんなり受け入れてもらえるように思う。」(41ページ)

「最後に子どものころに読んだ本の話をし、聴衆にえっ、『それが何?』と思わせたところで一番伝えたいメッセージを伝えている。腹にストンと落ちる。」(69ページ)

また、テリーの同窓・同級である海部俊樹・元総理大臣のスピーチについては、

「声はクリアで聞き取りにくいことがないし、やさしい言葉で文章を組み立てているからどんな知識レベルの人の頭にもストンと入ってくる。」

と記してある。雄弁会だもんね。

 

 


star3_half

(2011、7、2読了)

2011年7月19日 03:27 | コメント (0)

新・読書日記 2011_130

『14歳の子を持つ親たちへ』(内田樹・名越康文、新潮新書:2005、4、20第1刷・2011、4、10第15刷)

 

まさに「14歳の子」を持つ親として、タイトルにつられて買いましたが、内容は別に「14歳の子」でなくても構わない。その意味では「看板に偽りあり」。しかし、少し幅広く「思春期の入り口の子ども」と考えれば、看板に偽りはなかろう。

そもそも内田樹の本を買うつもりはないのだが、何か気になることが書かれているところには、必ず内田先生が登場するのだから、仕方がない。

2005年に出てから6年間で15刷というのは、タイトルもよかったのだろうけど、やはり内田ファン、名越ファンが多いのだなあという気もする。どちらかというと女性に人気があるのかな?名越先生は、かなり"ホンネ"で「弱音」を吐いている部分もあったのが、好感を持てた。そのあたりが本書の人気の秘密なのかもしれない。

 

 


star2_half

(2011、7、7読了)

2011年7月18日 22:13 | コメント (0)

新・読書日記 2011_129

『しあわせ節電』(鈴木孝夫、文藝春秋:2011、6、10)

 

鈴木孝夫先生といえば、言語社会学(社会言語学じゃないんだ!)の権威。御年84歳。カクシャクとしていらっしゃる(と思う)。岩波新書の『日本語と外国語』を始めとして数々の名著をものしているのはご存じのとおり。え?知らない?ぜひ読んでください。私も感銘を受けて、インタビュー取材を申し込んだことがある。(断られましたが。)

その鈴木先生が、「節電」「省エネ生活」を何十年も続けてらっしゃるとは知らなかった。やさしい語り口で読みやすい本書は、地震による原発事故によって引き起こされた「計画節電」を機に、これまでの生活・生き方を見直そうという提案の書。やさしい語り口だが、怒るとコワイ先生の一面を垣間見ることができるのも、本書の楽しみの一つ。全部で120ページほどという短さで、大変読みやすい。以下の部分は、私も共感した部分である。

 

「これまでの進歩を支えてきた効率優先という流れが必然として破綻を招くのならば、我々は何をすべきなのか。私は社会の変化の速度を少し遅くしてみる必要があると思うのです。」(27ページ) 

「今、年寄りや長老に権威はほとんどありません。邪魔者扱いです。むしろそれを揶揄し、馬鹿にすることも普通になってきました。その理由、原因は、あまりに広汎になり発展しすぎた経済活動にあるのです。しかも変化の速度が極端に速くなっているため、年長者が知っていること、彼らの経験が必ずしも若者たちの役に立たないことが増えているからです。(中略)しかし、今回のような人智をはるかに超えた天変地異の結果、大きな意味で人間や地球のあり方を考え直すということになってくると、やはり百年前や五十年前を知っている年寄りや古老の話を聞く必要が出てくるのです。」(113114ページ)

 

 


star3_half

(2011、7、17読了)

2011年7月18日 18:12 | コメント (0)

新・ことば事情

4406「Tune」

 

先日、日本テレビの朝のテレビ番組の中の「エンターテインメント」を紹介する「エンタメ・コーナー」で、音楽のマーク(八分音符♪)の下に書かれていた英語に、目がとまりました。それは、

「『Music』ではなく『Tune』」

でした。

これは私、結構、衝撃を受けました。

「ミュージック」と「チューン」では重みが違うと思うのですが。

Tune」は単に「音」でしょ?「音」を出しただけでは「音楽」にはならないんだよ!違うんですか!って怒っても・・・誰が相手やねん?わかりませんが。

 

(2011、7、13)

2011年7月16日 12:00 | コメント (0)

新・ことば事情

4405「靴箱」

 

『ミヤネ屋』の女性ナレーターのNさんから質問を受けました。

「先日『靴箱』という言葉が出てきて、念のためアクセント辞典を引いてみたら、載ってなかったんです。それで『広辞苑』『大辞林』とか国語辞典も引いてみたんですけど、『下駄箱』は載っていても、『靴箱』は載ってなかったんですが・・・。」

「ええ!?そうなんですか?」

と、私も手許の電子辞書2冊で、『広辞苑』『明鏡国語辞典』『デジタル大辞泉』『NHK日本語発音アクセント辞典』『精選版日本国語大辞典』の5種類の辞典を引いてみたところ、かろうじて『精選版日本国語語大辞典』にのみ、

「くつばこ(靴箱・沓箱)」=履き物をぬいで、しまっておく入れ物。靴入れ。

として載っていました。「用例」は1755年の「談義本」からでした。

あとで、ほかの辞書も引いて見ましたが、『新明解国語辞典』『新潮現代国語辞典』『岩波国語辞典』『新選国語辞典』『三省堂国語辞典』にも「靴箱」は載っていません。

『三省堂国語辞典』「下駄」の用例の中に、

「下駄箱(=今はくつを入れる)」

とあるのですが、つまり「靴」を入れてしまう箱は、今も「下駄箱」と呼ぶという解釈のようです。その意味では、「筆」は入っていないのに、今も、

「筆箱」

と呼んで、「鉛筆箱」とは言わないようなものでしょうか。それとは別にカタカナ語で、

「ペンケース」

という呼び名も普及していますが。

売っているものが変化することによって、名前が変わっていっている店もあります。たとえば、

「レコード店」

「レコード」が音楽を聴くためのメディアとしての座を「カセットテープ」と分け合っていた時点ではまだ「レコード店」でしたが、「CD」に譲った時点で、一般的には、

「CDショップ」

に。(もちろん、レコードをほとんど売ってなくても「レコード店」「レコード屋さん」と呼んでいる人はいましたが。)

さらに、「ミュージックビデオ」など「映像メディア」も取り扱うようになってからは、

「ミュージックショップ」

に名を変えました。その後、「携帯オーディオプレーヤー」の普及で、「ミュージックショップ」でCDやDVDを買うのではなく、「パソコンで音楽ソフトをダウンロード」する人が増えてきているのが現状ですね。

というように、中身が変わると呼び名が変わるものがある一方で、中身は変わっても呼び名は変わらないものもあると。

今度、そのあたりを詳しく、実際の言葉を集めてみたいと思います。

 

(2011、7、13)

2011年7月15日 17:38 | コメント (0)

新・ことば事情

4404「團伊玖磨」

 

若手アナウンサーに「漢字」の訓練をしています。この前、『よく見るのに読めない漢字』という本に載っている難読人名で、

「團伊玖磨」

が出てきました。もちろん、私は読めます。知っています。作曲家であり『パイプのけむり』シリーズのエッセイでも有名な人です。昔、大学生の頃読みました。みなさんもご存じですよね?しかし、彼は・・・

「ええっ!?・・・なんて読むんだろ・・・・・・セン・・・」

「『セン』ってなんだよ。それは『團』の囲いの中の漢字『専』を読んだんだろ、これは旧字体だよ。新字体だと、中は『寸』だ」

「『寸』・・・ということは・・・『ダン(団)』?」

「そう!『ダン』。あとは?」

「ええ・・・・・???」

「『伊』は読めるだろ?」

「・・・『イ』?」

「そう、『イ』。そのあとは?」

「・・・・」

「『つくり』の方を、そのまま読めばいいんだよ』

「つくり・・・?・・・『ク』?」

「そう!ほら、もう読めたじゃない。最後は『磨く』の音読みだ」

ほとんど答えを教えてしまっているような感じです。

「・・・・『マ』?」

なぜここで「?」が付くのかが私には分かりませんが、なんとか全部の漢字、読めました。

「そう!じゃあ、通して読むと?」

 

「ダンイ・クマ」

 

「アホか!『ダンイ・クマ』って、『レオナルド熊』じゃないんだから!名字は『ダン』で名前が『イクマ』だよ!切るとこ、間違っちゃダメじゃないか!」

 

かくも、漢字の道は険しく、『パイプのけむり』のように長い・・・。

 

(2001、7、15)

2011年7月15日 12:36 | コメント (0)

新・ことば事情

4403「ジュレ」

 

梅田の阪神百貨店に寄った時のこと、おいしそうなケーキを売っていました。

普段、あまりケーキは買わないのですが、ついつい買ってしまいました。

その時に横に並んでいた洋菓子の名前に目が止まりました。

「フルーツジュレ」

この「ジュレ」、最近よく目にしますが、品物を見てみると、どうやらこれは、

「ゼリー」

のことらしい。英語では「ゼリー」で、フランス語だと「ジュレ」なのでしょう。全く違った商品のように思えます。

こういったカタカナことば、デパートやショッピングモール(これも横文字だ)で目にしたものを、つらつら書き並べてみると、

「スイムウエア」(水着のこと)

「アイウエア」(アイウエオではなく、メガネのこと)

「ケーキ屋」(スイーツショップ)

「和菓子」(和スイーツ)

わざわざ言い換えなくても・・・というものもあります。これまでの表現で十分ではないのかな?

「和菓子」まで「和スイーツ」となると、「和式便所」は「和スタイルトイレ」かな?いや「便所」だけ「トイレ」になって「和式トイレ」か。なんか、話が「シモ」に落ちました。

ちなみにGoogle検索(713日)では、

「フルーツジュレ」=128000

「フルーツゼリー」=854000

「フルーツジェリー」=28400

でした。「フルーツジェリー」では「千疋屋」が出て来たので、昔は「ゼリー」ではなく「ジェリー」だったのでしょう。「ジェリービーンズ」のように。それがさらに「ジュレ」に変わりつつあると。流行りものの名前の運命ですね。

 

 

(追記)

『玉子ふわふわ』(早川茉莉編、ちくま文庫:2011210というエッセイ集に収められた森茉莉の「卵料理」というエッセイに、

「ウフ・ジュレ」(卵の凍ったの)

というパリの卵料理が出てきました。当然、フランス語ですよね。「ウフ」は「卵」ですから、「ジュレ」は「凍ったもの」なのでしょうか?森さんのそのあとの文章には、

「スープをゼラチンで固め田中に半熟卵を入れたもの」

という説明がついていました。ということは「ジュレ」は、

「ゼラチン」「ゼリー状のもの」

の指すのでしょうね、きっと。

 

 

 

 

(2011、7、13)

2011年7月13日 12:40 | コメント (0)

新・ことば事情

4402「ウジャジャケる」

 

 

堀田善衛『方丈記私記』を読んでいたら、

「ウジャジャケなくていい」

という表現が出てきました。たぶん、

「おちゃらけなくて」

とか、

「グチャグチャにならなくて」

とか、そんな感じの意味ではないかと推測しますが、正確な意味はわかりません。この、

「ウジャジャケる」

とは、どんな意味でしょうか?辞書を引いてみました。

『精選版日本国語大辞典』「うじゃじゃける」を引くと、

「『うじゃける』を見よ」

矢印が付いていました。用例だけ載っていて、

    雑俳・末摘花(17761801)四「うじゃじゃけたやうに女はおやす也」

と江戸時代の用例があります。歴史のある言葉ですね

で、「うじゃける」を見ると、

「熟したくだものなどが裂け、くずれる。ただれた状態になる。また、だらしない様子になる。うじゃじゃける」

とあり、用例は『改正増補版英語林集成』(1886で、

「イチジクガ ウジャケル(中略)ウジャケタ ナリヲ シテイル」

でした。結構古くから使われていた言葉なのですね。今も使っているのかな?

『デジタル大辞泉』にも「うじゃじゃける」が載っていて、同じように用例だけ

 

「目は死んだ魚のよう、なんの光もなく、白くうじゃじゃけている」(志賀直哉『暗夜行路』)

「うじゃじゃけ放題うじゃじゃけていた最中である」(久保田万太郎『春泥』)

 

と出ていました。「うじゃける」の意味は2つ載っていて、

「①             果実が熟れすぎてくずれる。また、傷跡などがただれて、くずれる。うじゃじゃける。(例)『ザクロがうじゃける』『傷口がうじゃける』。②態度や身なりがだらしなく、くずれている。だらける。うじゃじゃける。」

とありました。

ちょっと今度、使ってみようかな、「うじゃじゃける」

 

(2011、7、11)

2011年7月13日 00:39 | コメント (0)

新・ことば事情

4386「復興基本法の文章」

 

東日本大震災の「復興基本法」が成立しました。その文章が、6月21日の読売新聞・朝刊に載っていました。「第1章総則(目的)」の「第1条」を読むと、こう書かれていました。

 

「この法律は、東日本大震災が、その被害が甚大であり、かつ、その被災地域が広範にわたる等極めて大規模なものであるとともに、地震及び津波並びにこれらに伴う原子力発電施設の事故による複合的なものであるという点において我が国にとって未曽有の国難であることに鑑み、東日本大震災からの復興についての基本理念を定め、並びに現在及び将来の国民が安心して豊かな生活を営むことができる経済社会の実現に向けて、東日本大震災からの復興のための資金の確保、復興特別区域制度の整備その他の基本となる事項を定めるとともに、東日本大震災復興対策本部の設置及び復興庁の設置に関する基本方針を定めること等により、東日本大震災からの復興の円滑かつ迅速な推進と活力ある日本の再生を図ることを目的とする。」(329字)

 

うーん、わかりにくい!

なんと329字の間に「。」(句点)が「1つしかない」のです!声に出して読むと、

「お経を唱えているような感じ」

です。もっとわかりやすくできないか?少し「。」を増やして読みやすくしてみました。

 

「この法律は、東日本大震災からの復興の円滑かつ迅速な推進と活力ある日本の再生を図ることを目的とする。今回の東日本大震災は、被災地域が広範囲にわたることや被害の甚大さ、また地震と津波によって原子力発電施設の事故まで起こるという、我が国にとって未曽有の国難である。そこで復興についての基本理念を定め、現在・将来の国民が安心して豊かな生活を営める経済社会の実現を目指す。そのための資金の確保、復興特別区域制度の整備など基本事項や、東日本大震災復興対策本部の設置、復興庁の設置に関する基本方針を定める。」(249字)

 

「。」が「4つ」になって文字数も329249字」と「4分の3」になりました。だいぶわかりやすくなったと思いますが、でもまだ、なんか硬い。

もっと「話し言葉的」にするとどうなるか?やってみました。

 

「今回の東日本大震災は、非常に広い範囲に甚大な被害をもたらしました。また地震と津波によって原子力発電所の事故まで起こるという、これまでの日本が経験したことのない災難です。この法律は、その大震災からの復興を円滑・迅速に進め、活力ある日本が再生することを目的としています。そのためにまず、復興の基本理念を定め、今と未来の国民が安心して豊かに生活できる経済社会を造ることを目指します。そして資金を確保し、復興特別区域制度を整備し、復興対策本部と復興庁設置の基本方針を定めます。」(235字)

 

いかがでしょうか?これでずいぶんスッキリしましたね。

最初からこう書いたらいいんじゃないの、法律も。わからなきゃ意味がないんだから。

あ、でも弁護士さんが失職するかな?

 

(2011、6、21)

2011年7月12日 21:01 | コメント (0)

新・読書日記 2011_128

『私はそうは思わない』佐野洋子、ちくま文庫:1996、2、25第1刷・2010、11、25第12刷)

 

タイトルが、もう既に媚びていない。「犬型」ではなく「ネコ型」であることを思わせる。

佐野洋子の文章の分かりにくさ、話が飛ぶ感覚は、山本夏彦に似ている。ダメの人。一度死んでるような、俗世間との距離感に共通点がある。

*「号泣したくても声も出ないのだ。」(「知らなかった」は『婦人公論』19981022日号・117日号に掲載)声の出ない「号泣」ですかね、これ。

*「あんたドドメ色になっている」「ドドメ色って」「汚いウンコに泥を混ぜたみたいな色」(127ページ)

「ドドメ色」って普通の辞書には載っていないんじゃないかな?

(詳しくは「平成ことば事情」に書きました。)

 


star4

(2011、7、2読了)

2011年7月11日 17:07 | コメント (0)

新・ことば事情

4401「むすこ、むすめ」

 

『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎×大澤真幸、講談社現代新書:20115201刷・2011663刷)という対談本を、家でビールを飲みながら読んでいたら、大澤さんの発言の中の、

「日本の神の名前についてる『ムスヒ』の『ムス』は『苔ムス』の『ムス』で、自然と生えてくるという意味ですね。」

というところで、ピーンと来ました。

「『苔むす』の『むす』は『生じる』の意味で、『生(む)す』とも書くのではないか?そうすると、『息子』『娘』は、『生す子』『生す女』から生まれたことばなのではないか?」

早速、家にあった『広辞苑』を取り出して来たら、「ビンゴ!」でした。

「むす(生す・産す)」で「むすこ」は、(「産子(むすこ)」の意)と、「むすめ」は(「産女(むすめ)の意」

と明記されていたのです!やっぱり!

また、『新明解国語辞典』も、

(「むす」は「産(む)す」意)

と書かれていました!

全然知らなかった!急に思いついたのですが、こういう風に気づくことって、あるんですね!

 

(2011、7、8)

2011年7月11日 12:04 | コメント (0)

新・ことば事情

4400「バッソク」

 

「平成ことば事情4390」で「バッシュー」に付いて書いたところ、青森県出身の虎谷アナウンサーからメールが来ました。

「実は、私、小学校のころバスケ部だったのですが、バスケット用の長くて分厚いソックスのことは、『バッソク』と呼んでいました!青森限定かどうかは、わかりません・・・。」

え?バッソク・・・「罰則」・・・あ、

「バスケット・ソックス」

の略か。

「バスケットシューズ」→「バッシュー」

と同じように、

「バスケットソックス」→「バッソク」

なのですかね。「バスケット」は長いから省略するんだ。「バスケット」でも既に「バスケットボール」が省略されているんだけれど。でも「バッソク」って、一般的に言うのだろうか?google検索してみました(77日)

「バッソク」=3270

結構ありました。トップで出てきたのは、

「先日来、バッソクの販売をはじめています。」

というような文章でした。さらに「バスケットボール」を追加して検索してみると、

「バッソク、バスケットボール」=1390

で、トップで出てきたのがまさに、

「近頃のバッソク事情」

というもので、1974年生まれの男性が、

「バッソク・・・それはバスケットボール競技用の靴下の事です。バッソク、小学校の頃めちゃくちゃ流行りましたよね?」

と綴られています。1974年生まれの男性の小学生の頃というと、

1981年から1987年」

ぐらいになりますか。私ももう大人でしたし、バスケやってなかったので記憶ないなあ。虎谷アナウンサーが小学生の頃と言うと、

1990年~1996年」

です(ええ!阪神大震災の頃は、まだ小学生だったのか・・・こっちが年取るはずだわ)。

その頃に「バッソク」が使われていたとしても不思議はありませんね。

(2011、7、7)

2011年7月 8日 18:28 | コメント (0)

新・ことば事情

4399『複合語のコンパウンド」

 

「複合語」の結合が強くなり「一語」として認識されると、そのアクセントは、

「コンパウンド(compound)」

するようになります。「コンパウンド」とは、

「テ\レビ」+「ド\ラマ」=「テ/レビド\ラマ」

のように、二つの語がくっついて一つの語になるときに、単独の時とは異なるアクセントになり、「アクセントの山が一つになる現象」を言います。

「コン(com)」ですから「一緒に」「結合する」のですね。英和辞典を引くと、まさに、

「複合語」と出ています。

コンパウンドしたあとは、とりあえず高いところで「平板」がキープされます。しかし、「複合語全体が『平板アクセント』」の場合を除いて、どこかでアクセントが「下りる(下がる)」ところを意識しなくてはなりません。

「えーい、面倒だ、このままでいこう!」

アクセントが下がらなくなった場合は、先ほども書いたように「平板アクセント」になります。しかし、アクセントの高いところで平板が続きすぎると、息が続かなくなって、

「下りたく」なってきます。それは、何拍ぐらいが限度下りたくなるのでしょうか?

ということを考えていたら、いい本を見つけました。窪園晴夫先生『数字とことばの不思議な話』(岩波ジュニア新書)です。

第5章「電話番号の秘密」に、複合語の後節要素が連濁するかしないかは、4モーラ(音節)と5モーラの間に境目があり、5モーラになると「連濁する」と書かれています。例として、「赤本(アカホン=4モーラ)」は濁らないが、「カラー本(カラーボン=5モーラ)」は濁ると。この項目のタイトルは、

「エロ本とエッチ本」

で、「エロ本」(=4モーラ)は濁らないが、「エッチ本」(=5モーラ)は濁るとも書かれています。(一体何を書いているんだ。)

また、2モーラずつまとまったものを「フット」と呼び、2フットまでと3フットの間にも大きな境目があるとも書かれています。

これは「連濁」に関してなんですが、アクセントに関しても似たようなことが起きるのではないか、と思ったのです。

例えば「電子辞書」は「電子+辞書」という複合語で、

「デ/ンシジ\ショ」

というコンパウンドした形のアクセントですが、アクセントが「山」で高くなっているところのモーラ「ンシジ」の「3モーラ」です。

「携帯電話」は「携帯+電話」で、

「ケ/ータイデ\ンワ」

で、アクセントの山の部分は「-タイデ」の「4モーラ」です。

「北京オリンピック」は「北京+オリンピック」で、

「ペ/キンオリンピ\ック」

で、アクセントの山は「キンオリンピ」の「5モーラ」です。あれ?「連濁」の「4モーラと5モーラの間に境目」というのが成り立ってないな・・・。

あ、そうか、これらは「山」の部分のモーラ数よりも、アクセントが「下りる場所」が共通していますね。つまり、

「語の最後から3モーラ目と2モーラ目の間」

で、アクセントが下りてきています。これがポイントかな。またこれらは「辞書」「オリンピック」は後節要素のアクセントと同じアクセントですが、「電話」は、本来のアクセントは「デ/ンワ」と平板なのに、「デ\ンワ」という形にアクセントが変わっていますね。

「国際通貨基金」

の場合は(あ、そうだ。例に挙げている複合語は適当に思いついたものですので、その語の意味・内容は全く関係ありません)

「コ/クサイツーカキ\キン」

で、やはりおしりから2&3モーラの間で下りてきていますね。これも後節要素の「基金」は元のアクセントの「キ\キン」と同じです。

「日本国憲法」

は、

「ニ/ホンコクケ\ンポウ」「ニ/ッポンコクケ\ンポウ」

ありゃ。3モーラと4モーラの間だ。これは「日本国」と「憲法」の親和が緩いか、後節要素の「憲法」の意味合いが強くて「憲法」の本来持つアクセントが保存されているのかな。それとも「ケン」で1モーラと感じられているのか?

「グリム童話」

は、「グ\リム+童話(ド/ーワ)」ですが、コンパウンドして、

「グ/リムド\ーワ」

となって、後ろから2&3モーラの間にアクセントの谷が来ています。

きりがありませんが、なんとなく正しいような正しくないような。一定の法則がありそうな気がします。時間があれば、もう少し調べてみます。

 

(2011、7、7)

2011年7月 8日 12:45 | コメント (0)

新・ことば事情

4398「『上から目線』と言う人」

 

松本龍復興担当大臣が辞任しました。被災地・宮城県や岩手県での発言やその後の発言が、

「上から目線だ!」

と顰蹙を買ったことが、直接の原因と考えていいでしょう。

それはそれとして(それに対する批判はもう出尽くしているでしょうから、いまさら書きません)、今回もよく出てきた「上から目線」という言葉です。

偉そうな発言があったとき、それに対して「『上から目線』だ」という言い方はここ数年の流行り言葉だと思いますが、あまり気持ちのいい言葉ではありません。そこでふと気付きました。

「人に対して『「上から目線」だ』という人こそ、『上から目線』ではないか」

ということです。「上」とか「下」とかいうのは「立場」を表します。その立場にある人が、

「上→下」

に言葉を言うと、当然「上から目線の言葉」になるでしょうが、それに対していちいち文句を言っていては、そもそもの「立場」が必要なのか?ということになってしまいかねません。それにもかかわらず「上から目線」が批判を受けるのは、

(1)  本来「同等」あるいは「下」の立場にいる人が、「上」の人に「上から」の発言をした場合。

(2)  「上」の立場の人であるが、必要以上に「上」を強調した物言いをした場合。

ではないでしょうか。

今回の松本大臣の場合、(2)のようにも感じますが、「知事」と「大臣」は対等な立場であると考えるかどうかの考え方の違い、「被災地の人たちに寄り添う」と言いながら、被災者でもあり被災地の人たちの代表である知事への配慮が足りない(あるいはない)点で、「上から目線」と感じられたのではないか。

そう考えると、先ほどの発言をちょっと修正します。その人がどういう立場にあっても、

「人に対して『「上から目線」だ』という人は、『対等の物言い』を求める人である」

ということではないでしょうか。

こんな言い方、批判の言葉が出てくるのは、「対等の立場での発言」を求める人が増えていること、しかしながら現実は、そうなっていないことのギャップによるのではないでしょうかね。

 

(2011、7、7)

2011年7月 7日 19:42 | コメント (0)

新・ことば事情

4397「『高嶺の花』か?『高根の花』か?」

 

先日「ミヤネ屋」で「スーパー」のチェックをしていたときのこと。

「高嶺の花」

というスーパーが出てきました。この表記は「正しい」のですが、「嶺」が「表外字」なので代用字として「根」を使って、

「高根の花」

と書くことに、『新聞用語集』ではなっています。つまり、新聞や放送のルールでは「高根の花」と書くのが正しいと。

でも放送の場合、は新聞ほど「しばり」がきつくないので、「表外字」の場合は、

「ルビを振って使う」

という手もあります。つまり、

「高嶺(たかね)の花」

表外漢字を含む熟語の横(か上)にルビを振るのです。

今回、どうしようか迷ったのですが、「ルビ」はうっとうしいので、やはり『新聞用語集』のルールに従って「高根の花」にしよう、ということにしました。

ところが!

「ミヤネ屋」の本番で「高根の花」と書かれているのを見たスタッフが、

「あ、間違ってる!」

と思って、普通の辞書を引いて「高嶺の花」が載っているのを見て、「訂正」を出してしまいました。出さなくてもよかったのに・・・。

しかし、たしかに「高根の花」と書いた場合、

「『高い』と『根』のイメージ(根=下の方)が合わない気がする」

のは、おそらく私だけではないでしょう。

「今後はルビを振って『高嶺(たかね)の花』を使った方がいいのかな」

という気がした出来事でした。

 

(2011、7、3)

2011年7月 7日 11:57 | コメント (0)

新・ことば事情

4396「ドドメ色」

 

佐野洋子さんの『私はそうは思わない』(ちくま文庫:19962251刷・2010112512刷)を読んでいたら、佐野さんと友人の会話の中に、

「あんたドドメ色になっている」

「ドドメ色って」

「汚いウンコに泥を混ぜたみたいな色」127ページ)

というように、

「ドドメ色」

という色の表現が出てきました。「ドドメ色」って・・・聞いたことはあるけれど、どんな色なんでしょうか?なんとなく想像はできてはいるのだけれど・・・。

この言葉、普通の辞書には載っていないんじゃない?

案の定、『広辞苑』『明鏡国語辞典』『精選版日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』『新潮現代国語辞典』『新明解国語辞典』には、

「土留め」

しか載っていませんでした。

しかし!『三省堂国語辞典』にはちゃんと載っていました!!

「どどめ色」=(どどめ=桑の実)暗い赤紫色。

あ、そうです、そうです、「どどめ色」はそうです!赤紫!寒さで「霜焼け」になりそうな足の先とか、内出血しているような色とか、"なんだか痛そうな色"なんです!

あ、そうすると『広辞苑』には、「どどめ」が載っていたな。

「どどめ」=(栃木・群馬県などで)桑の実

佐野さんの友人は、栃木か群馬出身なのかな?しかしそうすると、その友人が言った、

「汚いウンコに泥を混ぜたみたいな色」

は、ちょっとイメージが違うんだけどなあ。

わ!こんなことを考えながら喫茶店にいて、ふと隣に座っているおじいさんを見たら、

「カレー」食ってた!ヒヤーッ!

 

(2011、7、3)

2011年7月 6日 11:56 | コメント (0)

新・ことば事情

4395「輪っぱ」

 

佐野洋子さんの『私はそうは思わない』(ちくま文庫)という本を読んでいたら、

「わたしは父に煙を輪っぱにして出してくれとせがむ。父はほっぺたをひっこませて舌を丸めてポッと小さな音を出すと、煙が丸い輪っぱになって出て来た。丸い輪っぱは、はかなくすぐくずれて消えた。」 

という文章が出てきました。たばこの煙の話ですね。この中の、

「輪っぱ」

ですが、普段、私はこういうケースは、

「輪っか」

を使うのではないか?と思いました。「輪っぱ」というと「刑事用語」(隠語)での、

「手錠」

のことを言うのではないでしょうか?そう思って辞書(『広辞苑』)を引いて見ると、

「わっぱ(輪っぱ)」=曲木(まげき)製の食物容器。めっぱ。めんぱ。

とありました。ああ、「わっぱ飯」の「わっぱ」ですね。でも「わっか」と同じ意味の「わっぱ」は載っていません。

『明鏡国語辞典』では、

「わっぱ(童)」=子どもをののしっていう語。(例)小わっぱ。▶「わらは」の転。

とありましたが、やはり「わっか」の意味の「わっぱ」は載っていません。

『三省堂国語辞典』には・・・載っていました!

「わっぱ(輪っぱ)」=①(一)(俗)輪の形をしたもの。自動車の、車輪・ハンドルなどもさす。わっか。(二)自動車。(例)わっぱをころがす。②(俗)手錠(テジョウ)。(例)「わっぱをかける」③(方)まるいせいろう。(例)わっぱ飯(メシ)。

 

おお、く、くわしい!「わっぱ」で表現されるものがすっぽり収まっている『広辞苑』でさえ「わっぱ飯」しか取り上げてなかったのに、「手錠」の「わっぱ」も載せるなんて、「俗語辞典」としての機能もありますな!

「わっぱ飯」の「わっぱ」が「せいろう」を指すのは「方言」なんですか、知りませんでした。

なお『精選版日本国語大辞典』には、

「わっぱ(輪っぱ)=①輪の形をしたものをいう俗称。自動車のハンドル、車輪、また指輪など。②まげ物の弁当入れ。食物入れの容器。」

とあり、①に「指輪」も「わっぱ」と言うとして、和田信義の『香具師奥義書』(1929年)という作品から用例を引いていました。

『デジタル大辞泉』は、

「わっぱ(輪っぱ)」=①輪の形をしたもの。族に車輪や手錠などをいう。②曲げ物の食物入れの容器。めんぱ。めんつう。(例)「わっぱめし」

と、『三省堂国語辞典』に近い感じでした。

ついでに「わっか」も引いておくと、

『広辞苑』=俗に、輪(わ)。

『明鏡国語辞典』=〔主に東日本で〕輪。(例)ロープでわっかを作る」

『精選版日本国語大辞典』=輪。(例)『幻談』(1938)<幸田露伴>「長い釣綸(つりいと)を隻輪(ワッカ)から出して」

『三省堂国語辞典』(俗)①輪。(例)「ロープでわっかを作る・わっかになる」②輪っぱ

『デジタル大辞泉』=「輪(わ)」の俗な言い方。

ということで、どちらかと言うとどの辞書も「わっぱ」の方が、記述が多いような気がしました。『広辞苑』なんて、実にそっけないです。「わっか」の身にもなってみなさい。

 

(2011、7、3)

2011年7月 6日 11:55 | コメント (0)

新・読書日記 2011_127

『笑う中国人~毒入り中国ジョーク集』(相原茂、文春新書:2008、1、20)

 

北京オリンピック(20088月)前、「毒入りギョーザ」の頃に出た本を、今頃読みました。「積んどく」になっていたのを、引っ張り出してきた。

こういった、外国人の感覚が分かる「ジョーク集」、結構、好きです。

「中国人、わりと理屈っぽいのだな」という印象を持ちました。ロシアの「アネクドート」とか、好きなんだけどな。中国のジョークは「長め」のものが多いような気がした。

 

 


star3

(2011、6、25読了)

2011年7月 5日 18:04 | コメント (0)

新・読書日記 2011_126

『THE  DAYS  AFTER 東日本大震災の記憶』(石川梵、飛鳥新社:2011、6、26)

 

震災翌日に被災地上空からカメラ撮影し、その後2か月、現地で取材を続けた写真家=カメラマン。

これまでに東日本大震災の映像は浴びるほど見てきたが、これが静止画になると、また違った迫力で迫ってくるので、息を呑む。大判の写真集だがパカッと大開きにページを開けられない。隙間から覗き込むようにしてみている。悲しみが詰まって胸に迫って来る写真の数々だ。

この手の写真集は、週刊誌の会社がたくさん出しているが、阪神大震災のときと違って、今回の震災で私は一冊も購入しなかった。なぜか、その気になれなかったのだ。しかし、この写真集の新聞広告を見た時にこれもなぜか「買わなくては」と思ったのだった。

「バイクで取材していた私は放射能雨をまともに浴び、スクリーニングでカメラバッグを没収され、焼却処分されるほど被曝した。」

まさに現地で「記録」を続けたカメラマンの記録だ。

ただ惜しむらくは、「地球46億年」という著書の紹介が3か所のうち1か所が、「地球46年」と「億」が抜けているなっている誤植を発見。46年は短すぎる!残念。

 

 


star4_half

(2011、6、28読了)

2011年7月 5日 12:00 | コメント (0)

新・ことば事情

4394「日向水」

 

201167日の毎日新聞朝刊の4コマ漫画、「アサッテ君」に、民家の屋根に据え付けられた「太陽光発電装置」「似たようなものが昔もあったんだよ」と言うおとうさん(おじいちゃん?)の発言で、4コマ目に描かれていたのは、縁側と庭に出された「たらい」に水を張って、お日様の熱を吸収してあっためる、

「日向水」

でした。「ひなたみず」とルビが振ってありました。

ああ、たしかに。あったような気がする。太陽の恵みですねえ・・・自然エネルギーそのものです。昔懐かしい言葉を見て、心が温まりました。

『広辞苑』では、

「日向水」=①日向にあって暖かくなった水<季・夏>②なまぬるい水

『三省堂国語辞典』では、

「日向水」=ひなたに置いて、自然にあたたまった たらいの水。

と、ちゃんと「たらい」が出てきました。

『新潮現代国語辞典』『明鏡国語辞典』『精選版日本国語大辞典』『デジタル大辞林』『広辞苑』と同じような語釈。『精選版日本国語大辞典』の用例に出ていた、辻弘想『開化のはなし』(1879では、「ひなたみず」を、

「暴水」

という漢字で書いてありました。ちょっと危ない感じ。

『新明解国語辞典』『岩波国語辞典』には、見出しがありませんでした。

 

(2011、7、3)

2011年7月 4日 19:08 | コメント (0)

新・ことば事情

4393「ママ○○」

 

「ママレンジ」

という子ども用の「調理おもちゃ」がありました。当時、男の子でも欲しくなったおもちゃでした。あれが家にあったら、私のその後の人生も変わっていたかもしれません(そんな大げさな)

一方で、

「ママレモン」

という「台所用洗剤」があります。(今もあるのでしょうか?)あれはその昔、我が家にもありました。

ここで、「うん?」と思ったのは、

「ママ」という接頭語が付いた、

「ママ○○」

というのは、「台所・料理の代名詞」として商品名として存在しているのに対し、

「パパ○○」

という名前の商品がないなあと思ったのです。

これは、「パパ」の家庭内での役割が、仕事として確立していないから、商品名としてないのでは?

そうこうするうちに、家庭内での男女の役割分担ということがなくなりつつあります。男性も家事をしなくちゃならなくなってきています。と言うことは、今後は「ママレモン」的な「ママ○○」という名前の商品は、もうなくなるのかもしれません。そうすると、「ママ○○」は「死語」になる?「歴史的遺産」となるのでしょうか?

 

(2011、7、3)

2011年7月 4日 12:05 | コメント (0)

新・ことば事情

4392「車身」

 

2011年6月12日、豪雨の中のF1レースを見ていたら、実況アナウンサーが、

「セーフティーカーの後ろ10シャシン」

というふうに話していました。F1は全く詳しくないので、この「シャシン」が最初は、

「10写真?」

と聞こえました。何だろうか?としばらく考えて思いついたのは、

「車身」

という言葉です。競馬(これもやらないので、よくは知らないのですが)で言う、

「3馬身」

のように、「距離の差」を表すのに「馬身」を使いますが、それと同じようなものなのでしょうか?

「10車身」でGoogle検索をしてみたところ(6月24日)、

「セーフティーカー時のマシンの間隔が10車身(10台分)と決められている」

ということが書かれていました。やはり「シャシン」は「車身」だったのですね。しかも、豪雨などの気象状況でレースの先頭に「セーフティーカー」が入る際のルールで、

「10車身(10台分のスペース)をあける」

ということもあったとは、全然知りませんでした。

『三省堂国語辞典』を引くと、なんと「車身」が載っていました!

「車身」=[自転車・自動車のレースで]距離の差を、車の一台分の長さであらわすことば。(例)「二車身の差」

そうか、「自転車」のレースでも使うのか。そういえば私は「競輪」もやらないからなあ。「競輪」といえば入社当時に、「岸和田けいりん」の「15秒スポットCM4本」の録音に「4時間も」かかったことがあったなあ・・・、

「バンクは今、クライマックス!白熱の岸和田けいりんへ、どうぞご来場ください!」

セリフ、まだ覚えています。

「後節、3日間を開催」

「3日間」がちゃんと言えなくて、先輩から何度も何度も「ダメ出し」を食らいました。

あ、「競輪」で思い出した。ボートでは同じように

「艇身」

ということばを使いますね。「競艇」もやらないけれど、「艇身」「早慶レガッタ」で聞いたことがあります。いろいろな「○身」があるのですね。(○には、そのレースで使われる乗り物の数え方が入りますね。)

 

(2011、6、24)

2011年7月 3日 20:50 | コメント (0)

新・読書日記 2011_125

『神の雫29』(作・亜樹直、画・オキモトシュウ、講談社:2011、6、23)

 

2か月半ぶりの1冊。ワインの漫画です。

第9の使徒はイタリア、「ブルネッロ・モンテプルチアーノ」か?

イタリア取材編の間に日本では、なぜか3人目の参加者・日本語ペラペラのアメリカ人が...。イタリアワインが飲みたくなって来た!

 

 


star3_half

(2011、6、28読了)

2011年7月 3日 12:17 | コメント (0)

新・読書日記 2011_124

『よく見るのに読めない漢字』(監修・井上逸兵、幻冬舎エデュケーションズ:2011、1、20)

 

「自分が読むため」というより、

「よく見るのに読めない感じ」

の後輩のYアナウンサーの教育用に買ったが、

「まだこのレベルのものを与えるタイミングでない」

と、4か月待った。ようやく、

「ちょっと、読ましてもいいかな」

という段階になったので、自分でも読んでみて、後輩のYアナにも読ませてみた。

漢字は難しいなあ。

 

 


star3

(2011、6、29読了)

2011年7月 2日 22:15 | コメント (0)

新・ことば事情

4427「麻央」

 

2011726日の「情報ライブミヤネ屋」で、25日午後637分、歌舞伎役者の市川海老蔵さんと麻央さん夫妻に女の赤ちゃんが誕生したというニュースを取り上げました。

その際、二人からのコメントの吹き替えをしたのですが、コメントの部分は海老蔵さんがすべて書かれていたので、それは「海老蔵吹き替え」で私が担当。奥さんの麻央さんは、

「署名だけ」

だったのですが、「夫婦そろって」ということを表すために、その「署名部分だけの吹き替え」虎谷アナウンサーにお願いしました。吹き替え部分は、

「麻央」

だけでした。短い!!たった2文字。

この間、脇浜アナウンサーにお願いした、ラモス瑠偉夫人・初音さんの吹き替え

「おなかが痛い・・・」

というのもかなり短い吹き替えでしたが、それより短い!

短くてゴメンね、でもこれって吹き替え史上最短記録じゃない?と話すと、虎谷アナウンサー、

「そうですね。これまでは私が知ってる限りでは、V6・森田剛さんのコメントの吹き替えを担当した五十嵐アナウンサーの『大丈夫です』が一番短かったですからね」

とのこと。おお、それは大幅な記録更新だ。

今後、この記録を塗り替えるとすれば、

「1文字」

しかありません。

「あ!」「お・・・」「うっ」「え!」

とか何とか。それって、吹き替える意味があるのか?というところですが、虎谷アナウンサーの出身地・青森の方言であれば、もう少し意味のある「1文字の言葉」の吹き替えがありうるかもしれません。例えば、

「け」

これは、

「食え」=「お食べなさい」=「召し上がれ」

という意味。で、それに対する返事として、

「く」

これは、

「食う」=「食べます」=「いただきます」

という意味で、「け」「く」という「カ行の音二つ」で会話になるという、とても美しい省エネ型の会話です。これの吹き替えがあれば間違いなく、最短記録となるでしょうが・・・・まあ、ないな、こりゃ。

 

(2011、7、26)

2011年7月30日 21:33 | コメント (0)

新・ことば事情

4426「一つの観光スポット」

 

「ミヤネ屋」の人気コーナー「高田タクシー観光」の「福岡編」の原稿を、放送前にチェックしていたら、「屋台」に関してこんな表現が。

「今では一つの観光スポットになっているんです」

あれ?間違いではないとしても、何かおかしい。どこがおかしいんだろう・・・?

「一つの観光スポット」

がおかしいですね。でも、順番を入れ替えて、

「観光スポットの一つ」

では、ちょっと存在感が小さい。「一つの」ではなく「博多を代表する観光スポット」ですし、その屋台の数は「200軒を超える」とも原稿にありますから、おそらく、こう書きたかったのでしょう。

「今では一大観光スポットとなっているんです」

「ひとつの」と「一大」では、全然ニュアンスが違います。「一」は共通しているけどね。

ちょっとしたことですが、なんとなく覚えている言葉を使おうとすると、こういった間違いが出てきますね。

 

(2011、7、26)

2011年7月30日 17:31 | コメント (0)

新・ことば事情

4425「喉の渇きを・・・」

 

高田純次さんが街をタクシーで観光する「ミヤネ屋」の人気コーナー、「高田タクシー観光」ナレーション原稿をチェックしていたら、こんなフレーズが出てきました。

「つめたーいビールで、喉の渇きを潤します」

一見、スルッと見逃してしまいそうですが。ちょっーと待った!微妙におかしいゾ!

「喉の渇きを」

と来たら、そのあとは、

「癒やします」

でしょう。もし「潤します」を使いたいのなら、その前の部分から「渇き」を削って、

「喉を潤します」

が正解でしょう。微妙なところですが、これはいわゆる、

「混交表現」

ですね。間違いです。

「喧々囂々(けんけんごうごう)「侃々諤々(かんかんがくがく)が混ざってしまって、

「喧々諤々(けんけんがくがく)」

になるのと似たような種類の間違いです。また、

「火ぶたを切る」と「幕を切って落とす」が混ざって、

「火ぶたを切って落とす」

としてしまう間違いと同じ種類ですね。気をつけましょう。

 

(2011、7、25)

2011年7月30日 12:30 | コメント (0)

新・ことば事情

4424「チャックは英語だと思っていた」

 

「チャック」は「英語」だと思っていました。この本を読むまでは。

『数字とことばの不思議な話』(窪園晴夫、岩波ジュニア新書:2011621)。

この本を読んでいたら、窪園先生は、なんと「チャック」の語源は、

「巾着」

だというのです!つまり「巾着(キンチャク)」の前半を省略して、

「キンチャク」→「(キン)チャク」→「チャック」

知ってましたか、皆さん!

 

「雑学家(ざつがくや)」というサイトでは、

http://zatsu-gaku.com/gengo/090620.html

「ファスナー」と「チャック」と「ジッパー」の違いについて、以下のように記しています。(2009620日)

*「ファスナー」

=正式にはスライドファスナー(Slide Fastener)という英国式名称で一般名詞です。国際的に一番通用する言い方です。

*「チャック」

=巾着(きんちゃく)をもじってできた日本の一般名詞です。戦前に「日本開閉機会社」がチャック印という商標で販売されたファスナーが丈夫で評判が良かったため、ファスナーをチャックと呼ぶようになりました。

*「ジッパー」

=もともと米国式の呼び方で一般名詞です。ジップはファスナーを閉めるときのシューッという擬音からきています。今ではアメリカだけでなく広く世界に通用しています。

 

国語辞典で「チャック」を引いて見ます。

*『精選版日本国語大辞典』=ファスナーの商標名の一つ。洋服、バッグなどの開閉口につける口金の一種。両側についている多数の歯が、中央の金具を一方に引くとかみ合わさって閉じる。

*『デジタル大辞泉』=ファスナーの商品名。

*『広辞苑』=ジッパー・ファスナーのこと。商標名。

「商標名」としか出てきませんねえ。でも本当に現在「商標名」なのかな?語源説は、載っていません。

*『明鏡国語辞典』=ファスナーの商標名。▶「きんちゃく」をもじった造語という

お!出てきた!「という」という「伝聞体」ではありますが「きんちゃく」登場!

*『三省堂国語辞典』=[もと、商標名]ファスナー。

「三国」では「もと、商標名」として、「現在は商標名ではない。一般名詞」ということを記しています。これ、重要です。読売新聞社の『読売スタイルブック2011』でも、「チャック」は「使用可」と記されています。つまり

「商標権者が一般的名称としての使用を認めたもの(報道に限定したものを含む)」

「商標権が失効したもの」

「特定商品名と紛らわしい一般的名称」

のいずれかということです。

ここまで書いておいて、なんですが、私なんかが「チャック」で思い浮かべるのは、横山やすしさんが漫才の中で、自分で自分に「緘口(かんこう)令」を敷いて「黙っとくで」「これ以上はしゃべらん」という場合に、

「チャック、チャック」

と、自分の口にチャックをするギャグですね。

 

(2011、7、26)

2011年7月29日 22:29 | コメント (0)

新・ことば事情

4423「けさ8時半前」

 

2011722日のテレビ朝日のお昼のニュースで、立体駐車場から車が転落した事故について放送していました。その際、「時刻」を言うのに、

「けさ8時半前」

と言っているのを聞いて違和感を覚えました。

「前」

が使えるのは、8時前」「9時前」のように、

「正時のみ」

だと思います。

しかし、最近、「正時」以外にも「前」が使われているのをよく目に(耳に)します。

平成ことば事情4357「午前3時20分前」にも、そのあたりの話を書きましたので、もう一度お読みください。

それにしてもなぜ?

あ・・・もしかしたら・・・。

「8時半すぎ」

とは言うので、その「対」として、「8時半前」が出てきたのではないでしょうかね?

きょうも「8時半前」をテレビで耳にしました。やめていただきたいです。

 

(2011、7、26)

2011年7月29日 18:12 | コメント (0)

新・読書日記 2011_136

『原発報道とメディア』武田徹、講談社現代新書:2011、6、20)

 

著者は、いま一番冷静で的確な指摘をできるジャーナリストの一人だと思う。本書の中には、

「被曝者の健康調査を継続的に行う制度の開設や、晩発性障害が出た場合に治療を公費で施す医療保障制度を政府に決定させるように世論を形成していく」

「グレーなリスクについて社会全体で負っていく方向を示し、それをもって『安心』を確立してゆく。そうした流れを作ることに寄与することこそ、『基本財としての安全・安心』を確立する報道の一例にならないだろうか。」

というような提案があった。また、

「結果的にグーグルは世間で関心を持たれていることを知ろうとする人に情報提供の便宜を図り、関心によって繋がる共同体を形成してゆく」(181ページ)

という部分に付いて、その前に読んだ内田樹と名越康文の対談集『14歳の子を持つ親たちへ』(新潮新書:20054201刷・201141015刷)の中に出てきた、

「同質性のグループを作り、少数者を排除してゆく今の社会」

というのと同じだと感じた。

効率を求めていくと、そのようにならざるを得ないのか。合理化の果てにたどり着く世界は、多様性が排除された社会であろう。そして、多様性を失った社会は「もろい」のではなかろうか。

 

 


star4

(2011、7、8読了)

2011年7月27日 22:48 | コメント (0)

新・読書日記 2011_135

『ストライカーのつくり方~アルゼンチンはなぜ得点を量産できるのか』(藤坂ガルシア千鶴、講談社現代新書:2011、6、20)

 

著者は、アルゼンチン在住22年の日本人ジャーナリストで、アルゼンチン人と結婚している女性だ。本の表紙・・・というか、表紙のような存在感のある立派な帯に、

「メッシ、テベス、イグアイン、ミリート、アグエロ~得点王たちのゴールを決める技術」

と力強く記されており、その5人の写真が載っているのだから、買わないわけにいかないという感じだった。

読み終えて、やはり「アルゼンチン」のサッカー人と日本では、根本的に違うのだなと、感じざるを得ない。ただ子どもの頃は日本人もみんな「ゴールを目指す」もしくは「ドリブルをしたがる」はずだったのに、どこで変わってくるんだろ?やはり子どもたちのサッカー教育に対する方針とシステムの点で、アルゼンチンは日本とは違うと感じた。日本もユースチームの育成や高校サッカーで優秀な指導者がいるはずなのだが・・・。

そもそも「サッカーは手を使わない」と教えるのが「間違い」だというのは今になって思うが、子どもの頃はそんなの習わなかったものなあ。「身体で覚える」部分と「頭で覚える」部分のバランスが大切なのだろうな。楽しい本でした。南米選手権でアルゼンチンはPK負けしちゃったけどね。ブラジルも。ウルグアイ、なかなかすごかったな。南米もおもしろいよね。次のワールドカップはブラジルです!!

 

 


star4

(2011、7、20読了)

2011年7月27日 12:42 | コメント (0)