Top

『道浦TIME』

新・ことば事情

4391「捨象」

 

2008年の3月アメリカに住むI先輩からこんな質問をいただいていました。(この時に付けた「平成ことば事情」の番号は「3257」でした。)

「『平成ことば事情』で取り上げてほしい言葉があります。それは、

『捨象』

です。これは、呉智英が書いていた(『言葉につける薬』だったかな??)ので、それ以来気になっているのです。『捨象』というのは『抽象』と同義語であるはずなのに、『捨てる』という字に引きずられてか、ただ単に、『無視する』『考慮しない』などという意味によく使われているというのです。そういわれて本を読んでいると、哲学とか思想とかいうようなムズカシイ本のなかにもよく誤用されているようです。『広辞苑』で『捨象』を引くと空見出しで『抽象』となっていますから、呉のいうのが正しいとは思うのですが、道浦さんに現状や使用例などご教示いただければ幸いです。」

 

I先輩、ごめんなさい!3年以上もほったらかしにしていました!

忘れていたわけではなかったのですよ!いつも心のどこかに魚の骨のように引っかかっていて・・・。

で、昨晩のこと。たまたま呉智英の本を読んでいたら、『言葉の常備薬』(双葉社:20041030日)の冒頭に出てきました!

それによると、2003年10月29日付けの産経新聞当時の塩原経央・校閲部長が、個人尊重の思想が電車の中などでの「公」を無視する風潮を生んだとして、

「自己と携帯電話だけの時空に没入し、車内という『公』を捨象する」

と書いているが、この文章の意味がわからない、と。

「塩原経央は『捨象』が『抽象』と同じabstructの翻訳語だということを知らない。concreteが『具象』とも『具体』とも訳されるように、abstructは『捨象』とも『抽象』とも訳されるのである。塩原は『捨象』を『捨てる』の高級表現だと思っているのだろう。(中略)捨てると言いたいのなら平易に『捨てる』と言えばいいのだ。自分で意味のわかっていない『捨象』といったムツカシイ言葉を得意げに使って個人尊重の思想をたしなめる臆面のなさ。それこそ『自己に没入し』公を忘れ去った奢(おご)りの思想だろう。」

と、かなり手厳しいご指摘。塩原さんは、以前、新聞用語懇談会の委員としてご一緒していただけに、まるで自分が呉さんから叱られているように感じました・・・気をつけないと。

 

で、この「捨象」ですが、なぜ3年間もほったらかしにしていたかと言うと・・・私は使ったことがない言葉だったからです。恥ずかしながら「捨象」=「抽象」ということも、「abstructの翻訳語」ということも知りませんでした。「捨象」という言葉が出てくる本も(幸か不幸か)読んでいませんでした。(気付かなかっただけかもしれませんが・・・)

ともあれ、知らないことを知らない、と言える素直さは持ちたいと思っています。

 

(2011、6、23)

2011年6月25日 18:45 | コメント (0)