新・ことば事情
4371「選挙もヘチマもない」
内閣不信任案の採決を巡りもめていたきょう(6月2日)のお昼のニュースを見ていたら、今回の不信任案に関して、東日本大震災の被災地の人が、このように話していました。
「選挙もヘチマもない」
その通りだと思います。
ところで、この「ヘチマもない」という表現、なぜ「ヘチマ」なんでしょうか?
「へったくれもない」
という言い方もしますよね、いずれも「へ」で始まっています。「へったくれ」は、
「蔕(へた)」
から来てるのかな?ところで、
「ヘチマ」
というのは、漢字では、
「糸瓜」
と書きます。そのまま読むと、
「イトウリ」
ですよね。「イロハ」の並びで「ヘ」と「チ」の「間(あいだ・マ)」は、
「イロハニホヘトチルヌル・・・」
ですから、
「ト」
になります。そこで、
「イトウリ」→「トウリ」→「ヘチ間(マ)ウリ」→「ヘチマ(ウリ)」
→「ヘチマ」
となったそうです。ホンマかいな。この語源説は、関係あるのかな?
『精選版日本国語大辞典』で「へちま」を引くと、
「(3)つまらないもの、とるにたりないものをたとえていう語。へちまの皮。」
と載っていました。用例は二つ、ともに江戸時代。
*「色々いやといへども、種々教訓ゆゑ、経を頂きて候。さりながら、いただきたる経を糸瓜とも思ふにこそ」(「咄本・醒酔笑」(1628)七)
*「人のかはきたちくしゃう女が、なごりもへちまもなん共ない」(「浄瑠璃・心中天の網島(1729)中」
とありました。あ、そうすると、「つまらないもの」として挙がっている、
「へちまの皮」
が略されたのか、もしくは「ちま」が余分で、最初は、
「へ(=屁)」
であったのではないか?「屁でもない」だったのでは?
「屁とも思わぬ」
は、『精選版日本国語大辞典』に載っていました。
『広辞苑』でこの意味での用例は、「一休狂歌問答」から、
「世の中は何のへちまと思へども」
とあました。一休禅師は、室町時代ですよね?あ、
「何の役にも経たないもの。またつまらぬもののたとえ」
としての、
「糸瓜の皮」
も『広辞苑』に載ってるぞ。浄瑠璃・「丹波与作侍夜の小室節」から、
「恩も礼儀も忠孝も死ぬる身には糸瓜の皮」
ふーむ、やはり「屁」よりは「糸瓜の皮」が起源かな。
でも「何の役にも立たない」と言いながら、2番目の意味で、
「垢すりなどに用いる」
と書いてあります。「役に立ってる」やんか!ちょっとだけ。
でも、どこぞの国の政治家どもは、(3)の意味での「へちま」のようです。