新・読書日記 2011_092
『原発労働記』(堀江邦夫、講談社文庫:2011、5、13)
1978年9月から79年4月にかけて、福井県の美浜原発・敦賀原発、そして福島県の福島第一原発で「労働者」として働いた当時30歳の著者の「ルポ」。1979年に『原発ジプシー』というタイトルで単行本が出ているが、それが27年ぶりに復刊された。もちろん、「3月11日」東日本大震災で起きた福島第一原発の事故、という出来事によって復刊したのである。30年以上前ではあるが、まさにその福島第一原発でも働いていた著者。原発の「定期点検」の際に、現場の労働者がどういう状況で、どういう仕事をしていたかが、克明に分かる。放射能ももちろん怖いが、それより目の前の暑さ・息苦しさ・・・悪条件の職場の中で、ついついラクな方に行ってしまうのは仕方がないと思う。それは現在、「一時帰宅」に向かう福島の地元の皆さんの様子を見ていてもよくわかる。しかし、
「ただちに健康に異常がない」
という「ただちに」の「あと」、どうなるかを示してくれないと・・・・。
原発労働者として働いていた最後の月・1979年4月に、アメリカ・スリーマイル島での原発事故が起きる。その時に原発労働者の反応はどうであったか、も記されている。
具体的に現在、原子炉と闘っている現場の作業員の皆さんも、こんな悪条件の中で必死に頑張ってくれているのだということを考えると、一日も早く収束してくれと願うよりほかはない。
著者は、「あとがき」にあたる「跋にかえて」で、自身の現状について、
「死の淵を過去二度にわたって彷徨し、太い人工血管を全身に埋め込まれ、およそ考えつくかぎりの後遺症に次々と襲われ、そしていまでは『リハビリ難民』となってしまっている自分のからだのことを考えあわせますと、そんな長丁場の話など到底できそうもなく・・・・」
と記し、また、
「テレビに映ることも、人びとに感動を与えることも、賞賛されることもなく、コンクリートに囲まれた原子炉内の暗い暑い現場にはいりこみ、日々、放射能をその全身に浴びながら、ただひたすら黙々と働く下請け労働者たちがいることを、さらには、彼ら労働者たちの被ばく作業無くして原発は決して動かないのだ、との重い現実にも想いを寄せていただけたら、と思います。」
とも書いている。