新・ことば事情
4360「『満足げに』は上から目線か?」
「ミヤネ屋」の新しいナレーターの男性から質問を受けました。
「『満足げな表情』というのは『上から目線』のことば、偉そうな表現に感じるのですが、どうでしょうか?」
私は特にそうは感じなかったのですが、気になるのなら・・・ということで、
「満足そうに表情」
に表現を変えて放送しました。
そのあたり「~げな」は、「上から目線」なのかどうか?これも早稲田大学講師で『三省堂国語辞典』(第6版)の編纂者・飯間浩明さんに伺いました。
「これは、個人の語感によるのでしょうね。
『先生は満足げな表情を浮かべておられた』
『先生は悲しげな表情をされた』
――私にとっては、敬意は十分感じられます。おそらく道浦さんもそうではないでしょうか?
では『満足げ』が『上から目線』と感じる人はなぜそう感じるのかですが、それはご当人の分析を待つしかありませんが、想像すれば――
1. 『満足そう』に比べて『満足げ』が古い言い方だから。『いと悲しげなり』は源氏物語の時代にも言いましたが、『悲しそう』はずっと後の言い方です。古い言い方には、荘重な感じがあります。その荘重な感じを『上から目線』ととらえたのではないでしょうか。
2. もうひとつは、『げ』が方言的であるから。古い言い方は、地方に残ります。『げ』は、たとえば群馬で『うまげだ』(うまそうだ)、宮崎で『登ったげなの』(登ったそうだね)など、共通語の「げ」よりも広い範囲につきます。私の郷里香川県でも『もう行っとるげな』(もう行っているようだ)と言いますが、これも共通語の用法ではありません。こういうところから、『悲しげだ』『満足げだ』にも方言的な、つまりくだけた色合いを感じたの
ではないでしょうか。
(ちょっと余談です)人の語感はさまざまで、いやだと思う人の語感を基準にしていると、どんどん使えることばが減ってしまうという面もあります。『ご苦労さま』などはその犠牲者の最たるもので、歴史的に全然失礼ではなかったのが、今では目上に使うと失礼、という雲行きになってきました。公的な重要な、または困難な仕事をした人に対しては、『ご苦労さま』というのが礼儀なのです。たとえば、
『原発の消火に当たった消防士の方々、まことにご苦労さまでした』
と言うのは、心のこもった言い方です。
(戻りまして)『満足げな表情』の前後の文脈が分からないのですが、もしかすると、文脈がかかわっているかもしれません。そもそも人の気持ちを察して『あの人は満足している』とか『あの人は○○したいのだ』とか言うのは、そもそも失礼な側面があります。「先生、もうお帰りになりますか」は失礼ではありませんが、『先生、もうお帰りになりたいですか』が失礼なのはそのためです。『満足げな』が、そういった、文脈的に失礼になる場面で使われたのであれば、『満足そうな』に言い換えても、あまり効果は変わりません。」
ということで、飯間さんによると、特に問題はなさそうなのですが、原稿の表現に「気を付ける」ということは大切だと思いました。
ま、どんなに気をつけていても、誰かの気に触る表現が出てしまうこともあるのですが・・・。