新・読書日記 2011_064
『ニッポンの書評』(豊﨑由美、光文社新書:2011、4、20)
ネット上でこうやって『読書日記』を書いているので、「書評」には興味がある。もっとも私が書いているのは「書評」ではなくて「読書日記」「読書感想文」であるが。そういう自覚を持ってやっているつもり。他人が見る(読む)ことは意識しつつも、基本、自分の内側に向けて書いている感じなので、その点はそもそも「プロ」の手による「書評」とは違う、と思っている。
でも本書では、ブログでの「感想文的書評」もまな板に乗せているので、
「俺のも"書評"と見られてメッタ斬りにされるのではないか?」
とちょっとコワイ。
著者の本は『百年の誤読』を読んで「おもしろい!」と思ったが、あともう一冊、別の書評本を買って読みかけたら、難しく高尚過ぎて(取り上げた本の趣味が合わなくて)読みかけで放り出してしまったが、この本は、やや趣味が合ったので読めた。
「書評でヘタクソに書かれたら商売上がったり!」というプロの作家の意見・立場も判るが、その本を「金を出して購入した立場」から言わせてもらうと、
「金出して買うてるんやから、おもろなかったら、ちょっとぐらい文句言うてもええやろ」
とも思う。ただ、本当は「おもしろい、はず」と思って購入しているのだから、もし万が一、面白くなかったら、
「自分の"本を見る目"がなかったのだ・・・」
と反省する必要もあると、私は思ってる。つまり、無理矢理与えられた本の書評でない限り、本来は「おもしろい!」としか書けないはずなのだ、自分で選んだ本の感想は。そうは思いませんか?ま、そうでないということは、「本を見る目がない」ということで・・・。私ですか?まだまだです。
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