新・ことば事情
4355「全然+肯定形」
「全然」は、否定形「ない」を伴う
というのは、歴史的に見ると必ずしも正しくない。という認識が、現在は少しずつ広がっているとは思いますが、でもやはり安定した形は「全然+ない」(否定形)と思っている人は多いことでしょう。
よく鴎外や漱石が「全然+肯定形」を使っている例が引き合いに出されますが、私は物理学者寺田寅彦が昭和の初め頃に使った「全然+肯定形」の例を見つけました。
『寺田寅彦随筆集第五巻』(岩波文庫)の中に納められた「地図をながめて」という随筆。新田次郎原作の映画『劔岳・点の記』を彷彿させる文章内容です。その中で、
「死因も全然不明であったのである。」
と「全然」が出てきました。昭和九年(1934年)の記述です。「不明」が「肯定」か?と言われると、
「不明=明らかではない(=わからない)」
ですから、
「否定的なニュアンスを含んだ肯定」
ではありますが、少なくとも見た目は「全然+ない」の形ではありません。
ちなみに、そこに出てくるものの値段は、
「五万分の一地形図」=1枚13銭
「計測作業の費用」=2000~3000円、「三角測量の経費」も入れて1万円ぐらい。
手間と金のかかった成果物である「5万分の1」の地図が、
「それだけの手数のかかったものがわずかにコーヒー一杯の代価で買えるのである」
とあります。つまり、「13銭」というのが「コーヒー1杯」の値段。今で言うと、カフェだとそうですねえ、300円ぐらいですかねえ。ちょっと安いな。きっとこれは地図が「1300円ぐらい」で、コーヒーは1300円ぐらいの、当時は高級なものだったのではないでしょうか。今だったらホテルのラウンジで飲むような。おそらく、物価は現在の1万倍ぐらいじゃないかなあ?と思いました。