新・ことば事情
4346「であったりする」
『日本代表の冒険 南アフリカからブラジルへ』(宇都宮徹壱、光文社新書:2011、2、20)
という本を読んでいたら、
『日々成長と変化を続けるマラドーナ監督は、私の中では岡田武史と並ぶ「今大会注目の指導者」であったりする。』(221ページ)
という表現が出てきました。この文末の
「であったりする」
に注目しました。
「『今大会注目の指導者』である」
というように「断定」をなぜしないのか?著者は、
「私の中では」
と、「客観的な注目株ではない」ということまでわざわざ断っているにもかかわらず、断定しない。これは10年ほど前から出てきた若い女の子の、
「おいしいかも~」
「欲しいかもしれな~い」
というような表現と似ています。つまり、
「自分の気持ち・考えで、既に断定できるだけの気持ちがありながら、それをはっきりいうことをためらっている物言い」
だと思います。なぜ、そうなるのか?この文末を見てこう思いました。
「それは、『著者のテレ隠し』・・・であったりする」
のではないでしょうか?
2000年3月(なんと11年前!)に書いた「平成ことば事情97 いいかもしんな~い」も、読んでもいいかもしんな~い。