新・ことば事情
4330「カダフィ大佐か?カダフィ氏か?」
リビア情勢が緊迫の度を強めています。いまや「内戦状態」のようです。
ところで、このリビア情勢で出てくる「カダフィ」の肩書ですが、
「大佐」でしょうか?「氏」でしょうか?
テレビは、各社、
「大佐」
で放送しているようですが、新聞にはバラつきが見られます。基本、朝日・毎日・産経新聞(と共同通信・時事通信)は「大佐」、一方、読売新聞は「氏」です。
2月22日の朝刊を見ると、一つの新聞の中でも各社、「混在」しているように見えます。これは以前からなのか?また混在(統一)の理由は?何か根拠があるのでしょうか?
そのあたり、各社の知り合いに聞いてみました。
まず、「カダフィ氏」に統一している読売新聞は「2月19日付のミニ解説」で、その辺の事情を記しているとのことです。それによると、
「カダフィ氏=1969年の無血クーデターで王政を打倒したリビアの最高指導者。クーデター後、大尉から大佐への昇格が発表された。現在、公的な肩書はない。欧米メディアなどは「カダフィ大佐」としているところが少なくないが、本人は「もう軍人でも大佐でもない」と説明している。」
とのことです。「氏」の表記は2009年夏ごろから表れ始め、直近での「大佐」の記述は、今年(2011年)1月7日朝刊のウィキリークス関係の記事で、
「カダフィ大佐関連 公電暴露 駐リビア米大使離任か」
の見出しと記事で例外的に登場したぐらいで、これを除くと2009年9月14日朝刊の「編集手帳」で出た「大佐」が最後。そのぐらい「氏で統一」されているようです。
また、毎日新聞は基本的には最初に「大佐」、あとは「氏」としているそうです。これは「カダフィ」に限ったことではなく、最初だけ「肩書」、あと「氏」というのが毎日新聞では一般的な書き方で、今後も「大佐」で行く方針だとか。
産経新聞の知り合いからもご意見いただきました。
「使用状況としてリビアのカダフィの肩書は、初出は基本的に『カダフィ大佐』、その記事の2度目からは『カダフィ氏』のケースがほとんど。これは産経新聞のハンドブックの「(記事)スタイルの基準 氏名の表記」に準じている。たとえば日本の政治家の記事で、枝野幸男官房長官が何度も出てくる場合、そのつど「枝野官房長官」とせずに、同じ記事では2度目から「枝野氏」としているのと同じ。もちろん、ずっと正式の肩書をつけても構わないが、あまり見ない。活字媒体ゆえの字数の制約もあり、国内外の記事を問わずそうしている例が多い」
また、報知新聞の方からもご意見を頂きました。
「軍事上の最高階級が大佐だったため『カダフィ大佐』と呼ばれているという説や、『カーネル・カダフィ』と名乗っていたため直訳して『カダフィ大佐』となった説がある」
と。そして、「ウィキペディア」の記述をひいて、
「『リビア人民局(大使館)はカダフィはいまだに大佐だと説明している』とのことなので、これが本当なら、リビア国の公式見解にしたがって各紙『大佐』と表記しているのではないか?」
とのことご意見も頂きました。
またわが社の『ウェークアップぷらす』のCPであるY氏は、
「英語でColonel Qadhafiとも。Colonelは日本語の大佐。カダフィが尊敬しているエジプトのナセル大統領が『カーネル』であったから『大佐』と名乗っているとの説が。よく昔は書かれていた。『カーネル』は『指導者』という訳もあるそうだ。」
という意見をくれました。皆さん、ありがとうございます。
そして、今週木曜日(3月10日)発売の『週刊文春』でジャーナリストの池上彰さんがご自分のコラム「そこからですか!?第20回」で、まさにこの問題「カダフィ大佐はなぜ大佐?」について「解説」されていました。それを要約すると、カダフィは1968年、リビア軍の大尉のときに仲間の将校たちとクーデターを起こし、国の最高機関である「革命評議会議長」に就任、その後1979年に一切の公職から退くと発表、建前上はなんの役職にも就いていないが、依然として最高指導者であることには変わりはない。そしてカダフィが「大佐」と呼ばれるようになったのは、カダフィが傾倒したエジプトのナセル大統領がクーデターを起したときの軍の肩書が「大佐」だったので、それにならって自分の肩書も「大尉→大佐」に昇格させた。本人が名乗らなくなった後も、呼び名に困ったマスコミは「大佐」を使い続けた、としています。つまり「ウェークアップ」のYプロデューサーが言っていたのと同じ理由ですね。