新・ことば事情
4198「『経つ』はなぜ常用訓にないか?」
「ミヤネ屋」で字幕スーパーのチェックをしていて、いつも「あれ?」と思うのは、
「時間が経つ」
の「経(た)つ」が、常用漢字表の訓読みに「ない」ことです。これは、普通は、
「たつ」
と読めますよね。そして、
「時間(とき)の経過の際に使う」
ということも共通認識としてあるんじゃないか、つまり
「みんな、読めるんじゃないか?」
と思うわけですが、「常用訓」には入っていないので、仕方なく平仮名で、
「時間がたつ」
としているのです。若いスタッフからも、
「読めると思うんですけどねえ・・・」
という声が出てきます。なぜ「常用訓」に入っていないんだろうか?と考えていたところ、ハタと思いつきました。
「経つ」は、(先ほども書いたように)「時間が経つ」、「年月(ねんげつ)が経つ」。つまり「漢語(=時間)」に付くので、新しい。
一方、「和語」の「とき」や「としつき」の後に来る動詞は「経(へ)る」。
常用漢字表の「訓読み」に、同じ意味での「ふた通りの読み方」を防ぐ意味もあったのではないか?
ということなのですが、いかがでしょうか?
違うかもしれませんが、それならなぜ「た(つ)」という訓読みを「経」に認めなかったのでしょうね?
どなたかご存じの方、ご教示下さい。
(追記)
「ご教示ください」
と呼びかけたところ、早速アメリカ在住のI先輩からメールが届きました。
「経ると経つの違いについて、愚考します。
(1)漢語をとるか和語をとるかは関係ないのではないか。
例:「年月を経て」も「時が経つ」もあると思う。
(2)違いは、「時が経つ」にたいして「時を経る」と、「が」をとるか、「を」をとるかの違いではないか。つまり、「経つ」は時間的単語を主語にとるが、「経る」は時間的単語を主語ではなく目的語(?)にとることではないか。
とのことです。
ありがとうございます。ご指摘は(1)(2)とも、もっともですが、ポイントは、
「なぜ『経(た)つ』という読みを常用訓に取らなかったか?」
の「理由のコジツケ」なので・・・。当然(1)の「時が経つ」もありますね。
やはり「コジツケ」だけに「無理があった」ということかもしれません・・・。