新・読書日記 2010_186
『善人ほど悪い奴はいない~ニーチェの人間学』(中島義道、角川ONEテーマ21:2010、8、10)
善人ほど悪いと。自覚がないから。じゃあ悪を自覚してる悪人の方がましなのか。そもそも善悪の基準は?ニーチェが指摘した「弱さを武器にした悪臭」。
『ヒトラーの率いるナチスは、多くの国民に頭が相当悪くても理解できるようなわかりやすい希望と目的を示した。(中略)マヌケでもウスノロでも役立たずでも、ドイツ人というだけでもう合格なのだから、こんなにラクで簡単なことはない。ドイツ人というだけで自分は自動的に「ダメ人間」ではなくなるのだ!』
『しかも、ヒトラーが、こうした単純きわまりない思想以外のすべての思想を徹底的に弾圧することによって、「健全な」国家を望んでいたことを忘れてはならない。』
タイトルは、弱者を武器・売り物にする奴ほど悪い奴はいない、という意味か。
中島義道の本は、もう「卒業」したつもりだったが、この前「ニーチェ本」を読んだのでその関連で「読んでみようかな」と買ってしまった。しかも3分の1ぐらい読んでから、自分の部屋の「積んどく」の山の中に同じ本があるのを発見・・・久々に「二冊買い」をやってしまった・・・。
うーん、難しい。ニーチェが『超訳ニーチェの言葉』にあるような「超人」ですごい人ではなく、悩んで悩んでついには発狂したというような背景を書いてある。著者は「超訳」本が売れているのを危惧して、この本を書いたと「あとがき」に書いてある。「まえがき」には「2ちゃんねる」に匿名でウサ晴らしの書き込みをするような奴らが、ニーチェを気取るなというようなことも書いてある。相変わらず挑戦的である。
「善人」と聞いて思い出すのは、中学か高校の時に読んだ大西赤人の『善人は若死にする』だが、この「善人」と、本書の「善人」とは(同じ言葉だが)、ちょっと意味が違うような気がした。本書では「善人=大衆=群集=畜群」という捉え方。「畜群」って、ひどい言葉だな。
少数の「エリート」であろうとしてそれが叶わなかった、また、巷でのそんなことのために努力をすることは、既に「エリート」のすることではないというジレンマに悩み苦しんだニーチェの一面を知ることができる一冊ではありました。