新・読書日記 2010_206
『これからの「正義」の話をしよう』(マイケル・サンデル、鬼澤忍・訳、早川書房:2010、5、25第1版・2010、6、22第22版)
1章=約40ページ。それを読むのに1時間かかる!買ってから10章読み終えるのに、なんと4か月もかかった!難しかったあ・・・。
NHK教育テレビのこの番組も、2回ほど見たが、面白いけど難しかった。なんだかごまかされているような気分にも・・・。いつもおんなじ学生が答えていたし、やはりサンデル先生が熱弁していても居眠りしてる学生もいたし。ハーバードでもそれなら・・・とちょっと安心。もちろん英語の授業だから、私でも最初から居眠りだろうが、もし英語が完全に分かったとしても、居眠りするだろうから。
しかし読んでいて時々「おっ!」と目が覚める「お題」もあった。例えば「チアリーダー」を巡る話。これって「アナウンサー」にも共通する話題だなあ。つまり「性質と目的を決める」という項目。
「チアリーディングのような社会的営みには、機能的な目的(選手の応援)だけでなく、名誉や規範性にまつわる目的(特定の長所や美徳の称賛)がある。」
というのは「なるほどなるほど」と思いました。
それと、こういった「哲学」のように、簡単には答えが出せない「よく似たもの」を、以前、クイズのように尋ねられたことがあったのを思い出した。ものすごく「下世話な」・・・というか「下品な」たとえで恐縮ですが、10年か20年前にありませんでしたか?・・・・・
「ウ○コ味のカレー」と「カレー味のウ○コ」の2つしかなく場合、どちらかを食べなければ死んでしまう場合、さあ、どっちを食べる?という「究極の選択」、これを思い出した。
この本では、「ナチス占領下のフランスを、フランスのレジスタン運動のメンバーが『故郷の村を爆撃せよ』と命令された場面で、『任務を免除してほしい』と願い出た。このレジスタンスの兵士の行動に共感できるかどうか」というのも、一種の「究極の選択」であろう。こっちの方が"命"がかかっているから、もちろん重要な選択なんですけど。
そう考えると、人生というのは常になんらかの「選択」を強いられ、「選択」し続けているようにも思えますね。さあ、今日の夕食は、カレーか・・・。