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『道浦TIME』

新・読書日記 2010_207

『わたくしが旅から学んだこと』(兼高かおる、小学館:2010、9、6第1刷・2010、9、22第2刷)

わあ、兼高かおるさんの本だ!!と思って購入。もう80歳になっているんですか!ひえー・・・って、私も50になろうとしているんだから、特に不思議はないのですが・・・。

写真も載っていて(なんと水着姿も!)、懐かしいなあと思いながら、「時代」を感じますねえ。その「時代」に、最前線で出会って見続けてきたということが素晴しいと思います。ある意味、トム・ハンクスの映画『フォレストガンプ~一期一会』の主人公を"地で"過ごした方なのではないでしょうか。お元気で!ありがとう!


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(2010、10、12読了)

2010年10月29日 13:23 | コメント (0)

新・ことば事情

4189「パウル君天国のゴール」

 

20101027日の各紙朝刊に、南アフリカワールドカップで一躍有名になったドイツのタコ「パウル君」が死んだという記事が載っていました。一般紙のその記事の見出しは、

(読売)パウル君天国へ

(朝日)予言ダコ天に召される~パウル君老衰で

(毎日)パウル君逝く

(産経)パウル君天国に"ゴール"

(日経)W杯予想的中~タコのパウル君大往生~29か月老衰

スポーツ紙は、

(日刊スポーツ)死んじゃったパウル君

(スポーツニッポン)予言ダコパウル君死す

(スポーツ報知)パウル君大往生

でした。(ま、「予言」ではなく「予想」でしょうけどね。)

動物が死んだ時には「死亡」は使わないというのはかなり浸透しているようで、「死亡」とした記事は見かけませんでした。しかし、単に「死んだ」だと芸がないので、各社いろいろと工夫を凝らしています。

「天国」

は過去に見たことがありますが(「平成ことば事情136海くん、死亡」「271犬、死亡」「4068すなめり死亡」参照)

「天に召される」

初めて見ました。「天国」でも十分キリスト教の香りがしますが、「天に召される」だとその傾向がさらに強く感じます「パウル」って名前、「十二使徒」の中にいましたよね?いませんでしたか?

産経新聞の、

「天国に"ゴール"」

というのは、サッカーワールドカップの試合予想で有名になったので、サッカーの得点の「ゴール」というのと、競走などでの「ゴールイン」をかけているのでしょうね。でも、ちょっと意味が違うかと。

日経と報知の、

「大往生」

は、死因が「老衰」で、タコとしては長生きだったのでしょうけど、

2歳9か月」

「大往生」はそぐわないような・・・。それにしても、タコってもっとずっと長生きするイメージがあったのですが(海底の大ダコなんて、何百年も生きていそうな・・・『海底二万マイル』のイメージでしょうか?)

毎日の、

「逝く」

はシンプルですが、これもかなり擬人化されてないと使いにくいですよね。タコだし。

スポニチの

「死す」

は、「ヴェニスに死す」みたいでカッコイイ。

日刊スポーツ

「死んじゃった」

は、かわいい感じがします。意外!というイメージも。

パウル君は、死後に火葬されるそうですが、「骨」は、ないよなあ。

 

(2010、10、28)

2010年10月28日 20:56 | コメント (0)

新・読書日記 2010_206

『これからの「正義」の話をしよう』(マイケル・サンデル、鬼澤忍・訳、早川書房:2010、5、25第1版・2010、6、22第22版)

 

1章=約40ページ。それを読むのに1時間かかる!買ってから10章読み終えるのに、なんと4か月もかかった!難しかったあ・・・。

NHK教育テレビのこの番組も、2回ほど見たが、面白いけど難しかった。なんだかごまかされているような気分にも・・・。いつもおんなじ学生が答えていたし、やはりサンデル先生が熱弁していても居眠りしてる学生もいたし。ハーバードでもそれなら・・・とちょっと安心。もちろん英語の授業だから、私でも最初から居眠りだろうが、もし英語が完全に分かったとしても、居眠りするだろうから。

しかし読んでいて時々「おっ!」と目が覚める「お題」もあった。例えば「チアリーダー」を巡る話。これって「アナウンサー」にも共通する話題だなあ。つまり「性質と目的を決める」という項目。

「チアリーディングのような社会的営みには、機能的な目的(選手の応援)だけでなく、名誉や規範性にまつわる目的(特定の長所や美徳の称賛)がある。」

というのは「なるほどなるほど」と思いました。

それと、こういった「哲学」のように、簡単には答えが出せない「よく似たもの」を、以前、クイズのように尋ねられたことがあったのを思い出した。ものすごく「下世話な」・・・というか「下品な」たとえで恐縮ですが、10年か20年前にありませんでしたか?・・・・・

「ウ○コ味のカレー」と「カレー味のウ○コ」の2つしかなく場合、どちらかを食べなければ死んでしまう場合、さあ、どっちを食べる?という「究極の選択」、これを思い出した。

この本では、「ナチス占領下のフランスを、フランスのレジスタン運動のメンバーが『故郷の村を爆撃せよ』と命令された場面で、『任務を免除してほしい』と願い出た。このレジスタンスの兵士の行動に共感できるかどうか」というのも、一種の「究極の選択」であろう。こっちの方が"命"がかかっているから、もちろん重要な選択なんですけど。

そう考えると、人生というのは常になんらかの「選択」を強いられ、「選択」し続けているようにも思えますね。さあ、今日の夕食は、カレーか・・・。

 


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(2010、10、16読了)

2010年10月28日 19:22 | コメント (0)

新・読書日記 2010_205

『天使の相棒~杉浦忠と長嶋茂雄』(ねじめ正一、集英社:2003、10、29第1刷・2003、12、30第2刷)

読み終わって奥付を見て、「え?そんなに前に出たものだっけ?」と。これもまた、読まずに積まれていたまま時を経てしまった一冊。

主人公はもちろん杉浦。プロに入ってからの日本シリーズ・血染めの4連投4連勝は「エピローグ」にすぎず、中学・高校から大学での杉浦のことが、詳しく書かれている「青春モノ」。本当は早稲田の政経に行って新聞記者になりたかったのに、セレクションで立教大学に行った事で長嶋と出会い本屋敷と出会い・・・みんな若かったんだなあ・・・と。

サブマリン(下手投げ)になった時のきっかけなどは初めて知った。

私は長嶋の現役選手時代は、一部リアルタイムに知っているが、杉浦の現役選手時代は知らない。杉浦といえば、「南海ホークス最後の監督」としてだけしか知らないので、この本は新鮮に読めた。爽やかな読後感。


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(2010、10、26読了)

2010年10月27日 12:42 | コメント (1)

新・読書日記 2010_204

『笑う科学イグ・ノーベル賞』(志村幸雄、PHPサイエンス・ワールド新書:2009、11、4)

去年購入、1年経ったノーベル賞ウイークに読み出して、ようやく読了。

イグ・ノーベル賞20年の歴史の中でも、日本人の受賞者がこんなにいるとは!笑い・パロディーの精神と、役に立たないことに力と情熱を注ぐことに敬意を表すること、それは"文化"だよなあ。また、イグ・ノーベル賞受賞者からノーベル賞受賞者が出てるんだから、バカにしたものではない。

「ピカソとモネの作品を識別するハト」、「兼六園の銅像がハトに嫌われる理由の化学的考察」、「バニラの芳香成分『バニリン』を牛糞から抽出」、「犬の言葉がわかる『バウリンガル』」も、もちろんおもしろいが、2000年に医学賞を受賞した「性交中の男女の生殖器と性的に興奮した女性のMRI撮影」って・・・何を"研究"してんねん!

 


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(2010、10、24読了)

2010年10月26日 19:41 | コメント (0)

新・読書日記 2010_203

『恐れるな!~なぜ日本はベスト16で終わったのか?』(イビチャ・オシム、角川oneテーマ21:2010、10、10)

 

オシムが言ってることは終始一貫しているのだろう。今回の本が前作よりはわかりやすく、前向きな提言のように感じたのは、受け止める"こちら側の"意識の変化だろう。

「日本はオランダに勝てた!」「森本を起用すべきだったのか?」「PK戦の選手心理・監督心理」、「選手のスピードにはプレー・考えること・ランニングの三つがあるが、日本選手には前二者のスピードに欠けること」、「チーム・キャプテンとゲーム・キャプテンを置いたことの意義」、「カウンターのできる選手を見つけること」、「野心を持て!」「松井は、いつサッカー選手をやめてもフランス語の通訳で食っていけるぐらい、流暢にフランス語をしゃべる」、「メンバー構成における監督の手腕と難しさ」、「南米勢のメンタリティ」、「ブラジルはなぜ負けたか?」、「狂気のプレイヤーをさがせ」など興味深い内容。

本田を評価しつつも、「パラグアイ戦での左足シュートは、エゴイズムによるものだ」と厳しく批判している。

それにしても、監督をやめたあとにもこのような日本代表を強くするための本を書いた外国人監督がいたか?(ファルカンやトルシエやジーコがそんな本を書いたか?)そんな人は、オシム以前で言うと(代表監督ではないが)、D・クラーマーぐらいではないか。帯には「ザックジャパンに告ぐ!」とあった。

 

 


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(2010、10、24読了)

2010年10月26日 12:39 | コメント (0)

新・読書日記 2010_202

『タバコ狩り』(室井尚、平凡社新書:2009、6、15)

 

著者は、この本を読み出せばすぐ分かるように「喫煙者」。途中でそれを「自白」しているが、最初に立場を記しておくべきだ。あ、私は「非喫煙者」です。

「喫煙者」の立場から「受動喫煙の害はない」と言われても、煙は明らかに煙い。そもそも、当事者たる喫煙者が何を言っても信用されない。当事者の喫煙に関する報告は信頼できないのではないか?

ただ・・・なぜタバコを吸わない私が、タバコに関する本を結構、読むかと言うと、昨今の「タバコ迫害」は、明らかに度を超していると思うからだ。「禁煙ファシズム」などとも言われるが、確かにそういった傾向が強い。そこまで追い詰めなくても・・・という思いは、「弱い立場の者を容赦なく追い詰める昨今の風潮」に"異議"を唱えるためである。

とは言うものに、歩きタバコの風下に立ったときには「このやろう!」と思う。ポイ捨てをするのは喫煙者だけだ。「なんでこんなところに捨てるねん!」と腹立たしい。でも・・・。うーん、やはり非喫煙者でタバコを擁護する人でもないと、信用はされないのだろうなあ・・・。そこまで私がタバコを擁護するかと言うと・・・・ねえ・・・。

でも、タバコ迫害者たちが根拠とするデータが、実はあまり信用がおけないものである、というこの本の主張には、納得できる部分がある。好き嫌い、憎む憎まないとは違う地点から、客観的にデータを扱うことが必要なのだが・・・。


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(2010、10、13読了)

2010年10月25日 12:56 | コメント (0)

新・読書日記 2010_201

『日本語は敬語があって主語がない~「地上の視点」の日本文化論』(金谷武洋、光文社新書:2010、9、20)

 

著者はカナダに住んでいて、『日本語に主語はない』等の著作がある。その意味では「主語がない」シリーズ?なのか?

第一章の「英語で視点が移動する『雪国』」は「なるほど」と思った。翻訳とはそういうものかも知れない。第二章の「『あげる』と『くれる』は敬語だった」も"少し"「なるほど」と納得。しかし最後の第五章「俳句と相撲と庭園と」になると、「文化論」になってしまい、これはちょっと「そうかなあ・・・」という、著者の思い込みの強い部分が出ていた。面白いけど、万人が「そうだったのか!」とは思えないだろう。なお、一番最後に書いている「宇多田ヒカルと英語のパワー」は「宇多田」ファンとしては、真っ先に読んで、「たしかに」とは思ったけど「それで?」という感じでもあった。

 


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(2010、10、9読了)

2010年10月24日 19:54 | コメント (0)

新・読書日記 2010_200

『日本一難しい!?究極の日本語クイズ』(中村裕+日本国語大辞典編集部・編)

小学館「ワンコイン」言葉シリーズ、第3弾!

「世界最大の日本語辞典『日本語国語大辞典』から出題する、言葉のウンチククイズ200問」「全問正解したあなたは『世界一の日本語マスター』です!」と表紙に。たしかに、めちゃくちゃ難しい。全問(200問)正解どころか、20問だって難しいと思う。著者の中村さんは、『日本国語大辞典・第二版』を完全読破したそうです。...すごい!13巻もあるんですよ!私が読破したのは、せいぜい1620ページの『新明解国語辞典』ぐらいです。

勉強になったものを挙げると、「ほくそ笑む」の「ほくそ」とは?・・・・・「ほくそ」を漢字で書くと「北叟」。意味は中国北辺の老人で、『淮南子~人間訓』に出てくるあの「塞翁が馬」の「塞翁」のことをさすのだそうです。「塞翁」は、世の喜憂・善悪いずれにもほほえんだからだって。

また、「大無人、天無人、王無中、罪無非、吾口無、交無人、切無刀、分無刀、丸無点、千無点」って、一体何のこと?~僧侶の間で使われた「字謎」だそうです。答えを見たら、「あ、これみたことある!」と思い出しましたが。

そして、第200問「春三夏六秋一無冬」は、あることの回数をさすと・・・・。答えはなんと「四季における理想的な性交の回数」。「無」は「ゼロ」という解釈と「制限はない」という解釈とがあるそうですが。最後にこんな問題を持ってくるという、意図は一体!?

 


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(2010、10、18読了)

2010年10月24日 12:34 | コメント (0)

新・読書日記 2010_199

『阪急電車』(有川浩、幻冬舎:2010、8、5第1刷・2010、8、25第3刷)

 

「情熱+正義感=青春」

 

だなあ・・・としみじみ。有川浩の本は「三匹のおっさん」しか読んでいなかったが、「さわやか」です。映画も楽しみ。

もう、シンプルな感想で。あとは読んでね。

 


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(2010、10、13読了)

2010年10月23日 23:33 | コメント (0)

新・読書日記 2010_198

『茨木のり子集 言の葉2』(茨木のり子、ちくま文庫:2010、9、10)

詩もさることながら、エッセイでの評伝が興味深い。この第2巻では、金子光晴、谷川俊太郎、吉井勇など。また、山形出身の母の東北弁についてのエッセイや、ハングルについての思いも興味深い。横光利一が庄内地方に疎開していたときに、村の娘たちの言葉がまるでフランス語を聞いているようだと感嘆して『夜の靴』という随筆集に書いていたそうな。「私の祖国と呼べるものは日本語だと思い知りました」という言葉は、石垣りん『ユーモアの鎖国』からだと知りました。また、「いちど視たもの」では過激な「天皇制批判」。「奴隷根性」という表現で、返す刀で「民衆批判」。うーん、斬りに来ているな。

このシリーズ「3」も出ているようなので、読んでみようと思います。


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(2010、10、17読了)

2010年10月23日 12:30 | コメント (0)

新・ことば事情

4188「陰の総理か?影の総理か?」

 

1018日の「ミヤネ屋」で、こんな同音異義語の間違いが。

×「仙谷氏の影に隠れて」→○「仙谷氏の陰に隠れて」

これは、放送に出る前にチェックして直しました。ちなみに、

「影の内閣」

というのは、

「シャドー・キャビネット」(Shadow Cabinet

の訳なので「影」でOKです。何かに隠れて見えないところが「陰」、物(人)に光が当たった後ろにできる黒いのが「影」。『新聞用語集2007年版』192193ページに載っています。

さて、ここでまた一つ、質問が出ました。仙谷官房長官を指して、

「カゲの総理」

と言われることがありますが(国会の野次などで)、この場合の「カゲ」は、「陰」でしょうか?それとも「影」でしょうか?これは、

「陰の総理」

が正しいと思います。『新聞用語集』をひもとくと、

「陰の実力者」

「陰弁慶(=人のいないところでばかり強がり、人前ではいくじのないこと。またその人。内弁慶。隠れ弁慶)

などで「陰」が使われており、一方「影」は、

「影武者」「影法師」

などです。「影」そのものは「力を持っていない」ですが、「陰」は「実は、力を持っている」ということのようですね。この例から行くと。

この日、読売テレビ夕方のローカルワイドニュース番組「ten!」を見ていたら、

「影の総理」

というスーパーを出してしまいましたが、あれも本来は、

「陰の総理」

と出すべきだったでしょう。

もひとつちなみに、1018日発売の『週刊現代』の特集記事の見出しと本文も、

「陰の総理」

でした。Google検索では(1019日)、

「陰の総理」=40800

「影の総理」=11100

でした。

 

(2010、10、19)

2010年10月22日 19:15 | コメント (0)

新・ことば事情

4187「映画『インビクタス』を観て思ったこと」

 

えー、なんだか小学生の感想文のタイトルみたいになっちゃいましたが・・・時々こういった映画の中から気付いたことを書いております。

クリント・イーストウッド監督作品『インビクタス~負けざる者たち』。映画館で観たかったのですが見逃してしまって、ようやくDVDで観ました。南アフリカが舞台ですから、サッカーワールドカップ・南アフリカ大会のあった今年、観るしかないと。ようやく借りてきました。

ネルソン・マンデラ大統領を演じたモーガン・フリーマンこの人しかいないという感じですね。たしかアメリカの大統領も演じてましたよね、オバマ大統領より早く、「黒人」の(白人ではない)大統領を。

そのモーガン・フリーマン演じるマンデラ大統領の言葉に「お・・・」と思うフシがありました。

映画でのメインで取り上げられたのは、「ラグビー南アフリカ代表」で、愛称は「スプリングボクス」。

しかし、国は「白人の国」から「黒人の大統領の国」へと変わったのに、「ラグビー南アフリカ代表の愛称」も「国歌」も、国が変わる前のまま。そしてラグビーのワールドカップを開催国なのに、チームは弱いまま。国民は皆、

「チームの愛称を変えよ!」「国歌を変えよ!」

と迫ります。当然そうだよなと思ったときの、マンデラ大統領(フリーマン)の言葉が、

「愛称も国歌も変えてはならない。国歌はアフリカーナー(南アフリカに住む白人)たちの誇り。それを変えれば、国は崩壊する」

というものでした。それを聞いて、「あっ」と思ったのは、

「敗戦時の日本における天皇制」

についてです。戦争責任だなんだということであれば、責任者やその体制をすっかり取っ払ってしまうのが、正に手っ取り早いのかもしれませんが、その後、そこに住む「国民」が「国を再建」するためには、その「精神的な支柱」が必要。しかも「南アフリカ」の場合は、勝った黒人と、負けた白人が力を合わせて、これまでの、

「人種隔離政策(アパルトヘイト)」

を打破して「ひとつの国」を作り上げていかなくてはならないのです。マンデラ大統領は、その困難さを知っていました。そして、どちらの力がなくても(黒人か白人か、どちらか一方の力だけでは)、それは、なしえないことも知っていました。そのためには、負けた側の白人のプライドのよりどころである「スプリングボクス」という愛称や「国歌」を、

「国の体制が変わったからと言って、即座に葬り去ることは出来なかった」

のです。振り返って日本の場合「天皇制」は国民の精神敵支柱であったのでしょう。それがために負けたとしても、それをすぐに取り去ることは出来なかった。新しい「民主主義」という価値観を、「天皇制」を維持することで根付かせようというのが、アメリカ側の「日本再建策」だったのではないでしょうか?

その意味では、もしかしたらマンデラ大統領は、「アメリカの日本統治政策」を勉強していたのかもしれません。

そういったことを、この映画を観て感じました。

サブタイトルの「負けざるも者たち」とは、一体、誰を指すのか?「スプリングボクス」のメンバーだけではなく、「南アフリカの国民全体」を指すのかもしれません。「たち」という「複数形」が効いています。

それから15年の歳月が流れ、今年(2010年)今度はサッカーのワールドカップまで開催した南アフリカですが、この国はまだ完全にひとり立ちしたとはとても思えませんが、この映画を見る限り、いつの日か、立ち上がってくると感じざるを得ません。

それにしても今年の夏は、ワールドカップにかこつけて「南アフリカの赤ワイン」をよく飲んだなあ。ああ、おいしかった。

 

(2010、10、19)

2010年10月22日 12:14 | コメント (0)

新・読書日記 2010_197

『強運の持ち主』(瀬尾まいこ、文春文庫:2009、5、10第1刷・2010、7、5第5刷)

書評で見て・・・と言っても、1年も前の書評のスクラップが出てきたので、ためしに、いつもの本屋さんに頼んでみた。翌日配達してくれた。この著者の本を読むのは初めてだった。軽く読めて楽しい。占い師が主人公。明るいなあ。特に何かが残るというものではなく、気晴らしに。

 


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(2010、10、13読了)

2010年10月21日 23:23 | コメント (0)

新・ことば事情

4186「子の付く名前の女の子」

 

先週、保育所に通う娘の運動会がありました。娘も、もう最上級学年。保育所で最後の運動会になります。とはいえ、まだ小さい子どもたちばかりの保育所ですから、かわいいです。みんなおそろいでピンクに染めた上着(夏に行われた「お泊り保育」の時のために作ったもの)には、それぞれの「ファースト・ネーム(=下の名前)」がひらがなで記されたゼッケンを付けています。それを見ていて、改めて「ハッ!」と気付きました。女の子の名前についてです。

 

「みづき、みう、みゆ、まお、あかね、みつき、いろは、ももか、のぞみ、のあ、ひなの、はるの、みずき、みさき、ひな」

 

本当に「子」の付く女の子の名前が、いません。実は、うちの子供は、

「なおこ」

という、ごく普通の名前(だと思う)ですが、ほかに「こ」が付く子は見当たらないのです。

少なくとも私の学生時代までは、同級生も後輩も先輩も、周囲の女の子は、ほとんど「子」が付いていましたが、21世紀に入って10年経ついまや、本当に、

「『子』の付く名前の方が珍しい時代」

なんですねえ。

どのあたりで「子が付く名前」と「子が付かない名前」の比率が逆転したんでしょうか?"なんとか生命"がよく調べている「子供の名前ベスト10」で調べたら、わかるかもしれませんね。「子供の名前で、時代の傾向を読む」こともできるかもしれませんね。

(2010、10、19)

2010年10月21日 19:12 | コメント (1)

新・ことば事情

4185「最香ばしい!」

 

先週末、東京に行った時に見た、JR山手線の車体広告に、こう書かれていました。

「小枝史上、最香ばしい!」

この「最香ばしい」って、なんと読むの?

「サイコウバシイ」?

それとも、

「もっともこうばしい」

ならば、送り仮名の「も」が抜けていますね。そうするとやはり、

「サイコウバシイイ」

でしょうか?

「最薄」(平成ことば事情1222)のように「最」の後に、音読みではない言葉が来る「なじみのなさ」や、音読みでも「最旬」(平成ことば事情2869)のように、ちょっと違和感のある表現もありますが、「最香ばしい」はもっと違和感が。違和感があるからこそ目に留まり、広告の言葉としては成立するのでしょうが。

ところでこれは、「小枝」、つまりチョコレート菓子の広告なんですが・・・、

「桂小枝さん」

は、関係ないですよね?

 

(2010、10、19)

2010年10月21日 12:10 | コメント (0)

新・ことば事情

4184「スペイン語の1、2、3」

 

1014日、チリの鉱山の落盤事故で地下700メートルに閉じ込められたまま70日間を過ごし炭鉱作業員たち33人が、無事に救出されました。

その様子を伝えた「ミヤネ屋」の字幕スーパーを事前にチェックしていたら、救出された33人の順番「1、2、3」と数字で示した横に、救助された人の名前がカタカナで、さらになにやらスペイン語が記されていました。それは、

「1 uno  2 dos ・・・」

というものでした。これを見て、

「ちょっと待てよ」

と。「ウノ、ドス」は確かにスペイン語の「1、2」ですが、「順番を示す」場合は違うのじゃないか?たとえば英語で「1,2,3・・・」は「one,two,three・・・」ですが、「1番目、2番目、3番目・・・」という「序数」は、

firstsecondthird・・・」

であるのと同じで、スペイン語でもこの場合は「序数」を使いますよね。つまり、

「1 primero  seundo 3 tercero・・」

ではないか?と。

ただ、33人分の「序数」を調べて直す時間がなかったので、スペイン語表記は、結局やめました。

翌日、「10」までの「序数」は、昔ちょっとかじったスペイン語の本を見つけ出してきて、分かりました。

1、primero

2、segundo

3、tercero

4、cuarto

5、quinto

6、sexto

7、septimoe上にアクセント記号)

8、octavo

9、noveno

10、decimoe上にアクセント記号)

でした。

 

(2010、10,19)

2010年10月20日 19:51 | コメント (0)

新・ことば事情

4183「谷氏」

谷亮子・参議院議員が、1015日、柔道から引退すると会見を行いました。

このニュース伝えたテレビ朝日のニュースを見ていたら、谷さんのこれまでを伝えたナレーションで、何回も出てきたのが、

「谷氏は・・・谷氏が・・・」

という言葉です。これ、音声だけ聞いていると、

「タ\ニシ、タ\ニシ」

と聴こえます。これ、標準語で言うと、

「田螺(たにし)」

と同じです。「田螺」だと思って聞いていると、なんだか変な気持ちがしました。

ただ、関西人は「田螺」のアクセントとは「3拍中高」の、

「タ/ニ\シ」

であるので、関西の人は「タ\ニシ」に違和感はなかったのではないかと思いますが、関東の方、違和感ありませんでしたか?

(2010、10、15)

(追記)

この週末に東京へ行った際に、初めて上野の鈴本演芸場に足を運びました。その際に見た漫才コンビ「ホームラン」のお二人が、「ヤワラちゃん」とは関係なしに、この、「タニシ」をネタにしていました。

「私、名前が『タ\ニシ』と申します」

「そんな佃煮みたいな名前、あるもんかい!」

「いえ、あります。名字がタニで、名前がシ」

と言ってました。

(2010、10、18)

2010年10月20日 12:04 | コメント (0)

新・読書日記 2010_196

『歌う国民~唱歌、校歌、うたごえ』(渡部裕、中公新書:2010,9、25)

面白い本だ!「唱歌」に興味があって、サブタイトルにつられて読んだのだが、なかなか詳細に亘った論文である。「唱歌」が「近代国家」建設のための手段として使われたこと、初期の「唱歌」は正にその目的のために作られたのだと。ですからそれに反発して生まれてきたのが「童謡」の運動であった。が、いつの間にか内容が似てしまって、「童謡・唱歌」と「同じくくり」にされてしまったということで。言われてみて「あ、そうだった」と思いだした次第。「第四章・卒業式の歌をめぐる攻防」「第五章・校歌をめぐるコンテクストの変容」「第七章・『労働者の歌』の戦前と戦後」も大変、興味深かかった。


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(2010、10、4読了)

2010年10月20日 03:18 | コメント (0)

新・ことば事情

4182「早かれ遅かれ」

 

1014日の「ミヤネ屋」の放送前に、大沢啓二さんの通夜・告別式のVTRを編集していたディレクターのM君から、質問を受けました。

「張本さんのコメントで『早かれ遅かれ』というのがあったのですが、これは『遅かれ早かれ』に直した方がいいでしょうか?」

実は私もそれは気になって『精選版日本国語大辞典』を引いて見たのでした。すると、なんと、

「早かれ遅かれ」

載っていたのです!用例は188789年の二葉亭四迷『浮雲』でした。もちろん、

「遅かれ早かれ」

も載っていて、こちらの用例は江戸時代(181323年)、『滑稽本・浮世床』でした。

他の辞書も調べてみましたが、『広辞苑』『明鏡国語辞典』『三省堂国語辞典』『新潮現代国語辞典』『日本語大辞典』には「早かれ遅かれ」は載っていませんでした。(「遅かれ早かれ」は載っていましたが。)

ということは、「遅かれ早かれ」が生まれたあとに「早かれ遅かれ」が生まれたけれども、定着しなかったということなのでしょうかね?

ネット検索(Google)では(1015日)、

「早かれ遅かれ」= 62800

「遅かれ早かれ」=273000

でした。思っていた以上に使われているのですね、「早かれ遅かれ」。

(2010、10、15)

2010年10月19日 21:55 | コメント (0)

新・ことば事情

4181「三段重」

 

10月14日の読売テレビ夕方の「情報ネットtenを見ていたら、Kアナウンサーが視聴者からのファックスを紹介していました。その中に、

「今年は金婚式だったので、来年のお正月は、ホテルの豪華な三段重のおせち料理を買いたい」

というものがありました。この、

「三段重」

Kアナウンサーは、

「サンダンジュウ」

と読んだのです。え?それは、

「サンダンガサネ」

と読むべきでは?と思い、放送後、本人に話を聞くと、

「家ではいつもサンダンンジュウと言っていたので、全然気付きませんでした」

との事。しかし、国語辞典をいくつか引いて見ましたが、「サンダンジュウ」で出てくるのはやはり、

「散弾銃」

しかありません。「放送」という耳で聞く性格を考えても、ここは、

「サンダンガサネ」

「サンンダン(ガサネ)ノオジュウ」

といった方が良いとは思いますが、ネット検索すると、正に三段に重ねた重箱を、

「三段重」

と書いたものが出てきます。三重県出身の私の母に聞いたところ、

「サンダンジュウ・・・昔は言ったねえ。最近は三段も使うことがないからねえ」

とのこと。こういう言い方は、辞書には載っていないけれどもあるようです。しかし私は、「サンダンジュウ」・・・と言うと、どうしても「鉄砲」が頭に浮かんでしまいます。

ま、ネタがネタただけに「重箱の隅をつつく」ような話だったかもしれませんが・・・。

(2010、10、14)

2010年10月19日 18:00 | コメント (1)

新・ことば事情

4180「髪型か?髪形か?」

 

「ミヤネ屋」のスーパーチェックをお願いしている読売新聞校閲部OBのOさんから、指摘がありました。

「かみがたは『形』ですよ。『型』ではなく」

見てみると、そこには、

「髪型」

というスーパーが。そして『新聞用語集』には、

「髪形」

という表記が。あ、そうだったのか!でも、ニュアンスとしては

「髪型」

の方が伝わる気がするけどなあ。国語辞典を引いて見ました。すると、

『広辞苑』=「髪形・髪型」

『明鏡国語辞典』=「髪形・髪型」

『NHK日本語発音アクセント辞典』=「髪形・髪型」

『デジタル大辞泉』=「髪形・髪型」

ここまでは「形」優先。そしてここからは「型」が先に来ています。

『精選版日本国語大辞典』=「髪型・髪形」

『三省堂国語辞典』=「髪型・髪形」

『新明解国語辞典』=「髪型」(髪形とも書く)

とありました。注目は『新潮現代国語辞典』

「髪型」(用例は太宰治『斜陽』)

しか載せていないのですが、別項(次の見出し)で、

「かみかたち(髪形)」(用例は二葉亭四迷『浮雲』)

というのがありました。「髪形」の読み方は「かみがた」ではなかったのか!?

さらに注目『岩波国語辞典』。「かみがた」に①と②があって、

①「髪型」髪の結い方。髪のスタイル。

②「髪形」髪を結った様子。髪つき。例:「きりりとした髪形」

と、漢字によって意味が違うことを示していました。

うーむ、「かみがた」は、なかなか一筋縄では行かないようです。

なお、ネットではGoogle検索で(1014日・日本語のページ)、

「髪形」= 616000

「髪型」=33800000

「髪型」の圧勝でした。

(2010、10、14)

2010年10月19日 12:08 | コメント (0)

新・ことば事情

4179「『はしかい』と『はしこい』」

 

和歌山に住む妻の両親が、山ほど料理を作って我が家に来てくれました。その中の一つが「サトイモ」料理。その際に義父が、

「サトイモの薄皮をむくと『はしかい』」

と言いました。意味がわかりにくかったのですが、なんとなく

「はしかい」=「かゆい」

の意味のようだとわかりました。三重出身のうちの両親も来ていたので、

「『かゆい』の意味で『はしかい』と言うか?『はしかい』は方言か?標準語か?」

という話題になりました。

「すばしっこい事も『はしかい』って言いませんか?」

という意見も。で、調べてみました。『広辞苑』を引くと疑問はすぐに解消!

そもそも「はしかい」の語幹「はしか」は名詞「草冠」に「亡」。「芒」という漢字「のぎ」とも読みます。「すすき」とも読みます。二十四節季の「芒種(ぼうしゅ)」の「ぼう」。「麦などの穂」のことを言います。その形容詞化したものが「はしかい」。意味は、やはり、

「かゆい、むずむずする、ちくちくして痛がゆい、こそばゆい」

ということです。

そして、「すばしっこい」の意味の「はしかい」は、正しくは、

「はしこい」

ですね。「機敏」の意味。それがおそらく訛ったもので「はしかい」と言われることもあるのでしょう。『精選版日本国語大辞典』には「はしかい」が「はしこいの変化した語」としてきっちり載っていました!用例は1638年の「仮名草子・清水物語」から。なお「はしこい」の強調形は、「す」が付いて、

「すばしっこい」

「裸」に「す」が付いて「すっぱだか」となるのと同じ強調形です。そういうことだったのか。

 

(2010、10、11)

2010年10月18日 12:34 | コメント (0)

新・ことば事情

4178「国際的ネズミ」

有川浩(ひろ)の『阪急電車』(幻冬舎:2010851刷・20108253刷)を読んでいたら、「宝塚駅」の項で、こんな表現が出てきました。

「国際的ネズミのキャンバス地のバッグ」11ページ)

一瞬、

「?何か、国際的な組織を持ったネズミの大群?」

と思いましたが、すぐに思い当たりました。そうです、もうお分かりですね。

 

「ミッキーマウス」

 

のことを言っているんですね。なんとま、もってまわった言い方だこと。「ミッキーマスス」と書くと、商標権を侵したとか、そういうことになるのかな?「絵」ではないから、それはないと思うのですが。その証拠に、その後の「逆瀬川駅」の項では、同じバッグを指して、

「ディズニーキャラクターのカバンを抱えたロングヘアの女性」40ページ)

という表現が出てきます。「ミッキーマウス」とは言わないものの、「ディズニーデザイン」ということは明かしています。もしかしたら「ミッキーマウス」ではなくて「ミニーマウス」なのかもしれませんが。

実はまだ、最後まで読んでいないのです。でも読んでいる途中でも、このオムニバス小説(で、いいんですよね?)、面白いです。オススメです。言われなくても知っている・・・ってか?  (2010、10、11)

 

(追記)

さらに読み進み、読了。また出てきました、ネズミ。都合この本では4回、出てきましたね。

「国際的知名度を誇るネズミが派手にプリントされたキャンバス地の大きなトートバッグ」

折り返してからの「逆瀬川駅」222ページ)で。今度は、

「国際的知名度を誇るネズミ」

さらに、

「彼女のほうは国際ネズミのキャンバス地トートがトレードマーク。」228ページ)

「ネズミ」で遊んでるなあ、著者は。

 

 

 

 

 

 

(2010、10、11)

2010年10月17日 18:31 | コメント (2)

新・ことば事情 4176

「夜ランチ」

休みの日に家族で入った近くのオムライス専門のレストラン。そこでメニューを見ていて、衝撃的なものを目にしました。そこにはなんと、

「夜ランチ」

と書かれているではないですか!「夜」なのに「ランチ」?なんじゃ、そりゃ!?

 

4176.jpg

 

うーん、つまり、

「ランチタイムと同じものを同じ値段で提供する」

ということなんでしょうが・・・日本語を(「ランチ」は日本語・・・ですよね、外来語だし)乱してるよなあ。

昼ごろまでやってる「モーニング」(サービス)があるのは知っていますし、ありがたいと思って利用することもありますが、これは「いかん!」と思いました。

(2010、10、10)

2010年10月17日 14:38 | コメント (0)

新・ことば事情

4177「『関西発』のアクセント」

先日から『す・またん』で、関西発信のいろいろな面白い企業やお店などを紹介しています。その際に女性アナウンサーが、

「関西発」

という言葉を読むのですがが、そのアクセントが

「カ\ンサイ・ハ/ツ」

というのです。しかし「ハ/ツ」という「平板アクセント」では、「発」ではなく、

「初」

になってしまいます。つまり正しい「関西発」のアクセントは、

「カ\ンサイ・ハ\ツ」

だと思います。「カ\ンサイ・ハ/ツ」だと「関西初」になってしまうのです。

これは、一人のアナウンサーだけでなく数人のアナウンサーが皆「ハ/ツ」と言っているのを耳にしたので、もしかしたら世の中の流れがそちらに(「ハ\ツ」→「ハ/ツ」;「発」→「初」)になっているのかもしれませんが、気を付けたいところです。

ちなみに、その日特集していた「おにぎりせんべい」の袋のデザイン(緑と橙色と黒の三色)を指して、

「歌舞伎の"緞帳(どんちょう)"」

と言ってましたが、正しくは、

「歌舞伎の"定式幕(じょうしきまく)"」

です。「左右」に開く「引き幕」の一種です。これに対して「緞帳」は「上げ幕」です。つまり開く時の動きは「上下」ですので、"緞帳"は間違いですね。似ているけど微妙に(というか全然)違うこういったケース、気をつけたいものです。

それにしても「おにぎりせんべい」が関西限定とは知りませんでした。てっきり「全国区」だとばっかり。あんなにおいしいのに・・・。

 

(2010、10、11)

2010年10月17日 12:29 | コメント (0)

新・ことば事情

4175「ナイスボディ」

スクラップを整理していたら出てきたのが、去年のもの。2009430日号の『週刊文春』の対談「阿川佐和子のこの人に会いたい・第776回」。ゲストは「女優」の原田美枝子さんでした。

その対談後の感想を阿川さんが書いた「一筆御礼」(=対談の「あとがき」ですね。)で、こんな言葉が。

「どこかで昔の、ストレートヘアをかき上げて、ちょっとふてくされてみせたりするナイスボディの暗くて反抗的な原田美枝子のイメージから遠ざかっていた気がしておりました。」

この中の、

「ナイスボディ」

に引っかかりを感じました。ときどき耳にするこの言葉ですが、「ボディ」ではなく「バディ」、つまり、

「ナイスバディ」

って言いませんか?発音的には。カタカナにすると、まあ「ボディ」なんですが。

Google検索(1011日)では、

「ナイスボディ」= 319000

「ナイスバディ」=2870000

「ナイスボディー」= 97000

「ナイスバディー」=176000

でした。やっぱり、「ボディ」より「バディ」の方が圧倒的に使われていますね。対談の内容より、そんなところに引っかかりを感じてしまいました。

(2010、10、11)

2010年10月16日 18:23 | コメント (0)

新・ことば事情

4174「歯胚」

親知らずのもとになるものから人工多能性幹細胞、いわゆるiPS細胞を作ることに兵庫県尼崎市の産業技術総合研究所が成功したという記事が、9月27日の産経新聞夕刊に載っていました。この「親知らずのもとになるもの」というのが、

「歯胚」

というのだそうです。たぶん、

「しはい」

と読むんでしょうね。ルビは振ってありませんでした。ネットで検索すると結構たくさん出てきて、やはり「しはい」だそうです。歯の専門用語のようですが、「親知らず」に悩む人たちにとっては、そして歯医者さんにとっては「常識の言葉」なんでしょう。しかし、国語辞典には載っていません。「Yahoo知恵袋」という掲示板によると、

「歯胚とは,歯と歯周組織のもととなる細胞の集まりのことを言います。歯胚から我々の目にする歯へ変貌を遂げるまで,蕾状期⇒帽状期⇒鐘状期という過程を踏みながらゆっくりと成長していきます。通常歯が完成してしまえば歯胚は消えてしまいますが、親知らずは成人になる頃生えてくる歯なので,特に若いうちであれば顎の中に埋っている歯胚をそのまま採取できるのです。」

とありました。

生活に密着した専門用語は、意外と国語辞典に載ってないんじゃないかなあと思わせる言葉でした。しかし・・・そんなところからもiPS細胞を作ってしまうなんてスゴイ!

で、これが何の役に立つかと言うと、

「通常使われる皮膚の細胞から作るものよりも100倍以上効率がよく、できたiPS細胞から腸や軟骨、神経、心筋の細胞ができる」

ことが確認されたそうです。そして、

「抜歯の際に捨てられていた親知らずの歯胚細胞から、安全なiPS細胞を効率よく作れた」

ということは、「廃物利用」ですよね。確かにこれはすごいことなんでしょうね。

Google検索(1011日、日本語のページ)では、

「歯胚」=22900

でした。

 

(2010、10、11)

2010年10月16日 11:21 | コメント (0)

新・ことば事情

4173「『展示会』のアクセント」

関西出身で2年目のTアナウンサーの読むニュースを聞いていたら、

「展示会」

「平板アクセント」で、

「テ/ンジカイ」

と読んでいました。これはまだアクセント辞典には載っていないアクセントです。たしかに「○○会」という言葉はかなりの勢いで、「平板化」しています。つまり、

「○/○○\カイ」

というふうに「カイ」の前でアクセントが下がる「中高アクセント」から、

「○/○○カイ」

というふうに、「下がらない、『「平板アクセント」」に変化してきています。しかし、全てが「平板アクセント」に変わったかと言うと、そうではありません。

NHK放送文化研究所が出している『放送研究と調査』という専門雑誌の20105月号に、次のアクセント辞典改定に向けてのNHKアナウンサーのアクセントの現状調査の報告が載っています。

それによると、調査は2009105日から1113にかけて、NHKのアナウンサー493人(有効回答は471人)についてイントラネットによる音声聴取及び適否判定によって行われたそうです。年齢層とその人数は、若年層(23歳~34歳)が約200人、中年層(35歳~44歳)が約180人、そして高年層(45歳以上)が約120だったとのこと。

その調査によると、「後部要素が一字漢語の複合名詞(おおむね5拍以上)」は、「中高型→平板型」への変化の傾向がはっきりと現れたそうです。「後部要素が一字漢語の複合名詞」というのは、

「如意棒」「予備金」「二次会」「日本史」

のようなもの。「漢語+棒(金・会・史)」のような形の複合名詞です。これはそのほか、

「機関砲・木戸番・模擬店・師範代・未定稿・自治会・自衛艦・木戸銭・許可証・指南役・健忘症・悔やみ状・産婆役・担保品・拘引状・随意筋・大病人」

などだそうです。ただ一般的に言われるように、「アクセントの平板化」婦だけが進んでいるのではなくて、「平板型→中高型」への変化も見られて、特に「複合動詞」ではその傾向が強いとのこと。本来「平板」であったものが「中高」に変わってきているものには、

「見やる・見舞う・成り行く・彫り込む・射殺す・出し抜く・かっ込む・け上げる・見飽きる・持ち帰る・出っ張る・受け継ぐ・切れ込む・とじ込む・見立てる・見開く・勝ち越す・勝ち抜く・繰り越す・締めこむ」

などがあるそうです。これに関して私は、

「複合動詞の前項が接頭辞的で、後項の意味が主体だったので、平板から中高アクセントに変わってきたのではないか?」

と思います。

とにかく、言葉は時代とともに変わっていくものですが、その変化の真っ只中にいる私たちは、きっちりとそれを見守って行きたいと思います。

(2010、10、10)

2010年10月15日 23:31 | コメント (0)

新・ことば事情

4172「夜に口笛吹くと」

結構夜遅くお風呂に入った中1の息子が、風呂上りに気持ちよさそうに口笛を吹いています。ここは父親の威厳を見せるべく、たしなめなくては。そこで、

「こら!夜に口笛吹くと、蛇が来るねんど!」

というと、息子は涼しい顔をして、

「このへんは、来えへん。」

そういう話と違う!よその家に迷惑だということを言っているの!

と言ってもやっぱり、説得力がない「言い伝え」になってしまってるなあ。そもそも蛇を見かけないですからね、近所の町中では。それでも私は、夜、ツメを切るときには、

「これで、親の死に目に会えないかなあ」

と思ったり、霊柩車とすれ違う時には、

「親指を隠す」

など、ついつい、してしまうのですが。

分かっちゃ入るけど、ですねえ・・・。

(2010、10、10)

2010年10月15日 17:29 | コメント (0)

新・ことば事情

4171「副教頭」

先日、朝の『す・またん』を見ていたら、インタビューに答えている神戸大学の附属中学(だったかな)の先生の肩書が、

「副教頭」

となっていました。「副校長」というのは実は以前に見たことがありましたが「副教頭」というのは初めて見ました。

「もしかしたら間違いかも?」と思って、すぐに担当者に連絡をしたところ、

「『副教頭』で合ってました」

という回答とともに、以下のURLが。

http://www.google.com/m/search?guid=on&ie=Shift_JIS&sa=2&q=%8FZ%8Bg%8F%AC%8Aw%8DZ%81%40%95%9B%8B%B3%93%AA&site=universal

そこを開いてみると、

「国立大学法人神戸大学則」によると「第8条4」に、

「附属学校に,教頭を置く。校長の職務の一部を処理する教頭について,適当と認めるときは,当該教頭に対しては,副校長 (幼稚園にあっては,副園長とする。)を称せしめることができる。」

とあり、

「副校長」

という肩書が、また「第8条5には、

「附属学校(幼稚園及び特別支援学校を除く)に,主幹教諭を置き,適当と認めるときは,当該主幹教諭に対しては,副教頭 を称せしめることができる。」

とあって、

「副教頭」

という役職もあるようです。「主幹教諭」の中で「副教頭」と呼ばれる人もいると。

学校の先生の名称も、難しくなりましたねえ。もしかして、上の人の人数が多くなって、「肩書不足」なんでしょうか??

(2010、10、10)

2010年10月15日 10:33 | コメント (1)

新・ことば事情

4170、00「0、00%」

この夏、よく目にしたのが、

「0、00%」

そうです、「ノンアルコール・ビール」の表示です。今年、これが売れたようですね。これで気になるのは、「味」と「値段」もさることながら、

「なぜ0%ではなく0、00%と小数点以下2ケタまで0を付けるのか?」

ということです。考えられることは、

「小数点以下2ケタの方がより『0(ゼロ)』であることを"強調"できるから」

ではないでしょうか?よく似たものに、「銀の純度」を表す、

「99、99」

というのがあります。たしか、

「フォーナインズ」

と呼ばれるものです。こちらは厳密に「精度」を表しますが、「0%」と「0,00%」は「イコール」なのではないでしょうか?違うのかな?

「1000人」を、「センニン」と言うよりも、「イッセンニン」といった方が「大きく」「人数が多く」聞こえるのと同じ手法ではないでしょうかね。

 

(追記)

「おかもと」さんからご意見いただきました。

「ノンアルコール飲料のアルコール度数は法律上、1%未満であれば0%と表示してよかったのではないでしょうか(アルコールが0.9%含まれていても0%の表示になる)。ですので、記載上、0%と、0.00%には大きなちがいがあるだと思います。ちがってたらスミマセン。」

とのこと。

「酒税法」に関してはそうだったと思います。ちがってたらスミマセン。そのあたり、たしか「平成ことば事情1292ビールテイスト飲料」に書いたような。見てみましょう。2003年7月」に書いてますね。

*******************************

 

道路交通法の飲酒運転・酒気帯び運転に対する罰則が強化された去年(2002年)から、ビールの代わりに消費を伸ばしたのが「ノンアルコールビール」。しかし「ノンアルコール」と言いながら、実はアルコール分は「0(ゼロ)」ではなく0,5%ほど含まれていることが多いのはご存知の方も多いと思います。それを知らずに飲んで車を運転した、お酒に弱い人たちなどからの意見などを汲み上げて、最近は「ノンアルコールビール」という名称をやめようという動きもあります。これに変わって出てきた名称が、この
「ビールテイスト飲料」
なのです。(中略)ネットで見てみると、「ノンアルコール」表示の変更要請を「公正取引委員会」が行ったのは、7月14日。ビール酒造組合や日本ワイナリー協会など11の業界団体に対し、「ノンアルコール・ビール」などと表示されている飲料について、

「アルコール分が全く含まれていないと誤認する恐れがある」

として、表示の改善をメーカーなどに指導するよう要請したと発表したそうです。これによって今後「ノンアルコール」の表示は市場から消え、「ビールテイスト飲料」などに書き換えられる見通しだそうです。記事のよると、 酒税法上は、アルコール分が1%以上の飲料を酒類と認定していますが、「ノンアルコール」の名称を使った飲料も、実際は0・5%程度のアルコール分を含んだものが多く、公取委は、「ノンアルコール」の表示は、アルコールが全く含まれないのに、お酒の風味や味わいが得られるお酒の代替飲料であるとの誤解を消費者に与えるとし、業界団体に対して表示の適正化を指導するよう求めたとのことです。

 

*******************************

 

なるほど、単なる「0%」ではない理由は「酒税法」にもあったようです。

ではなぜ、

「0,  0%」

とせずに小数点以下2ケタにしているのか?

謎が消えたわけではありません。

                  (2010,10、15)

 

 

(追記2)

川崎市の西尾さんからも、書き込みを頂きました。

『0%は、小数点以下1桁目の誤差を含みます。小数点以下を四捨五入しているなら、0.5%未満であることを意味します。

0.0%は、小数点以下2桁目の誤差を含みます。小数点以下2桁目を四捨五入しているなら、0.05%未満であることを意味します。

0.00%は、小数点以下3桁目の誤差を含みます。小数点以下3桁目を四捨五入しているなら、0.005%未満であることを意味します。

・・・というように、小数点以下2桁まで表示しているのは、それだけ誤差の少ない正確な数値ですよ、ということです。たんなる強調ではなく、数値的に根拠を明示しているわけです。』

 

そりゃそうですね。たしか中学の時(?小学校?)に習いましたね。そのことを、まず書くべきでした。すみません。

さらに関連で・・・

『別の方が「小数点ではなく読点に」と書いていますが、『平成ことば事情』の頃から、小数点がカンマになっているのが私も気になっています。小数点にカンマ(コンマ)を使うのはフランス式ですが、日本は英国式のピリオドを使うことになっています。

2003年の第22回国際度量衡総会で、小数点の統一が議論されましたが、結論として決議10で以下のように宣言されています。

「小数点の記号は、ピリオドまたはコンマのどちらかでなければならない」

要するに現状を追認しただけ。

ただし日本ではカンマが標準なので、それにあわせたほうがよいのではないかと思います。

差し出口になってしまいました。すみません。』

 

ありがたいアドバイス、感謝いたします。

参考にさせていただきます。

 

 

 

(2010、10、10)

2010年10月14日 23:28 | コメント (3)

新・ことば事情

4169「『よんふん』の理由」

時間の「4分」の読み方ですが、本来は、

「ヨンプン」

「半濁音」で言います。これは3分」を「サンプン」と「半濁音」で言うのと同じです。理由は「分」の前の「サン」「ヨン」が、ともに「ン」で終わっているので、次の「フ」(分)が半濁音で「プ」になる、つまり「言い易さ」によるものだとされています。

それが最近、

「サンフン」「ヨンフン」

というように、「半濁音」ではなく「清音」で言われるようになってきていると、以前書きました。20052月の平成ことば事情2079「3ふん前、4ふん前」)

これは「言い易さ」から「覚え易さ」に基準が変わったからだと私は書きましたが、先日ハタと思い当たることがありました。やはり「言い易さ」が原因の一つでないかということなのです。

つまり、同じ「ン」でもその後に「半濁音や濁音になる『ン』」と「そうはならない『ン』」があるのです。

「ン」の発音が、これまでの「m」ではなく「n」に変わってきているのではないか?ということです。「m」の「ン」を発音するには、しっかりと唇を閉じなくてはいけませんし、次に口を開くときにも力が要ります。しかしアゴの骨格の変化や、噛む力、表情筋の動きなどが「弱く」なってきて、本来の「m」の発音が出来ずに、力を入れずに発音できる半分口を開いた「唇がくっつかない『ン』」である「n」の発音に変わってきているのではないか?それによって、「半濁音」ではなく、清音の「フン」になってきているのではないか?という気が、ふとしたのですが、いかがでしょうか?証拠はありません。「ヒラメキ」です。

(2010、10、10)

2010年10月14日 18:47 | コメント (0)

新・ことば事情

4168「『地上の星』とナスカの地上絵」

中島みゆきの『地上の星』を口ずさんでいて、ふと、ひらめきました。

 

「この曲は『ナスカ地上絵』をイメージし、『アンデスの曲』にヒントを得たのではないか?」

 

突然で申し訳ありません。

なぜ急にそんなことを思ったのか?

というと、「リズム」がそんな感じなんですね。「パーカッション」がそんな感じです。「ケーナの響き」とかが似合いそうです。『コンドルは飛んでゆく』とか『花祭り』のような感じで。

そして、歌詞の「目線」が「鳥の目線」です。「地上」というのを「上から見ている」感じなのですね。「天地を逆」にしたような。なんかそういう経験をされたか、本を読んだか、ふと浮かんだかは知りませんが、もしかしたら「ナスカの地上絵」と「アンデスの音楽」が融合したのではないかな?と、ふと「思いついた」のです。そういうイメージで聞くと、また違った『地上の星』を味わえるかもしれませんよ。ということで。

 

(2010、10、10)

2010年10月14日 10:43 | コメント (0)

新・ことば事情

4167「ラノベ」

『どれだけ知ってる?「メアドな日本語」略語クイズ』(藤井青銅+日本国語大辞典編集部、小学館:2010910という本を読んでいたら、色々と知らない略語が出てきました。その一つに、

「ラノベ」

がありました。何のことか分かりますか?これは、

「ライト・ノベル」

つまり、「若者向けの小説」の略なんだそうです。この本の著者は『略語天国』という本も出していますが、著者は「カタカナ略語」がこれまでの「4文字」から「3文字化」していると書いています。それは「時代のスピードが早くなっているので必然の流れ」だそうです。私は「略語の関西化」のような気もしますが。

なおこの本によると、「写メール」「元々は、旧Jフォンの商標」。これは知ってました。そして、DHC「大学翻訳センター」の頭文字・・・というかローマ字で書いた時の、ですが。「NHK」が「日本放送協会」のローマ字の頭文字を取った略語というのと同じパターンですね。英語かと思っていたら、違ったんですね。

この「DHC」は、1972年に委託翻訳の会社として設立され、1983年に化粧品の通販を始めためたそうです。どおりで、電話番号がメロディーに乗せて「暗記」しやすい?大学受験関連の「暗記のワザ」を使っているのかな?

とにかく、そんな雑学も知ることができる一冊ですね。

(2010、10、10)

2010年10月11日 01:50 | コメント (0)

新・読書日記 2010_195

『大人のための教科書の歌』(川崎洋、いそっぷ社:1998、7、30)

こういう本は大好きです。川崎洋さんもお亡くなりになりましたが・・・「茨木のり子」さんともお友達でしたよね。川崎さんが「西南学院大学グリークラブ」出身とは知らなかったなあ。

この本は、読んだつもりになっていて、まだ読んでいなかった。その間に12年も経っていたと、「浦島太郎」のような・・・・。川崎さんも茨木さんもお亡くなりになって。でも、本を読んでいると、まだ生きているような気がしています。

巻末に、ここで取り上げた歌が、「いつからいつまで、教科書に載っていたか」のグラフ(一覧表)がある。"時代"を一目で捉えることが出来ます。

「トロイカ」という言葉を若い人が知らないと、この前、知りましたが、「トロイカ」という曲を知っていなければ、それもそうかもしれないとも思いました。


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(2010、10、8読了)

2010年10月13日 18:01 | コメント (0)

新・読書日記 2010_194

『滝山コミューン一九七四』(原武史、講談社文庫:2010、6、15)

 

2010読書日記123で書いた『団地の時代』(原武史・重松清、新潮選書:2010、5、25)、この対談のきっかけとなったのが本書。「読まねば!」と思って文庫本を買ってきたら・・・家に単行本がありました。出てすぐに買って、まだ読んでなかったのね。こんなの、ばっかし。

著者の原武史先生とは(面識はないが)同世代(彼の方が1つ年下)で「団地育ち」という点も同じなので、共感できる部分もあるが、この「滝山団地」のような「思想的な一体感」は、うちは強くはなかった。

私がこれを読んで思い出したのは、やはり1970年前後に漂っていた「左」の空気。ここに出てきた、「遠山啓」の数学の「水道方式」などは聞いたことがある。「遠山啓」の名前はもちろん知っている。「班学習」「班ノート」もあった。「班」の起源が、旧日本軍の「班」であり、「隣組」にあったとは知らなかった・・・。

当時の若い教師の中に「学生運動崩れ」の人がいたらしいことも、聞いてはいた。私の体験で言えば、ある地区の中学からは特定の公立高校(新設校)へ行くことを、半ば強制させられる「地元集中」という運動があった。指定の地元校でない高校を受けたいと言っても、先生に願書を書いてもらえないというような「いじめ」があった。そういった臭いをプンプンとさせていた。個人よりも全体を優先させる「思想」の臭いがしたので、私は反発した。このあたりの話をすると、今でもとても熱くなれる。ま、ここでは、すまいが。

で、「滝山コミューン」が見せた「民主集中制」と、大阪府の橋下知事が目指す「民主集中制」は「同じ臭い」がする。つまり「権力者の独裁」である。そこの不安が払拭されないと、一つにまとまるのは難しいと思う。

 


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(2010、9、19読了)

2010年10月13日 10:01 | コメント (2)

新・読書日記 2010_193

『家族の昭和』(関川夏央、新潮社:2008、5、25第1刷・2008、9、5第3刷)

向田邦子と幸田文という二人の女性作家の作品から、「昭和」という時代を考察するという一冊。2年前に出ていたのだが、読むのが遅くなってしまいました。もしかしたら「昭和30年代ブーム」(「三丁目の夕日」)の流れもちょっとあるのかなと思いましたが。

大学時代、「向田邦子」について「ゼミ論」を書いてる友人がいて、「なんだか、軽いな」と思った覚えがある。しかし、今なら十分「向田邦子」は研究対象になると思う。その時代背景も含めて。彼には「先見の明」があったということか。もちろん私も、向田邦子を当時読んではいたのだが。

 


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(2010、8、27読了)

2010年10月12日 22:00 | コメント (0)

新・読書日記 2010_192

『なぜ、ユニクロは1500円の商品で300円の利益をあげられるのか?』(洞口勝人、じっぴコンパクト新書:2010、9、14)

クイズ形式で一つ一つの謎を解いていき、その解説を丁寧にしてくれる感じの本。

たとえば、イトーヨーカ堂の利益率は、わずかに0,125%、原価率がなんと75%、これに対してユニクロ(国内)は、利益率20%!!うーん、結局、原価を下げると利益が増えるという当たり前のことを、どうやって実現する(できる)のかがポイントのようですね。改めて数字で示されると・・・すごい。

この本の中ではいろいろ「ヘエー」と思いましたが、中でもインドと中国の成長に、数字で接することが出来たので、それが勉強になりました。インドの携帯電話の普及率、知ってますか?なんと「50%」ですって。しかし中には「電気が通っていない」村も。そんなところで、なんで携帯電話が使えるのか?答えは「太陽電池」。携帯電話にソーラー充電機能が付いているのだそうです。普通の電話は、設備の設置にお金がかかりますが、携帯電話は(固定電話に比べると)はるかに設置費用が安くて済むことも、普及を後押ししているとか。世界は、知らない間に変わっているのですね。大変、勉強になりました!

 


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(2010、9、30読了)

2010年10月12日 18:59 | コメント (1)

新・読書日記 2010_191

『話の腰を上手に折る技術』(藤田完二、中公新書ラクレ:2010、9、10)

「話の腰を折る」と言うと、「なんだか、いやなヤツ」みたいに感じますが、つまりは「話が長い人」の特徴を捉えて、うまくそれを軌道修正させる技術、といった感じですね。そして「自分自身が"話の長い人"になっていないかどう」「そう、ならないようにするには」といった「予防法」の本とも言えます。プラス・イメージで。いわゆる「コーチング」の本の一種のように感じました。

 


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(2010、10、2読了)

2010年10月12日 10:23 | コメント (0)

新・読書日記 2010_190

『言の葉磨き辞典~誤りから学ぶ正しい日本語』(小塚博、私家版:2010、5、21)

 

静岡放送で6年にわたって毎月行われてきた「言の葉磨き講座」、その成果をまとめて「辞典」にして「私家版」で発行されたもの。「言の葉磨き講座」に関わってきた静岡放送の國本さんから、一冊頂いた。今年の6月のことでしたが。で、もちろんすぐに読んだのですが、そのまま「積む読」の山の中に埋もれていたものを発掘!改めて読み直した。

うーん、地道に繰り返し繰り返し、こういった活動を続け、それを記録として残すことの大切さを改めて実感。私の「平成ことば事情」も、そういったことの一環なんですが。同じ"志"の方々の「頑張り」を見て、(他系列ですが、同業界)力強く思った次第。やはり「プロ」は、こうでなくっちゃ!


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(2010、10、5読了)

2010年10月11日 18:23 | コメント (0)

新・読書日記 2010_189

『茨木のり子集 言の葉Ⅰ(茨木のり子、ちくま文庫:2010、8、10)

ずばり「言の葉」というタイトルの詩集。いくつかの詩集から抜粋したもののよう。茨木のり子さんが亡くなって、もう4年経つか。とっつきやすい口語の詩には親しみがわく。茨木の「詩」のほかに、エッセイ、ラジオドラマの台本・童話・民話・評伝と、幅広い著者の活動をすくい上げている一冊。

中でも、「山之口漠」の評伝が、興味深かった。沖縄出身だったんですね、漠さんは。なぜか三重県出身だと思っていた。佐藤春夫や伊藤光晴との交流など、その時代の中での「山之口漠」像が浮かび上がってきました。

この評伝の中に「沖縄」の語源についても記されていて、奈良時代の文献には、

『阿児奈波(おちなは)』

と出ていると。こうした古い呼び名に「沖縄」という当て字を使ったのだそうです。「琉球」の呼び名は中国が付けたものですが、江戸時代、1609年に薩摩藩主の島津家久が琉球を攻め落とし、支配下に。明治121879)年には、日本の「沖縄県」になったのだそうです。

「おちなは」が「おきなわ」になるということは、沖縄の言葉の「ち」は、日本語(標準語)の音の「き」にあたると。つまり沖縄方言の「頑張れ」の意味の「ちばりょう」は、標準語音で言えば「きばりょう」=「気張れ」。ああ、沖縄の言葉も日本語なんだなと感じました(当たり前の話ですが)。


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(2010、10、7読了)

2010年10月11日 12:22 | コメント (0)

新・読書日記 2010_188

『絶滅寸前季語辞典』(夏井いつき、ちくま文庫:2010、8、10)

 

20018月に東京堂出版より刊行されたものの文庫化。

著者の俳人・夏井いつきという人を、私は不勉強で知らなかったが、地元・愛媛では有名人なのだろう。『坊ちゃん』の地元(と言っても「坊ちゃん」は松山の人ではないが)、「俳句甲子園」までやっている愛媛・松山だから、その中心人物のお一人なんだろうな、きっと。「絶滅季語辞典」というのは、まあ「死語辞典」のようなもので、なんとなく「郷愁」とか「わび」「さび」とか「はかなさ」とか、そういった興味を掻き立てるものではありますな。伝統を守る、つなぐ意味でも、こういう試みを楽しみながらやるというのは、いいなあと思います。

400ページ近くもある「辞典」を「読む」のは疲れるので、まず現在の季節である「夏」から読み始め・・・読んでいる間に季節は「秋」に移り、ようやく、実際の季節を追い越して「冬」の季語を読み、その後は「新年」の季語になるのだがこれは後に残して「春」の季語を読み、最後に「新年」の季語を読みました。いつの間にか実際の季節は、すっかり「秋」になっていました。フー。

季語の中で気になったものは・・・

*「麝香連理草」。「じゃこうれんりそう」と読み、「スイートピー」のことだそうです。

*「童貞聖マリア無原罪の御孕(おんやどり)りの祝日(いわいび)」。長い季語!冬の季語だそうです。既に五・七・五=17文字を超えてますけど・・・例句はないそうです。だれが季語に認めたんだ?

*「雀(スズメ)大水(うみ)に入り蛤(はまぐり)になる」。晩秋の季語。七十二候の一つ。「七十二候」にはこういった「○○が◆◆になる」といったパターンの長めの季語が多いそうです。意味は、よくわかんないけど。

いやあ、世の中、知らないことが多いなあと実感。ボキャブラリーを増やしたい方は、是非お読み下さい。


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(2010、10、6読了)

2010年10月11日 10:21 | コメント (0)

新・読書日記 2010_187

『最後の喫煙者~自選ドタバタ傑作集1』(筒井康隆、新潮文庫:2002、11、1第1刷・2010、5、15第14刷)

昭和47(1972)年から平成2(1990)年までに書かれた短編9編。新潮文庫の筒井康隆の赤い背表紙が懐かしい。「最後の喫煙者」が平成2年だが、たばこの大幅値上げのこの時期にふさわしい、未来を予見した作品。「問題外科」の医療ミスも、舞台を検察にしたらそのままいけるかも。

4020年前に書かれたそんなめちゃくちや、ドタバタ作品が、21世紀の現代にあてはまってしまうなんて、「そんなアホな!」の「現代」ですねえ...。それにしても筒井康隆はやっぱり天才!

 

 


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(2010、10、3読了)

2010年10月10日 22:18 | コメント (0)

新・読書日記 2010_186

『善人ほど悪い奴はいない~ニーチェの人間学』(中島義道、角川ONEテーマ21:2010、8、10)

 

善人ほど悪いと。自覚がないから。じゃあ悪を自覚してる悪人の方がましなのか。そもそも善悪の基準は?ニーチェが指摘した「弱さを武器にした悪臭」。

『ヒトラーの率いるナチスは、多くの国民に頭が相当悪くても理解できるようなわかりやすい希望と目的を示した。(中略)マヌケでもウスノロでも役立たずでも、ドイツ人というだけでもう合格なのだから、こんなにラクで簡単なことはない。ドイツ人というだけで自分は自動的に「ダメ人間」ではなくなるのだ!』

『しかも、ヒトラーが、こうした単純きわまりない思想以外のすべての思想を徹底的に弾圧することによって、「健全な」国家を望んでいたことを忘れてはならない。』

 

タイトルは、弱者を武器・売り物にする奴ほど悪い奴はいない、という意味か。

中島義道の本は、もう「卒業」したつもりだったが、この前「ニーチェ本」を読んだのでその関連で「読んでみようかな」と買ってしまった。しかも3分の1ぐらい読んでから、自分の部屋の「積んどく」の山の中に同じ本があるのを発見・・・久々に「二冊買い」をやってしまった・・・。

うーん、難しい。ニーチェが『超訳ニーチェの言葉』にあるような「超人」ですごい人ではなく、悩んで悩んでついには発狂したというような背景を書いてある。著者は「超訳」本が売れているのを危惧して、この本を書いたと「あとがき」に書いてある。「まえがき」には「2ちゃんねる」に匿名でウサ晴らしの書き込みをするような奴らが、ニーチェを気取るなというようなことも書いてある。相変わらず挑戦的である。

「善人」と聞いて思い出すのは、中学か高校の時に読んだ大西赤人の『善人は若死にする』だが、この「善人」と、本書の「善人」とは(同じ言葉だが)、ちょっと意味が違うような気がした。本書では「善人=大衆=群集=畜群」という捉え方。「畜群」って、ひどい言葉だな。

少数の「エリート」であろうとしてそれが叶わなかった、また、巷でのそんなことのために努力をすることは、既に「エリート」のすることではないというジレンマに悩み苦しんだニーチェの一面を知ることができる一冊ではありました。

 

 

 


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(2010、10、10読了)

2010年10月10日 20:16 | コメント (0)

新・ことば事情

4166「パギンスとデギンス」

「ミヤネ屋」で取り上げた押尾学被告の独占インタビューを載せた女性誌を、番組終了後に女性スタッフが読んでいました。見るとはなしに覗き込んでいると(見とるやないか)、ファッションのページにあったこんな文字が目にはいりました。

「パギンス」

初めて見る言葉です。でも・・・どことなく見たことがあるようなデジャブ(既視観)が・・・もしかしてこれは、

「レギンス」

と関係があるのか?と思って、その女性スタッフに聞いてみると、

「そうですよ。レギンスのパンツのことです」

というではないですか!もちろん「パンツ」というのは下着ではなく「ズボン」のことです。普段当然のことながら、女性誌なんて読まないので知りませんでした!さらにその女性スタッフ曰く、

「デギンスもありますよ」

うん?なんじゃその「デギンス」というのは?

「デニムのレギンスです」

デニム・・・つまりジーンズのようなレギンス?ちょっと上手くイメージできないのですが・・・・。兎に角、今、「レギンス」はさらに進化しているようですね。

Google検索では(107日)、

「パギンス」=  168000

「デギンス」=  63600

「レギンス」=25100000

でした。ひえー、「レギンス」の増殖の仕方と言ったら!また「デギンス」には他の呼び方もあるようで、それは「デニム」と「レギンス」が合わさったのですから、

「デニンス」

というものです。こちらの検索件数は、

「デニンス」=354000

でした。「デギンス」より「デニンス」の方が多いな。検索件数が、この物(と言葉)の流行り具合を表しているようですね。

(2010、10、7)

2010年10月 8日 12:30 | コメント (0)

新・ことば事情

4165「長寿命」

9月29日の朝放送の『す・またん』(関西ローカル)で、「LED電球」の特集をしていました。その際に虎谷アナウンサーが、LED電球の特長である「耐久性」について書かれた原稿に出てきた、

「長寿命」

という言葉、当然、

「ちょ/う・じゅ\みょう」

とコンパウンドして読むべきところを、あろうことか、

「ちょ/うじゅ・い\のち」

と読んでしまい、周りの出演者全員から、

「おまえは不良か!」

と突っ込まれていました。

うーん、けど、これって、

「ほのぼのする感じの誤読」

ですよねえ。昔、私が読み間違えた、

「お坊さんたちは、慣れない手つきで、一斉に放火しました」(正しくは「放水」)

よりは、物騒ではないな。

たまに、思いもよらぬ「誤読」で、ホッとなごむというのもいいですね。

でも、もちろん、誤読をしないに越したことはないですが・・・。

間違うと番組名が『す・またん』じゃなくて、

「すまそん」

になったりして・・・。

 

(2010、10、7)

2010年10月 7日 21:24 | コメント (2)

新・読書日記 2010_185

『どれだけ知ってる?「メアドな日本語」略語クイズ』(藤井青銅+日本国語大辞典編集部、小学館:2010、9、10)

 

読書日記184と同じ「ワンコイン・シリーズ」。著者は「略語天国」と言う著書もある「カタカナ語」の専門家。最近のカタカナ略語の傾向として「4文字→3文字」への変化があり、それは「世の中のスピード化」によるという。

それもあるかもしれないけど、私は「世の中の関西化」の影響ではないかと見ているのだが。だって、関西弁は略語といえば「3拍中高」ですから。東京は「4文字略語」の文化でしょう。「文化の変化」ではないのでしょうか?

タイトルにもなっている「メアド」は「メールアドレス」の略語だが、関東では「メルアド」という4文字の傾向が強かったのではないか?そのあたりは「平成ことば事情」で読んでください。きっと書いているはず・・・。

 


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(2010、9、30読了)

2010年10月 7日 12:09 | コメント (0)

新・読書日記 2010_184

『知らないと悔しい!小学生の辞書にある漢字』(小学館国語辞典編集部編、小学館:2010、9、20)

 

小学館の国語辞典編集部が、満を持して?出した「ワンコイン(500円)」シリーズ。私の本『スープのさめない距離』の担当編集者だったMさんが「次はワンコインの本を出したい」と話していたのは、たしか2年半前。「ようやく出たか」という気がします。

手軽に読めて勉強になりますね。結構、読めないものがありました。あ、見たことあるけど・・・という漢字で、いや感じで。1ページに10個、漢字があると89割読めますが、あと1つ・2つが・・・。例えば、

 

「抓る」「翳す」「賺す」「暈す」「箍」「矮鶏」

 

読めますか?私は読めませんでした。正解は、

 

 

 

 

 

「つねる」「かざす」「すかす」「ぼかす」「たが」「ちゃぼ」。

 

難しいなあ、漢字って。


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(2010、10、6読了)

2010年10月 6日 22:02 | コメント (1)

新・読書日記 2010_183

『超訳ニーチェの言葉』(フリードリヒ・ニーチェ、白鳥春彦編訳、ディスカヴァー:2010、1、15第1刷・2010、7、25第19刷)

232編のニーチェの言葉。1700円。ちょっと高いんじゃない?結構「白い部分」(余白)も多いよ。ギュッと詰めたら、文庫本で薄くて安く出来そうな、450円ぐらいで、税込みで。でも、「ニーチェの言葉」は「分厚い本だからこそ、ありがたみがある」のだろう。これが「文庫本」だったら、こんなにベストセラーにならなかったのだろうな。

しかし、ニーチェがこんなに現代に近く、身近な人だとは思わなかった。

もう一回、読み返してみようかな、と思った。

 


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(2010、9、26読了)

2010年10月 5日 18:30 | コメント (1)

新・読書日記 2010_182

『黒澤明という時代』(小林信彦、文藝春秋:2009、9、15)

出てすぐに買ったが、読むまで(読み始めるまで)に1年かかった。

黒澤が「天皇」になるまでの歩み、リアルタイムに同時代に見てきた著者が記す。私が始めて観た黒澤映画は『七人の侍』。これを梅田の北野劇場(だったと思う)で・・・でもまだ「ナビオ」が出来る前だったけど(とするとコマ劇場か?)観た。中学2年の時だから1975年のたぶん113日。友人と観に行った。リバイバル上映で、途中で休憩があった。とにかく、その迫力に圧倒されたことしか覚えていない感じ。三船敏郎はハチャメチャで、冷静な志村喬が印象に残った。その後『影武者』『乱』からは私も同時代だが、実は観ていなかった。『夢』は1990年だったか、これは観に行った。映像がきれいな映画だった。『まあだだよ』は「へえ、所ジョージが出てるんだぁ」と思ったが、これも観に行ってない。黒澤の死後、近くの公民館で上映された『天国と地獄』を見た。これは面白かった。『七人の侍』で観た三船敏郎のイメージが変わった。ビデオを借りてきて観た『野良犬』も良かった。時代が感じられた。『椿三十郎』もおもしろかった。『生きる』はいろいろ考えさせられた。『羅生門』、そんなに面白かったイメージはない。なんだ、結構、観てるな。

黒澤とその時代を読み解いていく本書。読み進むうちに、もう一度、黒澤映画を観てみたくなること、必至。


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(2010、9、22読了)

2010年10月 5日 12:29 | コメント (0)

新・読書日記 2010_181

『山の遭難~あなたの山登りは大丈夫か』(羽根田治、平凡社新書:2010、1、15)

 

今年の夏は、山での遭難事故が相次いだ。「冬山」の遭難は分かるが、「夏山」でなぜ?とシロウトなので思ってしまう部分があるが、本書を読めばその謎が解ける。基本的には「山」の恐さを分からずに(甘く見て)軽い気持ちで、軽装で準備もせずに山に登ることが原因。昨今の「百名山ブーム」、団塊世代が定年で、中高年になってから「また山にでも登るか」というケースが増えているのも背景にあるという。また、山では「転倒」が大事故につながるという。昨今、安易にヘリコプターの救助要請をするのも、二重三重の事故を招いたりする原因となるそうだ。しかも「民間のヘリだとお金がかかるから、警察か消防のヘリを」と「リクエスト」するずうずうしい人まで・・・。自己チュー、ここにきわまれり。携帯電話の普及で、「遭難したときには、電話すればいいや」と軽い気持ちになっている部分もあるという。ところがそういった時に限って「電池切れ」になったりすることも多いそうだ。山に登ることがあまりない素人の私だが、実は下界の生活態度が、山での遭難を引き起こしている面もあるのだということが、よくわかった。


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(2010、8、29読了)

2010年10月 4日 22:29 | コメント (0)

新・読書日記 2010_180

『ちびくろさんぼのおはなし』(へれん・ばなーまん、なだもとまさひさ訳、1999、5、20第1刷・径書房)

ほんとに小さな本。一時「ちびくろサンボ」が絶版になったあと、復刊した際に、京都産業大学の灘本先生が翻訳して出したもの。5歳の娘に読み聞かせました。おかあさんが「くろじゃんぼ」、お母さんが「くろまんぼ」・・・・。サンボがきれいな服を着てサンポに行くと、次々と虎が襲ってきて、「食べちゃうぞ」と。命と引き換えに、服やズボンや靴や傘を取られて・・・。

そのお話を読んでいて、「あっ!」と思いました。たしかにこの話は、「インドから搾取する帝国主義の大国」に見える!虎が、インドを蹂躙する大国に見えたのです!そうして虎たちは、お互いに争ってバターとなってしまうのはご存じのとおり。そのバターをつけて食べたホットケーキは、サンボ親子3人で200枚を超えているのには、びっくりしましたとさ。

 

 

 


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(2010、9、28読了)

2010年10月 1日 22:04 | コメント (2)

新・読書日記 2010_208

『上村松園展 図録』(2010)

この間、東京に行ったときに見に行った「上村松園展」。主催は東京国立近代美術館と日本経済新聞社。場所は当然「上野」だと思い、行ってみてびっくり!「やってない!」。

ちゃんと調べると、「国立近代美術館」は「竹橋」でした・・・。

仕切り直しで見に行ったけど、本当に良かったです。

特に、「序の舞」。あんなに大きな作品(2メートルを超える)だとは思わなかった。この絵は小学生のときに集めていた切手の「切手趣味週間シリーズ」で初めて知りましたが、実物はものすごい迫力!着物の裾模様の「彩雲」の美しさは、やはり本物でないと分かりません。また、本物を見て初めて気付いたのは、真っ直ぐに伸ばした右手の振り袖が、クルリと返っていて、扇を持った手も"逆手"。そうなんです、そういった「動き」が、一見静かな、止まっているように見える絵の中にあったんです!

もう一つ見たかった「焔」は見られなかったので、今度11月から京都の国立近代美術館で展示されるでしょうから、もう一度行って見てみたいと思います。

で、図録、購入しました、重いのに。それだけの甲斐はありました。


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(2010、10、18読了)

2010年10月30日 12:05 | コメント (0)