新・読書日記
2010_207
『わたくしが旅から学んだこと』(兼高かおる、小学館:2010、9、6第1刷・2010、9、22第2刷)
わあ、兼高かおるさんの本だ!!と思って購入。もう80歳になっているんですか!ひえー・・・って、私も50になろうとしているんだから、特に不思議はないのですが・・・。
写真も載っていて(なんと水着姿も!)、懐かしいなあと思いながら、「時代」を感じますねえ。その「時代」に、最前線で出会って見続けてきたということが素晴しいと思います。ある意味、トム・ハンクスの映画『フォレストガンプ~一期一会』の主人公を"地で"過ごした方なのではないでしょうか。お元気で!ありがとう!
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(2010、10、12読了)
2010年10月29日 13:23
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新・読書日記
2010_206
『これからの「正義」の話をしよう』(マイケル・サンデル、鬼澤忍・訳、早川書房:2010、5、25第1版・2010、6、22第22版)
1章=約40ページ。それを読むのに1時間かかる!買ってから10章読み終えるのに、なんと4か月もかかった!難しかったあ・・・。
NHK教育テレビのこの番組も、2回ほど見たが、面白いけど難しかった。なんだかごまかされているような気分にも・・・。いつもおんなじ学生が答えていたし、やはりサンデル先生が熱弁していても居眠りしてる学生もいたし。ハーバードでもそれなら・・・とちょっと安心。もちろん英語の授業だから、私でも最初から居眠りだろうが、もし英語が完全に分かったとしても、居眠りするだろうから。
しかし読んでいて時々「おっ!」と目が覚める「お題」もあった。例えば「チアリーダー」を巡る話。これって「アナウンサー」にも共通する話題だなあ。つまり「性質と目的を決める」という項目。
「チアリーディングのような社会的営みには、機能的な目的(選手の応援)だけでなく、名誉や規範性にまつわる目的(特定の長所や美徳の称賛)がある。」
というのは「なるほどなるほど」と思いました。
それと、こういった「哲学」のように、簡単には答えが出せない「よく似たもの」を、以前、クイズのように尋ねられたことがあったのを思い出した。ものすごく「下世話な」・・・というか「下品な」たとえで恐縮ですが、10年か20年前にありませんでしたか?・・・・・
「ウ○コ味のカレー」と「カレー味のウ○コ」の2つしかなく場合、どちらかを食べなければ死んでしまう場合、さあ、どっちを食べる?という「究極の選択」、これを思い出した。
この本では、「ナチス占領下のフランスを、フランスのレジスタン運動のメンバーが『故郷の村を爆撃せよ』と命令された場面で、『任務を免除してほしい』と願い出た。このレジスタンスの兵士の行動に共感できるかどうか」というのも、一種の「究極の選択」であろう。こっちの方が"命"がかかっているから、もちろん重要な選択なんですけど。
そう考えると、人生というのは常になんらかの「選択」を強いられ、「選択」し続けているようにも思えますね。さあ、今日の夕食は、カレーか・・・。
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(2010、10、16読了)
2010年10月28日 19:22
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新・読書日記
2010_205
『天使の相棒~杉浦忠と長嶋茂雄』(ねじめ正一、集英社:2003、10、29第1刷・2003、12、30第2刷)
読み終わって奥付を見て、「え?そんなに前に出たものだっけ?」と。これもまた、読まずに積まれていたまま時を経てしまった一冊。
主人公はもちろん杉浦。プロに入ってからの日本シリーズ・血染めの4連投4連勝は「エピローグ」にすぎず、中学・高校から大学での杉浦のことが、詳しく書かれている「青春モノ」。本当は早稲田の政経に行って新聞記者になりたかったのに、セレクションで立教大学に行った事で長嶋と出会い本屋敷と出会い・・・みんな若かったんだなあ・・・と。
サブマリン(下手投げ)になった時のきっかけなどは初めて知った。
私は長嶋の現役選手時代は、一部リアルタイムに知っているが、杉浦の現役選手時代は知らない。杉浦といえば、「南海ホークス最後の監督」としてだけしか知らないので、この本は新鮮に読めた。爽やかな読後感。
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(2010、10、26読了)
2010年10月27日 12:42
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新・読書日記
2010_204
『笑う科学イグ・ノーベル賞』(志村幸雄、PHPサイエンス・ワールド新書:2009、11、4)
去年購入、1年経ったノーベル賞ウイークに読み出して、ようやく読了。
イグ・ノーベル賞20年の歴史の中でも、日本人の受賞者がこんなにいるとは!笑い・パロディーの精神と、役に立たないことに力と情熱を注ぐことに敬意を表すること、それは"文化"だよなあ。また、イグ・ノーベル賞受賞者からノーベル賞受賞者が出てるんだから、バカにしたものではない。
「ピカソとモネの作品を識別するハト」、「兼六園の銅像がハトに嫌われる理由の化学的考察」、「バニラの芳香成分『バニリン』を牛糞から抽出」、「犬の言葉がわかる『バウリンガル』」も、もちろんおもしろいが、2000年に医学賞を受賞した「性交中の男女の生殖器と性的に興奮した女性のMRI撮影」って・・・何を"研究"してんねん!
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(2010、10、24読了)
2010年10月26日 19:41
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新・読書日記
2010_203
『恐れるな!~なぜ日本はベスト16で終わったのか?』(イビチャ・オシム、角川oneテーマ21:2010、10、10)
オシムが言ってることは終始一貫しているのだろう。今回の本が前作よりはわかりやすく、前向きな提言のように感じたのは、受け止める"こちら側の"意識の変化だろう。
「日本はオランダに勝てた!」「森本を起用すべきだったのか?」「PK戦の選手心理・監督心理」、「選手のスピードにはプレー・考えること・ランニングの三つがあるが、日本選手には前二者のスピードに欠けること」、「チーム・キャプテンとゲーム・キャプテンを置いたことの意義」、「カウンターのできる選手を見つけること」、「野心を持て!」「松井は、いつサッカー選手をやめてもフランス語の通訳で食っていけるぐらい、流暢にフランス語をしゃべる」、「メンバー構成における監督の手腕と難しさ」、「南米勢のメンタリティ」、「ブラジルはなぜ負けたか?」、「狂気のプレイヤーをさがせ」など興味深い内容。
本田を評価しつつも、「パラグアイ戦での左足シュートは、エゴイズムによるものだ」と厳しく批判している。
それにしても、監督をやめたあとにもこのような日本代表を強くするための本を書いた外国人監督がいたか?(ファルカンやトルシエやジーコがそんな本を書いたか?)そんな人は、オシム以前で言うと(代表監督ではないが)、D・クラーマーぐらいではないか。帯には「ザックジャパンに告ぐ!」とあった。
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(2010、10、24読了)
2010年10月26日 12:39
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新・読書日記
2010_202
『タバコ狩り』(室井尚、平凡社新書:2009、6、15)
著者は、この本を読み出せばすぐ分かるように「喫煙者」。途中でそれを「自白」しているが、最初に立場を記しておくべきだ。あ、私は「非喫煙者」です。
「喫煙者」の立場から「受動喫煙の害はない」と言われても、煙は明らかに煙い。そもそも、当事者たる喫煙者が何を言っても信用されない。当事者の喫煙に関する報告は信頼できないのではないか?
ただ・・・なぜタバコを吸わない私が、タバコに関する本を結構、読むかと言うと、昨今の「タバコ迫害」は、明らかに度を超していると思うからだ。「禁煙ファシズム」などとも言われるが、確かにそういった傾向が強い。そこまで追い詰めなくても・・・という思いは、「弱い立場の者を容赦なく追い詰める昨今の風潮」に"異議"を唱えるためである。
とは言うものに、歩きタバコの風下に立ったときには「このやろう!」と思う。ポイ捨てをするのは喫煙者だけだ。「なんでこんなところに捨てるねん!」と腹立たしい。でも・・・。うーん、やはり非喫煙者でタバコを擁護する人でもないと、信用はされないのだろうなあ・・・。そこまで私がタバコを擁護するかと言うと・・・・ねえ・・・。
でも、タバコ迫害者たちが根拠とするデータが、実はあまり信用がおけないものである、というこの本の主張には、納得できる部分がある。好き嫌い、憎む憎まないとは違う地点から、客観的にデータを扱うことが必要なのだが・・・。
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(2010、10、13読了)
2010年10月25日 12:56
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新・読書日記
2010_201
『日本語は敬語があって主語がない~「地上の視点」の日本文化論』(金谷武洋、光文社新書:2010、9、20)
著者はカナダに住んでいて、『日本語に主語はない』等の著作がある。その意味では「主語がない」シリーズ?なのか?
第一章の「英語で視点が移動する『雪国』」は「なるほど」と思った。翻訳とはそういうものかも知れない。第二章の「『あげる』と『くれる』は敬語だった」も"少し"「なるほど」と納得。しかし最後の第五章「俳句と相撲と庭園と」になると、「文化論」になってしまい、これはちょっと「そうかなあ・・・」という、著者の思い込みの強い部分が出ていた。面白いけど、万人が「そうだったのか!」とは思えないだろう。なお、一番最後に書いている「宇多田ヒカルと英語のパワー」は「宇多田」ファンとしては、真っ先に読んで、「たしかに」とは思ったけど「それで?」という感じでもあった。
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(2010、10、9読了)
2010年10月24日 19:54
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新・読書日記
2010_200
『日本一難しい!?究極の日本語クイズ』(中村裕+日本国語大辞典編集部・編)
小学館「ワンコイン」言葉シリーズ、第3弾!
「世界最大の日本語辞典『日本語国語大辞典』から出題する、言葉のウンチククイズ200問」「全問正解したあなたは『世界一の日本語マスター』です!」と表紙に。たしかに、めちゃくちゃ難しい。全問(200問)正解どころか、20問だって難しいと思う。著者の中村さんは、『日本国語大辞典・第二版』を完全読破したそうです。...すごい!13巻もあるんですよ!私が読破したのは、せいぜい1620ページの『新明解国語辞典』ぐらいです。
勉強になったものを挙げると、「ほくそ笑む」の「ほくそ」とは?・・・・・「ほくそ」を漢字で書くと「北叟」。意味は中国北辺の老人で、『淮南子~人間訓』に出てくるあの「塞翁が馬」の「塞翁」のことをさすのだそうです。「塞翁」は、世の喜憂・善悪いずれにもほほえんだからだって。
また、「大無人、天無人、王無中、罪無非、吾口無、交無人、切無刀、分無刀、丸無点、千無点」って、一体何のこと?~僧侶の間で使われた「字謎」だそうです。答えを見たら、「あ、これみたことある!」と思い出しましたが。
そして、第200問「春三夏六秋一無冬」は、あることの回数をさすと・・・・。答えはなんと「四季における理想的な性交の回数」。「無」は「ゼロ」という解釈と「制限はない」という解釈とがあるそうですが。最後にこんな問題を持ってくるという、意図は一体!?
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(2010、10、18読了)
2010年10月24日 12:34
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新・読書日記
2010_198
『茨木のり子集 言の葉2』(茨木のり子、ちくま文庫:2010、9、10)
詩もさることながら、エッセイでの評伝が興味深い。この第2巻では、金子光晴、谷川俊太郎、吉井勇など。また、山形出身の母の東北弁についてのエッセイや、ハングルについての思いも興味深い。横光利一が庄内地方に疎開していたときに、村の娘たちの言葉がまるでフランス語を聞いているようだと感嘆して『夜の靴』という随筆集に書いていたそうな。「私の祖国と呼べるものは日本語だと思い知りました」という言葉は、石垣りん『ユーモアの鎖国』からだと知りました。また、「いちど視たもの」では過激な「天皇制批判」。「奴隷根性」という表現で、返す刀で「民衆批判」。うーん、斬りに来ているな。
このシリーズ「3」も出ているようなので、読んでみようと思います。
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(2010、10、17読了)
2010年10月23日 12:30
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新・読書日記
2010_196
『歌う国民~唱歌、校歌、うたごえ』(渡部裕、中公新書:2010,9、25)
面白い本だ!「唱歌」に興味があって、サブタイトルにつられて読んだのだが、なかなか詳細に亘った論文である。「唱歌」が「近代国家」建設のための手段として使われたこと、初期の「唱歌」は正にその目的のために作られたのだと。ですからそれに反発して生まれてきたのが「童謡」の運動であった。が、いつの間にか内容が似てしまって、「童謡・唱歌」と「同じくくり」にされてしまったということで。言われてみて「あ、そうだった」と思いだした次第。「第四章・卒業式の歌をめぐる攻防」「第五章・校歌をめぐるコンテクストの変容」「第七章・『労働者の歌』の戦前と戦後」も大変、興味深かかった。
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(2010、10、4読了)
2010年10月20日 03:18
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新・読書日記
2010_195
『大人のための教科書の歌』(川崎洋、いそっぷ社:1998、7、30)
こういう本は大好きです。川崎洋さんもお亡くなりになりましたが・・・「茨木のり子」さんともお友達でしたよね。川崎さんが「西南学院大学グリークラブ」出身とは知らなかったなあ。
この本は、読んだつもりになっていて、まだ読んでいなかった。その間に12年も経っていたと、「浦島太郎」のような・・・・。川崎さんも茨木さんもお亡くなりになって。でも、本を読んでいると、まだ生きているような気がしています。
巻末に、ここで取り上げた歌が、「いつからいつまで、教科書に載っていたか」のグラフ(一覧表)がある。"時代"を一目で捉えることが出来ます。
「トロイカ」という言葉を若い人が知らないと、この前、知りましたが、「トロイカ」という曲を知っていなければ、それもそうかもしれないとも思いました。
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(2010、10、8読了)
2010年10月13日 18:01
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新・読書日記
2010_194
『滝山コミューン一九七四』(原武史、講談社文庫:2010、6、15)
2010読書日記123で書いた『団地の時代』(原武史・重松清、新潮選書:2010、5、25)、この対談のきっかけとなったのが本書。「読まねば!」と思って文庫本を買ってきたら・・・家に単行本がありました。出てすぐに買って、まだ読んでなかったのね。こんなの、ばっかし。
著者の原武史先生とは(面識はないが)同世代(彼の方が1つ年下)で「団地育ち」という点も同じなので、共感できる部分もあるが、この「滝山団地」のような「思想的な一体感」は、うちは強くはなかった。
私がこれを読んで思い出したのは、やはり1970年前後に漂っていた「左」の空気。ここに出てきた、「遠山啓」の数学の「水道方式」などは聞いたことがある。「遠山啓」の名前はもちろん知っている。「班学習」「班ノート」もあった。「班」の起源が、旧日本軍の「班」であり、「隣組」にあったとは知らなかった・・・。
当時の若い教師の中に「学生運動崩れ」の人がいたらしいことも、聞いてはいた。私の体験で言えば、ある地区の中学からは特定の公立高校(新設校)へ行くことを、半ば強制させられる「地元集中」という運動があった。指定の地元校でない高校を受けたいと言っても、先生に願書を書いてもらえないというような「いじめ」があった。そういった臭いをプンプンとさせていた。個人よりも全体を優先させる「思想」の臭いがしたので、私は反発した。このあたりの話をすると、今でもとても熱くなれる。ま、ここでは、すまいが。
で、「滝山コミューン」が見せた「民主集中制」と、大阪府の橋下知事が目指す「民主集中制」は「同じ臭い」がする。つまり「権力者の独裁」である。そこの不安が払拭されないと、一つにまとまるのは難しいと思う。
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(2010、9、19読了)
2010年10月13日 10:01
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新・読書日記
2010_193
『家族の昭和』(関川夏央、新潮社:2008、5、25第1刷・2008、9、5第3刷)
向田邦子と幸田文という二人の女性作家の作品から、「昭和」という時代を考察するという一冊。2年前に出ていたのだが、読むのが遅くなってしまいました。もしかしたら「昭和30年代ブーム」(「三丁目の夕日」)の流れもちょっとあるのかなと思いましたが。
大学時代、「向田邦子」について「ゼミ論」を書いてる友人がいて、「なんだか、軽いな」と思った覚えがある。しかし、今なら十分「向田邦子」は研究対象になると思う。その時代背景も含めて。彼には「先見の明」があったということか。もちろん私も、向田邦子を当時読んではいたのだが。
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(2010、8、27読了)
2010年10月12日 22:00
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新・読書日記
2010_192
『なぜ、ユニクロは1500円の商品で300円の利益をあげられるのか?』(洞口勝人、じっぴコンパクト新書:2010、9、14)
クイズ形式で一つ一つの謎を解いていき、その解説を丁寧にしてくれる感じの本。
たとえば、イトーヨーカ堂の利益率は、わずかに0,125%、原価率がなんと75%、これに対してユニクロ(国内)は、利益率20%!!うーん、結局、原価を下げると利益が増えるという当たり前のことを、どうやって実現する(できる)のかがポイントのようですね。改めて数字で示されると・・・すごい。
この本の中ではいろいろ「ヘエー」と思いましたが、中でもインドと中国の成長に、数字で接することが出来たので、それが勉強になりました。インドの携帯電話の普及率、知ってますか?なんと「50%」ですって。しかし中には「電気が通っていない」村も。そんなところで、なんで携帯電話が使えるのか?答えは「太陽電池」。携帯電話にソーラー充電機能が付いているのだそうです。普通の電話は、設備の設置にお金がかかりますが、携帯電話は(固定電話に比べると)はるかに設置費用が安くて済むことも、普及を後押ししているとか。世界は、知らない間に変わっているのですね。大変、勉強になりました!
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(2010、9、30読了)
2010年10月12日 18:59
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新・読書日記
2010_191
『話の腰を上手に折る技術』(藤田完二、中公新書ラクレ:2010、9、10)
「話の腰を折る」と言うと、「なんだか、いやなヤツ」みたいに感じますが、つまりは「話が長い人」の特徴を捉えて、うまくそれを軌道修正させる技術、といった感じですね。そして「自分自身が"話の長い人"になっていないかどう」「そう、ならないようにするには」といった「予防法」の本とも言えます。プラス・イメージで。いわゆる「コーチング」の本の一種のように感じました。
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(2010、10、2読了)
2010年10月12日 10:23
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新・読書日記
2010_190
『言の葉磨き辞典~誤りから学ぶ正しい日本語』(小塚博、私家版:2010、5、21)
静岡放送で6年にわたって毎月行われてきた「言の葉磨き講座」、その成果をまとめて「辞典」にして「私家版」で発行されたもの。「言の葉磨き講座」に関わってきた静岡放送の國本さんから、一冊頂いた。今年の6月のことでしたが。で、もちろんすぐに読んだのですが、そのまま「積む読」の山の中に埋もれていたものを発掘!改めて読み直した。
うーん、地道に繰り返し繰り返し、こういった活動を続け、それを記録として残すことの大切さを改めて実感。私の「平成ことば事情」も、そういったことの一環なんですが。同じ"志"の方々の「頑張り」を見て、(他系列ですが、同業界)力強く思った次第。やはり「プロ」は、こうでなくっちゃ!
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(2010、10、5読了)
2010年10月11日 18:23
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新・読書日記
2010_189
『茨木のり子集 言の葉Ⅰ(茨木のり子、ちくま文庫:2010、8、10)
ずばり「言の葉」というタイトルの詩集。いくつかの詩集から抜粋したもののよう。茨木のり子さんが亡くなって、もう4年経つか。とっつきやすい口語の詩には親しみがわく。茨木の「詩」のほかに、エッセイ、ラジオドラマの台本・童話・民話・評伝と、幅広い著者の活動をすくい上げている一冊。
中でも、「山之口漠」の評伝が、興味深かった。沖縄出身だったんですね、漠さんは。なぜか三重県出身だと思っていた。佐藤春夫や伊藤光晴との交流など、その時代の中での「山之口漠」像が浮かび上がってきました。
この評伝の中に「沖縄」の語源についても記されていて、奈良時代の文献には、
『阿児奈波(おちなは)』
と出ていると。こうした古い呼び名に「沖縄」という当て字を使ったのだそうです。「琉球」の呼び名は中国が付けたものですが、江戸時代、1609年に薩摩藩主の島津家久が琉球を攻め落とし、支配下に。明治12(1879)年には、日本の「沖縄県」になったのだそうです。
「おちなは」が「おきなわ」になるということは、沖縄の言葉の「ち」は、日本語(標準語)の音の「き」にあたると。つまり沖縄方言の「頑張れ」の意味の「ちばりょう」は、標準語音で言えば「きばりょう」=「気張れ」。ああ、沖縄の言葉も日本語なんだなと感じました(当たり前の話ですが)。
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(2010、10、7読了)
2010年10月11日 12:22
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新・読書日記
2010_188
『絶滅寸前季語辞典』(夏井いつき、ちくま文庫:2010、8、10)
2001年8月に東京堂出版より刊行されたものの文庫化。
著者の俳人・夏井いつきという人を、私は不勉強で知らなかったが、地元・愛媛では有名人なのだろう。『坊ちゃん』の地元(と言っても「坊ちゃん」は松山の人ではないが)、「俳句甲子園」までやっている愛媛・松山だから、その中心人物のお一人なんだろうな、きっと。「絶滅季語辞典」というのは、まあ「死語辞典」のようなもので、なんとなく「郷愁」とか「わび」「さび」とか「はかなさ」とか、そういった興味を掻き立てるものではありますな。伝統を守る、つなぐ意味でも、こういう試みを楽しみながらやるというのは、いいなあと思います。
400ページ近くもある「辞典」を「読む」のは疲れるので、まず現在の季節である「夏」から読み始め・・・読んでいる間に季節は「秋」に移り、ようやく、実際の季節を追い越して「冬」の季語を読み、その後は「新年」の季語になるのだがこれは後に残して「春」の季語を読み、最後に「新年」の季語を読みました。いつの間にか実際の季節は、すっかり「秋」になっていました。フー。
季語の中で気になったものは・・・
*「麝香連理草」。「じゃこうれんりそう」と読み、「スイートピー」のことだそうです。
*「童貞聖マリア無原罪の御孕(おんやどり)りの祝日(いわいび)」。長い季語!冬の季語だそうです。既に五・七・五=17文字を超えてますけど・・・例句はないそうです。だれが季語に認めたんだ?
*「雀(スズメ)大水(うみ)に入り蛤(はまぐり)になる」。晩秋の季語。七十二候の一つ。「七十二候」にはこういった「○○が◆◆になる」といったパターンの長めの季語が多いそうです。意味は、よくわかんないけど。
いやあ、世の中、知らないことが多いなあと実感。ボキャブラリーを増やしたい方は、是非お読み下さい。
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(2010、10、6読了)
2010年10月11日 10:21
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新・読書日記
2010_187
『最後の喫煙者~自選ドタバタ傑作集1』(筒井康隆、新潮文庫:2002、11、1第1刷・2010、5、15第14刷)
昭和47(1972)年から平成2(1990)年までに書かれた短編9編。新潮文庫の筒井康隆の赤い背表紙が懐かしい。「最後の喫煙者」が平成2年だが、たばこの大幅値上げのこの時期にふさわしい、未来を予見した作品。「問題外科」の医療ミスも、舞台を検察にしたらそのままいけるかも。
約40~20年前に書かれたそんなめちゃくちや、ドタバタ作品が、21世紀の現代にあてはまってしまうなんて、「そんなアホな!」の「現代」ですねえ...。それにしても筒井康隆はやっぱり天才!
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(2010、10、3読了)
2010年10月10日 22:18
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新・読書日記
2010_186
『善人ほど悪い奴はいない~ニーチェの人間学』(中島義道、角川ONEテーマ21:2010、8、10)
善人ほど悪いと。自覚がないから。じゃあ悪を自覚してる悪人の方がましなのか。そもそも善悪の基準は?ニーチェが指摘した「弱さを武器にした悪臭」。
『ヒトラーの率いるナチスは、多くの国民に頭が相当悪くても理解できるようなわかりやすい希望と目的を示した。(中略)マヌケでもウスノロでも役立たずでも、ドイツ人というだけでもう合格なのだから、こんなにラクで簡単なことはない。ドイツ人というだけで自分は自動的に「ダメ人間」ではなくなるのだ!』
『しかも、ヒトラーが、こうした単純きわまりない思想以外のすべての思想を徹底的に弾圧することによって、「健全な」国家を望んでいたことを忘れてはならない。』
タイトルは、弱者を武器・売り物にする奴ほど悪い奴はいない、という意味か。
中島義道の本は、もう「卒業」したつもりだったが、この前「ニーチェ本」を読んだのでその関連で「読んでみようかな」と買ってしまった。しかも3分の1ぐらい読んでから、自分の部屋の「積んどく」の山の中に同じ本があるのを発見・・・久々に「二冊買い」をやってしまった・・・。
うーん、難しい。ニーチェが『超訳ニーチェの言葉』にあるような「超人」ですごい人ではなく、悩んで悩んでついには発狂したというような背景を書いてある。著者は「超訳」本が売れているのを危惧して、この本を書いたと「あとがき」に書いてある。「まえがき」には「2ちゃんねる」に匿名でウサ晴らしの書き込みをするような奴らが、ニーチェを気取るなというようなことも書いてある。相変わらず挑戦的である。
「善人」と聞いて思い出すのは、中学か高校の時に読んだ大西赤人の『善人は若死にする』だが、この「善人」と、本書の「善人」とは(同じ言葉だが)、ちょっと意味が違うような気がした。本書では「善人=大衆=群集=畜群」という捉え方。「畜群」って、ひどい言葉だな。
少数の「エリート」であろうとしてそれが叶わなかった、また、巷でのそんなことのために努力をすることは、既に「エリート」のすることではないというジレンマに悩み苦しんだニーチェの一面を知ることができる一冊ではありました。
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(2010、10、10読了)
2010年10月10日 20:16
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新・読書日記
2010_185
『どれだけ知ってる?「メアドな日本語」略語クイズ』(藤井青銅+日本国語大辞典編集部、小学館:2010、9、10)
読書日記184と同じ「ワンコイン・シリーズ」。著者は「略語天国」と言う著書もある「カタカナ語」の専門家。最近のカタカナ略語の傾向として「4文字→3文字」への変化があり、それは「世の中のスピード化」によるという。
それもあるかもしれないけど、私は「世の中の関西化」の影響ではないかと見ているのだが。だって、関西弁は略語といえば「3拍中高」ですから。東京は「4文字略語」の文化でしょう。「文化の変化」ではないのでしょうか?
タイトルにもなっている「メアド」は「メールアドレス」の略語だが、関東では「メルアド」という4文字の傾向が強かったのではないか?そのあたりは「平成ことば事情」で読んでください。きっと書いているはず・・・。
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(2010、9、30読了)
2010年10月 7日 12:09
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新・読書日記
2010_184
『知らないと悔しい!小学生の辞書にある漢字』(小学館国語辞典編集部編、小学館:2010、9、20)
小学館の国語辞典編集部が、満を持して?出した「ワンコイン(500円)」シリーズ。私の本『スープのさめない距離』の担当編集者だったMさんが「次はワンコインの本を出したい」と話していたのは、たしか2年半前。「ようやく出たか」という気がします。
手軽に読めて勉強になりますね。結構、読めないものがありました。あ、見たことあるけど・・・という漢字で、いや感じで。1ページに10個、漢字があると8~9割読めますが、あと1つ・2つが・・・。例えば、
「抓る」「翳す」「賺す」「暈す」「箍」「矮鶏」
読めますか?私は読めませんでした。正解は、
「つねる」「かざす」「すかす」「ぼかす」「たが」「ちゃぼ」。
難しいなあ、漢字って。
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(2010、10、6読了)
2010年10月 6日 22:02
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新・読書日記
2010_182
『黒澤明という時代』(小林信彦、文藝春秋:2009、9、15)
出てすぐに買ったが、読むまで(読み始めるまで)に1年かかった。
黒澤が「天皇」になるまでの歩み、リアルタイムに同時代に見てきた著者が記す。私が始めて観た黒澤映画は『七人の侍』。これを梅田の北野劇場(だったと思う)で・・・でもまだ「ナビオ」が出来る前だったけど(とするとコマ劇場か?)観た。中学2年の時だから1975年のたぶん11月3日。友人と観に行った。リバイバル上映で、途中で休憩があった。とにかく、その迫力に圧倒されたことしか覚えていない感じ。三船敏郎はハチャメチャで、冷静な志村喬が印象に残った。その後『影武者』『乱』からは私も同時代だが、実は観ていなかった。『夢』は1990年だったか、これは観に行った。映像がきれいな映画だった。『まあだだよ』は「へえ、所ジョージが出てるんだぁ」と思ったが、これも観に行ってない。黒澤の死後、近くの公民館で上映された『天国と地獄』を見た。これは面白かった。『七人の侍』で観た三船敏郎のイメージが変わった。ビデオを借りてきて観た『野良犬』も良かった。時代が感じられた。『椿三十郎』もおもしろかった。『生きる』はいろいろ考えさせられた。『羅生門』、そんなに面白かったイメージはない。なんだ、結構、観てるな。
黒澤とその時代を読み解いていく本書。読み進むうちに、もう一度、黒澤映画を観てみたくなること、必至。
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(2010、9、22読了)
2010年10月 5日 12:29
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新・読書日記
2010_181
『山の遭難~あなたの山登りは大丈夫か』(羽根田治、平凡社新書:2010、1、15)
今年の夏は、山での遭難事故が相次いだ。「冬山」の遭難は分かるが、「夏山」でなぜ?とシロウトなので思ってしまう部分があるが、本書を読めばその謎が解ける。基本的には「山」の恐さを分からずに(甘く見て)軽い気持ちで、軽装で準備もせずに山に登ることが原因。昨今の「百名山ブーム」、団塊世代が定年で、中高年になってから「また山にでも登るか」というケースが増えているのも背景にあるという。また、山では「転倒」が大事故につながるという。昨今、安易にヘリコプターの救助要請をするのも、二重三重の事故を招いたりする原因となるそうだ。しかも「民間のヘリだとお金がかかるから、警察か消防のヘリを」と「リクエスト」するずうずうしい人まで・・・。自己チュー、ここにきわまれり。携帯電話の普及で、「遭難したときには、電話すればいいや」と軽い気持ちになっている部分もあるという。ところがそういった時に限って「電池切れ」になったりすることも多いそうだ。山に登ることがあまりない素人の私だが、実は下界の生活態度が、山での遭難を引き起こしている面もあるのだということが、よくわかった。
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(2010、8、29読了)
2010年10月 4日 22:29
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新・読書日記
2010_180
『ちびくろさんぼのおはなし』(へれん・ばなーまん、なだもとまさひさ訳、1999、5、20第1刷・径書房)
ほんとに小さな本。一時「ちびくろサンボ」が絶版になったあと、復刊した際に、京都産業大学の灘本先生が翻訳して出したもの。5歳の娘に読み聞かせました。おかあさんが「くろじゃんぼ」、お母さんが「くろまんぼ」・・・・。サンボがきれいな服を着てサンポに行くと、次々と虎が襲ってきて、「食べちゃうぞ」と。命と引き換えに、服やズボンや靴や傘を取られて・・・。
そのお話を読んでいて、「あっ!」と思いました。たしかにこの話は、「インドから搾取する帝国主義の大国」に見える!虎が、インドを蹂躙する大国に見えたのです!そうして虎たちは、お互いに争ってバターとなってしまうのはご存じのとおり。そのバターをつけて食べたホットケーキは、サンボ親子3人で200枚を超えているのには、びっくりしましたとさ。
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(2010、9、28読了)
2010年10月 1日 22:04
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