新・ことば事情
4161「パンダの死を"悼む"」
先日、神戸の王子動物園でパンダが死んだ時、報道デスクから、
「道浦さん、パンダに"死亡"は使えないんですよね!?」
という問い合わせがありました。これまでの例を出して、
「『死亡』『「亡くなる」は、人間にしか使わない』
と答えました。
その翌日、今度は、
「パンダの死を"悼む"と原稿に書いたら、アナウンサーから『"悼む"はパンダには使えないのではないか?』と言われましたが、どうなんでしょうか?」
と聞かれました。たしかに、ちょっと違和感があります。
なぜ、「パンダの死を"悼む"」には違和感を覚えるのでしょうか?
思うに、「悼む」のは(人間の)同等かそれ以上の存在である者の場合に使うのではないでしょうか?その意味で、「人間様」より「下位」に置かれている「動物」には本来、使いにくい。しかし最近は、「人間と同等かそれ以上」の扱いで「動物」を可愛がる人が増えたために、使いたがるのではないか?また、それほど違和感がなくなってきているのではないか?という気がしました。
ここまで考えてから、辞書で「悼む」を引きましょう。
『精選版日本国語大辞典』=「二・3(悼)人の死を嘆き悲しむ」
あ、答えが出ていた。やっぱり「人の死」なんだ。
『デジタル大辞泉』=「(「痛む」と同語源)人の死を悲しみ嘆く」
『明鏡国語辞典』=「人の死を嘆き悲しむ。哀悼する。」
『広辞苑』=「ニ・2(悼)人の死を悲しみなげく。」
『三省堂国語辞典』=「人の死などを悲しみ、おしむ。」
『新明解国語辞典』=「人の死を悲しみ惜しむ」
と、ここまですべて「悼む」のは「人の死」で、「悼む」の用例も「友」「恩師」などで「パンダ」はありませんでした。
人間以上に可愛がる「ペット」に餌を「あげる」と同じようなことかもしれません。