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『道浦TIME』

新・ことば事情

4152「クレージーキャッツの表記」

9月11日、コメディアンで俳優、トロンボーン奏者でもある元クレージーキャッツの谷啓さんが亡くなりました。78歳でした。前日に自宅の階段で転倒し、頭部を強打したことによる「脳挫傷」とのことです。突然でしたので、驚きました・・・。

さて、9月13日の「ミヤネ屋」で、このニュースを取り上げることになったのですが、谷さんが所属していた、

「クレジーキャッツ」

の表記について、Mディレクターが質問してきました。

「これは『クレジー』ですか?それとも『クレジー』ですか?それと『キャッツ』の前に『中黒(・)』は入りますか?」

あー!全然気にしてなかった!

新聞を見てみると、9月12日の朝刊は、読売・朝日・毎日・産経・日経はすべて、

「クレジーキャッツ」

と、「-」で引っ張り、「・」は「なし」でした。M君には、

「日本テレビの表記に合わせたら?」

と言ったのですが、Mディレクターと、字幕スーパーのオペレーターH君が、

「それがぁ・・・」

と顔を見合わせます。というのも、

「きょう(913日)の日本テレビ『スッキリ!!』では『クレジーキャッツ』だったが、さっき放送していた『Don』では『クレジーキャッツ』だった」

と言うのです。しかも、Mディレクターによると、

「所属事務所のオフィシャル・サイトでは『クレジーキャッツ』だが、昔(1961年)出たレコード(「スーダラ節」)のジャケットには『クレジーキャッツ』と書いてある。」

というのです。うーん、困った。

つまり、こういうことですね。表記は、

(1)クレジーキャッツ

(2)クレジーキャッツ

(3)クレジーキャッツ

(4)クレジーキャッツ

4種類があると。

日本テレビに問い合わせるとともに、Mディレクターは所属事務所に電話で確認しました。

事務所から、

「クレジーキャッツ」<つまり(1)>

という回答をもらうのと、日本テレビからメールが来るのがほぼ同時でした。日本テレビからの回答には、

「新聞用語の原則からすると(1)で、日テレのニュースは、報道のテロップセンターに確認したところ、(1)を使っている。プロダクションのタレント名には(3)が使われている。従って、外来語の表記に従ったのが(1)、プロダクションのタレント名に従ったのが(3)」

そして、「ここからは想像だ」と断った上で、

「『スッキリ!!』はニュース素材をそのまま使い、『DON』は『タレント名鑑』を見てテロップを載せたのかも知れない」

とのことでした。

なお、最近売り出したと思われるDVDボックスでは、

「クレジーキャッツ」

になっています。当時は特に表記にはこだわらなかったのでしょうかね?どうなんでしょう?途中で表記が変わったのかなあ?「琴欧」→「琴欧になったように。また「曙」横綱になったら「点」が付いたように。

(2010、9、13)

(追記)

あ、そうだ、あの本があった!

と、家に帰って探したのは、「小林信彦」の本。本棚を探すと・・・ありました、「植木等」に関する記述の中に。ともに新潮文庫版ですが、昭和57年(1982年)に出た『日本の喜劇人』(単行本は昭和52年=1977年)。ここでは、

「第7章      クレージー王朝の治世」

という章立てになっていて、その中では、

「クレジーキャッツ」

という表記。上で言うと(2)です。

ところが、その10年後の平成8年(1996年)に出た、『喜劇人に花束を~「植木等と藤山寛美」増補改題』(単行本は平成4年=1992年)「第一部 植木等」では、

「クレジーキャッツ」

となっています。上で言うと(4)です。

ただ、この本の中で出てくる「クレイジー」が出演した映画のタイトルは、

「クレジーの花嫁と七人の仲間」(1962

「クレジー作戦・先手必勝」(1963

「クレジー作戦・くたばれ!無責任」(1963

「香港クレジー作戦」(1963

「クレージ大作戦」(1966

「クレージだよ・天下無敵」(1966

「クレージだよ・奇想天外」(1966

「クレージの怪盗ジバコ」(1967

「クレージ・黄金作戦」(1967

「クレージ・メキシコ大作戦」(1968

「クレジー」の形です。

1960にはラジオで、

『クレジー・ジョッキー』

という番組もやっていたそうです。また、196061年ごろにはフジテレビで、

『クレジーキャッツ・ショー』(すぐに『週刊クレジー』に改称)

という番組もあったそうです。

『喜劇人に花束を』の2324ページにはこういう記述もあります。「クレジーキャッツ」はスタート時のバンド名は「キューバン・キャッツ」だったと。そして、

「<キューバン・キャツ>がいつ<クレジーキャッツ>に改名したかは当事者たちにも定かではない。ただ、一九五七年六月十八日から新宿コマ劇場で行われたショウ『ジャズは廻(まわ)る』には、<ハナ肇とクレジーキャッツ>の名が明記されている。同年三月から六月の間に改名され、テーマ曲が変わったと考えるのが自然だろう。一九五七年九月にそろったメンバーが、のちに広く知られる六人なのだが、念のために記しておく。

ドラムス   ハナ肇

ギター    植木等

トロンボーン 谷啓

ベース    犬塚弘

サックス   安田伸

ピアノ    石橋暎太郎』

また、同じく小林信彦の『コラムは笑う~エンタテインメント評判記198388』(筑摩書房)236ページに。1986年」に書かれた、

「76    ビデオ『クレジーキャッツDeluxe』の構成」

では、東宝ビデオから出たこのビデオの固有名詞が、

「クレジーキャッツ」

それにあわせてか、小林さんの地の文でも同じく、

「クレジーキャッツ」

を使っていました。うーん、意識して使い分けしているかどうか、これでは分からないです・・・。

時期によって違うのか?それとも「映画俳優」としては「クレージー・キャッツ」で、音楽活動は「クレイジー・キャッツ」なのか?いずれにしても小林信彦さんの記述では「・(中黒)」が入っています。

(2010、9、14)

(追記2)

ytvの図書室に行ってみました。久しぶり。報道局に来てから、なかなか時間が無くて行けなかったのですが。もちろん「クレイジー問題」を調べるためです。

図書室自体は小さいですが、テレビ局の図書室だけあって、放送関係の本は結構あります。で、いくつか見つけました。

*『日本映画戦後黄金時代・第17巻、東宝の主役』(1978110・戦後日本映画研究会編集)では、

「クレジーキャッツ」

     『映画史上ベスト200シリーズ・日本映画200』キネマ旬報社、1982530の中の「昭和37年「ニッポン無責任時代」東宝作品」の紹介文で、西脇英夫氏が、

「クレジーキャッツ」

そして、

     『テレビの黄金時代」(小林信彦責任編集、キネマ旬報別冊、1983510では、

「クレジーキャッツ」

そして、その中で紹介されている「フジテレビの番組名」(1964年)は、

『7時半だよクレジー』

また、1958616日に新宿のジャズ喫茶ACB(アシベ)での記念撮影された写真で、アシベから送られたペナントのようなものには、

「ハナ肇とクレジーキャッツ後援会」

の文字が。

映画「クレジーのぶちゃむくれ大発見」というのも。

 

そして決定的なのは、「フロントページ」(はしがき)に編者(小林信彦)として、

「過去の資料の中の表記(たとえば、クレ"イ"ジー"・"キャッツ等)は、あえて初出のままにした。混沌とした五、六○年代の熱気を感じとっていただければ幸いだ。」 

この「イ」と「・」に傍点がありました。

また、日本テレビの社史『テレビ夢50年』(2004年に出た50年史)の中にも、

「クレジーキャッツ」

とありました。

つまり、1950から60年代は「混沌」としていて「表記も統一されていなかった」のが、徐々に「クレジーキャッツ」に統一されてきたということのようです。

 

(2010、9、14)

2010年9月15日 21:50 | コメント (0)