9月11日、コメディアンで俳優、トロンボーン奏者でもある元クレージーキャッツの谷啓さんが亡くなりました。78歳でした。前日に自宅の階段で転倒し、頭部を強打したことによる「脳挫傷」とのことです。突然でしたので、驚きました・・・。
さて、9月13日の「ミヤネ屋」で、このニュースを取り上げることになったのですが、谷さんが所属していた、
「クレージーキャッツ」
の表記について、Mディレクターが質問してきました。
「これは『クレージー』ですか?それとも『クレイジー』ですか?それと『キャッツ』の前に『中黒(・)』は入りますか?」
あー!全然気にしてなかった!
新聞を見てみると、9月12日の朝刊は、読売・朝日・毎日・産経・日経はすべて、
「クレージーキャッツ」
と、「-」で引っ張り、「・」は「なし」でした。M君には、
「日本テレビの表記に合わせたら?」
と言ったのですが、Mディレクターと、字幕スーパーのオペレーターH君が、
「それがぁ・・・」
と顔を見合わせます。というのも、
「きょう(9月13日)の日本テレビ『スッキリ!!』では『クレージーキャッツ』だったが、さっき放送していた『Don』では『クレイジーキャッツ』だった」
と言うのです。しかも、Mディレクターによると、
「所属事務所のオフィシャル・サイトでは『クレージーキャッツ』だが、昔(1961年)出たレコード(「スーダラ節」)のジャケットには『クレイジー・キャッツ』と書いてある。」
というのです。うーん、困った。
つまり、こういうことですね。表記は、
(1)クレージーキャッツ
(2)クレージー・キャッツ
(3)クレイジーキャッツ
(4)クレイジー・キャッツ
の4種類があると。
日本テレビに問い合わせるとともに、Mディレクターは所属事務所に電話で確認しました。
事務所から、
「クレージーキャッツ」<つまり(1)>
という回答をもらうのと、日本テレビからメールが来るのがほぼ同時でした。日本テレビからの回答には、
「新聞用語の原則からすると(1)で、日テレのニュースは、報道のテロップセンターに確認したところ、(1)を使っている。プロダクションのタレント名には(3)が使われている。従って、外来語の表記に従ったのが(1)、プロダクションのタレント名に従ったのが(3)」
そして、「ここからは想像だ」と断った上で、
「『スッキリ!!』はニュース素材をそのまま使い、『DON』は『タレント名鑑』を見てテロップを載せたのかも知れない」
とのことでした。
なお、最近売り出したと思われるDVDボックスでは、
「クレージーキャッツ」
になっています。当時は特に表記にはこだわらなかったのでしょうかね?どうなんでしょう?途中で表記が変わったのかなあ?「琴欧州」→「琴欧洲」になったように。また「曙」が横綱になったら「点」が付いたように。
(2010、9、13)
(追記)
あ、そうだ、あの本があった!
と、家に帰って探したのは、「小林信彦」の本。本棚を探すと・・・ありました、「植木等」に関する記述の中に。ともに新潮文庫版ですが、昭和57年(1982年)に出た『日本の喜劇人』(単行本は昭和52年=1977年)。ここでは、
「第7章 クレージー王朝の治世」
という章立てになっていて、その中では、
「クレージー・キャッツ」
という表記。上で言うと(2)です。
ところが、その10年後の平成8年(1996年)に出た、『喜劇人に花束を~「植木等と藤山寛美」増補改題』(単行本は平成4年=1992年)の「第一部 植木等」では、
「クレイジー・キャッツ」
となっています。上で言うと(4)です。
ただ、この本の中で出てくる「クレイジー」が出演した映画のタイトルは、
「クレージーの花嫁と七人の仲間」(1962)
「クレージー作戦・先手必勝」(1963)
「クレージー作戦・くたばれ!無責任」(1963)
「香港クレージー作戦」(1963)
「クレージー大作戦」(1966)
「クレージーだよ・天下無敵」(1966)
「クレージーだよ・奇想天外」(1966)
「クレージーの怪盗ジバコ」(1967)
「クレージー・黄金作戦」(1967)
「クレージー・メキシコ大作戦」(1968)
と「クレージー」の形です。
1960年にはラジオで、
『クレイジー・ジョッキー』
という番組もやっていたそうです。また、1960~61年ごろにはフジテレビで、
『クレイジー・キャッツ・ショー』(すぐに『週刊クレイジー』に改称)
という番組もあったそうです。
『喜劇人に花束を』の23~24ページにはこういう記述もあります。「クレイジー・キャッツ」はスタート時のバンド名は「キューバン・キャッツ」だったと。そして、
「<キューバン・キャツ>がいつ<クレイジー・キャッツ>に改名したかは当事者たちにも定かではない。ただ、一九五七年六月十八日から新宿コマ劇場で行われたショウ『ジャズは廻(まわ)る』には、<ハナ肇とクレイジー・キャッツ>の名が明記されている。同年三月から六月の間に改名され、テーマ曲が変わったと考えるのが自然だろう。一九五七年九月にそろったメンバーが、のちに広く知られる六人なのだが、念のために記しておく。
ドラムス ハナ肇
ギター 植木等
トロンボーン 谷啓
ベース 犬塚弘
サックス 安田伸
ピアノ 石橋暎太郎』
また、同じく小林信彦の『コラムは笑う~エンタテインメント評判記1983~88』(筑摩書房)の236ページに。「1986年」に書かれた、
「76 ビデオ『クレージー・キャッツDeluxe』の構成」
では、東宝ビデオから出たこのビデオの固有名詞が、
「クレージー・キャッツ」
それにあわせてか、小林さんの地の文でも同じく、
「クレージー・キャッツ」
を使っていました。うーん、意識して使い分けしているかどうか、これでは分からないです・・・。
時期によって違うのか?それとも「映画俳優」としては「クレージー・キャッツ」で、音楽活動は「クレイジー・キャッツ」なのか?いずれにしても小林信彦さんの記述では「・(中黒)」が入っています。
(2010、9、14)
(追記2)
ytvの図書室に行ってみました。久しぶり。報道局に来てから、なかなか時間が無くて行けなかったのですが。もちろん「クレイジー問題」を調べるためです。
図書室自体は小さいですが、テレビ局の図書室だけあって、放送関係の本は結構あります。で、いくつか見つけました。
*『日本映画戦後黄金時代・第17巻、東宝の主役』(1978、1、10・戦後日本映画研究会編集)では、
「クレージー・キャッツ」
* 『映画史上ベスト200シリーズ・日本映画200』キネマ旬報社、1982、5、30)の中の「昭和37年「ニッポン無責任時代」東宝作品」の紹介文で、西脇英夫氏が、
「クレージーキャッツ」
そして、
* 『テレビの黄金時代」(小林信彦責任編集、キネマ旬報別冊、1983、5、10)では、
「クレージーキャッツ」
そして、その中で紹介されている「フジテレビの番組名」(1964年)は、
『7時半だよクレージー』
また、1958年6月16日に新宿のジャズ喫茶ACB(アシベ)での記念撮影された写真で、アシベから送られたペナントのようなものには、
「ハナ肇とクレイジーキャッツ後援会」
の文字が。
映画「クレージーのぶちゃむくれ大発見」というのも。
そして決定的なのは、「フロントページ」(はしがき)に編者(小林信彦)として、
「過去の資料の中の表記(たとえば、クレ"イ"ジー"・"キャッツ等)は、あえて初出のままにした。混沌とした五、六○年代の熱気を感じとっていただければ幸いだ。」
この「イ」と「・」に傍点がありました。
また、日本テレビの社史『テレビ夢50年』(2004年に出た50年史)の中にも、
「クレージーキャッツ」
とありました。
つまり、1950から60年代は「混沌」としていて「表記も統一されていなかった」のが、徐々に「クレージーキャッツ」に統一されてきたということのようです。
(2010、9、14)