新・読書日記 2010_153
『私の履歴書~広岡達朗』(広岡達朗、日本経済新聞:2010、8、1~)
これ、「読書日記」かどうか・・・「本」ではないのですが、とっても面白いのでご紹介します。
日本経済新聞・朝刊の最終面のご存じ(?)「私の履歴書」。功成り名を遂げた人が、その半生を1か月=30回で綴る名物コラム。これがその後、本になることも多いのですが、今月8月は、元プロ野球監督の広岡達朗氏。これがめちゃくちゃ面白いのですよ。歯に衣、着せぬ冷静な物言いは、現役時代と変わらないのですが、「冷静」という表現は当てはまらないかな、かなりの「偏屈」です。8月1日の第1回の見出しが「屈辱晴らすべく努力」とあって、
「川上(哲治)さんには、自分でまいた種とはいえ、引退してからベロビーチキャンプでの取材を拒否されるなど、冷たく扱われた。だが、それを『それなら巨人を破って日本一になってやる』というエネルギーに変えて頑張る事ができた。時間がたった今、自分に辛くあたった人、球団にはむしろ自分が発奮する手助けをしてくれた、と感謝している。川上さんにも、もちろん、何のわだかまりもない。」
と書いてあるのに、第6回では、自らのファースト(川上選手)への悪送球で逆転負けを食らったあとに、「あのくらいのボールを捕れないファーストがいたら野球なんてできるか」と言ったとか。(第6回)ひえー、大先輩(川上選手)に対してそりゃあ、恨まれるだろう!
また、
「『打撃の神様』川上哲治さん(中略)神様だけに他人のことは気にしない。(中略)他人のバットを黙って勝手に使い、挙げ句に折ったりする。それがたまたま私のものの場合『僕のバットを誰が折った』と怒ると、『オレの伝票やるからこれで作ってこい』と一言。当時は球団が選手のバット購入用の伝票を支給していた。それにしても勝手に折られてはかなわない」(第8回)
など、いまだに「恨み」に思っているフシが散見され、
「ああ、人間のこういった思いというのは、何十年たっても変わらないのだなあ・・・」
と、ため息ともに、深く考えさせられる。
また、長嶋選手(=後輩)に対しても、1964年8月6日の国鉄(現・ヤクルト)戦。スコア0-2と2点リードされて迎えた7回、1死3塁でバッター・ボックスに入った広岡選手、カウント2-0の場面。
「3球目で三塁走者の長嶋茂雄が猛然と本塁へ突っ込んできた。外野フライでも1点入る場面。セオリー無視でサインもなかったホームスチールである。タッチアウトとなった長嶋を、私は呆然と見つめていた。」(第10回)
投球はボールで、その後2-2から「見逃しの三振」に倒れた広岡選手は、
「私の怒りはベンチに向かった。『やめた、こんなばかな野球ができるか』とバットを持ってロッカールームに直行、そのまま家に帰ってしまった」
という。「ベンチがアホやからやってられへん」と言った江本投手を彷彿させますが、「クールな選手」どころか「かなり熱い選手」だったのですね、広岡選手。そういえばアメリカの飛行機の客室乗務員の男性が、危ない行為をしていた乗客注意したところ、クレームをつけられたうえ殴られて、「やってられるか!」と、缶ビールを1本取って脱出用滑り台から機外へ脱出したというニュースが先週ありましたが、まあ、そんな気持ちなのかな?
しかし、実はこれが「初めてなら、これほど怒りはしない」と広岡さん。実はその「2日前の神宮球場でも、七回2死一、三塁で長嶋が突っ込んできて」「カウント2-2からで、本塁を空けたら、投球がストライクで見逃しの三振に」なっていたというのです。「打者(=広岡)が打てそうもない」と"後輩の長嶋"が判断したからこそ「ホームスチール」を敢行したのだと、当然、広岡さんは思いますよね。「プライド」を、いたく傷つけられたのでしょう。そしてその思いは、それから46年経っても、いささかも薄れることがない、ということなのです・・・・すごい!
とにかく、あと数回の連載ですが、見逃せません!
コメント
道浦さんこんにちは。広岡氏の連載は僕も読んでいます。ラジオ日本での解説もよく聴きました。では失礼します。
投稿者: 小原正裕 日時:2010年08月24日(火) at 20:08
「私の履歴書」。これがあるから日経を読んでる人もいると思う。
今回の広岡氏の連載も欠かさず読んでいる。だが、そのほとんどが過去に見聞きした事ばかりで、目新しい話が一つもない。「履歴書」なのだから変に脚色もできないか。少し残念に思っている。
投稿者: yoshi-q 日時:2010年08月24日(火) at 23:56