新・ことば事情
4039「平和と戦前」
7月1日の産経新聞に、
『戦前の期待度「最低」』
という見出しが。本文には、
「戦前の期待度は過去のW杯代表の中でも最も低かった岡田ジャパン」
とありました。スポーツ中継などで、
「試合前」「大会前」
の代わりに、
「戦前」
という言葉が使われ始めてから久しい(「平成ことば事情」での初出は1999年9月)ですが、私はいまだになじめません。ちゃんと「試合前」「大会前」に言うべきでしょう。
私はもちろん「戦後」の生まれですが、「戦前」という言葉の意味は、
「太平洋戦争の敗戦前」
だと認識しています。つまり、
「昭和20(1945)年8月15日より前」
です。(8月15日か9月2日かとかいう論議は、さておき)それがたんなる
「(スポーツの)戦いの前」
の意味で使われることになんの違和感もなくなってきているということは、それだけ、
「戦争の記憶が薄くなってきている」
からでしょう。それはすなわち
「平和」
ということで、ある人たちに言わせると、
「平和ボケ」
と呼ばれる現象なのではないでしょうか。そこで気をつけなくてはならないのは、
「"平和"だと思った瞬間に"戦前"になる」
ということです。
ちょうど読んでいた『日本人へ~国家と歴史篇』(塩野七生、文春新書)の56ページに、
「日本語の選択には苦労したものである。言葉一つとっても、次のようであったからだ。
進攻、進出、侵攻、侵略、と。
(中略)はっきりとどちらかの立場に立たないかぎり、言葉の使い方でさえも一貫しようがなかったのだ。」
とあるのを読んで、状況を説明する言葉はどちらの立場に立つかで変わってくるという、ある意味当たり前のことを思い浮かべながら、そしてゲーテの『ファウスト』で、ファウスト博士が「時間よとまれ」と願い「幸せだ」と感じた瞬間に命を奪われるという話を思い浮かべながら、NHKの若い男性アナウンサーがワールドカップの番組で「戦前」と言っているのを、また耳にしたのでした(「若い」って言っても30代ぐらいですが)。
「平成ことば事情20戦前」「平成ことば事情203戦前」もお読み下さい。