新・ことば事情
3853「地アタマ」
『亡国の中学受験~公立不信ビジネスの実態』(瀬川松子、光文社新書:2009、11、20)
という本を読んでいたら、121ページに、
「手っ取り早く地アタマのいい子を仕入れ、目に見える結果を出しておこうという考えなのだろう。」
という文章で、
「地アタマ」
という言葉が出てきました。その後も何回も出てきました。以前から聞いたことがあるような気はしていましたが、こうやって文字で見ると
「あれ?これって、新しい言葉じゃないのか?」
という気がして来ました。
明治大学教授の斎藤孝さんの本にも「地アタマ」という言葉が、たしか付いてたな。新聞広告で見たぞ。「頭がいい」とどう違うのかな?体格みたいなものか?
「地タマゴ」
に見えなくもない。
で、その本を買って読んでみました。
『地アタマを鍛える知的勉強法(齋藤孝、講談社現代新書:2009、12、20)
という本でした。「はじめに」のところに、こう書かれていました。
『「地アタマ」が強いというとき、単なる勉強秀才ではない、タフな頭のよさを私たちは想像する。現実の状況を認識し、自分がどう行動できるかがわかる、といった力、工夫できるしなやかな思考力が、地アタマのイメージだ。』
「地アタマは鍛えらる」というのが著者の主張ですね。
全然関係ないですが、齋藤孝と香山リカは、なんとなくイメージが似ている気がします。
また齋藤さんは、
「知性とは本質をつかまえ、最終地点をイメージし、今の地点からそこへのプロセス(文脈)を見出だす力」
であると。また将棋の羽生善治さんが『簡単に、単純に考える』(PHP文庫)の対談の中で、
「将棋の場合、強い形というのは美しい形なのです。」
と言っているのを取り上げています。
「勉強すると、人にやさしくなれる」
「理解によって不寛容を乗り越える」
などとも書かれています。
「量は質に転化する」
という主張には、私も賛同するのですが、実は、
「質に転化するところまで、量を追求できる人と出来ない人がいる」
ということも、また事実のように、最近思っています。
ちょっと話がそれましたが、Google検索(2月15日)では、
「地アタマ」=6万3400件
でした。
コメント
「地力(じりき)」などの語の「地~」の使い方から派生した言葉のように思われます。
私がこの単語を初めて目にしたのは、コラムニスト小田嶋隆氏のブログ「偉愚庵亭憮録」2007年7月31日のエントリ「安倍はラリホーを唱えた」のコメント欄でした。
当初は漢字で「地頭」と表記していましたが、日本中世の役職「じとう」と取り違えるので「アタマ」とカタカナ表記するようになっていったようです。
ただ、上記コメント欄でのこの単語を使った読者の発言は
> はっきり言って私文専願で一浪して早稲田政経・法・商に合格できない人は地頭が悪い
>と思います。
などと、あまり行儀のいいものではありません。
正直「頭はいいけど品性は低いんだな」と思ったものです。
(だから覚えていたんですね)
上に対する小田嶋氏のコメント返しも
> この言葉があるおかげで、毎年、自分がいかに勉強しなかったかについて競いあうように>語る大学一年生が大発生しているのでしょうか。
> 謎ですね。
と、少々あきれ気味です。
投稿者: かくた 日時:2010年02月17日(水) at 15:43