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『道浦TIME』

新・ことば事情

3884「『気合い』か?『気合』か?」

芸能人がバンクーバー五輪を応援!でアニマル浜口の娘さんも、

「気合だあ!」

という様子を2月23日の『ミヤネ屋』でお送りしました。その放送前、に、

「この『気合』に送り仮名の『い』は要るのでしょうか?」

とADのK君が聞きに来ました。普通考えたら、

「気合い」

で「い」が要るだろうと思って『新聞用語集2007年版』を見ると、

「気合」

「い」がありません。『精選版日本国語大辞典』『広辞苑』を見ても、

「い」がない「気合」

そこで、

「『い』は、なしの『気合』で」

と指示しました。その後、さらに調べてみると、

 

<気合>

『新聞用語集2007年版』=「気合」

『精選版日本国語大辞典』=「気合」

『広辞苑』=「気合」

『新明解国語辞典』=「気合」

『三省堂国語辞典』=「気合」

『読売スタイルブック2008』=「気合」

『共同通信記者ハンドブック第11版』=「気合」

『毎日新聞用語集』=「気合」(慣用)

『朝日新聞の用語の手引』=「気合」

 

<気合(い)>

『デジタル大辞泉』=「気合(い)」

『岩波国語辞典』=「気合(い)」

『新潮現代国語辞典』=「気合(い)」

 

<気合い>

『明鏡国語辞典』=「気合い」(※公用文では「気合」)

『NHK日本語発音アクセント辞典』=「気合い」

と、圧倒的に「気合」です。『毎日新聞用語集』の(慣用)というのと、『明鏡国語辞典』の(※公用文は「気合」)というのがポイントのように思えます。おそらく「放送」も「公用文」にあたるのでしょう。

Googleで検索したら(2月23日)

「気合い」=371万0000件 

「気合」 =533万0000件

「気合い、アニマル浜口」= 8万3100件

「気合、アニマル浜口」 =17万3000件

でした。またYahoo検索では(2月23日)

「気合い」=3590万0000件

「気合」 =5620万0000件

「気合い、アニマル浜口」=2万3800件

「気合、アニマル浜口」 =3万5300件

また、『アニマル浜口の人生気合ダァ!!』(大泉書店、2002年)『気合ダァ!200連発!!』といった本があるようなので、「アニマル浜口」関連の「きあい」は、

「送り仮名なしの『気合』」

で良さそうです。

2010年2月25日 20:17 | コメント (0)

新・読書日記 2010_047

『巡査の休日』(佐々木譲、角川春樹事務所:2009、10、18第1刷・2009、11、18第4刷)

主人公は小島百合巡査。最後まで姿を現さない犯人・鎌田も不気味で、サスペンスの醍醐味を味わえる。佐々木作品で一連の道警ものでは、一番完成度が高いように思った。往年の逢坂剛の味わいがある。

 

 


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(2010、2、21読了)

2010年2月25日 15:23 | コメント (0)

新・ことば事情

3883「『めいぼ』は『目のイボ』ではない?」

 

去年の9月、関西外国語大学の名誉教授で、「広辞苑」で有名な新村出先生の財団の理事長でも知られる堀井令以知先生の講演会が、うちの近くの公民館で開かれたので聞きに行きました。先生は、ご近所さんなんです、実は。

1時間半の予定の講演が、会場からの質問に堀井先生が答えているうちに、なんと2時間10分にもなり、その間こちらは椅子に座っているのに、先生は立ったままで・・・会場の方もお年寄りが多かったんですが、その会場の人たちよりも、講師の堀井先生が一番のご高齢なもんで、気を遣う、気を遣う・・・。

「先生お座りになったら・・・」

と声を掛ける方が出ましたが、

「いや、私は立ってる方がラクなんです」

と毅然として言い放つ堀井先生。こういう方のことを、

「かくしゃくとしている」

と言うのでしょうね。漢字で書くと、

「矍鑠としている」

です。うわあ、大変なことだ、これは!

もう、お話はとってもおもしろかったのですが、中でも「目からうろこ」が落ちたのは、

「めーぼ」「めぼ」=京都

「めばちこ」=大阪

という話。これは知っていました。標準語では、

「ものもらい」

というものですね。医学的には「麦粒腫(ばくりゅうしゅ)」。

この「ネーミング=名づけ」に関してなんですが、私は「めーぼ」「めぼ」「めいぼ」は、当然、

「目のイボ」

だと思っていました。すると先生は、

「『めーぼ』は『目のイボ』ではありません!」

とおっしゃるではないですか!じゃあ、一体何なの?と、その先のお話に引き込まれて聞いていたら、

「『めぼ』は、元は『めぼいと』と言ったんです。それが短くなって『めぼ』。『ほいと』というのは『乞食』のことです。つまり、この病気は『人から物をもらうと直る』という『病気の治し方』が、病気の名前になっているんです。『ものもらい』も同じです。民間療法では『小豆を井戸に投げると治る』とか『櫛を目に当てると治る』というのもある。」

そうだったのか!

「めぼいと」→「めぼ」→「めーぼ」

なのか!さらに先生は、この病気の名前の呼び方が、地方によって様々であることに触れて、

「九州では『ななし』とも呼ぶが、これは本当の名前を言うのがはばかられるから『名無し』。タブーを避けているのです」

これを聞いてすぐに思い浮かべたのは・・・・・そう、宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』で出てきた「顔無し」です。あれも本当の顔を見るのがはばかられるから?また、「ハリーポッター」シリーズで、「悪の魔法使いの名前」(ヴォルデモード)を言うのがはばかられていましたね。おんなじだ!

さらに、

「九州などでも『だんなさん』とか『おひめさん』なんていうふうに『良い呼び方』で呼ばれることがあるが、これは『病気が悪いものだから逆によい名前をつけている』のです」

とのこと。うーん、奥が深い!!さらにさらに、

「『ナイス』という英語は18世紀までは悪い意味だった。『バカな』とか『愚かな』という意味。元はラテン語で『ネ・スキオ』。『スキオ』は『わかる』で、『ネ』が否定。それが『ネ・スキュース』になって『ナイス』になった。その間に、意味も逆転した」

なんて話は正に「ナイス!」。初めて知りました。また「目からうろこ」。

 

堀井先生のお話を聞いて、「めいぼ」の語源に関して「目からうろこ」が落ちたんですが、それからしばらくして読んだ『大阪のことば地図』(真田信治監修、岸江信介・中井精一・鳥谷善史編著、和泉書院:2009925)に、「麦粒腫」の「大阪府内での呼び方の分布図」と解説が載っていました。それによると、大阪府内には、

「モノモライ」「メバチコ」「メバチョコ」「メバチ」「メバツコ」「メボツコ」「メバスコ」「メボシ」「メイボ」「ネイボ」「メバ」「デバツコ」

といった少なくとも12種類のバリエーションがあるそうで、この「麦粒腫」を直す「おまじない」は、

「井戸に小豆を投げ入れる」

「櫛(主に柘植=ツゲ)を畳に擦り患部につける」

「小豆を熱したりする」

「糸に結び目をつける」

「包丁を患部に当てる」

「針で突くしぐさをする」

「赤い煙管(キセル)で患部を擦る」

「他人にうつす」

「藁に結び目をつくる」

「雨だれを目に入れる」

といった具合。解説を読むと『日本国語大辞典・第二版』から、全国に多様な名称があるが、大きく分けると、

(1)「コジキ類」(モノモライ、メコジキ、メボイト、メカンジキ)

(2)「メイボ類」(メイボ、メボ、メンボ)

(3)「メバチコ類」

(4)「その他」

の4つに分けられるそうです。そして「コジキ類」は、

「この病気を患った際に、他人から米などの特定の食物をもらうと治るという、治癒に関するまじないの行為からきた名称」

だそうで、これは堀井先生のお話に合致しますね。そして、「メイボ類」ですが、これは、

「目にできる疣(いぼ)からの命名」

だそうです。あれ?やっぱり、そうなの?私が最初に思っていた通り!堀井先生のお話と違うぞ。

「その他」では、宮城県を中心とした「バカ」、九州全域の「インノクソ(犬の糞)」「オヒメサン」「目+性器」などは、

「禁忌への発想からの命名」

とされています。これも、堀井先生のお話にありましたなあ。

そして「メバチコ類」ですが、これは大きな分布勢力を持ちながら、

「命名の由来がわからない」

のだそうです。なんじゃ、そりゃ!!

でも「推測」として、古くは「メバツコ」であり、これは、「メ」と「ハツコ」に分けられる。「ハツコ」は「鉢」+「子」ではないか?そうすれば「托鉢」のように「物をもらう行為」を意味するので、「治癒の方法による命名」につながるのではないか?と書かれていました。

うーん、やはり語源は難しいですねえ。

 

(2010、2、22)

2010年2月25日 12:20 | コメント (0)

新・ことば事情

3882「キム・ヨナのアクセント」

 

2月24日、バンクーバー冬季オリンピックの女子フィギュアスケート、ショートプログラム(SP)で、浅田真央選手は21位に立ったのは、ライバルの、韓国キム・ヨナ選手でした。

この「キム・ヨナ」のアクセントについて、「ミヤネ屋」のナレーターの中矢さんから質問を受けました。

『「キム・ヨナ(選手)」のアクセントは、

「キ/ムヨ\ナ」(中高アクセント)

でしょうか?それとも、

「キ/ムヨナ」(平板アクセント)

でしょうか?また「選手」を付ける場合には、

「キ/ムヨ\ナ・セ\ンシュ」

と「2語意識」で読むでしょうか?それとも一気に「1語意識」で、

「キ/ムヨ\ナ・セ\ンシュ」

でしょうか?』

うーん、ぼくはこれまで、

「キ/ムヨ\ナ」(中高アクセント)、「キ/ムヨナ・セ\ンシュ」

と読んできましたが、中矢さんは「平板アクセント」で、

「キ/ムヨナ」(平板アクセント)、「キ/ムヨナ・セ\ンシュ」

と読んだそうです。私は、

「どちらも間違いではないと思います」

と答えましたが、気になったので、各社のアナウンサーなどの知り合いにメールで聞いたところ、225日午後6時時現在で、以下のような返事がきました。(到着順)

○=「平板」傾向、●=中高傾向

****************************************

○(新潟総合テレビ)

意識もせずに「平板アクセント」の印象が強い。「選手」が付いても「キム/ヨナ選手」という読みの方が耳に残っている。

●(高知放送)

「キ/ムヨ\ナ」(中高アクセント)、「キ/ムヨ\ナ・セ\ンシュ」

●(NHK)

あくまで個人的な感覚だが、私は、[キ「ムヨ\ナ]しか使わない。相当慣れ親しんだ人であれば[キ[ムヨナ→]という平板型もあるのかもしれない。「キム・ジョンイル」はすでに1語化して[キ「ムジョ\ンイル]となっているるがが、当初はおそらく[キ\ム・ジョ\ンイル]であったように想像する。キム・ヨナの場合は、

【当初(2語段階)】      キ\ム・ヨ\ナ 

【そのあと(1語段階)】    キ「ムヨ\ナ

【さらにそのあと(平板化)】 キ「ムヨナ→ 

といったように説明されそう。

○(フリーアナウンサーH氏)

キムヨナは、単独でも「選手」が付いても「平板アクセント」でやっている。同業者数人に尋ねたが、同じ答えだった。

●(静岡放送)

「選手」がつく場合は「キ/ムヨ\ナ・セ\ンシュ」2語意識、つかない場合は「キ/ムヨ\ナ」と「中高」でやっている。

●(福岡放送)

個人的見解だが、「選手」なしは「キ/ムヨ\ナ」(中高アクセント)、「選手」を付ける場合には、「キ/ムヨ\ナ・セ\ンシュ」(2語意識)と一気に「1語意識」で「キ/ムヨナセ\ンシュ」の「両方あり」。

●○(テレビ金沢)

本来は「キ/ムヨ\ナ」であると思う。しかし「キ/ムヨナ」の「平板アクセント」の方が、流通していると感じる。もともと韓国・北朝鮮の人名では苗字と名前とに分けずコンパウンドするようだ。「イミョンバク」「ノムヒョン」「キムデジュン」「キムヨンサム」などはコンパウンド(1語意識)。だから類推ならば「キ/ムヨ\ナ」が正しい。ただし例示したものは、途中で撥音「ン」が入って拍子が取りやすく、まとめて発音しやすい。「キ・ム・ヨ・ナ」は別々に発音しても不自然ではないので、「平板アクセント」が一般化したのではないか。もし「キムヨンナ」だったら、きっとコンパウンドしていたに違いない。「選手」がついても、一語で読む意識はなくても良いと考える。

●(山形放送)

うちのアナウンサーは、「中高アクセント」で読んでいる。また「選手」がつけば、「キ/ムヨ\ナ・セ\ンシュ」と「2語意識」で読んでいる。

○(フリーアナウンサーM氏)

「キ/ムヨナ」と「平板アクセント」。「選手」を付けると「1語意識」で「キ/ムヨナセ\ンシュ」が多い。しかし「キ/ムヨ\ナ」と「中高」になったこともあった。フジテレビの『ジャーナる!』のナレーション録音では「平板」「1語意識」だった。

●(宮城テレビ)

「選手」を付けない場合は「キ/ムヨ\ナ」と「中高アクセント」、「選手」を付ける場合は「キ/ムヨ\ナ・セ\ンシュ」という「2語意識」の読みが多いと思う。

<※それぞれ「会社としての回答」ではなく、「知り合い個人としての回答」です>

○(福井放送)

「キ/ムヨナ」(平板アクセント)で読んでいる。「選手」を付ける場合は、やはり「キ/ムヨナセ\ンシュ」と思うが、正直あまり自信はない。特に外国選手の場合は悩むが、周りスタッフの意見なども参考にしながら読んでいる。

○(朝日放送)

私個人は「キ/ムヨナ」(平板アクセント)、「キ/ムヨナセ\ンシュ」。

●(北日本放送)

個人的には「キ/ムヨ\ナ」(中高アクセント)、「選手」を付ける場合も「キ/ムヨ\ナ・セ\ンシュ」。普段の会話では「平板」だが、ニュースでは「中高」。

○(中京テレビ)

(女子フィギュア日本代表選手が)3人とも愛知県ということで、こちらでも連日報道しているが、「キ/ムヨナ」(平板アクセント)、「キ/ムヨナセ\ンシュ」と、うちでは発音している。特に理論的に考えているわけではないが、この発音で統一されている。

     (四国放送)

弊社アナウンス部としては「選手」が付かない場合は「キ/ムヨ\ナ」(中高アクセント)。「選手」がついても「キ/ムヨ\ナ・セ\ンシュ」で読んでいる。

○(静岡第一テレビ)

「キム・ヨナ」のアクセントは、私たちは「キ/ムヨナ」(平板アクセント)、「キ/ムヨナセ\ンシュ」と言っている。「キムヨナ」を、ひとつのまとまりのように捉えているからだが、考えてみると、どちらの方がいいのか、分からないが・・・。

 

 

なお、きょう(24)のフジテレビの生放送で実況アナウンサーと解説者(八木沼さん?)は、

「平板アクセント」で「キ/ムヨナ」

1語意識で「キ/ムヨ\ナ・セ\ンシュ」

と言っていました。

また、2417時台の各局のニュースをウオッチしていたら、

○●(テレビ朝日)

男性ナレーター「キ/ムヨナ」(平板アクセント)

女性アナウンサー「キ/ムヨ\ナ・セ\ンシュ」(2語意識)

元五輪代表・佐野稔さん「キ/ムヨナさん」(平板アクセント)

○(日本テレビ)

『リアルタイム』スポーツコーナー女性アナウンサー「キ/ムヨナセ\ンシュ」(1語意識)

●○(読売テレビ)

・『ten!』ナレーターの藤田さん「キ/ムヨ\ナ・セ\ンシュ」(2語意識)=ただご本人に確認したら、

「『キ/ムヨナ』と『平板アクセントで言った』と、自分では思っていた」

ということでした。

●萩原アナウンサー「キ/ムヨ\ナ」、「キ/ムヨ\ナ・セ\ンシュ」

○坂・元アナウンサー「キ/ムヨナ」、「キ/ムヨナセ\ンシュ」

 

25日朝の日本テレビ『スッキリ!!』では、

○プロスケーターの村主(すぐり)千香さん=「キ/ムヨナセ\ンシュ」

     ○葉山エレーヌアナウンサー=1回目「キ/ムヨ\ナ・セ\ンシュ」、2回目「キ/ムヨナセ\ンシュ」。

     加藤浩次さん=「キ/ム・ヨ\ナセンシュ」

○荒川静香さん=「キ/ムヨナセ\ンシュ」

また、フジテレビ「とくダネ!」で、

○小倉智昭さん=「キ/ムヨナ」

 

と、まあかなり揺れていますが、特に誰も意識していなくて、文句も来ていないことから、「どっちもOK」

なのでしょうね。また、おそらく、

「キ\ム・ヨ\ナ」→「キ/ムヨ\ナ」→「キ/ムヨナ」

というアクセントの変化があったのだと思います。真ん中の「キ/ムヨ\ナ」は、

「日本語的なアクセント」

のように思いますし、最後の「キ/ムヨナ」という「平板アクセント」は、

「外来語っぽい感じ」

がします。

「プ/リシラ、カ/リメロ、ハ/バネロ、マ/ツキヨ」

といった4文字平板アクセント」語群に属するのではないでしょうか。え?最後のは、なんだかちょっと違う気がする?気にしない、気にしない。

「よく使う言葉のアクセントは平板化する」

明海大学の井上史雄先生がおっしゃっていますが、あれですね、きっと。「キムヨナ」さんの名前が、日本の皆さんの間でも根付いたことの、一つのあらわれではないでしょうか。昔は、

「ド\ラム、ギ\ター、バ\イク、ド\ラマ、ディ/レ\クター」

と言っていましたが、その時代でも、よくこの言葉を使う人たちの間では、

「ド/ラム、ギ/ター、バ/イク、ド/ラマ、ディ/レクター」

という「平板アクセント」である、という話と共通しているように思えますね。

 

(追記)

2月25日、お昼の日本テレビ「ニュースダッシュ」で、丸岡いずみキャスターは、

「キ/ムヨナ」(平板アクセント)

でした。翌26日の「ニュースダッシュ」でも「平板」で、一緒に出ている男性アナウンサーの枡太一君も、「平板」で、

「キ/ムヨナ」

でした。ただ、キム・ヨナ選手の地元、韓国・水原市の市民(若い女性)の韓国語での発音は、

「キ/ムヨ\ナ」

「中高」に聞こえました。

(2010、2、26)

(追記2)

226日の日本テレビ『スッキリ!』の男性ナレーター、女性ナレーターはともに、

「キ/ムヨ\ナ・セ\ンシュ」

田中アナウンサーは、

「キ/ムヨナ」、「キ/ムヨナセ\ンシュ」

女性ナレーターは、

「キ/ム・ヨ\ナセンシュ」8回、「キ/ムヨナセ\ンシュ」1回。

韓国人(日本語)リポーターの金亮香さん「平板」「キ/ムヨナセ\ンシュ」3回。

そして、同じく『スッキリ!』で流した、過去に荒川静香さんが『ニュースZERO』でやったインタビューで、浅田真央選手が、

「キ/ムヨ\ナ・セ\ンシュ」

と言っていました。なお、『スッキリ!』では「キム・ヨナ選手」が何度も出てくるので、後半の方は省略して、

「キ\ム選手」

になっていました。226日の「ミヤネ屋」で、宮根誠司さんは、

「キ/ムヨ\ナ」「キ/ムヨ\ナ・セ\ンシュ」「キ/ムヨナセ\ンシュ」

と、いろいろなアクセントで喋っていました。

それにしてもキム・ヨナ選手、すごかった・・・。真央ちゃん・・・頑張ったけど残念でした・・・。

 

 

 

 

 

(2010、2、26)

2010年2月25日 09:18 | コメント (0)

新・読書日記 2010_046

『日本人の知らない日本語2』(蛇蔵&海野凪子、メディアファクトリー:2010、2、19)

ベストセラーの第2弾。マンガとエッセイがミックスされた本。相変わらずおもしろく、笑わせてもらったが、さすがに第1弾ほどのインパクトはない。それにしても「蛇蔵さん」が女の人とは思わなかった!これが一番のサプライズ。

 


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(2010、2、20読了)

2010年2月24日 21:22 | コメント (0)

新・ことば事情

3881「カーリングはショット?」

222日の「ミヤネ屋」で、バンクーバー五輪で盛り上がる「カーリング」を取り上げた時のこと。原稿を見ていると、

「スーパーショット」

というような言葉が出てきました。それを見て、

「カーリングはストーンを『投げて=氷の上を滑らせて』要るが、あれを『ショット』と言っていいのか?」

という疑問が。「ショット」は、バットかクラブかラケットかで「打つ」んですよね、普通のスポーツでは。スタッフに聞くと、

「『ショット』で良いようです」

ということでしたので、そのままにしましたが、気になっていました。

翌朝、223日の日本テレビ『スッキリ!!』を見ていたら、「クリスタルジャパン」(チーム青森)の一員・近江谷選手のお父さん(この方も元カーリングの選手だそうです)が、

「スーパーショット」

というふうに「ショット」を使っていらしたので、「ああ、『ショット』でよかったんだ」と思いました。ところが、きょう(223日)の「ミヤネ屋」の原稿には、

「最後の一投」

という言葉も出てきて、

「やっぱり、投げてるじゃないか」

と。でも、その後に、

「ナイスショット!」

という言葉も出てきて、

「投げたのにショットなのか???」

と、やはり 疑問は深まってしまいました・・・。こんなことを考えているのは私だけでしょうか?(往年の「はみだしぴあ」みたいになってきた・・・。)

(2010、2、23)

2010年2月24日 18:00 | コメント (0)

新・ことば事情

3880「華と花」

 

「ヤジは国会の華」

と、民主党新人議員は幹部から教えられていると、2月18日の朝日新聞に書かれていました。それを見て思ったのは、

「『華』と『花』の使い分けの基準はなんだろうか?」

ということ。「華やか」とは書くが、「花やか」とは書かないなあ。

とりあえずこういった時は・・・ということで『新聞用語集2007年版』を引いてみました。

「花」=(一般用語。直物)生け花、傘の花が咲く、花形、花が散る、花の5人衆、花の都、花道、花も実もある、花を添える、一花咲かせる。

なるほど、文字通り「植物の花」ですね。一方「華」は・・・

「華」=(比喩・形容表現に)火事とけんかは江戸の華、華々しい、華やか、華やぐ、武士道の華、文化の華。

なるほど!しっかりと見えてきました!比喩的な場合は「華」なんですね!

やはり、こういった微妙な区別には、『新聞用語集』は役に立ちますねえ!!よ、『用語』の華!

それにしても「華道」は、どうして「花道」ではなんだろう?もう「植物の花」ではないのかな?それとも、

「はなみち」

と読まれないためかな?そんな気もします。

 

(2010、2、20)

2010年2月24日 16:07 | コメント (0)

新・ことば事情

3879「ホームページか、サイトか」

 

以前、と言ってももう5年ほど前(20053月)に「平成ことば事情2001ホームページ、ウェブサイト、ウェブ、サイト」にも書きましたが、最近の事情を・・・。

20091020女優の常盤貴子さんが「結婚した」と報じられた際、その「結婚報告」を自分のホームページで発表した、ということを、各メディア(ケータイサイトの。あ、サイトって使った!)はどう表現しているかのメモが出てきました。それによると、

(共同通信)ホームページ

(朝日新聞)自身の公式サイト

(毎日新聞)常盤さんが公式サイトで

(読売新聞)ホームページ

でした。いま「ホームページ」と「サイト」(しかも「公式サイト」)がせめぎあっているなあという感じですかね。これに「ブログ」がどう絡んでくるのか、それとも「ツイッター」になっていくのか、興味のあるところです。

 

(2010、2、20)

2010年2月24日 16:05 | コメント (0)

新・ことば事情

3878「ゼロ年代」

 

電車の中でチラッと見かけた「吊り広告」に目が留まりました。国立国際美術館の催しの告知ポスターです。そこには、

「絵画の庭~ゼロ年代日本の地平から」116日~44日まで)

とありました。この、

「ゼロ年代」

が気になったのです。そうこうしていると、今度は、218日発売の『週刊文春』で、ブルボン小林の「マンガホニャララ」というコラムで、

『「地に足がついた」ゼロ年代の漫画表現』

というタイトル。ここでも、

「ゼロ年代」

という言葉が出ていました。本文にも、

「ゼロ年代にデビューした渡辺ペコ」

「ゼロ年代」が出てきました。この「ゼロ年代」というのは、

2000年から2009年の10年」

を指すもの。

「ゼロゼロ年代」

という呼び方もあるようです。Google検索(222日)では、

「ゼロ年代」 =941000

「ゼロゼロ年代」=  2190

あ、圧倒的に「ゼロ年代」ですね。このあいだ「ミヤネ屋」では「ゼロゼロ年代」で紹介したなあ。

でもそもそも年代の区切りとしては、2000年は「20世紀」なので、「21世紀」で区切るなら、

2001年から2010年で区切るべきだ」

という声もあるようです。でも、これまでは、

70年代」「80年代」「90年代」

でやって来たんだから、それに従うとやはり2000年から2009年」で区切る方が自然な感じもします。皆さんは、どう、お感じですか?

                   (2010、2、22)

 

(追記)

2月24日の日経夕刊・書評欄に、こんな本の紹介が。

『ゼロ年代SF傑作偏』

「ゼロ年代」が定着しているようです。

 

 

 

 

(2010、2、26)

2010年2月24日 14:05 | コメント (0)

新・ことば事情

3877「国際児」

 

2010年2月10日の日経新聞夕刊に、

「比在住の子ども つらい境遇~母フィリピン 父は日本人」

という見出しの記事が載っていました。記事の内容は、日本人の父とフィリピン人の母に生まれた国際児のうち、フィリピン在住の子が父から認知された割合は日本にいる子の半分以下で、経済的支援を受けている割合も3分の1以下であることが国際移住機関(IOMの調べで分かったというもの。そして、こうした国際児は、

「ジャパニーズ・フィリピーノ・チルドレン」

と呼ばれているそうです。これに付いて、「国際児問題に詳しい」という山口元一弁護士がコメントしていますが、この記事には

「国際児」

ということばが特に説明なく、頻出していました。普段の会話では、

「ハーフ」

を使うところでしょう。

国語辞典を引いてみると、『精選版日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』『明鏡国語辞典』『三省堂国語辞典』『新明解国語辞典』『広辞苑』『新潮現代国語辞典』にも「国際児」は載っていません。「国際人」は載せている辞書がありましたが、意味が違います。「国際人」は世界を股にかけて活躍していますが、「国際児」世界の股から生まれて「国」と「国」のまさに「際(きわ)」で見捨てられているような感じです。

Google検索(220日)では、

「国際児」=11900

でした。いくつかのサイトから「国際児とは」を拾ってみると、

「国籍と民族が異なる男女の間に生まれた子ども」

「いわゆるハーフ、あるいはダブル(両親の国籍や民族が違っている子ども)のこと」

「国際家族の父と母の間に生まれた子ども」

など。

以前「平成ことば事情1784ハーフ・アメラジアン・国際児」に書いたように、米軍基地のアメリカ人との間に生まれた子どもを、

「アメラジアン」

と呼ぶことは以前からあったようですから、「ジャパニーズ・フィリピーノ・チルドレン」は、それに準じるのでしょうか?そのあたりは、よくわかりません。

また、219日の朝日新聞には、

「仏⇔独 父を探して・・・占領下に生まれたハーフたち」

という「ハーフ」という言葉を使った見出しの記事を、フランス東部のバルバック村というところから、飯竹恒一記者が書いていました。それによると、

「ナチスドイツの占領下のフランスで、独兵と仏人女性の間に生まれた人たちが、顔も名前も知らない父親の軌跡をたどる動きが活発になっている」

のだそうです。独兵が残した子どもたちは仏全土で20万人とも言われ、そうした子どもたちは、父親を知らないで育ち、仏独のハーフだといじめられるという三重苦にさいなまれてきたのだそうです。2003に、仏国内で元独兵を父親に持つ人たちの状況がテレビ番組で紹介されて広く知られるようになり、2004には「アンファン・モディ(呪われた子どもたち)」という本が出版され、昨年(2009年)、独兵を父親に持つ証しとして独仏の二重国籍の取得も認められるようになったのだそうです。

戦争が残したものが、60年以上経ってこんな形で・・・。

(2010、2、19)

2010年2月24日 12:03 | コメント (0)

新・ことば事情

3993「ねざくる」

 

先日、郵便学者の内藤陽介さんに初めてお会いして、NHK放送文化研究所の塩田雄大さん早稲田大学非常勤講師の飯間浩明さん3人で飲んだときに、内藤さんから、

「岐阜出身の妻の母(義母)の語彙で、東京出身の私がわからなかった言葉に『ねざくる』があります。意味は『こすり付ける』とか、『なすり付ける』とか、そんな感じなんですけど」

という話が出ました。

「ねざくる」

なんて初めて聞いた言葉です。全然知りませんでした。

後日、飯間さんからメールが届きました。

 

「内藤さんが、たしか奥様の岐阜方言として『ねざくる』をご紹介くださいました。枕カバーに寝汗を『ねざくってはだめ』というように使うとのことでした。『ねざくる』は手元の方言辞典にも見えないのですが、語源は、

『ぬたくる→ねたくる→ねたぐる・ねだくる→ねざくる』

かと考えました。そうだとすると、ずいぶん変化したものです。以下の文献がありました。

山田達也・山口幸洋・鏡味明克『東海の方言散策』中日新聞本社 p.76

---(引用開始)

ネタクル『泥など、ねばつくものを、こすり付ける』

 訳が少々長いが意味が狭いからやむを得ない。ネダクルともいう。 昔、どの程度の共通性があった語か分からない。『広辞苑』にもないが、方言としては岐阜県などのネタグル『塗る、なすり付ける』と同類である。尾張の農村。小学校一年生の腕白小僧。私の仲間は皆、着物の袖{そで}口がゴワゴワ、ピカピカしていた。鼻紙、ハンカチなどとは無縁の時代で、だれでも青ばなを袖口でふいて、ネタクッタからである。鼻の下にレールが付いて、出たり、入ったりする青ばなを最近は見かけなくなった。世の中が進むと青ばなも出なくなるものであろうか。(達)---(引用終了)」

 

そこではこんなメールを返しました。

「『ねたくる』は、私も三重出身なので聞いたことがあります。

『ねたくる』の『た』が濁って『ねだくる』、その『だ』が『ざ』に転化して『ねざくる』となるのは、可能性ありますね。『ねたくる』自体も、

『ぬりたくる』→『ぬったくる』→『ねたくる』

と変化したのではないでしょうか?」

 

それに対して塩田さんが、

「『日本国語大辞典』に以下の項目があるのを見つけました。

  ねじくる (中略)[方言](中略)②ぬぐう。 兵庫県但馬652

『ねざくる』との関連を疑わせます。

西日本の一部に、『ねざくる』『ねたくる』『ねじくる』『ねじゃくる』などの変異形が見られることばなのでしょうか。」

 

そこでまたまたが、

「『ねじくる』・・・・わたくし、『ねじめ正一』を思い浮かべてしまいました。」

 

と茶化すと、塩田さんから、

 

「『ねたくる』は、『日国』にも掲載があるのですね。

  ねたくる[他ラ四]こすりつける。ぬりつける。ぬたくる。

  煤煙(1909)<森田草平>一九『その儘濡れた掌を男の口髭にねたくり附けた』

で、その『森田草平』は岐阜出身です。

http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%A3%AE%E7%94%B0%E8%8D%89%E5%B9%B3/

あと、『ぬたくる』の用例で江戸時代のもの『化粧ぬたくりて』が挙げられています。

これは、『ぬりたくって』から来たと考えるのが自然な気がします。

もし、『ぬたくる』と『ねたくる』が同源だとすれば、飯間さん・道浦さんのご指摘どおり、

ぬりたくる > ぬったくる > ぬたくる > ねたくる > ねだくる>ねざくる

という壮大な語形変化のルートが想定できるかもしれませんね。『ねじくる』は関係ないかもしれません。あるいは『ねたくる』と『ねじくる』の混交形が『ねざくる』かも?『やぶる』と『さく』から『やぶく』ができたように。」

 

とさらに詳しい分析メールが!

もしかしたら方言の専門家には既に解明済みのことかもしれませんが、一つの言葉からいろいろと、話が広がり、楽しかったです。(おもに飯間さんと塩田さんの対話なのですが。)

 

(2010、2、18)

2010年2月24日 10:02 | コメント (0)
2010_045

『パンデミックとたたかう』(押谷仁・瀬名秀明、岩波新書:2009、11、20)

 

ウイルスの専門家で東北大学教授の押谷仁先生と、『パラサイト・イブ』の著者でミステリー作家の瀬名秀明氏の対談。瀬名氏が、一般の目線で(と言っても、感染症などに関してかなり専門的でお詳しいのだが)ぐいぐいと専門家に疑問を投げかけ、それに対して明快に押谷先生が答えてくれるというもので、大変勉強になった!

「恐れすぎずに恐れる」というのは、情報を伝える立場である我々も、大いに留意しなければならないことだと思った。

今回の新型インフルエンザをめぐる、「色んな失敗」を「次」に生かさなくてはなるまい。

 

(2010、2、19読了)

2010年2月23日 17:47 | コメント (0)

新・ことば事情

3993「ねざくる」

先日、郵便学者の内藤陽介さんに初めてお会いして、NHK放送文化研究所の塩田雄大さん早稲田大学非常勤講師の飯間浩明さん3人で飲んだときに、内藤さんから、

「岐阜出身の妻の母(義母)の語彙で、東京出身の私がわからなかった言葉に『ねざくる』があります。意味は『こすり付ける』とか、『なすり付ける』とか、そんな感じなんですけど」

という話が出ました。

「ねざくる」

なんて初めて聞いた言葉です。全然知りませんでした。

後日、飯間さんからメールが届きました。

 

「内藤さんが、たしか奥様の岐阜方言として『ねざくる』をご紹介くださいました。枕カバーに寝汗を『ねざくってはだめ』というように使うとのことでした。『ねざくる』は手元の方言辞典にも見えないのですが、語源は、

『ぬたくる→ねたくる→ねたぐる・ねだくる→ねざくる』

かと考えました。そうだとすると、ずいぶん変化したものです。以下の文献がありました。

山田達也・山口幸洋・鏡味明克『東海の方言散策』中日新聞本社 p.76

---(引用開始)

ネタクル『泥など、ねばつくものを、こすり付ける』

 訳が少々長いが意味が狭いからやむを得ない。ネダクルともいう。 昔、どの程度の共通性があった語か分からない。『広辞苑』にもないが、方言としては岐阜県などのネタグル『塗る、なすり付ける』と同類である。尾張の農村。小学校一年生の腕白小僧。私の仲間は皆、着物の袖{そで}口がゴワゴワ、ピカピカしていた。鼻紙、ハンカチなどとは無縁の時代で、だれでも青ばなを袖口でふいて、ネタクッタからである。鼻の下にレールが付いて、出たり、入ったりする青ばなを最近は見かけなくなった。世の中が進むと青ばなも出なくなるものであろうか。(達)---(引用終了)」

 

そこではこんなメールを返しました。

「『ねたくる』は、私も三重出身なので聞いたことがあります。

『ねたくる』の『た』が濁って『ねだくる』、その『だ』が『ざ』に転化して『ねざくる』となるのは、可能性ありますね。『ねたくる』自体も、

『ぬりたくる』→『ぬったくる』→『ねたくる』

と変化したのではないでしょうか?」

 

それに対して塩田さんが、

「『日本国語大辞典』に以下の項目があるのを見つけました。

  ねじくる (中略)[方言](中略)②ぬぐう。 兵庫県但馬652

『ねざくる』との関連を疑わせます。

西日本の一部に、『ねざくる』『ねたくる』『ねじくる』『ねじゃくる』などの変異形が見られることばなのでしょうか。」

 

そこでまたまたが、

「『ねじくる』・・・・わたくし、『ねじめ正一』を思い浮かべてしまいました。」

 

と茶化すと、塩田さんから、

 

「『ねたくる』は、『日国』にも掲載があるのですね。

  ねたくる[他ラ四]こすりつける。ぬりつける。ぬたくる。

  煤煙(1909)<森田草平>一九『その儘濡れた掌を男の口髭にねたくり附けた』

で、その『森田草平』は岐阜出身です。

http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%A3%AE%E7%94%B0%E8%8D%89%E5%B9%B3/

あと、『ぬたくる』の用例で江戸時代のもの『化粧ぬたくりて』が挙げられています。

これは、『ぬりたくって』から来たと考えるのが自然な気がします。

もし、『ぬたくる』と『ねたくる』が同源だとすれば、飯間さん・道浦さんのご指摘どおり、

ぬりたくる > ぬったくる > ぬたくる > ねたくる > ねだくる>ねざくる

という壮大な語形変化のルートが想定できるかもしれませんね。『ねじくる』は関係ないかもしれません。あるいは『ねたくる』と『ねじくる』の混交形が『ねざくる』かも?『やぶる』と『さく』から『やぶく』ができたように。」

 

とさらに詳しい分析メールが!

もしかしたら方言の専門家には既に解明済みのことかもしれませんが、一つの言葉からいろいろと、話が広がり、楽しかったです。(おもに飯間さんと塩田さんの対話なのですが。)

(2010、2、18)

2010年2月23日 14:26 | コメント (0)

新・ことば事情

3875「酷愛」

 

210日の読売新聞で、「読売文学賞」を受賞された作家の丸谷才一さんがインタビューを受けていました。その見出しが、

「酷愛の作品 解説存分に」

とありましたが、この

「酷愛」

という言葉、見慣れないなあと思い、本文でも使われているのかな?と見てみると、

「ジョイスを酷愛する作家にしてはじめて成った、生涯をかけた翻訳、研究だろう」

と本文でも使っていました。記事は尾崎真理子記者によるもの。

『精選版日本国語大辞典』『広辞苑』『三省堂国語辞典』『岩波国語辞典』「酷愛」は載っていません。

「酷○」という形の言葉は『岩波国語辞典』では、

「酷悪」「酷遇」「酷使」「酷暑」「酷熱」「酷薄」「酷評」「酷吏」「酷烈」

「9語」しか載っていませんでした。いずれも「酷」は「ひどい」という「マイナスイメージ」で使われていました。この「酷愛」はおそらく「プラスイメージ」で使われているのでしょうが、造語なのでしょうか?造語にしては「 」や" "が付いていないなあ。同じようなイメージの言葉としては、ちょっと甘いイメージはあるけれど、

「溺愛」

があります。「溺愛」は「出来あい」の言葉だから避けたのでしょうか?

Googleで検索してみると(222日)、

「酷愛」=346000

もありました!ネット上ではものすごく使われているようですね。「日本語のページ」に限ると、

「酷愛」=  3240

お、激減。ということは、「中国語から入ってきた言葉」なのか?

「濃く愛」

ということかな? 

 

(2010、2、22)

2010年2月23日 12:14 | コメント (0)

新・ことば事情

3874「たくさんなお小遣い」

 

『大阪づくし私の産声~山崎豊子自作を語る2』(山崎豊子、新潮社:20091125という本を読んでいたら、こんな文章が出てきました。

「京都女子大へ進学するようになった時、はじめて自由に、それも割にたくさんなお小遣いを持たせて貰った嬉しさは忘れることが出来ない。」101102ページ)

この中の、

「たくさんお小遣い」

という表現が気になりました。普通は、

「たくさんお小遣い」

とするところではないでしょうか?そのあとにも、

「赤い財布や四角な皮の定期入れを持っているのを、さんざん羨ましげに眺めていた」102ページ)

というふうに、

「四角皮の定期入れ」

という表現も。これも普通は、

「四角皮の定期入れ」

とするのではないでしょうか?また「皮」ではなく「革」を使う気もします。

「平成ことば事情2598ライブな社会」「平成ことば事情3787長身な彼」も、あわせてお読み下さい。

 

(2010、2、22)

2010年2月23日 10:14 | コメント (0)

新・ことば事情

3873「お楽しみゲーム」

 

私は普段はあまり見ないのですが、小6の息子が大好きな番組に、某局のクイズ番組があります。3チームに分かれてクイズをして、一番成績の悪かったチームのメンバーは、最後にみんな別々のブースに入って、そのうちの2人だけ、上から水が掛けられるという趣向。それをさして番組で、

「お楽しみゲーム」

と言っていました。字幕スーパーも出ていました。でも・・・あきらかにそれは、

「罰ゲーム」

ですよね。一番成績が悪かった「戦犯」とされていた男性タレントには水がかからず、それで、水がかかるとばかり思っていた彼は、

「(水がかからなかったことが)人生最大の罰ゲームです」

と言っていました。やっぱり「罰ゲーム」なんだ・・・。この言い換えはどうかなあと思いました。今テレビでは「罰ゲーム」も使えなくなっているのでしょうか?

 

(2010、2、19)

2010年2月22日 22:12 | コメント (0)

新・読書日記 2010_044

『性的なことば』(井上章一、斎藤光、渋谷知美、三橋順子編・講談社現代新書:2010、1、20)

200412月に出た講談社現代新書の『性の用語集』の続編。5年ぶりに出た本は450ページ近い「辞書」のような内容の濃さ。あまり放送では使えないような言葉、つまり「下(シモ)」系の俗語が多いのだが、言葉を使う仕事をしている以上は、その語源や言葉の「経歴」などを押さえおく必要はあるだろう。それは人々の「セイカツ」に根ざしたものだし、ある意味での「教養」でもある。

先日の新聞用語懇談会放送分科会でも問題になった、鳩山総理大臣の夫人の「鳩山幸さん」を指して「幸夫人」と呼ぶような言葉の使い方に関しても、「○○夫人」という項目で載っている。大変勉強になる一冊。

 


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(2010、2、18読了)

2010年2月22日 19:45 | コメント (0)

新・ことば事情

3872「独法」

218日の朝日新聞を読んでいたら、

『仕分け「独法廃止」も~枝野刷新相、第2弾で』

という見出しが。これを見て私は、

「え?『独法廃止』って・・・『独占禁止法』が廃止されるの?」

と思ってしまいましたが、本文をよく読むと、「独法」は、

「独立行政法人」

のことでした。ああ、そういうこと。「ドイツの法律」でもありません。

Google検索では(219日)

「独法、独立行政法人」=80400

「独法、独立法人」 =   7440

「独法、独占禁止法」=   3960

「独法、ドイツ法」 =    916

でした。

「独立行政法人」は「ウィキペディア」には、

「短縮する必要がある場合は独法、独行法人等と表記する」

と書かれていましたが、「独占禁止法」「独法通則法改正案」などと使われているほか、「ドイツ法」EC法、独法」のように使われているようです

しかし私と同じように「わかりにくい、まぎらわしい」と感じた人がいたようです。それは24日の産経新聞で、

「独立行政法人の抜本的改革を進める意向を表明した。『独法は原則廃止だ。(天下り

などは)廃止を含め検討しないと止まらない』と述べた。」

というところで感じたようです。 (2010、2、19)

 

 

(追記)

2月28日の朝日新聞の見出しに、

21独法、国費で国債3000億円~余剰資産や基金運用』

と、「独立行政法人」の意味での「独法」が使われていました。朝日は「独法」好き?

 

 

 

 

 

 

(2010、3、3)

2010年2月22日 18:44 | コメント (0)

新・ことば事情

3871「『づくし』と『ずくめ』」

 

去年(2009年)102日の「ミヤネ屋」の芸能パネルのコーナーで、内田裕也さんの服装についての部分で、事前のチェックで、

「黒づくめ」

という表記が出てきましたので、

「黒ずくめ」

に直しました。「づ」「ず」「じ」「ぢ」は「四つ仮名」と呼ばれるもので、使い分けが難しいのですが、

「黒ずくめ」は「ず」

「黒づくし」ならば「づ」

なのです。漢字で書くと、両方とも、

「尽くし」

なのですが・・・

『新聞用語集2007年版』によると、

「心尽くし(こころづくし)」

「黒尽くめ(くろずくめ)」

「結構尽くめ(けっこうずくめ)」

という使い分けになっています。

これに関しては、平成ことば事情3669「異例づくしか?異例ずくめか?」で書きました。そこで載せた、専門家の早稲田大学非常勤講師の飯間浩明さんのコメントを、もう一度載せておきますね。

 

『四つ仮名は、「現代仮名遣い」の方針にかかわることで、かなり人為的な、もっといえば恣意的なものですね。

「心づくし」に対して、「黒ずくめ」「力ずく」になる理由は、「つくす」や「つく(つきる)」とのつながりが感じられるかどうかによります。

漢字で書くと、両方とも、「尽くめ」「尽くし」なのですが、「~づくし」は動詞「尽くす」の意識が残っているのに対して、「~ずくめ」「~ずく」は、もはや動詞とのつながりが感じられなくなっているというわけです。

実際、「ずくめ」「ずく」の語源が直感的に分かる人は少ないでしょう。

『日本国語大辞典』によれば、「~ずくめ」は「ヅク(尽)に接尾語メの付いた語」とありますが、語法としてはイレギュラーです。「~ずく」については語源の説明もありません。実際のところ、「尽くす」から来たのか、「尽く(尽きる)」から来たのかも(私にとっては)あいまいです。

「出ずっぱり」とか「つまずく」なども、「出突っ張り」「爪付く」という語源を考えれば「出づっぱり」「つまづく」でよさそうなものですが、語源が忘れられたために、本則は「ず」を使いますね。これらと同様でしょう。

しかし、それなら「こぢんまり」は「小+ちんまり」から来ていることを意識している人は少ないと思いますが、なぜか現代仮名遣いでは「こじんまり」とはしないのですね。恣意的だと私が思うのは、こういう点です。』

飯間さん、ありがとうございます。

 

また、日ごろ新聞用語懇談会でお世話になっている、日本新聞協会の金武伸弥さんのコメントも再録します。

 

「『新聞用語集』115116ページに、

《1、  仮名の使い方は、おおむね発音通りとする。「ぢ、づ」は原則として「じ、ず」を用いる。》

とあり、例外として、117ページに、

《5(2)2語の連合によって生じた「ぢ」「づ」は「ぢ」「づ」と書く》

ことになっています。(例:はなぢ=鼻+血、みかづき=三日+月)

「心尽くし」「あいそづかし」は「心+尽くす」「あいそ+尽かす」ですから2語の連合で「こころづくし」「あいそづかし」です。しかし、同じページの後に、

《なお、次のような語は、現代語の意識では2語に分解しにくいもの等として「じ、ず」を用いて書く》

とあり、「うでずく」「くろずくめ」などが挙げてあります。

「黒ずくめ」「結構ずくめ」などの「ずくめ」は、漢字は「尽」を当てますが、接尾語で、単独でも「つくめ」と発音しません。したがって「黒+つくめ」ではなく、「黒+接尾語ずくめ」であると解釈します。

「腕ずく」「金ずく」「力ずく(力任せ)」も同様で、単独でも「つく」と発音しません。したがって「腕+つく」ではなく、「腕+接尾語ずく」であると解釈します。 (下線は道浦)

同じ漢字を当てても「人妻」は「人+妻」で2語の連合ですから「ひとづま」、「稲妻」は現代語では「稲+妻」の意識はなく、1語ですから「いなずま」とします(語源的には「稲の妻」なのですが。そこで『新聞用語集』118ページには内閣告示「現代仮名遣い」は「いなづま」も許容しているが、この用語集では本則に従う。とあります)

また、「力が付いてくる」という意味の「力付く」は2語の連合で「力づく」です。

このことは拙著『王道日本語ドリル』の「間違えやすい仮名遣い」の項にも解説してあります。」

金武さん、ありがとうございます。

詳しくは『王道日本語ドリル』(集英社新書)を読んでみることにいたしましょう!いや、もう読んだんですけどね、もう一度・・・。

(2010、2、18)

2010年2月22日 15:43 | コメント (0)

新・読書日記 2010_043

『美女と野球』(リリー・フランキー、河出文庫:2005,10,20初版・2006、9、20第42刷)

この間、京都で劇団四季のミュージカル「美女と野獣」を見た。帰って来て本棚を見ると、読みかけの『美女と野球』が・・・で、読んでみた。

うーん、下品!だよなあ。下品は嫌いじゃないけど、なんかちょっと違う種類の下品です。

のちに『東京タワー~オカンとボクと、時々オトン』につながるようなエッセイも載っていた。これがふくらんで小説・映画になったんだね、と。19971998年頃の話。

下品だけど、そんな人間の真実も書かれている、そういった種類の本なので、"好き嫌い"があると思います。でも奥付を見てびっくりした。何と「42刷!」ですよ!この文庫本、発行から1年足らずで!超ベストセラーじゃない!すんごいなあ!!

 


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(2010、2、17読了)

2010年2月22日 10:46 | コメント (0)

新・読書日記 2010_042

『若き友人たちへ~筑紫哲也ラスト・メッセージ』(筑紫哲也、集英社新書:2009、10、21)

 

故・筑紫哲也氏は、早稲田大学と立命館大学で講義をしていた。その講義録を集めたような本。その意味で「若き友人へ」というタイトルはつけられたのだろう。

巻末に、著者が高校時代(だっけか?)に書いた文章が載っている。それを読むと"時代の空気"を感じるとともに、早熟な著者の萌芽を見ることも出来る。青いですけど、すがすがしい気がした。もう、亡くなって1年以上経つんですね・・・。


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(2010、2、8読了)

2010年2月21日 10:45 | コメント (0)

新・読書日記 2010_041

『47都道府県これ!?マジ条例集』(長嶺超輝、幻冬舎新書:2009、11、30)

 

各都道府県別に「おもしろい変わった条例」を集めた本。そういう意味では、なかなかないユニークな視点の本。でも、そんなに各都道府県全部に変わった条例があるはずもなく、ちょっと苦しい。全都道府県にこだわらずにおもしろい条例だけを集めてもよかったのに。

やはり「変わった条例ナンバー1」は、帯にも書かれているように「山口県光市」の「おっぱい条例」でしょう。どんな条例かは、本書をお読み下さい。

 

 


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(2010、2、11読了)

2010年2月20日 18:44 | コメント (0)

新・読書日記 2010_040

『ひとりずもう』(さくらももこ、小学館文庫:2010、1、13)

 

さくらももこさんの中学から高校時代のことを書いたもの。一人のちょっと変わった、でも、ごくフツウの女の子の「青春時代」を描いたもの。これがさくらももこさんのものでなければ、たぶんおもしろくもなんともないと思う。つまり最終的に「成功物語」になっているので、読める。でも悶々としている人は、読むといいかも。

なぜさくらさんが、こういった形の漫画家、つまりエッセイのような漫画を書くようになったかがわかる。

なお、この本を買った場所は本屋さんではなく、何と「コンビニ」でした。

表記で気付いたのは、

「家にいる時は学校で使っているジャージを着ていたので、ジャージは便利だなァと思っていたのである。」

「ジャージ」という表記。「ジャージー」ではなく。

「おんぼろダンス」

というのは「古くてオンボロの箪笥」のことだが、パッと見たときに「ダンス」は、

「踊りのダンス」

のことかと思って、「なんじゃ、そりゃあ!」と思った。

 

 


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(2010、2、14読了)

2010年2月20日 10:43 | コメント (0)

新・ことば事情

3870「ワラをもすがる思い?」

報道のS君から電話です。

「ドキュメンタリーのナレーションの録音をしているのですが、『ワラをもすがる思い』でしょうか?それとも『ワラにもすがる思い』でしょうか?」

「うーん、『溺れる者はワラをもつかむ』とは言うけど・・・この場合は『ワラにもすがる思い』かなあ」

と言った時、にハッと気付きました。これは

「溺れる者はワラをもつかむ」

「ワラにもすがる思い」

という「ワラ」にまつわる2つの言い回しの「混交表現」であると!

こういう似たものが交じると、何となく正しい感じになるので、知らない間に使ってしまうおそれあり。クワバラ、クワバラ、気をつけないといけません。

ちなみに、Google検索(2月18日)では、まず「正しい」表現の一部

「ワラをもつかむ」=343000

「わらをもつかむ」=662000

「ワラをも摑む」 =    59

「わらをも摑む」 =    93

「藁をもつかむ」 =938000

「藁をも摑む」  =   6100

次も正しい形。

「わらにもすがる」=1200000

「ワラにもすがる」= 770000

「藁にもすがる」  3100000

「わらにも縋る」    48100

「ワラにも縋る」    85900

「藁にも縋る」    650000

そして「混交表現の間違い」ですが・・・・

「ワラをもすがる」= 284000

「わらをもすがる」= 825000

「わらをも縋る」    14900

「ワラをも縋る」        9960

「藁をもすがる」  1070000

「藁をも縋る」    148000

けっこうたくさん、間違った表現が使われているようですね・・・。

これは「ない」と思いますが、一応(229日検索)

「ワラにもつかむ」=  7000

「わらにもつかむ」=17300

「ワラにも摑む」 =    0

「わらにも摑む」 =    0

「藁にもつかむ」 =49000

「藁にも摑む」  =    2

 

「藁にもつかむ」「わらにもつかむ」が、ともに「万」単位で使われているのには驚きました。

いずれにせよ「藁」も「縋る」も、「手書き」だと書けない人が多いのではないでしょうか?

(2010、2、19)

2010年2月19日 18:42 | コメント (0)

新・ことば事情

3869「パナソニック電工」

「松下電器産業」「パナソニック」に社名が変わりましたね。創業者の名前がなくなった。それはつまり、企業として本当に大きくなった、国際的になったということの表れなのかもしれません。もちろん、創業者の名前を冠したまま世界的になっている企業もあるでしょうが。

こんなことをふと思ったのは、読売テレビの近くを歩いていたら、この間までたしか、

「松下電工」

と書かれていた会社の看板が、

「パナソニック電工」

に変わっていたのを見かけたからです。そうか、関連会社も全部名称変更したのか・・・そう思ったときに、一つ大きな疑問が!

「あ!松下政経塾は?『パナソニック政経塾』になったのか??」

     ・・ということで調べてみたら・・・・そのままでした。ホッ・・・。(なんで!?)

これはある意味、創業者の名前を冠することにこそ意味があるので、やはり変えないんでしょうね。ちょっと安心しました。

(2010、2、18)

2010年2月19日 15:41 | コメント (1)

新・ことば事情

3868「二足のわらじ」

2月11日の「ミヤネ屋」の放送で、冬季五輪の選手で、ウインタースポーツのほかにラグビーの選手もやっていることをさして、

「二足のわらじ」

と表現しました。しかし本来「二足をわらし(をはく)」というのは、

「博徒(ばくと)が十手を預かるような、仕事が相矛盾する場合」(『広辞苑』)

を指しました。(「博徒=ばくち打ち=ヤクザのような感じ」が「十手を預かる=警察」)

つまり、似たような仕事をやっていたり、競技は違っても同じ「スポーツ」をしている場合には使わなかったのですが、現在は、

「単に二つの職業を兼ねること」

も意味していますが、一応、知識として、スタッフにも知らせました。

(2010、2、18)

2010年2月19日 14:40 | コメント (0)

新・ことば事情

3867「女王と皇帝」

218日の朝日新聞スポーツ欄、バンクーバー五輪の記事で、

W杯の女王、念願の『金』」

という見出しが。女子一人乗りリュージュのドイツ・ヒュフナー選手のことです。この、

「女王」

という表現、スポーツの世界ではよく出てきますね。

一方、同じ218日の毎日新聞には、

「見たか皇帝の4回転」

という見出しで、男子フィギュアのロシア・プルシェンコ選手の記事です。こちらは、

「皇帝」

です。スポーツで「皇帝」で思い出すのは、サッカー好きの私にとっては西ドイツ代表の、

「皇帝ベッケンバウアー」

ですね。ドイツ語では「カイザー」でした。サッカーだと他にも、ブラジルのペレ選手が、

「王様(キング・ペレ)」

ですね。また、フランスのミッシェル・プラティニ選手は、

「将軍」

でした。うーん、すごい称号だ。話がそれましたが、「それ」ついでに「皇帝」と言えば、

「皇帝ペンギン」

ペンギンはほかにも、

「王様ペンギン」

という種類も。どっちが偉いんだろ?

あ、私が気になったのはスポーツの世界に出てくる「女王」とか「皇帝」とか「王様」とか「将軍」は、誰がどうやって付ける「称号」なんだろうなあということ。またスポーツの分野によってそれが違ったりするのかなあ?という漠然とした疑問の提示でした。ご存じの方、ぜひ教えて下さい。宜しくお願いします。

 

(2010、2、18)

2010年2月19日 12:38 | コメント (0)

新・ことば事情

3866「焼き肉の表記」

 

の表記に付いて、「ミヤネ屋」のスタッフから質問を受けました。

「"やきにく"は、"焼き肉"でしょうか?それとも"焼肉"でしょうか?」

『新聞用語集2007年版』には、

「焼き肉」「焼き鳥」

など「き」を送ると記されていますので、それに従うように指示しました。

ただ街中のお店の看板には、

「焼肉○○」

のように「き」を抜いた形の物も数多く見受けられます。その店を紹介する場合は「固有名詞」なので、それに従えばいいのですが、日ごろ街中でそういった表記の方を多く目にしていると、

「"焼肉"という表記でいいのではないか?」

と思うのも、ゆえないことではありません。大変有名な、

「『○肉□食』の空欄を漢字で埋めよ」

という問題で、正解は「弱肉強食」ですが、珍答として、

「焼肉定食」

というのも、もしかしたら「焼肉」という表記を支持する人が多いことに関係しているかもしれません。

そんな中、フジテレビは去年(だったと思うのですが、もしかしたら、おととしだったかも)、「焼肉」という表記をOKにしたそうです。

表記の問題は難しいです・・・。

(2010、2、18)

2010年2月19日 10:10 | コメント (0)

新・ことば事情

3865「北教組」

民主党の小林千代美議員側が違法な選挙費用を受けていた疑いで、政治資金規正法違反(企業・団体献金の禁止)容疑で、小林氏の選挙対策委員長の自宅が捜索を受けましたが、違法な選挙費用・資金を提供したとされるのが、

「北海道教職員組合」

このところよく新聞・テレビに、その名前が出てきます。この「北海道教職員組合」ですが、8文字と長いので、略されて、

「北教組」

となっています。「北」は、もちろん、

「北海道」

の略です。217日のNHKのニュースでも、

「北教組、不正資金提供の疑い」

という見出しスーパーが、また同じ2月17日産経新聞でも、

「『千円カンパ』を裏金か?北教組、組合員から選挙の度に」

というふうに「北教組」を使っています。同じく2月17日読売新聞夕刊には、

「北教組資金 別口座に」

日経新聞の同じく2月17日夕刊にも、

「『北教組委員長から現金』経理担当者が説明」

「北教組」が使われていましたし、朝日新聞でもこの略称が使われていました。しかしこれを見ると、「北」が「北海道」の略ではなく、

「北朝鮮」

の略のように見えてしまいます。実際、同じ日の紙面で産経新聞は、「北朝鮮」の意味でも「北」を使っていました。

多分で地元(北海道)で「北教組」という略称が使われているのでしょう。別に擁護するわけではないんですが、なんだか「北」と略すだけで、「悪いイメージ」が付いてしまっている気もします。いいのかな、この略称で。(2010、2、17)

 

(追記)

北海道出身の「かくた」さんという方からコメントを頂きました。それによると、

『北海道教職員組合は自ら略称として「北教組(ほっきょうそ)」を昔々から使用していますから、これは変えようがありませんねぇ。』

とのこと。あ、そうか「ほっかいどう」だから「北」と書いてあっても「きた教組」ではなく、

「ほっきょうそ」

なんですね、読み方は!また、

『何かと対立する北海道教育委員会の略称は「道教委」なのが面白いところです。』

ですって。どうも、ありがとうございました!

 

 

 

 

 

(2010、2、22)

2010年2月18日 23:18 | コメント (1)

新・ことば事情

3864「『連れ去り』か?『連れ出し』か?」

2月10日、「ミヤネ屋」で、宮城県石巻市で起きた殺人・誘拐事件の表現に関して、ディレクターから質問を受けました。

「少年は、二女を一緒に連れて行ってるんですが、これは『連れ去り』でしょうか?それとも『連れ出し』でしょうか?」

わたしは、

「連れ去り」

と答えました。「連れ去り」は、連れ去った人(=犯人)に焦点が当たっています。

それに対して「連れ出し」は、「連れ出された人」の方にやや焦点が当たっています。

今回の事件では、

「連れ去った犯人」

がターゲットで、「連れ去られた」女性は「被害者」ですから、「連れ去り」の方が妥当だと思いますと答えました。『精選版日本国語大辞典』では、

「連れ去る」=連れてその場を離れる。

「連れ出す」=(1)取り出す。また、持ち出す。(2)連れて外へ出す。誘って外へ出す。

ということで、違いは「誘って」という部分。「連れ去る」は「無理やり感」がありますね。

 

(2010、2、16)

2010年2月18日 22:45 | コメント (0)

新・ことば事情

3863「初の外国人横綱に昇進と初の黒人大統領」

元横綱・朝青龍のニュースを伝えた時のこと。事前に原稿をチェックしていると、

「初の外国人横綱に昇進」

という表現が出てきました。おや?と思い、

「外国人として初の横綱昇進」

に直しました。というのも、

「『外国人横綱』という枠」

あるわけではないので、正確な表現はやはり「外国人として初の横綱昇進」です。

ただその状態を指して「外国人横綱」と呼ぶことはあるでしょう。ですから、微妙ですね。実はナレーションは、既に録音(完パケに)してあったので、放送時間も迫っていたことから録音のとり直しはせず、字幕スーパーのみ、直しました。

去年、オバマ大統領を、

「初の黒人大統領」

と呼ぶかどうかの話がありましたが、あれと基本的に同じことですね

これについて書いたと思っていたら、まだだったみたいなので、個々に書きます。去年(2009年)の2月の新聞用語懇談会放送分科会「初の黒人大統領」という表現について議題に上がりました。

委員の一人から、

「先般の『オバマ大統領就任』に際し、『黒人初』という表現について、社内で何か議論はあったのか?

と質問が出ました。2009121日の新聞・放送各系列は、

(朝日新聞)『オバマ米大統領就任 黒人初(見出し)』『初のアフリカ系(黒人)の第44代大統領(本文)』

(読売新聞)『初の黒人(見出し)』『黒人の大統領誕生は、奴隷制など人種差別の過去を持つ米国史上初めて(本文)』

(毎日新聞)『初の黒人(見出し)』『黒人大統領は米国史上初めて(本文)』

(日本経済新聞)『初の黒人、47歳(見出し)』

(産経新聞)「黒人」の見出しは、なし。『黒人大統領の誕生は、米国独立以来これが始めて(本文)』

<放送・HPのテキストから>

(NHK)

『~バラク・オバマ氏が就任し、アメリカ史上初めての黒人の大統領が誕生しました。』

(TBS=JNN) 

『アメリカの建国史上、初めての黒人大統領の誕生です。』

(テレビ朝日=ANN) 

『黒人初の大統領誕生の瞬間を見届けようと』

(フジテレビ=FNN) 

『アメリカのオバマ新大統領の就任式が21日未明に行われ、⇒「黒人初」特に見当たらず・・。

(日本テレビ=NNN) 

『アメリカ初の黒人大統領となるバラク・オバマ新大統領が20日、就任演説を~』

(テレビ東京=TX) テキスト なし

かつて、パウエル国防長官就任時は「カリブ系アメリカ人」との表現も。

という報告がありました。

 

これについての各社からは、

NHK)「黒人」に差別性はない(使ってもよい)。「黒人初」はOK。「初の黒人大統領」の方が×」

TBS)「黒人」はOK。「アフリカ系」について協議したが、そちらの方が却って目立ってしまう。ただ、スーパーで「黒人」とは出たが、コメントでは言わなかった。

NTV)内容的には「アフリカ系アメリカ人」を中心に使った。(120日の就任式後に、「『黒人』は不可」という連絡が、NTVから読売テレビに回ってきたにも関わらず、その後のNTVの番組で「黒人」を使っていた。)

(フジテレビ)特に議論はなかった。普通に「黒人の~」と言っている。

(テレビ朝日)他局と同じ。本記は「アフリカ系」。「黒人」を使っていけないことはない。必要があれば使う。オバマ大統領の発言で「ボクは"雑種"だから」と言ったのをそのまま「雑種」とスーパーした。

(テレビ東京)「アフリカ系」は使っていない。「黒人」を使っている。

WOWOW)元NHKの手嶋龍一さんが「アメリカの黒人のルーツはアフリカ系(アフリカン・アメリカン)の奴隷。オバマは移民。「アフリカン・アメリカン」であって「黒人」ではない。「ハーフ」であって「黒人」ではない。オバマは後天的にブラック(黒人)を求めてきた。」と言っていたのに納得した。(その説明に私=道浦は納得できなかったのですが・・・)スポーツ中継では「黒人」は使わずに、これまで「アフリカン・アメリカン」を使ってきた。

(共同通信)「初めての黒人大統領」と使った。「黒人」はOK。ただ、特に強調する場合以外には、「黒人」も「アフリカ系アメリカ人」も使わない。

というような意見が出ました。

 

(2010、2、16)

2010年2月18日 21:53 | コメント (0)

新・ことば事情

3862「七奉行の読み方」

先週、2人のアナウンサーから同じ日に質問を受けました。

 「民主党の『七奉行』の読み方は『シチ奉行』か?『なな奉行』か?」

「民主党の七奉行」というのは、

「岡田克也、前原誠司、野田佳彦、仙谷由人、枝野幸男、玄葉光一郎、樽床伸二」

の各氏のことですね。このうち4人は現職の大臣です。名付け親は、民主党の「黄門様」こと渡部恒三氏。これはもちろん、その昔の自民党の、

「竹下派七奉行」

になぞらえていますよね。「竹下派七奉行」というのは、

「小渕恵三、橋本龍太郎、梶山静六、小沢一郎、羽田孜、渡部恒三、奥田敬和」

七人。渡部さんも入っていました。このうち3人が総理大臣になっているのですから、すごいです。そのほかの人も政界で力を振るってきました。

さて、この質問にあった「民主党の七奉行」ですが、私はこれまで何回か、

「シチ奉行」

と読んできました。

「七」の読み方に2種類あるのはご存じの通りですが、古い時代は「シチ」と読みます。「なな」になったのは明治30年(1890年代後半)以降と見られています。ですから、現代の話であっても、「奉行」のような古い(江戸時代)言葉に付く「七」には、「シチ」がふさわしいと思います。ちなみに「シチ」と読むものには、

「四十七士」(シジューシチシ=赤穂浪士・忠臣蔵)

「七回忌」(シチカイキ)、「十七回忌」(ジューシチカイキ)

「七人の侍」(シチニンノサムライ)

「七代目」(シチダイメ)※これは「ななダイメ」と言うこともある。

「七段」(シチダン=囲碁・将棋・武道の段位)

「七福神」(シチフクジン)

などがあります。関西は「なな」の勢力が強いように感じます。商売の関係でしょうか?

数年前に問題になったのは、将棋の羽生善治さんが「七冠」になった時、

「ななかん」

と読む人が多かったですが、正しくは「シチカン」であるという声が専門家の間から出ました(柳瀬尚紀氏など)。

また、太宰治の『十二月八日』という作品の中では、「皇紀二千六百年」(=昭和15年)という時代を舞台に100年後の「皇紀二千七百年」の「七百年」部分の読み方について、登場人物が、

「『ななひゃくねん』はおかしい。『シチヒャクねん』でなければ!」

と話すシーンがあります。

そもそも漢語に関して「なな」という読み方は、明治の中ごろ、商売・経済関係で出てきたようで、当時はその語の響きに関しては否定的な意見も多かったようです。

ただ、言葉に詳しいNHKの知り合いに聞くと、

「今回の民主党の『七奉行』は、まだ出てきたことがないが、竹下派・七奉行のときは『なな』だった」

とのこと。え・・・そう言われるとちょっと気持ちが揺れます。

また小学館で辞書を作っている知り合いに聞くと、

「いわゆる名数で、七賢・七雄・七福神・七島などは音で『シチ』なので、『七奉行』も『シチブギョウ』になるのかもしれませんが、『ナナブギョウ』とで『ゆれ』があるのではないかと思います。『ナナブギョウ』と読まれることが多いとすれば、『シチ』の言いにくさも関係があるのかもしれません。」

とのことでした。

「シチとななの読み方」に関しては、助数詞との関係でどう変わるのかに関して、「平成ことば事情2657 NHKアクセント辞典に見るシチとななの変化」に書きましたので、そちらもお読み下さい。

(2010、2、16)

2010年2月18日 20:52 | コメント (0)

新・ことば事情

3861「七」

5歳の娘が、

「すごろく、やろ」

と言うので、「じゃあやろうか」と応じましたが、「サイコロ」がありません。

「サイコロ、持ってきて」

と頼むと、

「サイコロないから、これでやろ」

と持ってきたのは、「平べったい消しゴム」。うーん、これでは表か裏かの2種類しか出そうにないなあ。しかも、「何の目が出たか」は、目を書き込んであるわけではないから、わからないし。どうする?数字を書き込む?と聞くと、娘は、

「ううん、何が出たかは、わたしが言う」

と。うーん、ゲームはすべてそっちの裁量かよ。ま、いいか、お遊びなんだし、と思って「平べったい消しゴムのサイコロ」を振って、「何が出たん?」と聞くと、

「うーんと、四」

とか、

「五」

とか言うので、それに合わせてコマを進めていました。しばらくしてまた、「何が出たん?」と聞くと、今度は、

「えーっと、七」

落語の「狸賽」(たぬさい)じゃあないんだから・・・。

「あのね、サイコロの目は、六までしかないんだよ」

と教えると、

「じゃあ、六」

こんな「すごろく」なら、とっても平和です。

(2010、2、16)

2010年2月18日 19:51 | コメント (0)

新・ことば事情

3860「どタイプ」

2月15日放送の日本テレビ『しゃべくり007のゲストの女の子で、女子中学生の人気No.1という桐谷美玲さんという人が、

「少女漫画『君に届け』の中に出てくる『風早(かざはや)くん』というのが『好みのタイプ」

だと言っていました。それ自体に私は特に何も興味はなかったのですが、彼女がそのことを指して、

「どタイプなんです」

と言っているのには注意をひかれました。

「どタイプ」

って・・・何でも「ど」をつければいいってもんじゃないけど、「ど」は単なる「強め・強調」の言葉になって、今の若い人たちにとっては、「マイナスのイメージ」というのはないんだなあ、と思いました。Google検索(216日)では、

「どタイプ」=5830

もあって、

「きゃあ!どタイプです(笑)」

「顔がどタイプの女の子」

「超ど対応のかわいい子」

なんて表現がある一方、

「おーるどタイプ

「まいるどタイプ

なんてのも含まれていたので、5830件全部がこういった用例とは限りません。

「ど」にか関しては、「平成ことば事情486どキレイ」「2946ド平日」「3487アラ還」もお読み下さい。

(2010、2、16)

2010年2月18日 18:50 | コメント (0)

新・ことば事情

3859「重厚端厳」

2月12日の「ミヤネ屋」のオンエアー前に、Wディレクターから質問を受けました。

「与謝野・元文部科学大臣のことを『四字熟語』で表現したいんですが、『重厚謹厳』っていうのはどうでしょうか?」

「うーん、『謹厳』は、『重厚』とは別のような気がするなあ。『重厚』と聞いてすぐに出てくるのは『重厚長大』だけど、この場合は、全然違うしなあ」

と言いながら、手元の『類語大辞典』「重厚」を引くと、同じような意味(類語)で載っていたのが、

「端厳(たんげん)」

という言葉。意味は、

「きちんとしていてすきがなく、威厳がある様子」

で、例文としては、

「端厳な老人」

これだ!と思いましたね。正確な意味では、こなれた(世の中でよく使われている)「四字熟語」ではないかもしれないけど、これなら収まりがいいねということで、

「重厚端厳」

という表現にしてオンエアーしました。

Googleで検索(216日)したところ、「重厚端厳」という四字熟語は1件も出てきませんでしたが、

「端厳で重厚感が街の誇りとなる秀麗な32邸」

という「マンションの広告」が出てきました。まあ、ゴテゴテしてるけど、重い感じはよく出ていますね。また、

「挙止端厳」

という言葉もありました。黒龍会編『西南記伝』からで、

「大四郎、人となり、眉目秀麗、挙止端厳」

という一文です。ウム、重々しいな。非常に「正しく厳かな感じ」です。

(2010、2、16)

2010年2月18日 15:49 | コメント (0)

新・ことば事情

3858「ファーストネーションズとネイティーズ」

いよいよ開幕した「バンクーバー冬季オリンピック」

開会式の生放送を見ていたら、

「『インディアン』のことを『ファーストネーションズ』と言う」

と、実況の男性アナウンサーが説明していました。また、

「ネイティーズ」

というのは、

「先住民と欧米人との間の子の子孫」

のことなんだそうです。いずれも初めて聞きました。そのほかに「イヌイット」もいるし、カナダには200もの先住民族がいるそうです。つまり、それだけたくさん先住の人たちがいるところに、ヨーロッパの人たちが後から入ってきたということですね、「新」大陸に。

それはさておき、入場行進を見ていたら、結構「初出場」の国がありました。ガーナ、パキスタン、コロンビア、ケイマン諸島、セルビア(として初出場)など。

そのほか「1人のみ出場」の国は、アルジェリア、エチオピア、香港チャイナ、モンテネグロ、モロッコ、メキシコ、ポルトガル、セネガルなど。エチオピアは2回目参加で1人だけ参加。この選手はなんと、

「北海道でスキーのインストラクター」

していて「日本語堪能」だとか。

「参加人数がひとけた」の国も多かったです。南アフリカ2ネパール2人、キルギス(と実況。キルギスタンでは?)2人、ジャマイカ2人、サンマリノ2人、チャイニーズ・タイペイ2人。モナコ3人、インド3人、イスラエルは3人、アイスランド4人、トルコ5人、レ\バノン5人、北朝鮮6人、イラン7人で女性選手1人が初参加。ブラジルとブルガリア8人。

「アフリカ」から「冬季」オリンピックに選手が参加していること自体「オドロキ」ですよね。多くの選手は「カナダ」や「スイス」などといった「雪のある国」に「留学」しているようですが。そう言えば、「冬季五輪」と縁がなさそうな「ジャマイカ」のボブスレー選手の奮闘が描かれた映画『クール・ランニング』では、選手たちの様子が面白おかしく感動的に描かれましたが、そのジャマイカからは、今回2人が参加です。

意外に少ないのは、北欧のデンマーク。18しか参加していません。また、これまでにとったメダルは長野五輪のカーリングの「銀」のみというのも意外です。

 

2ケタの選手参加は、ハンガリー16人、ニュージーランド16人、スペイン18人、ルーマニア29人、オランダ34人、カザフスタン38人、韓国46人、ウクライナ47人、ポーランド50人、スロベニア50人、イギリス52人、ラトビア60人、スロバキア79人。

 

わが日本は94人。これは前回トリノ五輪より18人減っているそうですが、それでも100人近い選手団というのは多いですよね。

ほかにたくさん選手を送っているのは、中国92人、フィンランド100人、ノルウェー100人(=冬季五輪でメダル最も多い)、フランスは108人、イタリア109人、スウエーデン118人、スイス154人、ドイツ165人(ボブスレーやリュージュはメダル独占。メダル獲得数が前回トリノ五輪は第1位)、ロシア186人の大選手団(次回の開催地「ソチ」はロシア。ドラケンスバーグ山脈にスキーリゾートあり)、アメリカ220人。開催地カナダは206人参加。

はあ、疲れた。

こう見てくると、やはり夏のオリンピックに比べて、参加地域。人数に偏りがあるような気がします。大選手団を送り込めるのは「雪国」か「先進国」「経済大国」ということが伺えますね。

そのほか国旗を見ていて気付いた事は、

「マケドニア」の旗=黄色い太陽の日章旗。赤地面。

「スウエーデン」の旗=黄色は(やはり)太陽のイメージなのでしょう。日本だと「太陽」は「赤」ですが。

「グルジア」=国旗に喪章が結び付けられていた。リュージュの練習中に投げ出された選手が死亡。

 

また、先日「ミヤネ屋」では、前回のトリノ五輪の実況を聞いて、

「リンジー・ボン」

と紹介した選手を、NHKの開会式の実況男性アナウンサーは、

「リンゼイ・ボン」

と言っていました。どうやら、そちらが正しいようです。

 

(2010、2、16)

2010年2月18日 10:00 | コメント (0)

新・ことば事情

3857「濃い霧に覆われて」

 

212日放送の日本テレビ『スッキリ!!』で、スポーツコメンテーターの荻原次晴さんがカナダ・バンクーバーからの中継で、

「山のほうは濃い霧に覆われていて・・・」

と話していましたが、それに違和感が。ここは、

「濃い霧に包まれて」

ではないか?と思ったのです。そこで出てきた疑問は、

「覆われて」と「包まれて」の違いは?

ということ。しばらく考えて、

「"包む"は立体的、"覆う"は平面的だなあ」

と思いつきました。

「布巾でお皿を『覆う』」

「風呂敷で花瓶を『包む』」

というような違いです。

たまたま私の席のところに来た脇浜紀子アナウンサーに聞いてみると、「『覆う』は『上の方』という感じがしますね」

とのこと。そこで、

「『大地』は雪に『覆われる』だけど『包まれる』ではない。それは『大地』が『平面的=二次元的』だからで、これが『白銀の世界』となると『立体=三次元的』なので、『包まれる』になるんじゃないかな」

と持論を披露すると、

「そうかもしれませんね」

とのことでした。

ところが、その日の産経新聞(だったかな)の夕刊の記事を見ると、「共同通信」の配信記事として、

「霧に覆われる」

という表現が使われているではないですか!びっくり!Google検索では(216日)

「霧に覆われる」=191000

「霧に包まれる」=644000

でした。「包まれる」の方が3倍以上使われていますが、「覆われる」も20万件近く使われています。ちなみに、

*「大地が雪に覆われる」 =  6420

「大地が雪に包まれる」 =    0

*「雪に覆われる」    =656000

「雪に包まれる」    =337000

*「白銀の世界に覆われる」= 15300

「白銀の世界に包まれる」= 24500

でした。

(2010,2,16)

2010年2月17日 20:30 | コメント (0)

新・ことば事情

3856「二ヤット=日本」

 

開高健の本を読んでいたら、

「ベトナム語で『ニャット・ホア』は『日本花』」

と記されているのを目にしました。ベトナム語は全く分かりませんが、この、

「ニャット」

というベトナム語の源は、

「やまと(大和)」

ではないか?と感じました。「花」を「ホア」と発音するのは中国語ですよね。

「日本」が中国語で「ジツフォン」から、「ジッポン」になり、欧米で「ジャパン」とか「ジャポン」とかになったということを読んだことがありますが、この「ニャット」は、そのルート(ジッフォン)からではないように、ふと思いました。

一応、そう感じたということだけ記しておきます。

「二ヤット」も「ヤマト」も「柔らかいイメージ・響き」ですね。ベトナム、行ったことないけど、そんなイメージの国なのかな?

 

(2010、2、16)

2010年2月17日 15:29 | コメント (0)

新・ことば事情

3855「ブルービブ」

バンクーバー五輪の男子スノーボード・クロスのゲームを見ていました。すごいですね、あの角度とスピードと斜度!凡人はとてもとても。見ているのが精一杯だと、改めて感じました。アメリカのセス・ウエスコット連覇を果たし、地元・カナダのマイク・ロバートソンはゴール直前で抜かれて敗れました。4人の選手が一斉にスタートして争うのは、ちょっと格闘技的要素もあるように思われ、予想外の転倒もあり、おもしろいです。

その中継アナウンサーの実況を聞いていると、4人は「ビブ」の色で分けられているようです。「ビブ」は「ゼッケン」みたいなものですよね。ちょっと「競馬」のようでもあります。その「ビブ」、色別に、

赤=「レッドビブ」

黒=「ブラックビブ」

青=「ブルービブ」

黄=「イエロービブ」

うーんなんだか、

「ゴレンジャー」

みたいです。また、「青のビブ=ブルービブ」は、

「ブルーギル」

「黒のブビ=ブラックビブ」は、

「ブラックギル」

のように聞こえて、なんだか「魚の名前」のようでもあります。また、

ベスト4の4人で争う「決勝戦」のことは、

「ビッグファイナル」

5位~8位決定戦」のことは、

「スモールファイナル」

と呼ぶのを知ったのも新鮮でした。

「平成ことば事情3411ゼッケン」「平成ことば事情584スタイ」も、お読み下さい。

(2010、2、16)

2010年2月17日 10:01 | コメント (0)

新・ことば事情

3854「小菓子の読み方」

 

西川史子さんの結婚披露宴214日に行われました。

あ、別に私が出たわけではないです、知り合いでも何でもないですし。今日(215日)の「ミヤネ屋」でその模様を放送しただけです。その話題の担当のM君が、朝一番に、

「教えてください。」

とやって来ました。

「披露宴のメニューを、ズラーッと紹介しようと思うのですが、これは何と読むのでしょうか?」

と示したそこには、

「小菓子」

という文字が。うーん、「しょうがし」?「こがし」?それとも「さがし」?

見たことはありますが、読み方は考えたこともなかった!辞書を引いても載っていません。

「しょうがない、会場のホテルに電話して聞いてみよう!」

ということで、東京のOホテルに電話しました。宴会担当の人に繋いでくれて、

「小さい菓子、と書いて何と読むのでしょうか?」

と聞くと、一発で答えが出ました。

「『こがし』です。」

あ、それでいいんだ。

「フランス料理のフルコースのメニューの最後にコーヒーと一緒に出る、小さいケーキですとか、チョコレート、マカロンのようなお菓子のことを言います。フランス語では、『プティ・フルー』と言います。」

そうですか、ご丁寧にありがとうございました!これで今後「小菓子」に悩むことはなくなりますね。

(2010、2、15)

2010年2月16日 17:49 | コメント (0)

新・ことば事情

3853「地アタマ」

 

『亡国の中学受験~公立不信ビジネスの実態』(瀬川松子、光文社新書:20091120

という本を読んでいたら、121ページに、

「手っ取り早く地アタマのいい子を仕入れ、目に見える結果を出しておこうという考えなのだろう。」

という文章で、

「地アタマ」

という言葉が出てきました。その後も何回も出てきました。以前から聞いたことがあるような気はしていましたが、こうやって文字で見ると

「あれ?これって、新しい言葉じゃないのか?」

という気がして来ました。

明治大学教授の斎藤孝さんの本にも「地アタマ」という言葉が、たしか付いてたな。新聞広告で見たぞ。「頭がいい」とどう違うのかな?体格みたいなものか?

「地タマゴ」

に見えなくもない。

で、その本を買って読んでみました。

『地アタマを鍛える知的勉強法(齋藤孝、講談社現代新書:20091220

という本でした。「はじめに」のところに、こう書かれていました。

『「地アタマ」が強いというとき、単なる勉強秀才ではない、タフな頭のよさを私たちは想像する。現実の状況を認識し、自分がどう行動できるかがわかる、といった力、工夫できるしなやかな思考力が、地アタマのイメージだ。』

「地アタマは鍛えらる」というのが著者の主張ですね。

全然関係ないですが、齋藤孝と香山リカは、なんとなくイメージが似ている気がします。

また齋藤さんは、

「知性とは本質をつかまえ、最終地点をイメージし、今の地点からそこへのプロセス(文脈)を見出だす力」

であると。また将棋の羽生善治さんが『簡単に、単純に考える』(PHP文庫)の対談の中で、

「将棋の場合、強い形というのは美しい形なのです。」

と言っているのを取り上げています。

「勉強すると、人にやさしくなれる」

「理解によって不寛容を乗り越える」

などとも書かれています。

「量は質に転化する」

という主張には、私も賛同するのですが、実は、

「質に転化するところまで、量を追求できる人と出来ない人がいる」

ということも、また事実のように、最近思っています。

ちょっと話がそれましたが、Google検索(215日)では、

「地アタマ」=63400

でした。

 

(2010、2、15)

2010年2月16日 17:44 | コメント (1)

新・読書日記 2010_039

『地アタマを鍛える知的勉強法(齋藤孝、講談社現代新書:2009、12、20)

 

「地アタマ」という言葉にひかれて購入。最近時々目にするなあと思っていた言葉。著者によると、

『「地アタマ」が強いというとき、単なる勉強秀才ではない、タフな頭のよさを私たちは想像する。現実の状況を認識し、自分がどう行動できるかがわかる、といった力、工夫できるしなやかな思考力が、地アタマのイメージだ。』

とのこと。その「地アタマ」は鍛えられる、というのが著者の主張。

それにしても、齋藤孝と香山リカは、なんとなくイメージが似ている。

最近読む本には、縦軸と横軸を取って「エリアを4つに分けて考える図」がよく出てくるなあ。もしかしたら流行なの?

「知性とは本質をつかまえ、最終地点をイメージし、今の地点からそこへのプロセス(文脈)を見出だす力」

だと齋藤は言う。また、将棋の羽生善治は『簡単に、単純に考える』(PHP文庫)の対談の中で、

「将棋の場合、強い形というのは美しい形なのです。」

と言ってるそうです。

「勉強すると、人にやさしくなれる。」

「理解によって不寛容を乗り越える。」

という齋藤の主張は、本当かなあ?

「量は質に転化する」に関してはそう思うけど、「できる人とできない人がある」のもまた事実。

 


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(2010、2、14読了)

2010年2月16日 16:31 | コメント (1)

新・ことば事情

3852「剛腕か?豪腕か?2」

 

「平成ことば事情3812剛腕か?豪腕か?」の「追記」のようなものです。

29日の読売新聞朝刊の特集のタイトルが、

「小沢流 剛腕の影」

でした。「剛」ですね。

121日発売128日号だったと思います)の『週刊文春』を読んでいたら、

『「豪腕」ならぬ「傲慢」幹事長の姿だった。』

という一文があり、ここでは、「豪」腕でした。

また210日の読売新聞スポーツ面、中日ドラゴンズのチェン投手を特集した「2010主役」という記事の見出しは、

「鍛えた上半身 剛球自在」

で、これは「剛」でした。記事の中に2度出てきた言葉は、

「剛速球」

で、これも「剛」でした。

ところで、今日(212日)の「ミヤネ屋」で、芸能人の「豪邸」の特集をしたのですが、この「豪邸」は、もちろん「豪」しかありません。

「剛邸」

なんて見たことも聞いたこともありません。丈夫そうですが。

そこで、「豪●●」「剛●●」、どちらか一方だけか、両方使えるかについて考えて見たのが以下の通り。

(ごう●●)(豪●●) (剛●●)

―邸    ○     ×

―腕    ○     ○

 ―速球   ○     ○

―華    ○     ×

―球    ×     ○

―雪    ○     ×

―勢    ○     ×

また、思いついたら、増やします。

(2010、2、12)

2010年2月16日 14:42 | コメント (0)

新・読書日記 2010_038

『教育の職業的意義~若者、学校、社会をつなぐ』(本田由紀、ちくま新書:2009、12、10)

 

うーん、いまいち、どころかいま2つ。論文に過ぎず、これでは一般社会とつながって動かすことはできないと感じた。一つ一つはわからなくもないのだが。あとがきのような文体で書けば、もっと伝わると思う。最初の「あらかじめの反論」も、何を身構えているのか意味不明。何も知らずに読み出した一般読者は、それこそ身構えて用心してしまう。

でも、社会の仕組み・構造が変化しているのだから、教育のしくみも変えていかなくてはならないということはわかりました。

 

 


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(2010、2、14読了)

2010年2月16日 12:05 | コメント (0)

新・読書日記 2010_037

『至福のすし~「すきやばし次郎」の職人芸術』(山本益博、新潮新書:2003、12、15)

 

7年前に出て、すぐ買って「積ん読」でしたが、ついに読みました。ちゃんとした寿司屋に行ったことは少ないので、大変勉強になりました。数寄屋橋には年に何回か行くので、「すきやばし次郎」に今度いっぺん行ってみたいなあ。僕なんかでは、有り難みがわからない気もするけど。プロの職人気質に必要な五つの要素は「健康、感性、清潔、勤勉、謙虚」。大事なのは最後の「謙虚」なんだろうなあと、薄々ながら感じていますよ。

 

 


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(2010、2、13読了)

2010年2月16日 10:03 | コメント (0)

新・読書日記 2010_036

『旅する力~深夜特急』(沢木耕太郎、新潮社:2008、11、30)

意外に良かった。本が出てすぐに買って1年4か月。旅の本は、気持ちに余裕がある時じゃないと読めない気がする。いま、ちょっと気持ちに余裕あり。

あの『深夜特急』の裏話、こぼれ話的な本。

沢木の文筆のスタートにTBSの『調査情報』があったとは知らなかった。『調査情報』には私も一度だけ、原稿を書かせてもらったことがある。もう5年ぐらい前になりますが・・・。沢木耕太郎は、昭和221947)年生まれ。宮本輝と同じ時代の匂いがする。こないだ亡くなった立松和平も62歳。同い年ではないか。井上陽水も同い年ぐらいか?友人らしいが。

「第2便」までは産経新聞に連載され、予定より長くなってしまい、「第3便」が出たのは6年後。ああそうでした、当時「第3便」を読んだときに、おもしろみが薄かったのを思い出した。(「第2便」で完結したように感じたから)

そして改めて「アースマラソン」続行中の間寛平さんはすごいと思った。あの年で、しかも「バス」など乗り物に乗らずに「自分の足で」走るのだから。

 

 


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(2010、2、13読了)

2010年2月15日 17:51 | コメント (0)

新・ことば事情

3851「金正雲の表記2」

 

「平成ことば事情3846金正雲の表記」の追記です。

201016日の産経新聞「オピニオン」欄「イチからわかる」「北朝鮮の人名表記」が取り上げられていました。そこで「金ジョンウン氏」の名前の表記が、

「本紙を含む多くのメディアで『正雲』から『ジョンウン』 に変更された。」

名村隆寛記者が署名入りで書いています。産経新聞も、カタカナ表記の、

「金ジョンウン」

に変えていたのですね!大きな見出しは、

「混乱の背景に漢字の排除」

とあります。記事の内容は半分ぐらいまでは、平成ことば事情3846「金正雲の表記」に書いたのと同じです。後半に、似たような例として、

「金総書記の母、ジョンスク氏についても発音が同じ『正淑』と『貞淑』の2説が現在も存在し、異母兄弟のピョンイル氏は『平日』『平一』、妹のキョンヒ氏は『慶喜』『敬姫』といった説がある。」

と紹介しています。そして、

「北朝鮮では、人名は漢字語を用いて付けるという伝統が今も守られているものの、漢字は表には出ずハングルで表記されている。また、北朝鮮が閉鎖的な国家であるという特殊な事情も、問題の背景にある。」

と記しています。

勉強になりました!

(2010、2、12)

2010年2月15日 10:26 | コメント (0)

新・ことば事情

3850「白亜の豪邸」

「ミヤネ屋」の字幕スーパーをチェックしていたら、スーパー(テロップ)を打ち込む担当の女性から質問を受けました。

「道浦さん、この『シロア』ってなんですかあ?」

シロア?ロシアなら知ってるけど、と思って見てみると、そこには、

「白亜の豪邸」

という文字が。

「・・・それは『ハクア』って読むんです。」

と答えると、当然、次の質問は、

「『ハクア』って何ですか?」

「ええ?『ハクア』って言ったら、『白い』ってことでしょ。」

「それだけですか?」

「それだけって・・・・『白亜の豪邸』とか『白亜のお城』とかって使うから、『白くて立派』ってことかな?それとも『純白』ってことかな?・・・調べとくわ」

ということで調べる羽目に。でも考えたことなかったな「白亜」の意味なんて。「亜」が曲者だな。

『広辞苑』を引くと、

「白亜」=(ハクアクの慣用読み。「堊」は白土の意)

①泥質の軟らかい石灰岩。ココリス・有孔虫などの遺骸や貝殻に由来する泥灰質粉末から成る浅海成層をつくる。白墨・石灰の原料、白壁の塗料とする。チョーク。

②白壁。「白亜の殿堂」

 

そうか「亜」は「白土」の意味だったのか!しかも「白亜」は「チョーク」!この場合は②の「白壁」という意味でしょうが。

そうすると、スペインの「白い村」は、「白亜の村」なんですね。

うーん、勉強になった!

 

(2010、2、12)

2010年2月14日 19:24 | コメント (0)

新・ことば事情

3849「朗読と語り・ナレーションと吹き替え」

 

<ああもう5年近く前の話になってしまいましたが、20063に書きかけたものです>

 

昨年の秋に、中学校の現役の先生たちと飲んだ時に、「朗読」と「ナレーション」の違いについて、という話題になりました。先生方が言うには、

「アナウンサーは、朗読が上手なんでしょ」

とのこと。ところが、ラジオドラマとかをやっている局のアナウンサーは別にして、必ずしも「アナウンサーが朗読が上手」とは限りません。何より、放送で「朗読」をする機会なんて、テレビ局のアナウンサーにはほとんどないのですから。私の主張は、

「朗読」=書き言葉の音声化で二次元的

「語り・ナレーション」=現象の音声化であり三次元的

というもので、「書き手の意図を忠実に再現しようという」のが「朗読」。「読み手の解釈を交えて音声化する」のが「語り・ナレーション」。集合論でいうと、「ナレーション」の範疇の一部に「朗読」が入ると。

先生方の話を聞いていると、どうもちょっと解釈が違う感じでした。「教育指導要領」の説く「朗読」は、実は「狭義の朗読」ではなく「狭義の語り・ナレーション」をさしているようなのです。ですから「朗読」と「ナレーション」は同じくくりにされてしまっているようです。

 

この辺までが5年前の話。

最近私は「ミヤネ屋」でよく「吹き替え」を頼まれます。最近では朝青龍高砂親方、ちょっと前は天皇陛下に、小室哲哉酒井法子のだんな裁判官。まあ、色んな声の出演を頼まれます。去年、一番「似てる」と言われたのは、「中田カウス」さんの吹き替えでした。関西弁の口調が似ていたのかもしれません。小室哲哉は似ていたようですが、吹き替えとしては違和感がありました。なぜなんだろう?と考えた時に、

「吹き替えは、物もね・声色を似せるのではない」

ということに気付きました。似せる、というよりはあくまで、

「その人の心情に沿う」

ことが大事です。

これに関して、「ああ、やっぱり!」と思ったのは、今年(2010年)1月3日の日経新聞で、文楽太夫の竹本住大夫さんと、元NHKアナウンサーでエッセイストの山川静夫さんの対談を読んだときです。そこでは、司会者が、

「声色と言えば、師匠、浄瑠璃は声色で語ったらいけません。」

と話を振ったのに対して、竹本さんが

竹本「そうでんねん。浄瑠璃ではね、老若男女いろんな人を声をこしらえずに語り分ける。音(おん)で切り替えるんですわ。同じ若い女でも違いまっせ。やりましょか?(拍手)商家の娘なら『ものをお頼み申します』とおっとり語る。農家の娘はテンポを速めて『用があるなら入らしゃんせ』(拍手)。」

山川「声は同じでもリズムが違うと別人になりますね。音と言えば、駅員さんの『とうきょう~、とうきょう~』のアナウンス、師匠はあれも音だと言われた。」

竹本「節に何や、こう、ムードがあってね、聞いてて気持ちいい。それが音なんです。」

そして、若いアナウンサーに向けてのアドバイスもされていました。

竹本「アナウンサーでも、ええ口してる人がおまっせ。口を素直に大きくあけて息が出てはる。」

山川「若いアナウンサーはペラペラ、ペラペラやりがちです。私もそうでした。『伝える』と『伝わる』は違う。聞いてくださる人たちを納得させるのが『伝わる』。長い修練が「必要です。太夫もそうですよね。」

竹本「そう、そう。息がしっかり出てれば、声は小さくても隅々まで伝わる。浄瑠璃の場合は文章で言うとテンやマルでプツンと切ってはダメですわ。音曲やから流れがないと。」

大変勉強になる対談でした。

 

(2010、2、11)

2010年2月13日 16:23 | コメント (0)

新・ことば事情

3848「講師の真ん前3列目で大きな口をあけて欠伸をする女子大生」

 

おととし(2008年)の6月頃の話です。

講師として行っている甲南大学で、「マスコミ言語研究」という講義をしていたときのことです。黒板を書いていた手をとめて、説明のために学生の方に向き直ってしゃべっていたところ、私の真ん前の、前から3列目の関に座っている女の子が、いきなり大きな口をあけてあくびをしたのです。口に手を当てることもなく。

普段は学生の自由にさせている私も、さすがにこれは、見とがめました。

「私が一生懸命、キミたちに向かってしゃべっている、その真ん前、キミより前に座っている人はいないのに、私に向かって大きな口をあけてあくびをするのは、いくらなんでも失礼ではないですか!そんなことを、たとえば就職の面接に行ってやるかい?やらないでしょ!?」

と叱ったところ、ちょっと教室の空気は締まりました。

授業が終わってから、

「それにしてもそんなに私の話は魅力がないのかな。4月から講義してきて、『慣れ・馴れ』が出てきたからなのかな?」

と思いましたが、ふとある考えが浮かびました。

「もしかしたら学生は、教壇の上の世界は、テレビの画面の向こうのように感じているのではないか?」

それだけ一方通行の講義ということかもしれないけど、大学での講義のあり方や、コミュニケーションのとり方が変わってきているのではないかと、考えさせられました。

その後、『新・にほんご紀行』(山口仲美)という本を読んでいたら、233ページに、

「中国人は人前で平気で大口開けてあくびをする」

と書かれていました。もしそうだとすると、

「日本人が中国人化している」

のかもしれません。

この話を、先輩の辛坊次郎さんにしたところ、

「それは単に授業がおもしろくないからだろ。おれだったら30秒に1回は笑わせる。そうでないと、みんな寝てしまう」

って・・・どんな学生だ!まったく、「寄席」じゃないんだから・・・。

 

(2010、2、11)

2010年2月12日 19:05 | コメント (0)

新・ことば事情

3844「政治とカネ」

新聞やテレビで、このところ毎日のように出てくる言葉に、

「政治とカネの問題」

があります。この場合の、

「カネ」

ですが、まず間違いなく「カタカナ」で「カネ」。漢字で「金」ではありません。そして「お」は付かない。「おカネ」ではありません。そう考えると、カタカナ表記の「カネ」は、特別な用語なのかもしれません。

文脈・意味を考えると、この「カネ」は「政治」にかかわるもので、しかもどちらかと言うと、

「後ろ暗いカネ」

ですよね。その疑惑をまとったのが「カネ」。もちろん「金」と書くと「きん」と読まれるおそれがあるから間違わないようにということも、もしかしたら少しあるかもしれませんが、それよりも「後ろ暗い特別なもの」ということを際立たせるために「カタカナ」を使っていると考えた方がいいでしょう。カタカナにはそんな効果もあったのかと、改めて思いました。

似たようなものには、

「オンナ」

があるのではないでしょうか。単に「漢字」で「女」と書くよりも、「カタカナ」にすると

「意味ありげ」

です。曰く因縁がありそうです。「金」も「女」も小学1年生が習うような簡単な漢字だからこそ、

「そうではない、簡単ではないのだよ」

ということを、(簡単な漢字を)あえて「カタカナ」で書くことで示しているような気もします。そして、

漢字や平仮名の文章の中でカタカナは目立つ」

ということも当然あるのでしょう。漢字で書くと「一文字」ですし、埋もれてしまいますからね。

「表音文字」の「カタカナ」で書いても「意味が出てきてしまう」なんて、文字っていうのは、不思議なものですね。

(2010、2、9)

2010年2月12日 10:08 | コメント (0)

新・読書日記 2010_035

『悩む力』(カンサンジュン尚中、集英社新書:2008、5、21・2009、7、20第16刷)

 

会社の同期のI君から「これは読んだ?いいよ」と言われて読んだのだが・・・。思っていたのとはちょっと違って、I君の説明の通り「夏目漱石」論的な側面は強い。それとマックス・ウェーバー。それを引き合いに出しながら「生き方」について書かれているが・・・これは個人の趣味の違いでしょう、何となく文章に馴染めないのだ。良い・悪いということではないわなあ。肌合いの違いとしか、言いようがない。80万部超えのベストセラー、なんで?という感じか。ファンが多いのかなあ。

 


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(2010、2、3読了)

2010年2月11日 21:44 | コメント (0)

新・ことば事情

3847「残念な感じ」

 

最近「ミヤネ屋」の「ミヤネ芸能~ランキング」のコーナーを見ていたら、街頭インタビューでタレントなどの印象について答える一般の女性が、

「(顔つきが)うーん、残念な感じ」

と答えるのが耳に止まりました。この

「残念な感じ」

というのは、

「『不細工』ということの婉曲表現」

なのでしょうね。そう言われた人に対して、

「本来悪い人じゃなく、本人もいろいろ努力されていることも重々承知しているけど、いかんせん基準に届いていない、私はあなたを支持したいと思っているのよ、でも客観的な判断で答えると、ごめんね・・・・」

というニュアンスを感じさせますが、表現の形としては、きっぱりと

「アウト!」

と告げています。就職試験で、

「今回はご縁がなかったということで・・・」

というのと、ちょっと似ている気がしました。

また、「・・・」のあとに何かが続くようで、実は何もない間(ま)、という意味では、お葬式やお通夜のときにご遺族の方に告げる、

「このたびはご愁傷さまで・・・」

にも似ています。

その昔、『ねるとん紅鯨団』という他局の番組で、男の子の「付き合ってください!」という申し出を断るときの女の子の言葉

「ごめんなさい・・・」

は、先方の女の子が謝った体(てい)でしたが、

「きわめてはっきりとした拒絶」

でしたね。それにくらべると、

「お友達でいましょうね」

「婉曲な断り方」になるのでしょうか・・・。婉曲表現って・・・相手を傷つけないように気を使ったのだろうけど、やはり言われたほうは、結構傷つくのですねえ・・。

ヘンな、話の着地点となりました。

 

(2010、2、9)

2010年2月11日 15:47 | コメント (0)

新・ことば事情

3846「金正雲の表記」

<これも去年(2009年)の10月に書きかけて、なかなかきっちり向き合って書く時間がなくって、ほったらかしだったものです。>

 

2009106、いつものように「ミヤネ屋」の字幕スーパーのチェックをしていると、 金正日(キム・ジョンイル)の三男の「ジョンウン」氏が、「カタカナ表記だけ」だったので、

「金正雲(キム・ジョンウン)」

というふうに「漢字+カタカナのルビ」に直したところ、Wプロデューサーから、

「9月25日の夕方に日本テレビの外報デスクから、今後は暫定的に『金ジョンウン』または『キム・ジョンウン』でいくというメール連絡が来た」

と注意されました。し、知らなかった!メールが来た人と来なかった人があるみたいで、私のところには届いていませんでした・・・。変更の理由は、

「『ジョンウン』の漢字表記が定まっていないことがわかったから」

だそうで、

「今後『正雲』の表記はやめます」

ということでした。それで新聞各社の表記に注目していたら108日の産経新聞、朝日新聞

「『正雲』ハングル表記に変更」(産経)

「三男は『金ジョンウン』」(朝日)

という見出しの記事が出て、ともに、

「韓国統一省が107日に、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記の三男の名前は『正雲(ジョンウン)』ではないとの見解を示した」

という内容の記事でした。「ウン」にあたるハングルの表記は複数あり、「雲」にあたる音ではなく、

「『銀』または『恩』にあたる音」

であることがわかったとのことです。

そう言えば「金正日」総書記も、当初日本では、

「金正一」

の字があてられていたこともありましたから、なかなかハングルを漢字で表記するのは難しいようです。(ハングルでとらえるのも難しいのですね)

で、朝日は8日の紙面で「おことわり」として、

「金ジョンウン」

という表記に、読売新聞は翌8日の朝刊でやはり「おことわり」を出し、同じく、

「金ジョンウン」

という表記に変えるとしています。ただ毎日新聞が109日に出した「おことわり」は、

「韓国政府はハングル表記の変更を発表しましたが、漢字表記は確定していないため、毎日新聞は当面『正雲』の表記を使います」

という見解です。

産経と日経は「おことわり」を見つけられなかったのですが。

毎日新聞は1016日の「質問なるほドリ」のコーナーで、

「金正雲氏の表記を韓国政府はなぜ変えたの?」

を取り上げ、答えの見出しは、

「統一省が独自情報で判断~漢字は不明 便宜的に当て字に」

でした。

ただ、この「金ジョンウン」の表記問題が出てから、めっきり「金ジョンウン」情報が出てこなくなった気がするのは、私だけでしょうか。

(2010、2、9)

2010年2月11日 12:47 | コメント (0)

新・ことば事情

3845「幸夫人」

去年12月の用語懇談会放送分科会での話です。鳩山総理の夫人・幸さんの、

「幸夫人」

という表現について、

「正しくは『鳩山由紀夫夫人幸さん』ではないか」

という意見が寄せられました。これについて各社の委員の見解は、

「鳩山政権誕生以降、『幸夫人』(みゆきふじん)を情報番組を中心に連発している。『鳩山夫人』や『鳩山由紀夫夫人』ならわかるが、あえて言うなら『幸さん』(みゆきさん)ではないか。」

「『真珠夫人』などが出てから『夫人』の使い方が変わったのかも知れない。別の人物だが、『真紀子氏』というのもよく出てくる。『氏』は名字。氏なのだから『田中真紀子氏』ならわかるが、『真紀子氏』がよく使われている。」

「言葉は変わるもので、誤用がいつのまにか正しくなることもあるが、放送が、まして全国ネットの番組が率先して、毎日連発しているのはどう考えてもおかしい。『幸夫人』はやめてほしい。」

「幸夫人」に否定的な意見が出る一方で、関連の(?)昔の話(現在にもつながりますが)で、

「その昔『デビ夫人』がおかしいと思った。『スカルノ夫人』ではないのか?」

という意見が出たら、

「あれは『第○夫人』というふうにたくさんいる。本妻の『スカルノ夫人』は一人だけなので、仕方がないのでは・・・」

の声もあり、また、

「いまや『デビ夫人』は、『叶姉妹』のような『芸名』では?」

という声も。(「デヴィ夫人」とも表記されているようです。)

そして、

「目くじらたてなくても・・・」

という、ある意味、真っ当な意見も出て、さらに、

「(野村前監督夫人の)『沙知代夫人』もあった」

「ファーストレディーに個性がある(キャラが立っている)場合は、ファーストネームで呼ばれることがある。クリントン大統領夫人時代にはヒラリー・クリントンは『ヒラリー夫人』と呼ばれていたし、現在のオバマ大統領夫人も『ミシェル夫人』と呼ばれている。『イメルダ夫人』もあった。『○○夫人』がおかしい、と言うほうがおかしいと思う」

積極的に「幸夫人」を押す声も。さらに現状の分析として、

「ニュース原稿では『妻の幸さん』だが、『首相動向』では『幸夫人』も出てくる。オバマ大統領の『ミシェル夫人』も使っている」

という意見も出るなど、まさに談論風発!最近の用語懇談会で一番盛り上がったんじゃないかと思うぐらいでした。それだけ賛否両論ある表現なんでしょうね、「幸夫人」。

そう言えば「鳩山政権のハネムーン期間」(100日間)が過ぎてからは、あまり取り上げられていない気がしますね。(2010、2、9)

 

(追記)

2010年4月27日の朝日新聞朝刊に、こんな見出しが。

「最近見ないね幸夫人」

しっかり「幸夫人」、使っていました。なんだか童謡「さっちゃん」の歌を思い出しました。本文を読むと、

「活動的なファーストレディー像を印象づけた鳩山幸夫人」

フルネームに「夫人」を付けていました。

 

2010年2月11日 09:45 | コメント (0)

新・ことば事情

3843「負けたり勝ったり」

横綱・朝青龍が24日、突然の引退表明。これにはさすがにびっくりしました。

あとで会見の様子をニュースで見ると、「一番思い出に残っている一番(=試合)」は、

「横綱・武蔵丸(当時)に勝った一番」

だとか。そして、「自身が横綱になってからの思い出の一番」について聞かれた朝青龍は、こう答えました。

「負けたり勝ったり。まだありません。」

横綱になってからの思い出の一番がないまま、引退しました。この一言を聞いて、私がすぐに思い浮かべたのは、ある小話。

「関取、お疲れ様です!」

「ごっつあんです」

「どうですか、今場所の取り組みは?」

「まあまあで、ごわす」

「成績は、いかがですか?」

「勝ったり負けたりで、ごわす」

「ほほう、そうすると大体、五分の星で?」

「いんや、相手が勝ったり、わしが負けたり・・・」

というものですけど。まさか朝青龍は、そういう意味の「負けたり勝ったり」ではないでしょうね。おっと、いま「かったり」とキーボードを打って変換したら、

「買ったり」

になったぞ。大変な誤変換だ、危ない危ない。

(2010、2、9)

2010年2月10日 19:21 | コメント (0)

新・ことば事情

3842「おっさんとおっちゃん」

 

(一昨年=2008年の12月に書きかけて、そのままになっていました)

3歳の娘が、どうも保育所で流行っているからか、私に向かって、

「おっさーん」

と言います。とってもうれしそうに言います。ニコニコしています。なんだか腹が立ちます。下品な感じ。これが、

「おっちゃん」

なら、親しみがあっていいと思うのですが、「おっさん」は冷たい感じ。部外者であると非難されたように感じます。「さん」は丁寧なはずなのに、なぜでしょうか?

 

(ここからは、今=20102月、書いています。)

これが、対象が女性で、

「おばさん」

なら、「おばちゃん」よりも敬意が高い気がしますね。「おじさん」でも敬意が高い・・・・あ、そうか、「おばさん」をぞんざいな言い方で呼ぶと、「おばっさん」ではなく、

「おばはん」

になり、これはちょっと・・・というよりかなり「ムッとする表現」ですね。これに対応する「はん」付けの呼び方が男性の場合「おじさん」にはない(「おじはん」には、ならない)ので、促音化して、ちっちゃい「っ」になって、

「おっさん」

なのではないか。だから「さん」が付いていても「おばはん」の「はん」のような感じに受け取れて「ムッとする」のではないか!?

13か月ぶりに「おっさん」に向き合ってみると、こんな分析が急に出来てしまったんですけど、いかがでしょうか?

(2010、2、9)

2010年2月10日 17:20 | コメント (0)

新・ことば事情

3841 「バンクーバーオリンピックを100倍楽しむ方法」

きょう、29日放送の「ミヤネ屋」のエンディングでご紹介した、翌10日放送予定の内容の予告は、

「バンクーバーオリンピックを100倍楽しむ方法」

でした。これって

「誇大広告」

にあたるのでしょうか?わりとよくある表現で、

「誰も本当に『100倍』楽しめるとは思っていない」

でしょう。

「八百万の神」

800万の神」がいるわけではなく、単に、

「たくさん」

という意味であるのと同じだと考えていただければよろしいかと。でも10倍」ではインパクトが弱い、「1000倍」だと誇張感が出すぎてウソくさい。ころあいが「100倍」なのでしょう。その意味では、

100倍=1倍」

で、この100倍」は外して、

「バンクーバーオリンピックを楽しむ方法」

としても実質的には何も変わりません。ま、見栄えは「少し地味」になりますが。

本当に目立つ広告・予告にするなら、私なら、

「バンクーバーオリンピックを2、3倍楽しむ方法」

なんて感じにしますね。「にー・てん・さんばい(23倍)」。じ。地味!

でも、2倍」よりは少し多い、この小数点以下の「0、3倍」に、

「お得感」

がある気がしませんか?また、

「なんで小数点以下の数字なんか出すんだろ?その根拠は何だろう?」

と、興味が湧きませんか?私なら湧くんですけど。どうでしょうか?

とりあえず、あすは「100倍」楽しめる予定ですので、ご期待下さい!

                                         (2010、2、9)

 

 

(追記)

『週刊現代』(2010213日号)を読んでいて、講談社の本の広告に目が留まりました。そこには、

『サッカーを100倍楽しむための審判入門』

という本のタイトルが!やっぱり100倍」というのはよく使われているようですね。その昔の江本孟紀さんのベストセラー、

『プロ野球を10倍楽しむ方法』

以来、ずいぶん「インフレ」になりましたが、使い方は同じですね。

ちなみに、「バンクーバーオリンピックを100倍楽しむ方法」と予告された2月10日の「ミヤネ屋」の放送の中に出てきた字幕スーパーは、なんと、

「バンクーバーオリンピックを120%楽しむ方法」

でした。あれ?「100倍」が「120%」になっている!

「120%」は「1,2倍」に過ぎません。ずいぶん小さくなっちゃったのね。でも、見た・イメージ聞いたイメージは、

「100倍=120%」

です。つまりここで大事なのは「ヒャク」という音の響きと、文字上の「100」という3ケタの数字なんですね。

ちょっとおもしろい発見でした。

大体「100倍」なのか「98倍」なのか、「10倍」なのか、誰も計ることは出来ませんからね。

 

 

 

 

(2010、2、11)

2010年2月10日 15:20 | コメント (0)

新・ことば事情

3840「ブランコの命名」

年末、4歳(当時)の娘の希望で、木枯らし吹きすさぶ近くの公園に行きました。

お目当ては「ブランコ」です。

さすがに寒いのであまり人がいません、娘は喜んで一人でブランコに乗っていました。

「ほお、もういつのまにか『立ち漕ぎ』ができるようになったんだなあ・・・」

そんなことを考えながら、寒い中、風に揺れているブランコを見ていて、ふとこんなことを思いつきました。

「ブランコ」、その命名はたしかポルトガル語かスペイン語で、「白い」という意味の単語からきたと聞いたか読んだことがありましたが、

「ブランコの命名・定着には、揺れる擬態語の『ブラブラ』が関係しているのではないか?」

つまり、「ブラブラする」から「ブランコ」。

当たり前といえば当たり前、おそらく皆さん、そう思っているのではないか?

本当のところはどうか分かりませんが、寒い中、ブランコを見ていると、そう思ったのです。

(2010、2、8)

2010年2月10日 15:18 | コメント (0)

新・ことば事情

3839「『この国が』のアクセント」

 

「情報ライブミヤネ屋」火曜レギュラーの松尾貴史さんから、番組終了後にメイク室で質問を受けました。

「道浦さん、『国が』のアクセントは『ク/ニガ』と『平板アクセント』ですよね?最近、『ク/ニ\ガ』という『尾高アクセント』をよく聞くんだけど。道浦さんもさっき、そう読んでらっしゃいましたよね?」

あ!とそこで初めて気付ききました。たしかに、わたくし、さきほど

「ク/ニ\ガ」

というアクセントで読みました。文章は、

「もし、この国が非常事態に陥った時」

というもので、「この国が」を、

「コ/ノ・ク/ニ\ガ」

と読んでしまいました。が、これは複合語的なアクセント変化なのではないか?と思いましたが・・・あまり自信はありません。

そこで、「この」を付けてその後に続く「2音節の言葉」で「く●」というものを書き出してみました。

 

くあ くい くう くえ くお

くか くき くく くけ くこ

くさ くし くす くせ くそ

くた くち くつ くて くと

くな くに くぬ くね くの

くは くひ くふ くへ くほ

くま くみ くむ くめ くも

くや    くゆ    くよ

くら くり くる くれ くろ

くわ

 

この中で、意味を持つ名詞になるものを選び、その中で「尾高アクセント」のものを太字で、更に「この」を付けると、もともと単独では「平板アクセント」なのに「尾高」アクセントになるものを太字で記しました。「くに」と「くそ」しかありませんね。うーん、あまり何の解決にもならんか。

最後の手段、NHK放送文化研究所の塩田雄大さんに質問メールを送ったところ、すぐに返事を頂きました。

『NHKアクセント辞典の巻末p.189の[注意①]に、簡単にではありますが言及があります(「国」の例は挙がってませんが)。要するに、単独では平板型である名詞のうち、いくつかのものは修飾語が来ると尾高型になることがあるという内容です。同様の記述が、秋永一枝『新明解日本語アクセント辞典』巻末p.28の注③にあります。』

 

おお、そうだったのか!ちゃんと『アクセント辞典』に載っているケースだったのですね!塩田さん、ありがとうございます!これで松尾さんにも返事が出来ます!

一応『NHK日本語発音アクセント辞典』の巻末の該当の部分を書き写しますね。

 

【注意①】「日」、「上」、「下」、「家(うち)」、「人」、「所」のような平板型名詞の前に、平板型、尾高型の修飾語が来た場合、全体を尾高型に変化させ、助詞が下がって付く傾向ある。(助動詞も同じ)<※無声化の印は省略>

コ/ンナヒ\ニ、ア/クルヒ\ワ、シ/ッパイシタヒ\ニワ、ヤ/マノウエ\ニ、ミ/ズノウエ\ニ、ヤ/ナギノシタ\ニ、ト/ナリノウチ\カラ、オ/トコノヒト\ガ、ア/ンナトコロ\ニ、オ/ナジトコロ\エ

 

内容的には私が考えていたことと近かったのですが、学者の研究でも、実体として認知されていたということですね、私は納得しました。

 

(2010、2、8)

2010年2月10日 12:17 | コメント (0)

新・ことば事情

3838「けが人は『ありません』か?『いません』か?」

 

先日、夜のニュースを家で見ていたら、「JR和歌山駅でコンクリート片が天井から落ちてきた」というニュースを伝えていました。その原稿の読みで、

「けが人は、"いません"でした」

と2度伝えていました。それを聞いて私は、

「けが人は、"ありません"でした」

ではないか?と疑問に感じ、報道のデスクにすぐに電話しました。

「いる、いない」は「(その場の)存在」で、「ある、ない」は「出現」でしょう。けが人は「出る・出ない」なので、「出現」で表現するのだと思います。つまり、これにより、

「この事故によるけが人は1人ありましたが、カメラマンが駆け付けた時には、いませんでした」

という違いの「使い分け」ができます。デスクは、

「それは全然気付きませんでした。以後気をつけます」

と言ってくれましたが、一応、過去の原稿をチェックしてくれました。それによると、過去1年間の原稿で、「ありませんでした」と「いませんでした」が、

「ほぼ同数」

だったということが分かったのです!私がストレートニュースを読んでいた2年ぐらい前までは、「いませんでした」は皆無だったと思うので、この1、2年で急速に「いませんでした」という表現が増えたのではないでしょうか?

デスクが泊り記者とアナウンサーに聞いてみたところ、

「けがはある、けが人はいる、だと思います」(2年生記者)

「すいませーん!ぜんぜん気がつきませんでしたー!」(原稿を読んだ7年生アナウンサー)

 そしてデスクは"YTV"の"放送"原稿を検索してくれました。すると、

「驚愕の結果が!」

 

けが人は 「...ありません」 「...いません」

2004    7件      0件

2005   29件      4件

2006   25件      7件

2007   16件     14件

2008   19件     15件

2009   16件     21件

 

2004年は0件だった「いません」が、ついに去年逆転!ちなみにABC(朝日放送)の同じニュースも「いません」だったと、デスクが報告してくれました。

うーん、やっぱり「言葉」って動いているんですね!

で、私は今後も「けが人はありませんでした」で行こうと思います。

実はこれと同じテーマで、以前書いています。「平成ことば事情3234けが人はいない?ない?」もお読み下さい。

(2010、2、8)

2010年2月10日 10:16 | コメント (0)

新・ことば事情

3837「アディ・ギル号の省略形」

 

年明け早々、南極海で狼藉を働いた(と私たちは見ています)過激な環境保護団体「シー・シェパード」。体当たりをしてきた船は、その後、沈没してしまったようですが、その船の名前の表記を「ミヤネ屋」のスーパーチェックで見ていたら、

「アディ・ビル号」

と書かれていました。正しくは、

「アディ・ギル号」

ですね。この船を寄付した人の名前だそうです。「G」と「B」のキーは、上下くっついていますので、キーの打ち間違いでしょう。

各新聞の表記を見てみると、最初こそ「アディ・ギル号」と書いてありましたが、その後は字数の関係でか、略称でした。その表記、が各社バラバラ。

「AG号」

「アディ号」

「ア号」

などとしていました。「AG」は英語での略称のようで、実際そう呼ばれていたようです。「ア号」は産経新聞ですが、略し過ぎですよね。でも、そう言えば、大リーグの「ヤンキース」は見出しなどでは、

「ヤ軍」

と書きますから、定着すれば別におかしくもないのかな?サッカーのイングランド・プレミアリーグの、「マンチェスター・ユナイテッド」は、

「マンU」

が定着しましたね。「ア号」は定着する前に沈んでしまいました、ブクブクブク・・・。

 

(2010、2、8)

2010年2月 9日 18:43 | コメント (0)

新・ことば事情

3836「米軍基地の読み方」

 

去年の秋に気になって、その後時々、注意していたのが、

「米軍」「米兵」

の読み方です。これをそのまま

「べいぐん」「べいへい」

と読むか、それとも、

「アメリカぐん」「アメリカへい」

読み換える(言い換える)かという問題です。

200910月8日の日本テレビ『ニュースZERO』で、小林麻央キャスターは、

「在日アメリカ軍基地」

と読んでいました。

20091021日の日本テレビ『おもいっきりDON』の中のニュースで女性ナレーターは、

「米兵(べいへい)」「米軍(べいぐん)」

と読んでいました。

20091125日のお昼の「ニュースダッシュ」で、丸岡いずみキャスターは、

「アメリカ軍基地」

と読んでいました。(字幕は「米軍基地」でしたが。横田基地。)

つい先日開かれた新聞用語懇談会放送分科会で、この件に関して質問してみたところ、TBSのS委員(私より4つぐらい先輩のアナウンサーです)から、

「以前は必ず『アメリカ軍』と言い直すように指導されたし徹底していたが、今はバラバラになっているかも・・・。『在日』は『日本に滞在している』、『駐日』も『日本に駐在している』と言い直すように言われたが、今はそのままのことが多い。」

というようなお答えを頂きました。

他社は、「うーん」というような表情で、

「たしかに言い直した方がいいだろうけど、必ずしもやっていないかなあ・・・」

というような感じでした。

 

 

(2010、2、8)

2010年2月 9日 17:54 | コメント (0)

新・ことば事情

3835「輝いた」

「ミヤネ屋」に出演している大田良平アナウンサーと報道フロアで会ったときに、彼が立ち止まり、私を見つめています。「あ、告白されるのか?」と、息を詰めて緊張していると、彼がおもむろに、こう言いました。

「道浦さん・・・最近、とっても気になる言葉があるんですけど・・・『輝けるのか?』とか『輝く』という言葉を、やたらスポーツ中継などで耳にして、それが耳に付いて仕方がないんです!」

あ、そういう告白か。ホッ。

「ああ、そう言われれば耳にする気がするなあ。『オリンピックの舞台で輝けるのか!?』とか、そういうヤツだろ。」

「そうです」

「輝く、だから金メダルとかと関連あるのかな。オリンピック関連だけで耳にするの?」

「いえ、それ以外でも使ってますね。やたら耳にします」

そうだとすると、「メダル」とは直結しない。輝く・・・つまり「星」と関連?「星」、つまり「スター」かな。うーん、「ゆとり教育」でも、先生が使っていそう。

「クラスのみんなは運動会で輝いていました」

とか、そういう感じで。「いぶし銀」だとどうなんでしょうね?「輝き」が足りないのでしょうか?「金ピカ」でないとダメですかね?世相が暗いからこそ、輝きを求めているのでしょうか?

そう言えば、古いところで武田鉄矢と海援隊の『母に捧げるバラード』でも、

「輝くニッポンの星になって帰ってこい」

とお母さんが言っていたし、たしか、

「輝く!日本レコード大賞」

だし。「輝け!」でしたか?「輝く」という言葉の使い方自体は、昔からありますね。輝き、光りもんが好きだね、日本人は。でも、

「この大舞台で輝けるのか」

といった使い方は、ちょっと新しい気がします。

そう気に留めていたら、きょう(24日)の「情報ライブミヤネ屋」で、横綱・朝青龍引退の報を中継で伝えていた、われらが中山正敏リポーターも、

「土俵での輝きは、もう見られなくなります」

「輝き」を使っていました。それは「汗」が光っていたのでしょうか?

 

(2010、2、4)

2010年2月 8日 13:03 | コメント (1)

新・読書日記 2010_034

『落語・昭和の名人決定版14 三代目三遊亭金馬・弐』(小学館:2009、7、21)

CD付きの冊子。

明治27年に生まれ、昭和39年に70歳で亡くなった金馬を、私は当然知らなかった。聴いて見ると、やはり少し古いかな、特にやはりネタが(「たがや」など)、今ではわからない。「目黒のさんま」は、おなじみのものなので、楽しめた。


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(2010、1、11聴了、読了)

2010年2月 8日 10:17 | コメント (0)

新・読書日記 2010_033

『新編 日本語誤用・慣用小辞典』(国広哲弥、講談社現代新書:2010、1、20)

読む「辞典」。

20年前に出た同じタイトルの本の「新編」。20年前の記述・用例を残しつつ、新たに90年代~00年代の最新の事例も盛り込みながら書かれているので、古いものと新しいものが混在していて、ちょっと「あれ?」と思う部分もある。しかし、言葉を長いスパンで見続けてその変化の度合いをはかるという意味では、「辞書的」でもあるし、「語誌的」な面もあって、大変興味深い。言葉はこうやって変わる(あるいは、20年ぐらいでは変わらない)ということを感じることが出来る。


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(2010、2、3読了)

2010年2月 7日 21:16 | コメント (0)

新・読書日記 2010_032

『警官の血・下巻』(佐々木譲、新潮文庫店:2010、1、1発行)

下巻、話は親子3代の、真中の話。昭和40年代、左翼学生へのスパイとして過ごす主人公、そして・・・3代目も警官になり、時代は平成に。祖父の死の謎、父の死の謎が、後半に一気に解けていく。この下巻も、やはり一気に夜中3時半までかけて読んでしまった。2日で上下2冊、計950ページ。当然、きょうは「寝不足」である。

 


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(2010、2、2読了)

2010年2月 7日 12:07 | コメント (0)

新・読書日記 2010_031

『警官の血・上巻』(佐々木譲、新潮文庫:2010、1、1)

今年の直木賞作家・佐々木譲の、渾身の作品。最新作ではないが、これは「代表作」と言っていいだろう。文庫本で上下各500ページ近い大作。親子3代の警官の生き方を、一本の筋を通して書かれている。大河ドラマである。

私が初めて著者の作品を読んだのは『笑う警官』であり、そのタイトルが「海外のミステリーとおんなじだなあ」と思ったのだが、それもそのはず、佐々木の『笑う警官』は、海外のその作品へのオマージュとして書かれたものだった。その海外の方の『笑う警官』の著者の作品に、やはり『警官の血』のような作品があるそうで、その意味ではこれもまた、オマージュ的な作品なのであろう。

読み出したら止まらない、一気に夜中までかかって、上巻を読み終えた。


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(2010、2、1読了)

2010年2月 6日 21:06 | コメント (0)

新・読書日記 2010_030

『次に来るメディアは何か』(河内孝、ちくま新書:2010、1、10)

メディアに勤める一員としては、本当に「ひとごとではない」ので興味深く読んだ。主に新聞の話が多かったが、後半はテレビの話も。

冒頭の話、アメリカのある地域の新聞社が潰れたら、その地方での地方議会の立候補者が減り、投票率が下がったという話は興味深い。メディアの存在は、たとえ「公共メディア」ではなく「商業メディア」であっても、単なる「企業」という存在ではなく、民主主義と密接につながっているということの一つの現れである、ということ。そういう存在でなくてはならない、と。必ずしもそうではない場合もあるだろうが、ちょっと驚きであった。自戒の念を持って読んだ。

 


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(2010、1、30読了)

2010年2月 6日 12:03 | コメント (0)

新・読書日記 2010_029

『厚労省と新型インフルエンザ』(木村盛世、講談社現代新書:2009、12、20)

「官製パニックはこうして作られた!」という帯は衝撃的。しかし、告発モノと新型インフルエンザの実体を伝えるという二つの目的があるようだが、それが消化不良。「うらみ、つらみ」みたいなものが最初に書かれているので、そのあとに出てくる「新型インフルの詳しい説明」への信頼が薄れるという感じがある。前半部分、もう少し冷静に客観的に書くことと、章立て構成を変えることで、もっとひきつける本になると思うのに、残念...。

 


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(2010、1、31読了)

2010年2月 5日 20:46 | コメント (0)

新・読書日記 2010_028

『剛腕維新』(小沢一郎、角川書店:2006、8、10初版発行)

夕刊フジに200320066月に連載された「小沢一郎の剛腕コラム」をまとめたもの。

「平成ことば事情」で「豪腕か?剛腕か?」について書いたら、読者に、

「小沢さんには『剛腕維新』という本がありますよ」

と教えてもらって読んだ。ありがとうございました。

今から7年~4年前の「小沢さんの考え」が記されている。

現在の小沢さんも、この考えからずれてはいないであろう。ということは、ここに書かれたことをベースに考えていくと「小沢一郎」という人が考えていることが見えてくるかもしれない。そう思って読んだ。半分ぐらい、分かった気がする。

 


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(2010、1、30読了)

2010年2月 5日 10:44 | コメント (1)

新・ことば事情

3834「馬柱」

 

『散りぎわの花』(小沢昭一、文春文庫:2005810・単行本は20028という本を読んでいたら、

「五日の中山金杯、京都金杯、本年の景気づけに両方ともぜひとりたい。スポーツ紙の馬柱をにらんでいるうち、ストンと落ちる。」

という文章で、

「馬柱」

という言葉が出てきました。『広告批評』20011月号に「二○○一年 元日」のタイトルで書かれたものです。

これ、珍しいんではないかい?専門用語かな?「蚊柱」は知っていますが。

私は競馬はやりませんが、まあスポーツ紙の競馬の欄を見たことはあります。あの、G1レースとかの時に1面で出てくる予想が載った、アレですよね、きっと。

国語辞典に載ってるのかな?『精選版日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』『明鏡国語辞典』『広辞苑』『新明解国語辞典』『岩波国語辞典』『三省堂国語辞典』『新潮現代国語辞典』には載っていませんでした。

Google検索(24日)では、

「馬柱」=107000

やはり、競馬用語としては一般的なようでした。

 

(2010、2、4)

2010年2月 4日 20:41 | コメント (1)

新・読書日記 2010_027

『懐かしい「昭和」のニュース手帖』(新人物往来社編、新人物文庫:2010、1、9)

うわあ、確かになつかしい。コンパクトにまとまっていて、時間つぶしには最適!意外と細かな資料に、オトク感がある。それとNHK紅白歌合戦の、第1回から昭和の時代の司会者から出演者から歌った曲名までの一覧があるというのは貴重。

それを見ると、昭和20年代~30年代の司会は高橋圭三、30年代~40年代は宮田輝、40年代~50年代は山川静夫、そのあとはいろんな人がバラバラと、というのが見て取れる。視聴率が70%、80%あった時代の紅白で、10年近くも司会やってたら、そりゃぁ有名になるわなあ、しかも10年くらい独占してるんだから・・・その背景には、相当の権力闘争のようなものがあったんだろうなあ・・・と、そんなところを見ていました。

また、「チクロ騒動」の発端は、昭和441025日だということが、この本を読んでわかりました!

 


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(2010、1、30読了)

2010年2月 3日 16:39 | コメント (0)

新・読書日記 2010_026

『秘伝中学入試国語読解法』(石原千秋、新潮選書:1999、3、30発行・2007、5、10第18刷)

 

1月に入って読み出して・・読み終わるのに1か月かかりました・・・。

前半は、著者が息子との二人三脚での中学受験体験記、そして後半は、実際の問題を解いていくという構成で、結構分厚い。500ぺージ近くある。それでも1999年に出て2007年で18刷というロングセラーである。しかし、実際みんな、ちゃんと全部読んでいるのか?後半の問題なんて、全部読んで解いてられないぞ!というのが感想です。

著者はさすがに教科書作っていた人だから、分析が細かく的確。その著者は、

「日本の国語教育は、道徳教育だ」

と喝破しているが・・・確かにそうだろうね。私も学生時代、その意図を読んで、自分の考えと違っても「書いた人の正解は、こういうことなんだろうな」と思いながら、賛同できないことでも書いたりしていましたよ。でも、なかなか「そういう読み」はしないんだろうなあ。

 

 


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(2010、1、29)

2010年2月 3日 10:17 | コメント (0)

新・ことば事情

3833「新人アナと新米アナの違い」

 

もう1年前の話ですが・・・2年目」のYアナウンサーを、

「『新人アナウンサー』と呼んでいいか?」

という質問がスタッフからありました。つまり、

「『フレッシュさ』が『売り(物)』」

だということですね。うーん、やはり常識的に考えて「新人」は、

「入社1年目」

に限られるでしょう、しかもその次の年に入った、

「本当の新人アナウンサー」

が既に存在するのだから、と答えました。するとスタッフは「うーん」と頭をひねり、

「じゃあ『新米アナウンサー』ならOKですか?」

と聞いてきました。なんだか、これならいけそうです。しかしここで疑問が。

「そもそも『新人』と『新米』はどちらが新しい???」

うーん、「新人」の中にも「新米」もいれば「そうでないぐらい達者になったの」もいる。また、「新人」でなくても「新米」の人もいるよなあ。

新人アナは2年目になって後輩が入って来たら(入って来なくても2年目になったら)「新人」とは呼ばれなくなりますよね。「お米」も「新米」は有効期限が1年ですよね・・・そう考えると、

「新人」は日数(年数)、月日による「期限」が「1年」であるが、「新米」は年数ではなく「技量」の程度に伴って言われる気がしますね。

『新聞用語集2007年版』には、

「新米」(注)「新参」の意味では「新前〈しんまえ〉」の変化。

とありました

あ、そう言えば最近、入社5年目のIアナウンサーが、

「入社5年目の新人アナウンサー」

というのを、周囲からキャッチフレーズに"されて"います。それだけ「フレッシュ」ということですが、それも、なんだかなあ・・・。

 

(2010、2、2)

2010年2月 2日 19:16 | コメント (0)

新・読書日記 2010_025

『おばけのてんぷら』(作・絵せなけいこ、ポプラ社:1976、11第1刷・2009、12月第117刷)

娘の5歳の誕生日のプレゼントに「何か絵本を」と思い、立ち寄った本屋さんで見つけて購入。"あの"せなけいこさん独特のちぎり絵のような絵柄と、すごくシュールなお話、今回も楽しいですよ。いつもの"オバケ"が出てくるし。

それにしてもこの本、117刷ですよ、皆さん!しかも初版は1976年!なんというロングセラーなのでしょうか!!!

しかし、私は1976年には絵本を読むような子供ではなかったので、全然知らなかった・・・。でも娘は、

「あ、これ大好きな絵本!」

と、既に保育所で何度も読んでいるようです。それでも読み聞かせたら、真剣に聞き入っていました。

 

 


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(2010、1、28)

2010年2月 1日 20:48 | コメント (0)
2010_050

『アホの壁』(筒井康隆、新潮新書:2010、2、20)

この「アホの壁」の「アホ」とは、「無駄」、とか「甲斐無い」、という意味か。「愚鈍」という意味での「アホ」ではない。

もちろん、同じ新潮新書から出たベストセラー、養老孟先生の『バカの壁』を意識したタイトルである。

筒井節を久々に聞いた気がするが、「やはり大分丸くなられたなあ」という感じも。

「アホな喧嘩はアホが勝つ」

というのには「なるほどな」と。筒井さんお得意の心理学的な分析もおもしろい。

 

(2010、2、25読了)

2010年2月28日 18:06 | コメント (0)

新・読書日記 2010_049

『60歳までに1億円つくる術』(内藤忍、幻冬舎新書:2009、11、30第1刷・2010、1、15第4刷)

 

著者はマネックス・ユニバーシティ社長。僕より2つ年下かな。

「勝間にはなれない」と書いていたが、ならなくていいし、なるつもりもないでしょ。

「今使うお金」と「将来使うお金」のバランスを考えなさいというのは、「なるほどな」と思った。それ以外には特に収穫なし。1億円も作れるわけないし、作る必要が果たしてあるのか?という疑問が。タイトルで買わせようという作戦だね。や、この本に780円+税も払ってしまった・・・。


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(2010、2、24読了)

2010年2月27日 18:03 | コメント (0)

新・ことば事情

3887「エコカー減税」

朝、5歳の娘と一緒に保育所へ行こうと、

 

「行こかあ・・・イコカー減税」

 

オヤジギャグで声を掛けたら、娘がなにやらモゴモゴと

「×ジョキンモ」

と言ったので、

「え?何て言ったん?」

と聞くと、

「オジョキンモ」

と繰り返しました。2、3秒考えて、

 

「あ、『補助金も』かあ!」

 

と気付いてびっくり!

テレビCMの力はスゴイですねえ・・・。改めて思いました。

(2010、2、26)

2010年2月26日 16:09 | コメント (0)

新・読書日記 2010_048

『勉強会に1万円払うなら上司と3回飲みなさい』(前川孝雄、光文社新書:2010、2、20)

光文社新書にありがちな「キャッチーなタイトルがすべて」の本かなあと思いながら読んだ。最初は「やっぱりなー」というか、そもそも20代の若者向けに書かれた本なので、「こんなのわざわざ本で読まなくても・・・」というような内容だったので、読み飛ばすように読んでいったら、後半からちょっと様相が変わってきた。40代のおじさんが読んでも、ためになる話が!

 


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(2010、2、23読了)

2010年2月26日 15:11 | コメント (1)

新・ことば事情

3886「女子飲み」

223日の日経新聞朝刊に、

「『女子飲み』で話砲台から男性に気兼ねなく 居酒屋に限定プラン」

という見出しが。この、

「女子飲み」

という言葉が、近頃はやりの「女子」が進出していることを物語っています。本文を読むと、

「居酒屋などの飲食店で、女性だけで楽しむ『女子会』用のプランが活況だ。」

とあります。やはり世の中の経済・景気を動かすのは、「女性の力」なんでしょうか?

この、

「女子会」

という言葉を、私が初めて目にしたのは、後輩の森若佐紀子アナウンサーのブログでした。彼女はよく「女子会」を開き「女子飲み」をしているようです。「よく」とか書くと怒られちゃいそうですが・・・。

これまでの語法(「○○飲み」)に関して言うと、たとえば「酒飲み」と言うと、

「酒をたくさん飲む人」

のことを指します。「一気飲み」と言えば、

「一気に(お酒などを)飲む」

ことを指しますが、「女子飲み」は、

「女子をたくさん飲む人」

ではありません。

「女子だけで集まってお酒を飲むこと」

であり、その意味では新しい語法のようでもあります。

「女子飲み」の参加者は、その名のとおり、「女子、のみ」なんでしょうね・・・。

Google検索では(日本語のページ、2月26日)

「女子飲み」= 4万9200件

「女子会」=127万0000件

でした。

 

(2010、2、26)

2010年2月26日 14:15 | コメント (0)

新・ことば事情

3885「逆デジアナ格差」

バンクーバーオリンピックも終盤、女子フィギュアのメダルの行方に日本中の(?)注目が集まっています。

読売テレビの報道フロアにもたくさんのテレビ受像機がありますが、その多くがオリンピック映像を映し出しています。

そして「ミヤネ屋」スタッフも、その映像を食い入るように見つめているのですが、ジャンプが決まったり、こけたりするたびに、

「おお!」

とか、

「ああ!」

というどよめきが起こります。ただ・・・報道フロアにあるテレビ受像機はデジタルとアナログが混ざっているので、アナログを見ている人が「先に」どよめくので、「デジタルテレビ」でジャンプの瞬間をまだ見守っている人たちは、ジャンプする前に、

「おお!」

とか、

「ああ!」

という声を聞いてしまい、ものすごく興ざめします。その間、およそ2秒の時差。バンクーバーと日本との時差に比べれば何でもないのですが、同じ「生中継」を見ていても差が出てしまう。ふだんは、アナログテレビよりも映像がきれいな「デジタルテレビ」ですが、こと「速報性」に関しては、「アナログ」に負けてしまっている、これは「逆デジアナ格差」なのかもしれません。

(2010、2、26)

2010年2月26日 13:00 | コメント (0)