新・ことば事情 3819
3819「ロンパリ」
大阪出身の芥川賞作家・川上未映子さんの話題の小説『ヘヴン』(講談社:2009、9、1第1刷/2009、12、3第8刷)を読んでいたら、
「ロンパリ」
という言葉が出てきました。
「おいロンパリ、おまえちゃんといただきます言ってから食えよと言って僕のひざを足の甲で勢いよく蹴った」
「おいロンパリおまえなにしてくれたんだよ」
などという、いじめっ子の差別的な呼びかけの文章があったあとに、
「僕の目は斜視だった」
という主人公の少年の"告白"があり、さらに、
「僕はロンパリと呼ばれつづけ、呼び出されて意味のないことを命令されたり、倒されたり、休み時間にはトラックを全速力で走らされたりしていた。」
というふうに出てきます。
私はこの言葉、会社に入るまで(つまり、大人になるまで)知りませんでした。アナウンサーとして、放送人として「言葉」と付き合う中で、
「放送では好ましくない差別的な言葉」
として知りました。普通、想像付かないですよね、なんで「斜視」のことを「ロンパリ」と呼ぶかなんて。
一応辞書を引いてみると、「ロンパリ」は、『広辞苑』『明鏡国語辞典』(電子辞書版)『三省堂国語辞典』『新明解国語辞典』『岩波国語辞典』『日本語新辞典』には載っていませんでした。『新潮現代国語辞典』には載っていました。
「(一方の目はロンドンを、他方の目はパリを見ているの意から)<俗>斜視。
電子辞書版の『デジタル大辞泉』にも載っていました。
「<一方の目はロンドンを、他方の目はパリを見ているの意から>斜視を俗にいう。」
そして『精選版日本国語大辞典』(電子辞書版)にも、用例付きで載っていました。
「(一方の目はロンドンを、他方の目はパリを見ているの意から)奢侈をいった俗語。*紫の火花(1965)<梶山季之>殺人ヘルパー「目は俗にいうロンパリである」
用例は45年前のものです。見出しで載せている辞書の語源は、3冊とも「一字一句同じ」ですね、ちょっと驚いた。梅花女子大学・
「(一方の目がロンドン、他方の目がパリを向いている意)斜視を嘲って言うことば。「ロンパ」とも言う。<類義語>がちゃめ・やぶにらみ◆『週刊朝日』(1952年5月18日号)「『T女史てシャー(シャルマン)やけどちょっとロン・パリやわ』これは片目がロンドン、片目がパリを向いている、つまりひんがら目、籔睨みのこと」◆『銀座牝』ケチ社長・3(1956年)<花登筺>「『ええ、パパはロンドン、ママはパリ』二人合わせてロンパリ、あんたの目と一緒」」
と、具体的な用例(それも1950年代で、『精選版日本国語大辞典』のものより古い)を挙げてています。しかも「ロンパリ」の説明で、単に「斜視のこと」ではなく「嘲って言うことば」としているのが、的確な表現だと思います。
これは単なる想像ですが、「モボ・モガ」の大正モダニズムぐらいの時には、この言葉は既にできていたのではないでしょうか?江戸時代でないのは、たしかでしょうが。
いずれにせよ最近はあまり、耳にも目にもしません。
私はこの川上さんの小説を読んでいて、「ロンパリ」という言葉がいきなり出てきて驚きました。そして、川上さんにとって「ロンパリ」という言葉は「生活語」だったのかどうか?という疑問が浮かびました。つまり、川上さんは生活の中で、この言葉と日常的に付き合っていたのか?ということ。川上さんはいつ「ロンパリ」という言葉を知ったのでしょうか?もう「死語」だと思っていましたが・・・。
文学作品ですから、表現上こういう言葉を使ってはいけないということはないと思いますが、この『ヘヴン』をテレビドラマ化するのは難しいのかなあ。どうなんだろ?映画ならOKなのか?その映画をテレビで放送するのは大丈夫か?そんなことを考えてしまいました。
まだ最後まで読み通していないんですけどね。読み終わったらまた書くことにします。
(2010、1、19)
(追記)
読み終わりました、『ヘヴン』。
うーん、「ロンパリ」はこの小説のキーワードの一つだから、なんとも使わないと仕方がないな。映画には出来るでしょうね。テレビでも問題ないでしょう。
皆さんは、どう、お感じでしょうか。一度読んでみてください。