新・読書日記 2009_244
『青年の条件~歴史のなかの父と子』(河原宏、人文書院:1998、10、25)
著者は私の大学のゼミでの恩師。10年ほど前に早稲田大学を退官されたときに、ゼミのOBが集まる会があり、その席でいただいた本・・・・を今まで読んでなかったのか!と言われると、面目ありません・・・。
この本を読んだきっかけになったのは、先月(11月)出席した、京都大学の佐藤卓己先生の勉強会。このときのテーマは「NHK青年の主張」。佐藤先生が次に出版される予定のテーマだそうだ。『青年の主張』という番組はどう変遷し、そして消えていったのか?その背景を、時代の流れと絡めて捉えたユニークなものだが、そこで出てきた根本の「青年」とは一体?と考えた時に、「そうだ、河原先生の本に『青年の条件』があった!あれを読めば、そのあたりが分かるのではないか!」と思い出したのです。思い出したということは、つねづね、この本を読んでいないことが気にかかっていたということで・・・。
河原先生は、「はじめの問い」としてゴーギャンの代表作の一つ「われらはいずこより来たり、何者であり、いずこに行くのか」を取り上げて、この「人間は、何処から来て何処へ行くのか」はすなわち「歴史と未来」であり、その形は「父と子」に収斂するが、それを求めて葛藤するのが「青年」だ、というように話がつながっていく。その「青年」の時代における変遷を、
・幕末から明治期(「志」の時代)
・明治後半から大正(「煩悶」の時代)
・大正期(「らしく・ぶる」時代)
・戦前昭和期(「不安」の時代)
・戦中期(「死生」の時代)
・ 現代(「抽象」の時代)
と分類して分析している。ゴーギャンの作品、言われて思い出したが、おととし(2007年)、「エルミタージュ美術館展」が京都で開かれた時に実物を見ていたが、全然そんなことだとも思わずに、ボーっと見ていた・・・。
河原先生はこの本が出た11年前に、既に「サブプライムローン」や「リーマン・ショック」といった金融中心のアメリカ経済の破綻を予言していることにも気付いた。1995年の阪神大震災とオウムの地下鉄サリン事件が、その狼煙を上げていたのだ。当然まだ、2001年の「911」のテロは起こっていなかったのだが。
その中で気になった記述や感想をメモしておく。
*欧米は「父」の文化、日本は「母」。「ナショナリズム」と「パトリオットシズム」の違い。
*父の不在。1995年3月20日、地下鉄サリン事件でのオウムの出現の意味。その6年後の2001年9月11日、ワールド・トレード・センタービルへの自爆テロも、何か通じるものが。
*ジョン・ロックが紀元1~2世紀ごろのローマ帝国時代の詩人ユヴェナーリスの言葉を復活させ、「健全なる身体に健全な精神が宿る」と断定した。ロックは、これこそがイギリス紳士そのものだとみなしていた。
*「国がまえ」の中は「民」と書く「クニ」の字。地方分権の道州制だ!
ユニークな論文であると感じた・・・って、「上から目線」か!