新・読書日記 2010_007
『解説・戦後記念切手Ⅶ~昭和終焉の時代1985ー1988』(内藤陽介、日本郵趣出版:2009、12、15)
ついに内藤さんのライフワークの一つ「解説・戦後記念切手シリーズ」が完結!8年で7冊(年賀切手に関する別冊を加えると8冊)のエンサイクロペディア(百科事典)的読み物。
8年の長きにわたりこのような労作を(一大事典ですからね、本当に)一人の筆で完成させた功績は素晴らしいものだと思います。
とにかく内藤さんは博覧強記。切手に関することだけでなく、その周辺の「注」だけで、何冊もの本が出来るのではないか(実際、おそらくこの本を書くために調べたことをベースに、既に何冊も本を書かれている)。今回も「へえー、そうなのか!」ということが、いくつも。そのうちの一つは、「建築」という言葉の成り立ち。明治時代、「建築」という言葉が生まれる前は「造家」だったというのだ。知らんかった!そのあたりの記述を引用すると・・・
「1886(明治19)年4月9日、Architectureに関する学術・技術・芸術の進歩発達をはかる目的で26名の会員で『造家学会』設立。"Architecture"の訳語は当初"造家"だった。建築家の伊藤忠太が1894(明治27)年に発表した論文で造家学会の改名を望み、建築という訳語がふさわしいと主張。これを受け、1897(明治30)年7月に建築学会に改称、翌1898(明治31)年に東京帝国大学工科大学造家学科は建築学科に改称された。建築学会は1947(昭和22)年に日本建築学会と改称され、現在に至る。」
ふーん、「建築学100年の記念切手」が1986年に出ていたとは!
実を言うと、この本に出てくる切手は、ほとんど見たことがない。1985年から1988年というのは、私が会社に入って仕事に邁進、切手どころではなかったであろう時期。これまでの本(6巻まで)に出てきた切手には親しみがあったのですが。
それから、東京に「攻玉社」という進学校があることを、ついこの間知ったのですが、この学校は歴史のあるものだったのだなと、本書を読んで知りました。もととなった「攻玉塾」は、「明治の六大教育家」の一人の近藤真琴の「私塾」なのだそうです。「六大教育家」というのは近藤のほか、「帝国四大私塾」(そんなのもあるんだ!)の創立者、中村正直、新島襄、福沢諭吉、それに学制改革に尽力した官僚、大木喬任、森有礼の6人だそうです。へえー。
もう一つ「おお!」と思ったのは、81~84ページの「天皇御在位六十周年」の切手に関する記述。それによると、この記念式典が行われたのは、天皇が践祚(せんそ)された12月(26日。1926年=大正15=昭和元年)でもなく、即位の大礼が行われた11月(1928年=昭和3年)でもなく、天皇誕生日の4月29日。これは、7月に控えた「衆参同日選挙」への中曽根総理の周到な準備のため。自民党総裁任期切れの11月の前に政治ショーとして在位六十周年の記念式典を行おうとしたと記してある。それを読んで「あっ!」と思ったのは、昨年末の民主党小沢幹事長のこと。「天皇の政治利用」は、何も小沢民主党の専売特許ではないのだ!政治家は利用できるものは何でも利用するということか。
シリーズを通して感じた「切手はメディアである」という内藤さんの主張は正しいと思います。ただ、最近は民営化されて、国が使うメディア(宣伝・教化)としての価値・重要性は下がったのではないかと私は思っていましたが、実は、「記録する」という意味での「メディア機能」の重要性は、いささかも減じていないことに、この事例で気付かされた気がします。まさに切手というメディアは「記録媒体」であり、「歴史の教科書」なのですね!
切手のデザイン者として頻繁に名前が出てくる、久野実、大塚均、渡辺三郎といった人について、内藤さんは書かないのかな?書いてほしい気がします。読みます!