新・ことば事情 3787
「長身な彼」
『問題な日本語』
という本がベストセラーになったのは、もう5、6年も前になりますか・・・。
タイトルにもあった、
「問題な~」
という形容動詞(?)の使い方が、従来の使われ方と違う。正しくは、
「問題となる日本語」
「(使い方に)問題がある日本語」
といったところでしょうが、長いので、短くしてしまったような感じがあります。このように、文法的に言うと「間違った使い方」の最近の新しい言葉をピックアップするとともに、本来の表現も載せるというようなもの。試みとしては決して新しくはないけど、タイトルのつけ方がうまかったのと内容がおもしろかったので、ベストセラーになりました。(と思っています。でも、売れるにはそれが一番大切なんですけどね。)
ところが!もう随分前に書かれた文章に、この「問題な~」と同じような言葉の使い方をしているのを見つけました。柳瀬尚紀編『日本の名随想 別巻74 辞書』(1997)の中に収められた堀田善衛が書いたコラム「辞書と人生」です。1975年9月に出た『堀田善衛全集 第16巻』(筑摩書房)の中から取ったものだそうです。
その中で、友人の「團伊玖磨」を指して
「長身な彼」
と記していました。「長身の彼」ではなく。この「長身な」も、ちょっと現在だと(私は)違和感のある表現です。でも、当時は違和感なかったのかな。最近の若者の表現でも違和感がない。とすると、その間(はざま)のわたしたち世代だけが違和感を感じる表現、ということになる。そうすると、「長身な彼」「問題な日本語」は文法的に間違っていると、歴史的に見て言い切れるのかどうか。言い切れないのではないか。現在(と言ってもちょっと前)においてのみ「正しい」と言えるのではないか、という気持ちになりますよね。
それと、最近「間違いではないか」と注目されている表現に、
「文頭の『なので』」
がありますが、『納棺夫日記・増補改訂版』(青木新門、文春文庫:1996、7、10第1刷・2009、3、10第22刷)を読んでいたら、その中に出てきた、詩人の高見順の詩集『死の淵より』の中の「電車の窓の外は」に、
人間も自然も
幸福にみちみちている
だのに私は死なねばならぬ
だのにこの世は実にしあわせそうだ
と、「だのに」を「文頭」に使っていました。この「だのに」と「なのに」は、ほぼ同じなのではないでしょうか、文頭に使うやり方も。
そんな気がしました。(2009、12、25)
(追記)
石原千秋『国語教科書の中の「日本」』を読んでいたら、
「全然、反対な方向に動こうとする勇気である」(237ページ)
と言う表現が出てきました。これって、
「反対の方向」
なのでは?でも、国語の教科書作っている(いた)石原教授の文章だし・・・「反対な」は使ってもOKなのでしょうか?
コメント
長身うらやましいです!!
投稿者: 長身 日時:2009年12月25日(金) at 22:09