新・ことば事情 3769
「『天声人語』の始まり」
年末です。大掃除です。ちょっとずつ、やっています。
昔集めた資料が出てきました。その中から、終戦後すぐの時の「朝日新聞」の縮刷版のコピーが見つかりました。たしか、大阪の中之島の図書館でコピーしたものです。なんでこれをコピーしたんだろうな・・・あ、そうか朝日が国民に向けて「宣言」をしたんだっけ。
「宣言 國民と共に立たん~本社新陣容で『建設』へ」
という見出しの記事・宣言(昭和20年11月7日)について調べていた時のことでした。そのついでにコピーされたらしいものも見つかりました。今回はその話。
昭和20年9月5日の新聞の1面下を見ると、そこのコラムのタイトルが、
「神風賦」
とあったのです。あれ?この位置の「コラム」は、
「天声人語」
じゃないのか?と思って、いつから「天声人語」が始まったのか、調べてみると、翌6日の新聞は、
「天馨人語」
になっていたのです。もっとも「右から左への横書き」なので、
「語人馨天」
と書かれていましたが。そして読みにくいその活字を読んでいくと、最後の4行に、
「首相宮殿下は、特に言論洞(とう)開を強調遊ばされた。この御言葉を戴(いただ)いて、本欄(らん)も『天馨人語』と改題(だい)し、今後ともに●●の誠心を吐露せんとするものである。」
ちょっと印刷(コピー)が潰れてしまって読み取れないところ(●●)もありましたが、そういうことだそうです。ルビは横に振ってあります。やはり「神風特攻隊」などと使われた「神風」を戴いた「神風賦」は、敗戦後にはマズイということもあったのでしょう。
でも改題が、ポツダム宣言受諾(敗戦・終戦)の8月15日ではなく、それから3週間近く経ってということは、やはりゴタゴタがあったからでしょうか。それ(改題)どころではなかったのかも。
それとも、実際に「敗戦」が確定したのは、ミズーリ号の艦上で降伏文書に調印をした、
「9月2日」
なので、それを待ってその5日後に、素早く動いたということでしょうか。
また、「東久邇宮首相」が皇族なので、その呼び方が、
「(東久邇)首相宮殿下」
というのも、
「『宮』は、そこに付くのか!」
と新鮮でありました。
(2009、12、11)
(追記&訂正)
「天馨人語」と書いていた「馨」、変換ミスです。すみません。正しくは、
「聲」
下が「耳」です。早稲田大学非常勤講師の
「匪躬(ひきゅう)」
と書かれていることも教えてくださいました。重ねてありがとうございます。
これは読めないなあ。そもそも印刷の文字がつぶれてしまってたし。
「匪」は「悪い奴」のイメージがありますね、「匪賊」という言葉は知っています。「躬」は「つくり」から「きゅう」と読めるかもしれないけど、ウーンどうだろ。意味は?
飯間さんもこの言葉は、初めて知ったそうです。『三省堂国語辞典』の編集にあたっている飯間さんが知らない言葉なんですから・・・。その飯間さんによると、
「『蹇蹇匪躬』ということばが戦時中の『明解国語辞典』に出ていますが、戦後の改訂版では削られています。」
とのこと。これ、なんて読むのかな?「ひんしゅく」みたいな感じだな。「顰蹙」おお!「ひんしゅく」で変換したら漢字が出ました。絶対書けないけど・・・でも、違うみたいですね。下の部首を読むと「そく」かな。「そくそくひきゅう」かな?
とりあえず「匪躬」を『精選版日本国語大辞典』を引いてみました。
「匪躬」=(「匪」は「非」と同じ。「易経―蹇卦」の「六二、王臣蹇蹇、匪二躬之故一」による)わが身を顧みないで主君のためまたは国のために忠義を尽くすこと。」
とありました(用例略)。漢文をほとんど勉強していないからな、わたしたち世代は。高校までだし。これは「漢和辞典」を引かないと・・・ということで弾いてみたら・・・分かりました、この感じの読みは、
「けん」
でした。意味は「あしなえ。足が伸縮しないで不自由なこと」。「とどこおる。すらすら進まない。動きがわるい。また、すなおでない」「にぶくて足のおそい馬」「かかげる。衣服の上にあげる」という意味。つまり、『蹇蹇匪躬』は、
「けんけんひきゅう」
と読むのですね。こちらの意味は、
「家来が苦労をかさねて主君のために尽くす。」
という意味だそうです。
しかし、この時点ではまだ新しい「日本国憲法」は公布も施行もされていないから、「大日本帝国憲法」が有効ですよね。そうすると、「わが身を顧みないで、主君のためまたは国のために忠義を尽くす」の対象(=主君)は「天皇」?「国民」が「家来」?
それとも占領下なので、「大日本帝国憲法』は効力を停止していたのか?でも「天皇」は存在したし執行停止にもなってなかったですよね。ですから翌1946年1月1日に「天皇」が「人間宣言」もしてるんですよね?
うーん、難しい。