新・ことば事情 3792
「『そむける』と『そらす』」
「むごたらしい現場を見たときには『目をそむける』と言いますが、『自分の人生の進路から』だと、『目をそむける』というのはおかしいのではないでしょうか?辞書の用例でも、『むごたしい・悲惨な実物から目をそむける』はあっても『人生から目をそむける』はないです。『そむける』と『そらす』の違いはなんでしょうか?」
という質問を、塾の講師をしてらっしゃるというTアナウンサーのお母様から、Tアナウンサーを通じて受けました。いつもお世話になってます。
うーん、難しいですねえ。そうだなあ、「そらす」は、視線を「真っ直ぐに」対象物に向けていたものを。その「真っ直ぐ」から少しずれるようにすることで、見えてはいるけど直視しない感じがします。これに対して「そむける」はもう全く見えないように、目や顔をその対象物と面と向かわないようにする感じがします。
むごたらしい現場は、全く見たくないわけですから「そむける」んですね。視線を「そらす」は、見ていないことがばれないように、でも直視しない感じかなあ。
ですから「自分の進路から目をそらす」は、
「進路の方向を見ているように周りの人に思わせながら、実はしっかりとは見ていない」
状態で、「進路から目をそむける」となると、
「進路上に見てはいけないものがある感じ」
で、
「もう全く、将来に対して背を向けるような感じ」
なのかなあ。なんだか、これでお答えになっていますでしょうか?私の感覚でお答えしましたが、いかがでしょか?