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『道浦TIME』

新・読書日記 2009_228

『キャッチャーという人生』(赤坂英一、講談社:2009、8、31)

 

「野村と古田の陰に隠れた6人の名捕手たちの栄光と挫折」

と"帯"に銘打ち、村田真一、達川光男、山中潔、谷繁元信、大久保博元、里崎智也といった捕手=キャッチャーを取り上げ、インタビューをもとにしたスポーツドキュメント。

夏ごろ『週刊文春』の酒井順子さんの書評欄で見つけ、最近になって本屋さんに注文して取り寄せたもの。

読み出して驚いた。この中に出てくる「山中潔」捕手、現在は日本ハムの2軍のコーチをしているそうだが、彼は、「私の小学生時代の同級生」なのだ!いや、正確に言うと同じクラスにはなっていないので「同級生」ではなく、「同窓生」だ。しかし、一緒にソフトボールや野球をした。小学校の頃、彼はサードで4番バッターだったと思う。その頃から「将来は、プロ野球選手になるのだ」という"夢"・・・というよりはもっと具体的な"将来設計"を持ち、リトルリーグにも入り、お父さんにもそのように育てられていた。私が、クラスメートや仲の良い友達と「軟式の野球チーム」を作ったことがある。その際に山中君も誘ったら、快く「ええよ」と言ってくれたのだが、後日、彼から電話がかかってきた。「お父さんが、軟式のボールでクセが付くとあかんと言うので、ごめんやけど、参加できない」とのこと。とても申し訳なさそうな感じの声だった。わたしたちがやっている「草野球」は「軟式ボール」、そしてリトルリーグは「硬式」のボールだ。「わかった」と答えざるを得なかったが、「すごいな」と思ったのを覚えている。もう40年近く前の話だ。

その後、彼は野球の名門・PL学園に進み、高校2年の時に甲子園で優勝した。正捕手は1年先輩の木戸選手。ベンチでうれし泣きする彼の姿を、テレビで見た。3年の春か夏の甲子園は、優勝は出来なかったが甲子園には出たのではなかったか。いや、同じ学年には浪商の牛島投手とドカベン・香川捕手がいたので、出られなかったか?どうだったろうか。

そして、さらにその後、子どもの頃の"夢"をかなえて、彼はプロ野球選手に。広島カープに入団したのは知っていた。私もテレビ局に就職して取材で球場に行くことがあった。

彼とニアミスをしたのは、たしか1984年のジュニア・オールスターの甲子園。もしかしたら1985年?いや、あの年はタイガースの優勝一色だったから、その前の年だと思う。彼は選ばれて、グラウンドにいた。わずか2メートルほど先のところに彼がいた。が、「覚えていてくれなかったら・・・」と思うと声を掛けられなかった。私は、そんな意気地なしだったのである。

それからでも四半世紀。今度、もし会うことがあれば・・・一度話を聞いてみたい気がする。

 

 


star4

(2009、12、19読了)

2009年12月23日 12:03 | コメント (0)