新・読書日記 2009_237
『朗読は楽しからずや 付録CD』(久米明、光文社:2007、4、30)
本に付いているミニCD。本は出た時に、2年ほど前に読んでいましたが、CDは聴いてなかったので、今回聞いた。
まず「朗読の注意点」を久米明さんが論じ、その後に「山椒大夫」「トロッコ」という名作を、実際に読んで聞かせている。それを聴いていて気付いたこと。
・「経験(けいけん)」=「けーけん」ではなく。
・「話芸(わげい)」=「わげー」でなく。
・「映像(えいぞう)」=「えーぞう」でなく。
・「尾崎紅葉(お/ざきこ\うよう)」と一語で「中高アクセント」。
・「明治30(サ\ンジューネン)年の作品ですが、全く新鮮なのです」=「30年」が頭高アクセント。そして「全く新鮮なのです」と「肯定」に「全く」を使っています。
・「先代小さん師匠の話、『声色を使わなくても、情景がわかれば演じられる。「なぜ」を「何」の裏に捕まえれば、よい朗読になる。力強く説得力のある朗読になる。理屈はいりません。演じる自分を醒めた目で見る自分がいる。話の情景をしっかり飲み込んで頭の中に入れ、人物の性根が頭に入っていれば、声色ではなく自分の声で演じることができる。それが話芸の極意。『何を』ではなく『なぜ』しゃべるか。『なぜ』を見せて初めて『おもしろみ』が出る」=納得。いつも私もそう考えています。「吹き替え」は「物まね」ではないというのは、正に「声色ではない」に通じ、わが意を得たり!
・「作者(さ/くしゃ)」が「平板アクセント」。
・「名ぜりふ」と濁った。
・「作品」が無声化していない。
・×「付け刄」→○「付け焼き刃」=「弘法も筆の誤り」の言い間違え?
『山椒大夫』(森鴎外)の朗読では、
・「どうしてそんなに"じ/んき"が悪いのでしょう。」(人気?)
・「しゅうじゅう(主従)四人」=「しゅじゅう」ではなく。「う」が入る。
『トロッコ』(芥川龍之介)の朗読では、
・「土工(どこう)」。
・「最初、おもむろに」(トロッコの動き出しよう)
勉強になりました。でも、きっと「久米さんだけの本当の極意」は、こんなところでは語っていないのでしょう。「一般向けの極意」のように感じられましたが、いかに?