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『道浦TIME』

新・読書日記 2009_216

『耳で考える~脳は名曲を欲する』(養老孟司・久石譲、角川ONEテーマ21:2009、9、10)

 

この間「脱税」を指摘された脳科学者の本はあまり読もうと思わないのだけど、養老先生のは、なぜか読んじゃう。対談の相手はあの作曲家・久石譲さん。このペンネーム(?)は「クインシー・ジョーンズ」から取ったと聞いたことがあったので、ずっと「くいし・じょう」さんだと思っていたら、「ひさいし・じょう」さんだそうです。

映画音楽をずっと手がけてきた久石さんは、映像よりも音楽が先に飛び込んでくる、と。それが、「映像は光だから、音より早く届くはずなのに・・・?」と、ずっと不思議に思ってきたそうだ。これに対して養老先生は、

「視覚と聴覚では処理スピードが違うのだ」

と明確に指摘。うーん、冒頭から、なかなかやるな!

疑問・不思議をいっぱい持った生徒=久石さんが、素直に数々の疑問を養老先生にぶつけていく、そういった対談。疑問・質問のレベルが高いから、おもしろい。「果し合い」をしているような感じです。

「不確定性原理」で量子学の基礎を構築したハイゼルベルグは、

「真理には二つある。スターティクス(静的)な真理と、ダイナミック(動的)な真理だ」

と言っているそうです。「静的な真理」とは、

「ある土地を知ろうとする時に、航空写真を撮るようなもの」

で、「動的な真理」とは、

「その土地を知るために、その土地を歩き回ってみること」

つまりこれは「目と耳」のことを言っていると。

また、音楽を構成するのは「メロディー」と「ハーモニー」と「リズム」。「リズム」は「時間」の上に成立している。「ハーモニー」は響き。その瞬間、瞬間で輪切りで捉える、いわば「空間」把握。では「メロディー」は何か?「メロディー」は、「時間と空間の記憶装置」なのだと久石さん。これに対して養老先生は、

「僕はよく楕円を二つ描いて、これをそれぞれ目と耳だとすると、重なっているところが言葉だ」

と説明するそうです。聴覚と言葉が結びついたところに「歌詞」とか「詩」と言ったものがあるのだと。また、

「聴覚系が本来持っている性質が論理性。目はそういった論理性を持っていない」

「目が正しいと思うことと、耳が正しいと思うことがあって、目で正しいと思っても、実際には成り立たないことというのがあります。その典型が『ツェノンの逆理』」

とも。「アキレスと亀」が競走する、アレです。「目だけで物事を考えるとそうなってしまう。脳は刺客にだまされる」のです。

ああ、脳みそが揺すぶられるうううううう。


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(2009、10、10読了)

2009年11月30日 22:07 | コメント (0)