新・読書日記 2009_191
『風が強く吹いている』(三浦しをん、新潮文庫:2009、7、1)
何と、文庫本で650ページもある!
本屋さんで手にとって、ちょっとタジタジとなったが、映画を見る前に読みたかったので、意を決して購入。青春小説だねえ、と読む前から分かっていたが、改めて、そう感じた。
10章からなるこの小説、ド素人8人を含む10人が、箱根駅伝を目指す物語。「箱根」本番までに8章で400ページ、残りの2章で「箱根」本番を描いているが、これが250ページもある。しかし、一気に読んでしまう!582ページあたりと最終盤の650ページあたり、泣けます!
気になったおもしろい表現は、たとえば、
「釈迦の入滅を知った森の動物たちのように」(203ページ)
「曲芸飛行をするスペースシャトルに乗ったみたいで、座席で硬直したり気絶しそうになったりすることはあっても、清瀬の運転に身を委ねて眠るなど考えられなかった。」(224ページ)
「『まずいな』清瀬も、猫の轢死体を目撃したような表情になった。」(250ページ)
なかなかおもしろい。上手な比喩表現。
また、「ジョギング」のことを「ジョッグ」(103ページ)と言うんですね。
この小説では「ジャージー」ではなく「ジャージ」という短い表記がたくさん出てくる。
「乱れたジャージを整えた。」(231ページ)
「ジャージのズボンにいままさに手をかけようとしていた走(かける)は」(244ページ)
「清瀬は羽織っていたジャージを脱いだ。」(249ページ)
「コメントするキャプテンもジャージ姿だったが」(260ページ)
「同じジャージを着ていても」(464ページ)
「寛政大学のユニフォームとジャージに着替え、ベンチコートを手にする。」(504ページ)
「清瀬のジャージのズボンの裾をめくりあげようとした。」(513~514ページ)
「ジャージのポケットから携帯電話を取り出した走に」(523ページ)
「二人の視界のなかに、ジャージを穿いた脚が現れ、立ち止まった。」(551ページ)
「ジョージは走のジャージの袖を引っ張り」(558ページ)
「寛政大学のジャージを着て待ちかまえていた給水要員が」(560ページ)
「携帯電話をムサに預け、キングはジャージを脱いだ。」(566ページ)
「走は通話を終えた携帯電話をジョージに預け、ジャージを脱いだ。」(583ページ)
「紙袋からタオルやらジャージやらを引っ張りだしながら」(615ページ)
「ユニフォームのうえから手早くジャージの上下を着込み」(617ページ)
「寛政大学のジャージを着たものたちに向かって」(646ページ)
「清瀬はジャージのうえから、そっと右脚をこすってみた。」(609ページ)
また、解説の最相葉月も、
「下駄とジャージ姿で散歩できる気安さから」
と「ジャージ」を使っている。
それ以外に気付いたもの。
「『「月曜深夜」に放送!お楽しみに!』と言っておきながら、日付的には火曜日の午前一時に放映する。神童さん、これは変ではないですか?」(103ページ)
「深夜」という表現に対する著者の疑問を、登場人物が語っている。
「カレーの『ルー』」(149ページ)
「ルウ」ではなく「ルー」。また、
「碁会所(ごかいしょ)」
「ゴカイショってなんですか。」(174ページ)
と外国人留学生に言わせている。若い読者にはわからないだろうからと説明するあたり、さりげなく。「所」は「ショ」と濁らず。また「ジャージ」は短いのに、「パーカ」は長くて「パーカー」。
「ムサがTシャツのうえにパーカーを羽織った。」(216ページ)
「おバカ」という表現も出て来る。
「おバカで明るい学生たちの姿だ。」(224ページ)
「フリチン」ではなく「フルチン」。
「もう俺、フルチンで走ろっかな」(243ページ)
また、先生が幼稚園児に言うような言い方も。
「ジョージが悪あがきしたが、清瀬はもう聞いていなかった。『はい、さっさと支度する』」(347ページ)
「就職活動」はカタカナ略語で。
「『またシュウカツできないじゃないか』(432ページ)
死語のようなマイク・チェックの言葉も。
「『メーデー、メーデー』と大家はマイクの調子をたしかめる。そんなことを言うひとが、まだいたとは。」(641ページ)
まあ、とにかく中身もおもしろいが、言葉一つ一つ取り上げても興味深い作品でした。映画も見に行こう!っと。