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『道浦TIME』

新・読書日記 2009_216

『耳で考える~脳は名曲を欲する』(養老孟司・久石譲、角川ONEテーマ21:2009、9、10)

 

この間「脱税」を指摘された脳科学者の本はあまり読もうと思わないのだけど、養老先生のは、なぜか読んじゃう。対談の相手はあの作曲家・久石譲さん。このペンネーム(?)は「クインシー・ジョーンズ」から取ったと聞いたことがあったので、ずっと「くいし・じょう」さんだと思っていたら、「ひさいし・じょう」さんだそうです。

映画音楽をずっと手がけてきた久石さんは、映像よりも音楽が先に飛び込んでくる、と。それが、「映像は光だから、音より早く届くはずなのに・・・?」と、ずっと不思議に思ってきたそうだ。これに対して養老先生は、

「視覚と聴覚では処理スピードが違うのだ」

と明確に指摘。うーん、冒頭から、なかなかやるな!

疑問・不思議をいっぱい持った生徒=久石さんが、素直に数々の疑問を養老先生にぶつけていく、そういった対談。疑問・質問のレベルが高いから、おもしろい。「果し合い」をしているような感じです。

「不確定性原理」で量子学の基礎を構築したハイゼルベルグは、

「真理には二つある。スターティクス(静的)な真理と、ダイナミック(動的)な真理だ」

と言っているそうです。「静的な真理」とは、

「ある土地を知ろうとする時に、航空写真を撮るようなもの」

で、「動的な真理」とは、

「その土地を知るために、その土地を歩き回ってみること」

つまりこれは「目と耳」のことを言っていると。

また、音楽を構成するのは「メロディー」と「ハーモニー」と「リズム」。「リズム」は「時間」の上に成立している。「ハーモニー」は響き。その瞬間、瞬間で輪切りで捉える、いわば「空間」把握。では「メロディー」は何か?「メロディー」は、「時間と空間の記憶装置」なのだと久石さん。これに対して養老先生は、

「僕はよく楕円を二つ描いて、これをそれぞれ目と耳だとすると、重なっているところが言葉だ」

と説明するそうです。聴覚と言葉が結びついたところに「歌詞」とか「詩」と言ったものがあるのだと。また、

「聴覚系が本来持っている性質が論理性。目はそういった論理性を持っていない」

「目が正しいと思うことと、耳が正しいと思うことがあって、目で正しいと思っても、実際には成り立たないことというのがあります。その典型が『ツェノンの逆理』」

とも。「アキレスと亀」が競走する、アレです。「目だけで物事を考えるとそうなってしまう。脳は刺客にだまされる」のです。

ああ、脳みそが揺すぶられるうううううう。


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(2009、10、10読了)

2009年11月30日 22:07 | コメント (0)

新・ことば事情 3760

3760「元工作員か?元死刑囚か?」

 

大韓航空機爆破事件金賢姫・元死刑囚から、田口八重子さんの家族にあてた手紙が届いていたと公表されました。その際、「金賢姫」の「肩書」について、議論がありました。

「元死刑囚」

という肩書でいいのか?爆破事件に関連して話をする際は、

「元工作員」

の方が実態に合っているのではないか?ということです。

日本テレビ・読売テレビ系列では、

「元死刑囚」

なのですが、新聞を見てみると、1124日の朝刊では、

(読売)元工作員

(産経)元工作員

(朝日)元死刑囚

と分かれていました。(毎日・日経は、記事が見当たらず)

実は今年3に飯塚耕一郎さんが金賢姫と韓国で会ったときにも、この呼称に関しては問題になっていました。その際のメモが出てきました。2009311です。

(読売)「元死刑囚」

(日経)「元死刑囚」

「ラテ欄」で見ると

NHK)「元死刑囚」

TBS)「元死刑囚」

(テレ朝)「金賢姫氏」

(日テレ『ニュースZERO』)「金賢姫、何を語る?」と呼び捨て。芸能人扱いか?

312日の朝の番組を見ると、

(テレ朝)「元工作員」

(日テレ)「元死刑囚」

TBS)「元死刑囚」~ただし「あさズバッ!」のパネリストは「金賢姫さん」と。

(フジテレビ)「元死刑囚」

312日朝刊で、朝日新聞は一面では、

「元死刑囚」

としているのですが、「社説」では、

「元工作員」

になっていました。社内で統一されていないようです。

 

話はそれますが、このニュースに関連して19906月の会見で、金賢姫は、「拉致」を、「らっち」

と言っていました。当時(1990年当時か、それ以前かは分かりませんが)は「らち」より「らっち」の方が一般的だったのかもしれません。

また、3月に会った時に、金賢姫が耕一郎さんに、

「抱いてもいいですか」

といったのですが、これはナチュラルな日本語ならば、

「抱き締めてもいいですか」

でしょうね。「抱いてもいいですか」は、赤ん坊ならOKですが、大人を相手にしたときには、ちょっとニュアンスが違いますよね。特に女性が口にすると違和感が。微妙です。

また今回、上手な日本語・きれいな文字で書かれた手紙には、金賢姫が耕一郎さんに作ってあげたい料理の名前が並んでいて、その中の一つに、

「コロケ」

というのがありました。もちろんこれは、

「コロッケ」

のことでしょう。韓国・北朝鮮の人は、発音だけでなく表記も、促音「ッ」というのは認識しづらいのかなと思いました。そのわりには「らち」ではなく「らっち」。

大韓航空機爆破事件をリアルタイムで覚えている多くの人は今回、金賢姫を見て、

「ああ、年を取ったな」

と感じたことでしょう。そして、

「ということは、俺(私)も年を取ったということだな」

と思ったのではないでしょうか。

そんなに長い間、拉致された人の家族は、待ち続けているのですね・・・。

 

(追記)

2010720日、金賢姫(キムヒョンヒ)元死刑囚が初来日しました。軽井沢にある鳩山由紀夫・前総理大臣の別荘で、中井拉致問題対策大臣や田口八重子さんの長男などに会っているようです。

20日の全国紙各紙(読売、毎日、産経)夕刊は、これを1面で大きく伝えましたが、朝日新聞は1面では報じず、第2社会面に小さな記事しか載りませんでした。なぜなんでしょうね?

ところで、「金賢姫」の肩書きですが、日本テレビ・読売テレビ系列は、

「元死刑囚」

を使っていますが、各社表記は2つに分かれています。私の観察だと、

「元死刑囚」=日本テレビ・NHK:朝日新聞・毎日新聞

「元工作員」=TBS・テレビ朝日:読売新聞・産経新聞・日経新聞

というふうになっています。(フジテレビはチェックできず)

TBSきょう(20日)のお昼のワイドショーでは、

「元工作員」

でしたが、去年の3月には、

「元死刑囚」

でやっていました。日経新聞も去年3月は「元死刑囚」だったのに、今回は「元工作員」です。方針が変わったのかもしれません。

 

 

 

 

(2009、11、30)

2009年11月30日 20:25 | コメント (1)

新・読書日記 2009_215

『現代用語の基礎知識2010年版』(自由国民社:2009、11、13)

今年も出ました『現代用語の基礎知識』2010年版!

ここ数年、「赤」を基調にした表紙だったのが、去年は「黄色」になり、今年は「水色」です。さわやか!

今年は、巻頭に60人ぐらいの筆者が「今日の論点」ということで、さまざまなテーマで見開き2ページ書いています。私も「空気と世論」という題で書きました。

また、1221ページから1224ページまで「日本語事情」ということでも書いています。読んでね。

 

今年の特徴というか、私が読んで「目玉だな」と思ったのは、中ほどのカラーページの綴じ込み付録「人物で読む昭和&平成年表」(12531412ページ)。1945年から2009年までの「戦後の人気者たち」から「世相の変遷を読む」のです。1年を見開き2ページで、似顔絵も楽しい。ついつい引きずりこまれて読み入ってしまうこと、請け合い。

 


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(2009、11、13 読了はしていません!)

2009年11月30日 19:15 | コメント (0)

新・ことば事情 3759

『べたつく』と『べとつく』」

よく似た言葉だけど、微妙に違う言葉・・・というものがありますよね。特に「擬態語・擬音語」には、似てるけど微妙に違うものが多いような気がします。

ということで、その「擬態語由来」と思われる言葉のビミョーな違いに関して。

「べたつく」と「べとつく」

の違いについてです。ベトちゃんドクちゃんは関係ありません。そういえばドクちゃん、お子さんが生まれたそうですね、しかも双子!うーむ、無事に生まれてよかった。

閑話休題、私の感覚で答えます。

「べたつく」は、実際に手で触ったところ、広い範囲にわたって粘着性をもって物理的にくっついてくるもの、一方「べとつく」は、湿気を含んだ梅雨の蒸し暑さ、のように、物理的にくっついているかどうか、目には見えないような感じ、かな。

あ、でも、

「男女の関係が、あつ~い!」

場合は「べたつく」ですね。

「べたついてんじゃねーよ!」

と、ひとこと言いたくなるような。(なんで標準語?)大阪弁やと、

「べたついとんのとちゃうで!」

でしょうか。これは「べとつく」は使わない気がします。

「あの二人、ベタベタしてる」

とは言っても、

「あの二人、ベトベトしてる」

とは言わないような。そうすると「ベタベタ」が密着した感じで、「ベトベト」は、

「糊で手がベトベト」

のように「液体もしくはジェル状のもの」体に付着したような感じですかね。

ま、このぐらい考えておいて、辞書を引いてみましょう。『精選版日本国語大辞典』です。

*「べたつく」=(1)べたべたとねばりつく。べたべたする。ねばりつく。()「黴」(1911)<徳田秋声>「二区づいた足にべたつくやうな蚊」

(2)あっさりしたところがなく、しつこく相手にいったりしたりする。特にみだりがなしく異性にまといつく。また異性どうしが人前でべたべたする。

おいおい、「べたつく」の説明に「べたべたする」説明になっていない気がしますが。もう一方は、

*「べとつく」=(1)ねばったりしめったりしてべとべとくっつく。べとべとする。()『落語。革衣(1899)<初代三遊亭円左>「朝鮮飴でベトつくんだ」

(2)あっさりしていないでしつこい感じがする。()今年竹(191927)<里見弴>枯竹「女学生らしい、べとついた文句には」

「朝鮮飴」ってどんな「飴」なんだろうか?・・・やはり、「べとつく」の方は湿気、液体が交じった感じがありますね。「べたつく」には必ずしもそれは必要ではない。でも粘り気は、水分がないと出ないわけで、その水分の量がやや多いのが「べとつく」なのでしょうか。微妙だな。

この1120日に出たばかりの『岩波国語辞典・第7版』はどうでしょうか?

*「べたつく」=(1)べとべとねばりつく(2)人のか体にまといつく。また、きげんを取ってしきりにへつらう。

*「べとつく」= べとべとする。べとべとと、くっつく。

うーん、参考にならないな。「べたべた」「べとべと」を見ておきましょう。

*「べたべた」=(1)ものが粘りつくさま。(例)「コンロのまわりがべたべただ」(2)人にまといつくさま。()べたべたした人間関係」(3)一面に塗ったり貼ったりつけたりするさま。()「おしろいをべたべた(と)塗りたくる」

*「べとべと」=ものが不快に粘るさま。粘りつくさま。()「肌が汗でべとべとする」「ジャムでべとべとの服」

これこれ、こういう用例がほしかった。これなら分かりますね。特に「べとべと」は、ものが「不快に」粘るさま、ですから「感情」が込められています。プラス評価・マイナス評価で言えば、明らかに「マイナス評価」に使うんですね「べとべと」は。

この微妙な違いを、使い分けたいです。

                     (2009、11、27)

 

(追記)

1129日のお昼に、『ケンミンSHOW』の再放送を見ていたら、秋田弁では「ベタベタする」ことを、

「ネパカパする」「ネカパカ」

と言うと言ってました。

「納豆」や「たんぼで足がぬかるむ」ケース、また「粘着テープ」などが、

「ネパカパする」

のだそうです。うーん、分かるような、分からないような。これって「ベタベタ」が「ネパカパ」で「ベトベト」は「ネカパカ」なのでしょうか?そのあたりの違いは???うーん、わからん!

 

 

 

 

 

(2009、11、30)

2009年11月30日 18:36 | コメント (0)

新・読書日記 2009_214

『神の雫 KC22』(作・亜樹直、画・オキモト・シュウ、講談社)

 

今年初め、日本テレビでフドラマ化もされたワインの漫画。ドラマは残念ながらヒットとはいかなかったけど。久々に出た単行本、22巻。亡き父が残した謎の12本の至高のワイン=12使徒をめぐる、異母兄のワイン評論家との闘い。今回は、私も飲んだことがあるニュージーランドのピノ・ノワール『クラウディ・ベイ』も出てきました!おいしいよねえ!キラキラした本の表紙もお気に入りです。

 


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(2009、11、17読了)

2009年11月30日 17:34 | コメント (0)

新・読書日記 2009_213

『新しい「教育格差」』(増田ユリヤ、講談社現代新書:2009、6、20)

かつての学力差は「都会と田舎の差」、つまり「生活環境の地域差」が「学力の格差」になっていたが、昨今は秋田が(学力が)高くて、大阪が低い。これは都会化の波に飲まれた地域・家庭における、安定的な教育環境の解体・崩壊が影響していると、著者は述べている。

特に名指しで上がってくる「大阪府」においては「生活習慣の乱れ」が顕著に見られると。具体的には「早寝・早起き・朝ごはん」という生活習慣がなされていない。また公立高校の授業料が、大阪府は全国一高い。うーん、大阪って・・・と考え込んでしまう。

先日発表された「市町村別の学力テスト」の平均点を見ると、大阪府内でも、明らかに自治体によって(住んでいるところによって)学力差が見られた。そしてそれは生活水準の差(生活保護受給世帯の分布)と一致しているように思えたのだが。

こういったことを是正するのは、学力だけに目を向けていても根本的な解決にならない。正に「政治」の力が必要とされる分野ではないか。

その昔、1961年の中学の学力テスト(全数調査)に関する「学テ闘争」では、逮捕者が出るまでの様相を見せたそうだ。結局、「予算=金」に帰結する部分もあるが、著者が言うように、学力テストと武道館建設に100億円かけるなら、そのお金でもっとすべきことはあると思う。これも「事業仕分け」の題材か?

なお1130日の日経新聞朝刊では、大阪大学の志水宏吉教授が1964年の学力テストの時と現在の状況を比べて、都市部と地方との間の「都鄙(とひ)格差」から、子供と地域や家族との「つながり格差」へ移行したと指摘している。一見すると、増田さんの主張と全く同じ。ちょっと説明が違ったのは、「つながり格差」というのは「持ち家率」「離婚率」「不登校率」の3つが学力に大きな影響を及ぼしている、と。すなわち「持ち家率」が高いほど、地域に住み近隣の人との付き合いが密であり(本当かな?)、近くに祖父母や親戚がいる確率も高く「つながり」が強く、また離婚や不登校の率が高いと、家庭生活の不安定さや家族関係のゆらぎがあるため、学力を上げることができない、と。当たり前っちゃあ、当たり前のことですね。ただ「不登校」は、原因ではなく結果だと思うんだけど。「学力」は、子供が勉強すれば済むというような単純な問題ではない、ということは言えますね。

 


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(2009、11、12読了)

2009年11月30日 16:39 | コメント (0)

新・ことば事情 3758

「パチンコメーカー」

 

女優・伊藤美咲さんの結婚相手の職業の表記が、1119日の「情報ライブ・ミヤネ屋」では、

「パチンコメーカー社長」

と表現しました。でも、「パチンコメーカー」って何か違和感が・・・。

「パチンコ台メーカー」

あるいは、

「パチンコ機器メーカー」

ではないのでしょうか?「メーカー」は「モノ」を作る会社ですよね?「パチンコ」って遊戯(ゲーム)の名前でしょ?「台」の名前なのかな?そう言われると、そんな気がしないでもないけど・・。

このあたり、「新聞」はどう表記しているか?19日の新聞(一般紙・夕刊)は、

(読売・夕刊)「パチンコ機器製造会社経営の男性(41)」

(日経・夕刊)「パチンコ機器メーカー京楽産業(名古屋市)社長、榎本善紀さん(41)」

「パチンコ機器」メーカー、あるいは製造会社として、「パチンコメーカー」は使っていませんでしたが、

(朝日・夕刊)大手パチンコメーカー「京楽産業.」(名古屋市)の榎本善紀社長(41

(産経・夕刊)パチンコメーカー「京楽産業」の榎本善紀社長(41

と、「パチンコメーカー」を使っていました。

毎日新聞は19日の「朝刊」で、

(毎日・朝刊)会社経営の男性(41

と、具体的な情報を載せていませんでした。

私はやっぱり「パチンコメーカー」には、ちょっと違和感がありますね。

しかし、1123日の日刊スポーツとデイリースポーツはともに、

「大手パチンコメーカー」

でした。関係ないけど、「京楽産業」って社名のあとに「.(ピリオド)が付くんですか?朝日新聞は付けてました。付かないとダメってわけでもないようだけど、そのあたりも、気になりました。

 

(2009、11、23)

2009年11月30日 12:46 | コメント (0)

新・ことば事情 3757

「またたく」

目をぱちぱちする「またたく」は、漢字で書くと「瞬く」ですが、なんとなく、それを分解してみました。すると、

「ま・たたく」

となって、この「ま」は「目」であろうと、急に気付きました。つまり、

「目をたたく」

から、

「目(ま)たたく」

「目」を古くは「ま」と言ったのでしょう。ですから「まつげ」「まゆげ」「まのあたりに(目の当たりに)」「まぶか(目深)」「まなこ(眼)」(「な」は、「の」の意味。「きな粉」「水面(みなも)」の「な」に同じ。「こ」は接尾語でしょう)といった「ま」の付く「目」に関する言葉がたくさん残っています。

ここまで推測してから、『精選日本国語大辞典』を引きました。

「またたく(瞬)」=(「目(ま)叩(たた)く」の意。古くは「まだたく」とも)

としっかり書かれていました!やっぱり!

それにしても、古くは「まだたく」と「連濁」していたんですね。知りませんでした。これっておもしろいですね。なぜかと言うと、「連濁」というのは複合語においてその二つの語の結びつきが強くなってよく使われることで、後の語が濁るのですが、それがさらによく使われていくうちに、また濁りが取れることもあるんですね。

うーん、奥が深い現象です。

ついつい、目をパチクリと「まばたいて」しまいました。

(2009、11、23)

2009年11月27日 20:04 | コメント (0)

新・ことば事情 3756

「ナニワのジョー」

 

20091028日の各紙朝刊・大阪版は、城島健司選手の阪神タイガース入りを伝えていました。その見出しは、

(毎日)トラに新アニキ城島

(朝日)「ナニワのジョー」頼むで

(読売)城島「ファン喜ばせる」

(産経)トラ城島誕生

(日経)城島阪神入り合意「君が必要」城島応える

といったもの。毎日新聞の「新アニキ」ってのも、「アニキ=金本選手」がいるのに「新」というのもなあ・・・という気がしますが、それよりも違和感があったのは、朝日新聞

「ナニワのジョー」

です。我々世代では「ナニワのジョー」と言えば、やはりボクシングの、

「辰吉丈一郎選手」

のことです。阪神に来るからって、いきなり「ナニワのジョー」というのもなんだか・・・。競技種目が違うから良いのでしょうか?でも、それだったら「新」を付けて、

「新ナニワのジョー」

とするとか。競技種目が違うから良いのでしょうか?

まだ、この"愛称"は、ファンの間にきっちりと定着していないので、今後、城島選手の愛称がどうなるのか、注目したいと思います。

 

(2009、11、25)

2009年11月27日 19:01 | コメント (0)

新・ことば事情 3755

「不満の4発か?会心の4発か?」

 

11月18日、サッカー日本代表の今年最後となる試合、サッカー・アジア杯の香港戦がおこなわれ、日本は4対0で勝ちました。それを報じた翌日(11月19日)の新聞を見ると、次のような見出しが。

(産経)「岡田J 4発香港圧倒」

(読売)「会心4発」

(朝日)「4G締め」

J」は「ジャパン=日本代表」、そしてG」は「ゴール=得点」ですね。まあ、サッカーで4対0は、「圧勝」です。ボロ勝ちです。力の差はアリアリです。ところが、毎日新聞の見出しは、こうでした。

(毎日)「不満の4発」

ええ!?読売新聞は「会心4発」って書いてるのに、「不満の4発」?事実は、どうなのか?

「会心」か?「不満」か?

うーん、これは、

「だれが、そう思っているか」

によるんですね。岡田監督?うーん、どうでしょう。結局は、

「見出しをつけた(取材した)記者」

ではないでしょうか。その人が、

「香港相手に、こういった試合内容で4点取ったことを、どう思っているか」

ではないのでしょうか?日本代表・岡田ジャパンに、どういうものを求めているのかという姿勢の表明のような見出しでした。

 

(2009、11、24)

2009年11月27日 18:27 | コメント (0)

新・読書日記 2009_212

『ヤバイ就活』(石渡嶺司・常見陽平、PHP:2009、11、11)

2009読書日記212 

先日、半年ぶりぐらいで著者の石渡さんにお会いした時に、頂いた本。まあ、今は幸い私は「就活」には関係なく、採用にもかかわっていないので、そういう意味では「読みたい本」ではないが、せっかく頂いた本だし、世の中のことを知るためには読んだほうがいい本。しかもこれ、石渡さんと同業の常見さんという方との対談本で読みやすい。シューカツ中の大学生にとっては「OB訪問」をしているような本、と言っていいでしょう。石渡さんの本には付きものの「欄外ハミダシ記事」も「注釈」のような形であります。ただ、これ、「縦書き」なのですが、欄外「下」の「横書き」の方が読みやすい気がしたのですが・・・本の形(新書)上、仕方がないかな。本書の中で「そうだったのか」「たしかに」など感じたところは、

「最高の自己分析は海外旅行に行くこと」(常見)

「携帯電話の普及によって、大人との接点が減った」(常見)

「本当にブラックな企業はこの情報自体を詐称していることもあります」(常見)

「ブラック企業の可能性がある」(常見)

"ブラック企業"というのがあるそうですね、最近。あれ?常見さんの言葉ばかりだ・・・ゴメンナサイ、石渡さん!イジワルしているわけではないんですけど・・・。

またこんな言葉も!

「学歴ロンダリング」(208215ページ)~光文社ペーパーバックスビジネスから『学歴ロンダリング』(神前悠太・新開進一・唯乃博:200812)という本が出ており、著者の3人とも「東大の大学院」を修了=学歴ロンダリングの当事者。

《結論》過去の失敗を引きずらず、前向きに考えること。

そういうことですよ、諸君!

 


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(2009、11、18読了)

2009年11月27日 17:48 | コメント (0)

新・読書日記 2009_211

『日本のルールは間違いだらけ』(たくきよしみつ、講談社現代新書:2009、10、20)

 

こういうテーマ、好きです。私もそう思うことが、結構あるから。

別に「世界基準」とかいうヤツを振りかざすつもりはないけど、利用者本位、顧客本意の態勢・体制になっていないサービスなどを見ると、ついついプンプン怒ってしまう。そういう性分なんです、ハイ。


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(2009、10、19読了)

2009年11月27日 10:57 | コメント (0)

新・読書日記 2009_210

『暴走する「世間」で生きのびるためのお作法』(佐藤直樹、講談社+α新書:2009、7、20)

 

思えば、学生時代、まだ社会に出る前は、「世間なんてくそ食らえ!」と思っていた。でも、社会に出ると、いろいろな局面で「いろいろな世間」が姿を表す。いちいち対応するか、否か、だんだんコツがつかめてきたら、適当に「世間」を漂えるが、寄せる「世間の波」をすべて正面から受けとめていては、体がいくつあっても足りないし、すぐに吹き飛ばされてしまう。「世間の波間」を漂う方法を「処世術」という。さまざまな失敗を通じて学んでいくものだが、最近は、第一波で沈んでしまう若者も多いらしく、また波も、昔より高く荒くなっているようだ。そんな「世間の波」を泳ぎ切るための指南書が本書。あまり「世間」の目を気にしすぎないことも大切です。自分が何をやりたいのか、しっかりゴールを見据えることですね。

 

 


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(2009、11、8読了)

2009年11月26日 17:55 | コメント (0)

新・ことば事情 3754

「HILFIGER」

 

前々から気になって、でも誰に聞いたらいいのやら・・・と思っていたのが、

TOMMY HILFIGER

というブランド。この読み方が分からなかったのです。TOMMY」は「トミー」、これは問題ありません。問題なのは、

HILFIGER

です。これは「ヒルファイガー」でしょうか?「ヒルフィジャー」でしょうか?それとも「ハイルファイジャー」でしょうか?それとも・・・うーん、わからん!

ずっと悶々としていたのですが、ある日、まさにまさに、このポロシャツを着たスタッフが社内にいました!チャンスとばかり、

「ちょっと教えてほしいんだけど・・・このブランド、何て読むの?」

と聞くと、

「これですか?『トミー・ヒルフィガー』です」

とのこと。そうか、「ヒルフィガー」かあ。長年の謎が解けてスッキリ!・・・でも「ヒルフィガー」って、「TIGER」を「ティガー」と読むようなものじゃない?なんだか英語っぽくない感じが。「フィゲラ」と読むよりはマシか。あ、「ティガー」って「くまのプーさん」のキャラクターでも、いたなあ。

でもたぶん、この「ヒルフィガー」という読み方、3か月もすると、また忘れてしまう気が。ブランド名のアルファベットに、カタカナで振り仮名振ってくれないかなあ。

(2009、11、24)

2009年11月26日 10:15 | コメント (0)

新・ことば事情 3753

「列車風」

 

久しぶりに大阪の「難波(なんば)」に行きました。(心斎橋までは行くんだけど、なかなか難波まで行かないんですよねえ・・・。)「ロケット広場」のロケットが撤去されたという新聞記事を見たこともあって。確かにロケットはなくなっていました。

「ロケット広場」と言えば、なんばの「待ち合わせ場所」の定番だったのですが、最近はケータイの普及で「待ち合わせ」が減ってきているとか。つまり、

「ロケット広場のロケットの前で2時に」

「梅田のビッグマン(街頭テレビスクリーン)の右側の前で3時」

といった待ち合わせが減って、

「2時ごろ、梅田界隈で。近くまで来たら電話して」

というような、大変「アバウトな待ち合わせ」が増えたために、「待ち合わせ場所」の「目印」が必要なくなって来ている、というのです。そう言われれば、そんな気がしなくもない・・・。

さて、その「難波」。地下鉄・御堂筋線の駅で降りて、南海電車の方へ行こうと、階段を登ろうとしたときに、ホームの一番端の壁に貼ってあったポスター(というか、プラスティックの看板みたいなもの)に目が留まりました。そこには、

「列車風に注意」

と書かれていて、漢字には、

「れっしゃふう」

と振り仮名が振ってありました。「れっしゃかぜ」ではなく「ふう」!初めて目にしました、「れっしゃふう」専門用語なんでしょうか?地下鉄が、ホームからまた軌道のトンネルに入る際に巻き起こる風のことでしょう。確かに「風圧」を感じますね、地下鉄は。

でも「~風(ふう)」というのは、ふだんは、

「~のような」

の意味で使いますね。もしかしたら、

「列車風の汽車にご注意」

とか、

「列車風の電車にご注意」

とか、

「一見、列車風の自動車にご注意」

とか、そんな「ふう」に使われたりして。なんだかそんな「ふう」に聞こえかねないですね。

 

(2009、11、24)

2009年11月25日 19:56 | コメント (0)

新・読書日記 2009_209

『作詞入門~阿久式ヒット・ソングの技法』(阿久悠、岩波現代文庫:2009、9、16)

いつもとは違う大阪・梅田の書店で見つけて購入。このタイミングでなぜ「阿久悠」?とも思ったのだが。定本は1972年に出されたもの。それに1997年に出たもの(「僕の歌謡曲論」)も載せている。いろいろ、ためになるお言葉が。たとえば、

 

「詞は文学ではない」

「歌は、レコードという音を通して相手に伝えるものだということを忘れている人が多い」「これを忘れるから、"あおい"というときに"青"を使おうか"蒼"にしようか"碧"にしようかと、つまらないところで苦労をするのである。レコードを聞く人にとって、そんなことは関係ない」

 

ちょっと乱暴だけど、たしかにそうだな。

 

「いつもまでも七・五の因習にしばられていることはないと思う」

 

いまは当然だけど、37年前には、なかなか言えないことだったろう。

 

「恋と愛の使い分けができるようになったのは、ごく最近のことではないかと思う。それまでは、ほとんど同義語として使われていたようである。」

「一人称か三人称かというのも、テクニックの一つである。」

「恋は栄養ではなくヒ素のようなものというのが、日本人の恋愛感覚なのである。だから、どうしても真正面から恋に取り組んだ歌というのは陰湿におちいりやすい。」

 

そうだったのか!

 

「『また逢う日まで』は、実は、ズー・ニー・ヴーが歌った『一人の悲しみ』という歌の、詞だけをかえたものである。メロディもアレンジも、ほとんどそのまま使った。」

 

ええ!そうだったんですかあ!尾崎紀世彦さんが元祖じゃないの!?

 

「あの人は、ひきだしが多いとか、少ないとかよくいう。作詞家であるならば、絶対的にひきだしは多くなければならない。」

 

アナウンサーも、同じだと思います。

まあ、とにかく、一読の価値あり!です。「岩波現代文庫創刊10周年」のようだから、祈念して「復刊」したのかもしれません。解説は、あの「鴨下信一」さん。なんだか私が読んでいる本の著者は、同じところをグルグルしているような気がします。

 


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(2009、10、16読了)

2009年11月25日 19:02 | コメント (0)

新・読書日記 2009_208

『変幻自在~オバマ大統領は黒人か』(高山正之、新潮社:2009,8,20)

『週刊新潮』で連載しているコラム「変幻自在」の、ここ1年ほどのものをまとめたもの。そうとは知らずに「オバマ大統領は黒人か」というタイトルと表紙の絵につられて購入。読み始めてから「しまった!」と思ったけど、もう後の祭。「変幻自在」をもっと大きく書いておいてほしかった。内容は・・うーん、ここまで断定的にバッサバッサと斬っていくと、同じ考えの人は「爽快」なんだろうけど、ちょっと違う考えの人から見ると、「なぜ、一面的な見方しかしないのだろうか」と不思議になります。

 


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(2009、11、16読了)

2009年11月25日 18:54 | コメント (0)

新・読書日記 2009_207

『腹が立つ常用国語』(上田靖夫、文芸社:2007、7、15)

 

たしか去年だったか、東京出張の時に立ち寄った本屋さんで見つけて購入したのだった、と思う。「文芸社」って、自費出版とかしているところだっけ?読みやすい感じだったので買ったのだが・・・。

 

うーん、これは・・著者は確かにタイトルどおり「腹が立つ」っているのだろうけれど、共感を得られる腹の立て方かと言うと、ちょっとどうかなあ・・という感じで・・・。

 

特に、もう昔からある「童謡の歌詞」にまで文句を言うのは、筋が違うような。和文特許明細書の英訳経験36年というベテラン(昭和15年生まれ)の方なんだけど・・・。どうにも「・・・」の多い感想になってしまいました。


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(2009、11、15読了)

2009年11月25日 16:51 | コメント (0)

新・ことば事情 3752

「リトルピープル」

 

『名言の正体~大人のやり直し偉人伝』(山口智司、学研新書:200984という本を読んでいたら、発明王・エジソンの言葉として、

「生まれたての頭脳ほどリトルピープルにとって住みやすい場所はない。つまり、年が若いほど、リトルピープルの声に耳を傾けることができる。」

というのが出てきました。

「リトルピープル」

というのは、

「ネイティブアメリカンの間で語り継がれている『妖精』」のこと」

なんだそうです。これを読んで「あっ!」と思ったのは・・・そうです、今年の夏に読んだ村上春樹の『1Q84』あの小説にも「リトルピープル」が出てきたのを思い出したのです。小説では「リトルピープル」を謎の存在として描いていて、まさに村上ワールドに時々現れるキャラクターだなあと思っていたのですが、もしかしたらそのルーツは、この「妖精」にあるのかもしれないな、そしてエジソンの言葉にあるのかも・・・と思ったのでした。

 

(2009、11、13)

2009年11月25日 15:12 | コメント (0)

新・ことば事情 3751

「小沢ガールズ」

2009911日に名古屋で開かれた新聞用語懇談会放送分科会の席で、

『「小沢ガールズ」「小沢チルドレン」の使い分けは?』

という質問が出ました。各社の対応としては、

(A社)「小沢ガールズ」は、「チアガール」みたいな印象があるため使わないように政治部から要請があった。

(B社)「ガールズ」は女だけの場合。「チルドレン」なら男女。

(読売テレビ)「チルドレンたち」という表現が時々出てくるので、「『たち』はいらない。『チルドレン』が既に複数形だ」と指導している。

といった意見が出ました。その中で、系列の日本テレビは特にコメントがありませんでしたが、916日の「ラジオテレビ欄」の日本テレビ『おもいっきりDON』の中で、

「小沢ガールズ登院直撃」

「小沢ガールズ」を使っていました。

また、916日の産経新聞朝刊では、カギカッコ付きで、

「小沢ガールズ」

を使っていました。同じく916日のフジテレビの「鳩山新内閣組閣特番」では、やはりカギカッコ付きで、

「小沢チルドレン」

の方を使っていました。

(2009、9、16)

(追記)

「小沢ガールズ」「2009年流行語大賞」にノミネートされているようです。大賞の発表は、12月1日です。

 

(2009、11、25)

2009年11月25日 12:48 | コメント (0)

新・読書日記 2009_206

『本業』(浅草キッド・水道橋博士、文春文庫:2008、3、10)

 

「情報ライブミヤネ屋」の月曜日にご出演いただいている水道橋博士の本。文庫本になってから初めて読んだが・・・、これはおもしろい!そして博士、文章がものすごく"うまいっ!!"と感動しましたよ、わたしゃ。

内容は、いわゆる「タレント本」の「書評」である。しかしただの「書評」ではない。ここに出てくるほとんどの本の著者=タレントと、博士は面識があったり交流がある。つまり「書評」をしながら、著者の「評伝」を書いているような、大変貴重で珍しい本なのである。先日、「ミヤネ屋」に出演された帰りの博士に、

「『本業』の文庫本、読ませていただきました!とてもおもしろかったです!」

と言うと、

「そうでしょ。あれは書評であると同時に、データバンクでもあるんですよ、その人の。だから、"使いで"がありますよ」

と話していらした。おっと、この「読書日記」も、すでに『本業』の影響を受けた書き方になっているではないか・・・ムムム、恐ろしい本だ、この本は!これ、文句なしの「五つ星」です!!

 

 


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(2009、11、3読了)

2009年11月24日 19:51 | コメント (0)

新・ことば事情 3750

「塩芋けんぴ」

先日、出張で高知に行ったお土産に、

「塩芋けんぴ」

なるものを買ってきました。「芋けんぴ」は高知の特産品なんだそうです。何度も高知に行っているのに、知らなかった!

普通の甘い「芋けんぴ」もあったのですが、「塩」というのが珍しいので買って帰りました。で、家で開けて家族で食べると・・・・・・家族いわく、

「甘くない」

「おいしくない」

たしかに・・何か期待はずれ・・・「でも!」と思ったのです。

「『芋けんぴ』だと思って食べるから、甘くなくておいしくない、つまり『期待はずれ』だが、『ちょっと変わった形のポストチップスだ』と思って食べると、うまい!」

のです。その旨、家族に言ってみて食べたところ、家族も、

「ポテトチップスだと思えば、うまい」

というのです。

おもしろいなあ。形状から期待される味、というのがあるのかなあ?「視覚」と「味覚」の関連付けと、その枠組みから味覚が逸脱した場合の感覚というは?このあたり、おもしろいですよね。だれか、ぜひ調べてみてください!

ところで、「芋けんぴ」の「けんぴ」ってなんだろう?

「乾皮」

なのかな?辞書(『精選版日本国語大辞典』)を引いてみると、どうやら、

「犬皮」

のようです。ええ!犬の皮?

「犬皮」=(2)干菓子の名前。小麦粉に卵、砂糖などをねりあわせてのばし、短く切って両面から焼いたもの。「松風」の一種で、土佐国(高知県)赤岡の名物。

として、文献は何と15世紀!600年前には既に土佐の名物だったのですね、「犬皮」は!「小麦粉」の代わりに「お芋」を使うから「芋けんぴ」なのか!?それにしても「犬の皮」かあ・・・・ちょっと複雑な感じがしました。平仮名で書いたほうがよさそうですね、「けんぴ」。「県費」ではありません。

(2009、11、23)

2009年11月24日 19:44 | コメント (1)

新・ことば事情 3749

「密かに増えた人名用漢字」

知ってる人はみーんな知っているが、知らない人はだーれも知らない。しかも知っている人がとても少ないのが、「人名用漢字の追加」です。

「人名用漢字」とは、常用漢字以外で人の名前に使うことが出来る漢字のことで、1951525日に92字が制定され、その後、

1976730日に28字追加(計120字)

1981101日に常用漢字に取り入れられた8字削除・54字追加(計166字)字体の変更などもあった

199031日に118字が追加(計284字)

1997123日に1字(琉)追加(計285字)

2004223日に1字(曽)追加(計286字)

200467日に1字(獅)追加(計287字)

2004712日に3字(毘、瀧、駕)追加(計290字)

2004927日に、許容字体の205字と488字追加(計983字)

長い間300字足らずだったのに、5年前に一気に983字」に増えました。その983今年の4月30日、2文字増えて「985字」になっていたのです、しかもこっそりと!

それに気付いたのは、もう半年前になりますが、5月の新潟での新聞用語懇談会総会の前日、三省堂の辞書のサイトをのぞいていたら、「人名用漢字」に関して"驚くべきこと"が載っていました。京都大学の安岡孝一先生のコラムが載っていて、それによると、

430日付で、法務省は新たに人名用漢字として『祷』『穹』の2字を認めた」

というのです。会議に出席していた80人あまりの用語委員の中でこのことを知っていたのは、新聞協会の用語コンサルタントの金武さんだけでした。プレス・リリースもされていないのです。

法務省(の大阪事務所)に確認すると、たしかにその通りでした。法務省のサイトも確認しましたが、「新たに増やした」というコメントはどこにも載っておらず、まさに「こっそりと」増やされていました。

 

実は「祷」に関しては異体字で"本字(正字)"の「示偏に壽」の漢字があるので、「祷」という"略字体"が人名用漢字に加わったことによって、「1字種2字体」がまた増えてしまったのです。困ったもんだ・・・。

法務省は隠そうとしてコソコソしているのですかね?

新常用漢字で増える漢字の根拠として、文化庁は「人名用漢字の字体に含まれている」というような事も言っているようですが、裁判で負けるたびにチョットずつ(あるいは一気に)増える続ける人名用漢字(人名用漢字に罪はないと思いますが)を、新しい常用漢字の根拠にするのは、本末転倒だという気がするのですが、いかがでしょうか?

「平成ことば事情1710 人名漢字」もお読み下さい。

 

(2009、11、16)

2009年11月24日 13:23 | コメント (1)

新・読書日記 2009_205

『新型インフルエンザはなぜ恐ろしいのか』(押谷仁・虫明英樹、NHK出版生活人新書:2009、9、10)

2009読書日記205NHK記者の虫明氏が、東北大学大学院の押谷教授に話を聞いていく形の対談本。押谷教授は、WHO西太平洋地域事務局でSARSや新型インフルエンザの国際的な対応の指揮を執った専門家。今回の「新型インフルエンザ」は、春の時点で日本で騒がれた後は、夏に向けて報道が沈静化したが、着実に冬に向けて進行していると警鐘を鳴らす。報道にも問題はあるだろうが、やはり政府がどう危機対策の舵取りをするかといことが重要なのではないか。自民党政府から民主党政府に「チェンジ」したことで、対応はよりうまくいくのか?まさに「国民の命」を預かっているのは、現政府である。

また、57ページに「ヒトーヒト感染」と出てくる。これは「フェーズ4」。「フェーズ」の概念が導入されたのは2005年から。N5H1のような高病原性にはあてはまるが、今回の新型インフルエンザのようなものには馴染まない、のだそうだ。

 

 


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(209、11、2読了)

2009年11月24日 12:15 | コメント (0)

新・読書日記 2009_204

『ぼくらの頭脳の鍛え方~必読の教養書400冊』(立花隆・佐藤優、文春新書:2009、10、20第1刷・2009、10、30第2刷)

 

帯には「『知の巨人』と『知の怪物』が空前絶後のブックガイドを作り上げた。」という文字とともに、二人の写真が。まるで大相撲の二人の親方の取り組み前のような感じ。まさに「読書に対する横綱」同士の対戦という感じ。

300ページを超える分厚い新書だが、そのうち半分ぐらいは、両者が200冊ずつ紹介した本のガイド(合計400冊!)なので、「二人の対談部」分は、思いのほか少ない。が、中身は充実している。立花隆に関しては『ボクはこんな本を読んできた』などのブックガイドを昔読んでいるので、「もう、いいかな」と思ったのだが、この本の「肝」は、二人の対談にある。

特に佐藤優氏の話は、一読の価値がある。たとえばイスラエル軍は、不登校の高校生でゲームオタクの少年たちを集める施設を作り、そこでひたすらTVゲームをさせていると。何のためかというと「無人飛行機を操縦させる」ため。その無人飛行機で、武装組織ヒズボラの家を一軒ずつ爆撃していく・・・・リアルな感覚を持たない戦闘が展開されるというのだ。こういった「えええっ!」という話がたくさん出てくる。また、早稲田大学でも教鞭をとっている佐藤氏によると、最近の大学院では「学歴ロンダリング」というものが行われているという。これは「それほど難易度の高くない大学」を出た人が、東大や早慶などの有名大学の「大学院」に入り、最終学歴をその有名大学にする、というものらしい。大学院と聞くと、大学よりも上に位置して「難しいんだろうな」と思うが、実は最近の大学院は、大学よりも入り易かったりすることもあるらしく、最終学歴の名前ほしさに、そういった大学院に入ることを「学歴ロンダリング」と言うのだそうだ。知らなかったなあ・・・。世の中、いろいろなことが起きているということです。

 

 


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(2009、11、3)

2009年11月23日 17:49 | コメント (0)

新・ことば事情 3748

「愛好家」

 

115日の「ミヤネ屋」で、電子レンジで温めるタイプの「湯たんぽ」が、間違った使い方をすると爆発する危険があるということニュースの予告スーパーで、

「愛好家必見」

という文字が。え?湯たんぽの「愛好家」?何だかおかしいですよね。ここで言いたかったのは、おそらく、

「湯たんぽをよく使う人」

ということでしょうから、それなら、

「愛用者」

でしょうね。「湯たんぽ愛好者」というと、

「本来の目的ではないことに湯たんぽを使っていそう」

な感じです。「音楽愛好家」「コーヒー愛好家」などとは「愛好家」を使いますけどね。

「愛好者」というのは、どちらかというと、

「"それ"の"実用ではない部分"に興味をもって、集めたり、眺めたり、触ったりする人」

のことではないでしょうか?もちろん、それに限定はされないのですが。それに対して「愛用者」は、

「その本来の目的にそった使用方法で、頻繁に利用する人」

を指すような気がします。

 

(2009、11、16)

2009年11月23日 17:45 | コメント (0)

新・読書日記 2009_203

『無印ニッポン~20世紀消費社会の終焉』(堤清二・三浦展、中公新書:2009、7、25)

堤清二さんの話は聞いてみたいと思ったが、三浦展さんは「もういいかな」と思って手に取らなかったのだけど、実は三浦さんは、もともとセゾングループの「パルコ」に就職していた。つまり当時だと「社長と新入社員(平社員)」、まったく接点がなかった、「天と地」ほど社会的身分に(年齢も)差があったのに、2009年の今、こうして対等な立場で「対談」できるなんて、凄いことだなあ、時代の流れと言うものは・・・と感じて手に取って見たら、これが、なかなか!

「これ『が』いい」の時代から「これ『で』いい」の時代へ、そのさきがけが「無印良品」の「思想」であったと。時代を「半歩」どころか二・三歩先に行き過ぎていた堤清二=セゾングループの、一つの栄枯盛衰のようなもの、そのバックボーンを知るのに恰好の一冊。しかもそれは、高度経済成長の後の日本の姿を映し出すものと言える。

 

 


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(2009、10、9読了)

2009年11月23日 12:44 | コメント (0)

新・読書日記 2009_202

『2030年メディアのかたち』(坪田知己、講談社現代プレミアPB:2009、9、25)

 

帯には「新聞・テレビだけじゃない、グーグルも消滅!その先にある『究極のメディア』とは?」

と、マスコミ人としては、とっても食指が動くタイトルが。講談社の「現代プレミアPB」というのは初めて読みました。新書サイズで分厚い。ペーパーバックスなんですね、PBというのは。

著者は1949年生まれの日経新聞記者で、電子メディア関係にも詳しく、慶応大学の特別研究教授でもある人だそうです。たぶんこれ、大学のテキストとしても使われているのでしょうね。著者によると、これまでのメディアは「一対多」(テレビなど)、「多対多」(グーグル)だったのが、これからのメディアは「多対一」型になるとのこと。うーん、それはメディアとしては成り立っても「商業メディア」というのが成り立つのか?と疑問が。詳しくは本書をお読み下さい。

 


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(2009、11、5読了)

2009年11月23日 10:22 | コメント (0)

新・読書日記 2009_202

『2030年メディアのかたち』(坪田知己、講談社現代プレミアPB:2009、9、25)

 

帯には「新聞・テレビだけじゃない、グーグルも消滅!その先にある『究極のメディア』とは?」

と、マスコミ人としては、とっても食指が動くタイトルが。講談社の「現代プレミアPB」というのは初めて読みました。新書サイズで分厚い。ペーパーバックスなんですね、PBというのは。

著者は1949年生まれの日経新聞記者で、電子メディア関係にも詳しく、慶応大学の特別研究教授でもある人だそうです。たぶんこれ、大学のテキストとしても使われているのでしょうね。著者によると、これまでのメディアは「一対多」(テレビなど)、「多対多」(グーグル)だったのが、これからのメディアは「多対一」型になるとのこと。うーん、それはメディアとしては成り立っても「商業メディア」というのが成り立つのか?と疑問が。詳しくは本書をお読み下さい。

 

 


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(2009、11、5読了)

2009年11月23日 10:21 | コメント (0)

新・読書日記 2009_201

『Dr.コトー診療所1~23』(山田貴敏、小学館:~2009、10、5)

マンガの単行本って、軽いけど結構かさばるんです。で、

「もう、これは読んだし、処分しようかな・・・」

と思って、

「でも、新古書店に売る前に、もう一度だけ読んでおこう!」

と読み出したら・・・やっぱりいいよなあ、「Dr.コトー」!

何回か、ウルウルしてしまいました。

結論!やっぱりこれはまだ処分できない!置いておきますっ!!・・・これだから部屋が片付かないわけだ・・・。


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(2009,11,18)

2009年11月19日 20:17 | コメント (0)

新・読書日記 2009_200

『2円で刑務所、5億で執行猶予」(浜井浩一、光文社新書:2009、10、20)

著者の浜井浩一氏は、京都の龍谷大学教授だそうだ。どこかで見たことのある名前だなあと思ったら、以前にこの人が書いた本を読んでいた。

本書は大変キャッチーな(そして底が浅そうな)タイトルだが、それに関しては著者自身が「はじめに」で、「編集者が、売れそうなタイトルを付けた」とタネばらしをしている。そうだろうな。タイトルとは違って、内容は固めの、ちゃんとした本である。

「2円で刑務所」というのは、シャバで暮らして行けないから、たった2円の「窃盗」で刑務所に戻る人のこと、そして「5億円で執行猶予」というのは、言わずと知れた「TK」である。そう言ってしまうとなんだかなあ・・・人間、お金の金額だけで割り切れるものじゃないし、それは法律の世界でも同じか。不公平と考えるかどうかは、背景を知らないとなんとも言えないもんなあ。


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(2009,10,22)

2009年11月19日 20:10 | コメント (0)

新・ことば事情 3747

「自作自演と狂言」

大阪・中之島で起きた「殺人未遂事件」、実は届け出た会社員の「ウソ」の申告であったことが分かったという記事が、2009115日の朝刊各紙に載っていました。その見出し

(読売)中之島の刺殺は会社員のウソ

(朝日)「刺された」虚偽申告容疑

(毎日)殺人未遂は自作自演

(産経)キタの殺人未遂事件虚偽申告で書類送検

(日経)「刺された」とウソ申告の疑い

 

本文では、

(読売)「男に刺された」とうそを言ったとして

(朝日)申告がうそだったとして

(毎日)男の自作自演だったとして:「とっさにうそをついてしまった」

(産経)うその被害申告をしていたことが分かり

(日経)うそを申告したとして

 

「自作自演」を使ったのは毎日新聞だけでした。「狂言」1社もありませんでした。

また、見出しではカタカナの「ウソ」が2平仮名の「うそ」は0社本文では、カタカナの「ウソ」は0社、平仮名の「うそ」が5社(全社)と、見出しと本文で「ウソ」と「うそ」を使い分けしているようですね。

(2009,11,16)

2009年11月19日 20:03 | コメント (0)

新・ことば事情 3746

「バレンタイン監督の挨拶とひげそりのコマーシャル」

ロッテのボビー・バレンタイン監督が、今季限りで退団するので、最終戦を前に地元の千葉マリーンスタジアムで、挨拶を「日本語で」行いました

それを聞いていて思い出したのが、

「昔のひげそり(カミソリ)のコマーシャル」

で、外国人が出てきて、ヒゲを剃ったあとに、

「ウーン、キレテナーイ(切れてない)」

日本語で言うもの。

最近のコマーシャル<ジレット>では、

「切れにくい」

メジャーリーガー・松坂大輔投手が登場してしゃべっていますが。)

その昔のコマーシャルを思い出したのです。当時はこのコマーシャルが結構、流行っていて、まだヒゲも生えていない小学生時代、みんなこのコマーシャルの真似をして、

「ウーン、ソレテナーイ」

なんて、やっていました。それじゃあ、ダメじゃん。

なんでだろ?なんで外国人、それも欧米人の話す日本語って同じような訛りがあるんだろ?外人さん日本語。

おそらくこれは、母音の影響だと思うのです。日本語と英語では母音が違うので、いくらローマ字で書かれた日本語の文章を読んでも、やはり欧米人が読むと、

「英語訛りの日本語」

になってしまうのでしょうね。

ただ、そうまでして「日本語で」日本人のファンに向けてメッセージを発したいという、バレンタイン監督の「気持ち」は、十二分にファンの皆さんの心に届いたと思いますよ。監督、お疲れ様でした!

 

(2009、11、10)

2009年11月17日 21:12 | コメント (0)
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『2円で刑務所、5億で執行猶予」(浜井浩一、光文社新書:2009、10、20)

 

著者の浜井浩一氏は、京都の龍谷大学教授だそうだ。どこかで見たことのある名前だなあと思ったら、以前、この人が書いた本を読んでいた。

本書は大変キャッチーな(そして底が浅そうな)タイトルだが、それに関しては著者自身が「はじめに」で、「編集者が、売れそうなタイトルを付けた」とタネばらしをしている。そうだろうな。タイトルとは違って、内容は固めの、ちゃんとした本である。

「2円で刑務所」というのは、シャバで暮らして行けないから、たった2円の「窃盗」で刑務所に戻る人のこと、そして「5億円で執行猶予」というのは、言わずと知れた「TK」である。そう言ってしまうとなんだかなあ・・・人間、お金の金額だけで割り切れるものじゃないし、それは法律の世界でも同じか。不公平と考えるかどうかは、背景を知らないとなんとも言えないもんなあ。

 

 

(2009、10、22)

2009年11月17日 20:43 | コメント (0)

新・読書日記 199

『食ショック』(読売新聞「食ショック」取材班、中央公論新社:2009、7、10)

本のタイトルはダジャレっぽいが、中身は真剣なものです。

2008年に読売新聞紙上で連載され、話題を呼んだシリーズをまとめたもの。道理で、ほとんど読んだことがある記事。ものすごく既視感があって、「あれ?これって読んだよな」というところが随所にあったので、飛ばし読みした。たぶんシリーズの記事はほとんど、新聞掲載時に読んだことがあると思う。でも、まとめて読むことで全体像が浮かび上がることもあるし、シリーズ企画としてはとても意義のある、良いシリーズだと思いました。「食」の問題は「国防」の問題でもあるし、今後の日本の生きる道を考える上でも、また人間の「生活」を考える上でも大切なことです。


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(2009、11、02読了)

2009年11月17日 12:46 | コメント (0)

新・ことば事情 3745

「『彷彿させる』か『彷彿とさせる』か」

関西テレビのIアナウンサーから、

「後輩から聞かれて答えに窮したことがありまして・・・。」

という質問のメールが来ました。それによると、

「思い起こさせるという意味で『彷彿とさせる』『彷彿させる』と言うが、どちらの使い方が正しいのか?現状は二つとも流通しているように思われ、一方は間違いだとしている辞書も無いようだ。ただ、もともとはどちらかが正解だったはずとも思えるのだが・・・。」

という内容。こんな返事を書きました。

『結論から言うと「どちらもOK」ですが、一応、辞書を引いてみましょう。

日本最大の国語辞典『日本国語大辞典』の電子辞書版を引くと、「髣髴・彷彿」は、1番得目の意味は「形動タリ」とあって、

「よく似ていること。またそのさま。そっくりなさま」

とあります。用例として「本朝分粋」という1060年ごろの用例(ただし漢文)があり、もう一つの用例は180711年の「読本・椿説弓張月」から、

「面影も又彷彿たり」

というのがあります。

いま、わたしたちが使うのは、2番目の意味で載っている「彷彿する」の形で使われるもので、これの意味は、

「ありありと眼前に見えること。はっきりと脳裏に浮かぶこと。また、そのさま。」

ですよね。こちらの方の用例は、1707年「童子問」というのがありますが、これも漢文。現代文での用例は1901年、森鴎外・訳の『即興詩人』で、

「この笛の音は、我に髣髴としてその面影を認めしめたり」

とあります。ここでは「髣髴と(して)」と「と」が入る形で森鴎外は使っています。

また『デジタル大字林』では1番目に

「名詞」スル

とあって、用例は、

「往時を彷彿させる」

「ミイラに因って埃及(エジプト)人を彷彿する」(夏目漱石『吾輩は猫である』)

というのが出ています。漱石は「と」が入らない「彷彿する」なのですね。

文豪の間でも使い方が分かれています。

『広辞苑』を引くと、用例は、

「故人に彷彿たり」

「旧時を彷彿させる」

「過去が彷彿としてよみがえる」

と、「彷彿させる」「彷彿として」という「と」が入らない形と、入る形が、両方載っています。

『新明解国語辞典』 の用例は、

「兄の笑顔に父のおもかげが髣髴とする」

「故人に髣髴たるものがある」

「昔日の栄華を髣髴とさせる遺品の数かず」

「在天の霊 髣髴として来(キタ)り享(ウ)けよ」

とあります。全部「文語」のおもかげがあり「タリ形容動詞」の形を重んじて「と」が入っています。

『三省堂国語辞典』では「彷彿」は(形動タルト・自他サ)とあり1番目の意味の「よく似ているようす」の方の用例は、

「故人(のおもかげ)に彷彿としている」

そして2番目の意味の「そこにないものが目の前にあらわれたように感じ・られる(させる)こと」の用例は、

「作家の姿勢を彷彿させる」

とあり、意味により、形容動詞の「タリ」の方は「と」を伴い、動詞の「する」がつく形では「とさせる」とはせず「彷彿する」の形にしているようです。

 

以上見てきたところから判断すると、もともとは1番目の意味で使われる形で「彷彿たり」だったので、活用させても「彷彿と」だったのが、動詞で2番目の意味で使われるようになる中で、「と」が脱落して「彷彿する」「彷彿させる」という形になってきたのではないかと考えますが、いかがでしょうか。

また「させる」の場合は「彷彿させる」と「と」が入らず、「する」の場合は「彷彿とする」と「と」が使われているようでもあります。(用例の中には例外もありますが)

こんなところです。

それでは、また何かわかりましたら、お知らせします。』

ということですが、納得してもらえたかな?

 (2009、11、5)

(追記)

同じ質問内容のものを『三省堂国語辞典・第6版』の編纂者で早稲田大学非常勤講師の、

飯間浩明さんに送って教えを乞うたところ、以下のような返事が返ってきました。

****************************************

「髣髴(と)させる」はややこしいですね。これは、環境によって、どちらかしか使えない場合と、両方使える場合とがありそうです。

 

(1)まず、「髣髴として」と副詞的に使う場合は「と」が入ります。

・江分利の前に昭和12年の神宮球場が彷彿としてあらわれてくる。(山口瞳「江分利満氏の優雅な生活」)

のような場合ですね。「髣髴して」にはならないでしょう。

 

これは「憤然として部屋を出る」「揚々として引き上げる」などと同じ語構成です。「憤然して」「揚々して」と言わないのと同様です。

 

(2)「~を髣髴する」のように、「~を(ありありと)眼前に見せる」の意味で使う場合は「と」は入りません。

・家全体の表情はたしかに、アレキサンドゥルの最後に見た表情を髣髴している。(森茉莉「甘い蜜の部屋」)

 

これは「表情を再現する」「表情を暗示する」などと同じ語構成です。「表情を再現とする」「表情を暗示とする」と言わないのと同様です。

 

(3)「~が髣髴する」のように、「~が(ありありと)眼前に見える」の意味で使う場合は、両方ありのようです。

(a)わが世の春を謳っていた情景が、眼前に髣髴としてくる思がするではないか。(中山義秀「芭蕉庵桃青」)

(b)当時の日本人にとって、きいただけでも、白く光ったおまんまが限前にほうふつする(てるおかやすたか「すらんぐ」)

 

これは、(a)「髣髴と+する(タリ形容詞+スル)」の場合と、(b)「髣髴する」という自動詞の場合の2つがあるからです。なお、この(3)は、使役形にすると、(a)は「~を髣髴とさせる」、(b)は「~を髣髴させる」になります((2)の「~を髣髴する」と似ていますが、語構成は違います)。

 

(道浦が示した)辞書の用例を、上記(1)(3)に当てはめてみると、

 即興詩人「髣髴としてその面影を認めしめたり」→(1)

 吾輩は猫である「埃及(エヂプト)人を髣髴すると」→(2)

 「往時を髣髴させる」→(3b)(「往時を髣髴する」なら(2)

 「旧時を髣髴させる」→(3b

 「過去が髣髴としてよみがえる」→(1)

 「兄の笑顔に父のおもかげが髣髴とする」→(3a)

 「昔日の栄華を髣髴とさせる遺品の数かず」→(3a)

(「栄華を髣髴する遺品」なら(2)

 「在天の霊 髣髴として来(キタ)り享(ウ)けよ」→(1)

 「作家の姿勢を彷彿させる」→(3b)

となり、きれいに分かれています。『三省堂国語辞典』では、このあたりの説明はあやふやですね。改善すべきです。

****************************************

ということで、見事に「と」がある場合とない場合の分類(区別)をしてくださいました。

飯間さん、ありがとうございました!

                                          (2009、11、6)

2009年11月 7日 15:49 | コメント (0)

新・ことば事情 3744

「スリリンガル」

『ハーフはなぜ才能を発揮するのか~多文化多人種時代ニッポンの未来』(山下真弥、PHP新書:20091030という本を読んでいたら、

「三カ国語を話すスリリンガル」(67ページ、114ページ)。

という表現が出てきました。初めて聞きました「スリリンガル」。3か国語だから「スリー」で「スリ」ですか?本当?

「トリリンガル」あるいは「トライリンガル」

ではないのでしょうか?2か国語の場合は、

「バイリンガル」

でしょ、「トゥーリンガル」じゃないし。

Google検索(1030日)してみたら、

「スリリンガル」=38

「トリリンガル」=16600

「トライリンガル」=32100

「マルチリンガル」=116000

でした。やっぱり「スリリンガル」はほとんどありませんね。

                                          (2009、10、30)

2009年11月 7日 15:48 | コメント (0)

新・ことば事情 3743

「女が在籍したことは一切ない」

112日、日本テレビの「ニュースゼロ」を見ていたら、例の34歳結婚サギ女のニュースで、34歳の女が在籍していたと言っていた大学院が取材に答えて曰く、

「女が在籍したことは一切ない」

と伝えていました。しかし、この大学は、

「女子栄養大学大学院」

なのです。これっておかしくない?

「『男』が在籍したことは一切ない」

ならわかりますが・・・。

「女しか在籍していない」

はずではないのでしょうか?本当は、

その(あるいは、この)女が在籍したことは一切ない」

と言うべきところだったんでしょうね。これは大学側がそうコメントしたのではなく、伝える側(テレビ局側)の表現がまずかったということではないでしょうか。

ちょっと笑ってしまいました。

                                          (2009、11、7)

2009年11月 7日 15:46 | コメント (1)

新・ことば事情 3742

「オリーブ油の読み方」

1013日の「ミヤネ屋」の名物コーナー「スパルタ料理塾」で出てきた、

「オリーブ油」

を、VTRの中で、ヒゲの林先生

「オリーブあぶら」

と言ったのですが、ナレーターのNさんは、

「オリーブゆ」

と読みました。このほか、

「オリーブオイル」

という言い方もあります。一体どれが正しいの?

NHK日本語発音アクセント辞典』には、

「オリーブゆ」

しか載っていません。さすがNさん!

関西人は「○○油」を「あぶら」と言う傾向が強いようです。似たようなものに、

「サラダ油」

があります。これも言い方が分かれますね。前出のNHKアクセント辞典』ではこちらは「サラダオイル」

しか載っていませんが、

「♪日清、サラダーゆ、セッ・ト♪」

CMの影響でか、

「さらだゆ」

と言う傾向が強いような気が・・・。それにしても「油」はむずかしい・・・平成ことば事情2961「サラダ油」もお読み下さい。

(2009、11、6)

2009年11月 7日 15:44 | コメント (0)

新・ことば事情 3741

「三つ星か?三ツ星か?」

1013日、「ミヤネ屋」スタッフのMさんから質問。「ミシュランガイド」のスーパーで、

「『三つ星』でしょうか?それとも「三ツ星」でしょうか?」

調べてみると、「ミシュランガイド」の帯には「三ツ星」と大きい「ツ」を使っているようですが、『読売スタイルブック2008では、「三つ~」という時には平仮名の大きい「つ」を使うようですので、「平仮名」にしました。関西テレビ、日本テレビも、

「三つ星」

でした。読売テレビの『情報ネットten』は、なぜか、洋数字を用いて、

「3つ星」

でしたが。

「ミシュラン・ガイド京都・大阪編」で出てきた「三つ星」の表記。10月14日の朝刊各紙を見てみたら、一般紙・スポーツ紙、すべて、

「三つ星」

でした。ちょっと前の資料では、今年7月の日経新聞が、

「3つ星」

という表記を使っていたことがありました。ちなみにGoogle検索(1014日)では、

「三つ星」=802000

「3つ星」=999000

「三ツ星」=904000

「3ツ星」= 82400

でした。ネットの傾向は「3ツ星」以外は拮抗(きっこう)していますね。

平成ことば事情2192「四つ星」もお読み下さい。

また、本物の「ミシュランガイド」では「☆」マークではなく、「*」みたいなマークの「星」でした。

                                          (2009、11、6)

2009年11月 7日 15:43 | コメント (0)

新・ことば事情 3740

「元女優」

1026日、初公判で職業をきかれ、

「無職です」

とこたえ、懲役1年6か月を求刑された酒井法子被告。それを報じた当日のケータイのニュースを見たら、酒井被告の職業名が、次のようになっていました。

<読売>元女優

<産経>女優

<朝日>女優

<共同通信>女優

 

けさ(1027日)の朝刊各紙の「酒井法子被告」の「肩書=職業名」ですが、

<読売>元女優

<産経>元女優

<毎日>元女優

<朝日>タレント

<日経>女優

 

でした。「元女優」と「元」をつけたのは、昨日の裁判で酒井被告が「無職です」と言ったことを受けてなのでしょうか?なお、読売テレビの原稿では、肩書というか職業名はついていませんでした。

                                          (2009、11、6)

2009年11月 7日 15:42 | コメント (0)

新・ことば事情 3739

「『園遊会』のアクセント」

1023日の日本テレビ『ニュースゼロ』を見ていたら、秋の園遊会の模様を伝えていました。その際に、鈴江奈々アナウンサーが「園遊会」を、

「エ/ンユーカイ」

「平板アクセント」で読んでいましたが、これは違和感がありました。とても軽い感じ。

「~会」

という形の言葉はもともとは、

「○/○○\○カイ」

という「中高アクセント」だったはずです。つまり、

「同窓会」「幹事会」「同期会」「二次会」

といったものは、

「ド/ーソ\ーカイ」「カ/ンジ\カイ」「ド/ーキ\カイ」「ニ/ジ\カイ」

のように「中高アクセント」だったのですが、最近はこういったものも「平板化」して、

「ド/ーソーカイ」「カ/ンジカイ」「ド/ーキカイ」「ニ/ジカイ」

と読まれるようになってきています。しかし「園遊会」は、やはり優雅に「中高アクセント」で、

「エ/ンユ\ーカイ」

と読んでほしいところ。『NHK日本語発音アクセント辞典』には「中高アクセント」しか載っていませんでした。

                                          (2009、10、26)

2009年11月 7日 15:41 | コメント (0)

新・ことば事情 3738

「小学校の授業参観にて」

小学6年生の息子の学校の授業参観に久々に出ました。2年ぶりぐらいかな。もう「授業参観」なんておそらく中学に入るとないだろうし、最後のチャンスかなと思って。

5時間目は「社会」の授業でした。若い男性の担任の先生が、開口一番、

「はい、きょうは著作権について学びます」

え?小学校の社会科で、「著作権」?テレビ局じゃないんだから、と思わず突っ込みを入れそうになりました。案の定、

「著作権って、なんのことか知っている人?聞いたことある人?」

と先生が尋ねると、手が上がった子どもは「ゼロ」でした。

その後、パソコンの動画映像を使ったり、いろいろと「著作権」について授業が進みます。

内容や教え方には「どうかな」と思うところもありましたが、小学6年生に「著作権」という言葉を覚えさせ、「大体、どういうことなのか」という「興味」を持たせるという意味では、一定の成果のある授業だったと思います。

キンコンカンコン。

授業が終わりました。先生が、こう言いました。

「はい、次回は、肖像権についてやります!」

・・・・やっぱりちょっと、難しすぎるんじゃない?子どもが興味あるんかなあ・・・と、少し疑問に思うとともに、

「最近の小学校ってのは、こうなっているのか!」

と大いに驚かされました。授業参観、行ってみるものですね。ちなみに教室内は「おかあさん」ばかりで、「おとうさん」は、私ひとりでした。

                                          (2009、10、22)

2009年11月 6日 15:40 | コメント (0)

新・ことば事情 3737

「最速か最短か?」

1014日、2045年開業予定の東京―大阪・リニア中央新幹線」の話題で、当初原稿・スーパーともに、

「最短67分」

と出しましたが、読売新聞の朝刊の見出しは、

「最速67分」

だったことから、スーパーを「最速」に直しましたが、原稿は間に合わず直せませんでした。ところが、読売新聞の記事をよく読んでみると、記事本文は「最短」と書かれています。一体どちらが正しいのか?思うに、

「スピード」に着目すれば「最速」、「所要時間」に着目すれば「最短」

なのではないでしょうか?

この場合、3つあるルートの中で「所要時間」が「一番短い」のですから、「最短」の方が適当だったような気がします。どちらでも「間違いとは言えない」とは思いますが。新聞各紙をチェックすると、

毎日・産経・日経=「最短」

朝日=見出しも本文も「最速」

でした。(読売だけ見出しは「最速」、本文は「最短」)

私は「最短」派です。

                                          (2009、11、6)

2009年11月 6日 15:35 | コメント (0)

新・ことば事情 3736

「くも膜下出血の読み方」

1021日、 南田洋子さん死去のニュースで、「ミヤネ屋」 ナレーターのNさんから質問を受けました。南田さんの死因である、

「くも膜下出血」

の読み方についてです。これは、

「『くもまくか』か?『くもまっか』か?」

つまり、促音化するのかしないのか? ということですね。

この場合「まく」の「く」は「母音が無声化」されて「子音」しか聞こえないので、「促音」(つまった音)の「っ」に近い音になります。よって、ルビなどで表記する際は、

「まくか」

と書きますが、発音は促音化して、

「まっか」

となっても、「間違いとは言えない」でしょう。イメージ的には「出血」しているので、「まっか」という音がはまったように感じるかもしれませんね。

                                         (2009、11、6)

2009年11月 6日 15:27 | コメント (0)

新・ことば事情 3735

「お誕生日か?ご誕生日か?」

1020日、皇后・美智子さまが、誕生日を迎えられました。その際の表現で、

「『誕生日』か?『お誕生日』か?」

という問題が生じました。

まあ、普通に考えると「誕生日」ではあまりにもそっけないので、「お」を付けて放送しました。ちなみに、

「『お誕生』か?『ご誕生』か?」

というと、「ご」のような気もするし、「お」のような気もする。どちらも間違いとは言えないのでは?ネット検索では(Google検索、1020日)

「お誕生」   =7820000件 

「お誕生になる」=  38800

「お誕生される」= 81800

「ご誕生」   =  84600

「ご誕生になる」= 132000

「ご誕生される」= 115000

「ご誕生する」 =  45200

「お誕生する」 = 62400

で、言い切りの形では「お誕生」が圧倒的に多く、「になる」の形では「ご誕生」が多かったです。また「ご誕生」の上位「皇室関係」でした。

                                          (2009、11、6)

2009年11月 6日 15:20 | コメント (0)

新・ことば事情 3734

「『45本』のアクセント」

115日、日本テレビ「思いっきりDON」の中の「きょうは何の日」のようなコーナーを見ていたら、野村克也前・楽天監督のこれまでを振り返っていました。その中で、野村前監督が現役時代、そのシーズンに打ったホームランの数、

45本」

を、若い男性ナレーター(アナウンサー)がナレーションで、

「ヨ\ンジュー・ゴ\ホン」

と言いました。5本」の部分のアクセントが違います。耳を疑いました。「45本」は、誰がなんと言ったって、

「ヨ\ンジュー・ゴ/ホン」

しかないでしょ?ところがまるで、この男性アナウンサーは、時間(分数)

45分(ヨ\ンジュー・ゴ\フン)」

のように45本」を発音したのです。

数詞や序数詞のアクセントって、実は大変難しいんですが、こんな日常的に使う数詞でさえ、プロのアナウンサーのアクセントが揺れているというのを目のあたりにして、大変ショックを受けたのでした。

                                          (2009、11、5)

2009年11月 5日 15:25 | コメント (0)

新・ことば事情 3733

「四半世紀と四世紀半のあいだ」

 いつものように「ミヤネ屋」の字幕スーパーを放送前にチェックしていて、大笑いしてしまいました。

酒井法子被告のデビュー当時から面倒を見てきた、元・所属事務所の相澤副社長が、酒井被告との付き合いの期間の長さを示して言った言葉をフォローする字幕スーパーに、こう書かれていました。

「四世紀半にわたって面倒を見てきた」

わっはっは。

「四世紀半」って、「450年」!16世紀、戦国時代から面倒見てるんですか?化け物じゃん、お互いに。もちろんこれは正しくは、

「四半世紀」

ですね。もちろん「四半世紀」は、

4分の1世紀、つまり25年」

のことです。放送に出なかったから笑っていられますが、もし、これがチェックの目を潜り抜けてオンエアーに出ていたら・・・と考えると、ゾッとします。

それにしても「四半世紀(しはんせいき)」という言葉を知っていたら、このような間違いは起きなかったのではないか?スーパーの発注者、もしくはスーパーを打ち込むオペレーターが「四半世紀」という言葉を知らなかった可能性が「大」だと思います。それって、何だかなあ・・・と、先ほどの大笑いはどこへやら、暗澹たる思いになるのでした・・・。

ま、でも、もしかしたら「四畳半」のイメージが「四半世紀」と混濁して「四世紀半」に・・・なるわけ、ないやんか。

                                         (2009、11、5)

2009年11月 5日 14:23 | コメント (0)

新・ことば事情 3732

「総括と統治」

1028日の「ミヤネ屋」の放送前に、郵政民営化の予告スーパーで、

「郵政民営化の問題点を統治

というのを見つけました。なんだか意味が通じません

担当のディレクターに確認すると、なんと、

「郵政民営化の問題点を総括

でした。「総括」と書いたつもりが、なぜか「統治」になっていた!担当ディレクターは、

「たぶん、僕の発注の字が汚かったから・・・」

と言っていましたが・・・。確かに「統治」と「総括」、なんとなく漢字の形は似てますね・・・でも、

「問題点を統治」

って、意味が通じないですよね?ちなみに、前日「ヨミ斬りタイムズ」の項目をまとめたADの女の子が、メモに、

「ファミリーレストラン・すかいらーくが、39年の歴史に

と書いていました。もちろんこれは正しくは、

39年の歴史に

です。「暮」と「幕」も字体は似ていますが、読み方を知っていて意味を考えれば、間違うはずがない。でも間違う。おそらく漢字に関して今の若い人は、

「あいまいな認識=ファジーな捉え方」

をしているのではないでしょうか?

ハワイとか東南アジアの、日本人がよく行く中華料理店やレストランには、こういった日本語のメニューがあって、おもわず頬が緩んで和みますが、テレビ局の仕事場でこういったのが出てくると、頬が引き締まり、目が吊りあがってしまう・・・そう思ってしまった2日連続の出来事でした。きっちり「総括」して、スタッフを「統治」しなくてはなりますまい・・・トンカツでも食うか。

                                         (2009、11、5)

2009年11月 5日 13:22 | コメント (0)

新・読書日記 2009_198

『差別語とはなにか』(塩見鮮一郎、河出文庫:2009、10、20)

入門書のようなタイトルだけど、内容は上級者向け。しかも「はじめに」と「差別語の原理」と「文庫版あとがき」は書き下ろしだが、あとは1988年から1999年まで、主に90年代半ばぐらいまでの論文を集めたもので、差別語の歴史を学ぶには良いが、リアルタイムさには欠ける。なぜいま「筒井康隆」と「てんかん協会」、「マスコミ」の闘いの話が?と、ちょっとすぐにはその必然性を見いだせなくて、戸惑う。文庫版とあるから、以前単行本として出ていたのだろう。
後半に五木寛之との対談も収録しているが、微妙に論点が噛み合っていないように感じた。無数の市民が望む「社会の規範の集合体」と、それを監視する「無数の市民の目」が、つまり「世間」なのではないか?と、「世間」とつなげて感じた。


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2009、11、9読了

2009年11月11日 20:08 | コメント (0)

新・読書日記 2009_197

『ハーフはなぜ才能を発揮するのか~多文化多人種時代ニッポンの未来』(山下真弥、PHP新書:2009、10、30)

最初、著者のファーストネームを「しんや」と読んで「男性」だと思っていたが、どうやら「まや」と読む女性のようである。「1982年生まれ」(27歳?)という若さのせいか、それとも「女性性」によるものか、少し全体に「やさしい」というか「ゆるい」感じのする本。たとえば、
「三カ国語を話すスリリンガル」(67ページ、114ページ)。
とあるが、これって「トリリンガル」あるいは「トライリンガル」ではないか?と思う。そのほか、インタビューをただ載せただけの感じがする・・・。三浦展のマーケティング本も、こんなイメージのものがある気がするが。それよりも「分析」が少ない感じ。
著者自身も「帰国子女」とのことだが、多くの「ハーフ」の人たちや「帰国子女」の人にインタビューした話を載せているのがメイン。
冒頭、この本では「ハーフ」のことを「ミックス」と呼ぶと宣言されてあり、「ハーフ」という言葉をめぐる歴史や当事者の意識が、簡潔に4~6ページぐらいで紹介されていて、これは参考になる。
実際には、まだ「ミックス」という言葉は日本の社会では広がってはいないが、今後はどうだろう、広がるのかな?「ハーフ」は「半分しかない」ことをイメージされて、当事者にはウケが良くないらしい。そこで出てきたのが、「半分」ではなく「2つある」という「ダブル」。しかしこれは広がらなかった。当事者の間でも「2つあるというのは、おこがましい」という意見もあったと書いてある。そうだったのか。


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2009、10、28読了

2009年11月11日 20:06 | コメント (0)

新・読書日記 2009_196

『オリの中の虎~愛するタイガースへ最後に吼える』(岡田彰布、ベースボール・マガジン社新書:2009、11、20)

阪神前監督でオリックスの新監督の岡田さんの著書。たぶん語りおろし?口調そのままだから。大学時代の話、現役時代の話、オリックスの二軍助監督、監督、阪神のコーチ、監督時代、そして今年、解説者としての一年と、余すところなく、ズバッと直球の物言いで、ここまで書いちゃっていいの?という箇所が満載!阪神の、あるいはオリックスのファンでなくてもおもしろいこと、請け合い!


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2009、11、8読了

2009年11月11日 20:04 | コメント (0)

新・読書日記 2009_195

『神様は、いじわる』(坂本未明、文春新書、2009、10、20)

日本テレビ系の朝のワイドショー『スッキリ!!』のコメンテーターとしてもおなじみ(だと思う)の漫画家の坂本未明さん。いつも着物で登場する、ちょっとエキセントリックな感じのする年齢不詳の彼女、実は「膠原(こうげん)病」なのだという。その「カミングアウト」本。
「ふーん、そうだったのか、大変だよねえ・・・」と同情する面もある一方で、「それは、あなたが悪いのでは・・・」という突っ込みどころも満載で、そういう意味では楽しめる一冊。「神様は、いじわる」と言う時点で「甘えている感」がにじみ出ていると思うのだが・・・。「神様は不公平!」ぐらい強く反発してほしい気もする。


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2009、10、18読了

2009年11月11日 20:03 | コメント (0)

新・読書日記 2009_194

『高速道路の謎~雑学から知る日本の道路事情~』(清水草一、扶桑社新書:2009、9、1)

いまや、車に乗る人も乗らない人も関心を持ち、日本の国の政治のメイン・テーマになってしまった「高速道路」の無料化。土日だけか、それともこれからずっとタダなのか。車に乗らない人や、高速に乗るほどト遠出をしない「車は下駄がわり」の人には全然関係ないのだが、それでも話題の中心であることは間違いない。
私は、車は運転するが、高速に乗ってまで遠くに行くことはほとんどない。たまにしかない。ETCだって付けてないし、今回の「騒動」のカヤの外である。
しかし、税金が絡んでくるということであるし、地球温暖化との絡みもあるし、そもそも日本の高速道路って、何でこれまでこんなに高かったのかなど、関心はある。でも、使ってないから、詳しい現状は分からない。
そこに、この本である。著者は行動の人である。日本の高速道路をほぼ全線走っているという。未開通区間に平行する一般道も大部分走って調べ、世界17か国の高速道路でも運転したほか、北朝鮮と中国の高速道路も体験したという、まさに「高速道路博士」だ。その「博士」が、今回の高速道路を巡る与野党の政策について、どう考えているかは、大変興味がある。「渋滞の基礎知識から動く渋滞、動かない渋滞」や「今後開通する注目路線」など、興味深い項目が目白押しである。この本を読んでいたら、ちょっと高速に乗りたくなった。


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2009、10、20読了

2009年11月11日 20:02 | コメント (0)

新・読書日記 2009_193

『バカ丁寧化する日本語~敬語コミュニケーションの行方』(野口恵子、光文社新書:2009、8、20)

著者は日本語・フランス語教師で、以前『かなり気がかりな日本語』という名著を、同じ集英社新書から出している。「かなり気がかり」だった日本語は、あれから数年を経てどうなったか・・・「バカ丁寧化」してしまったのだという。サブタイトルの「敬語コミュニケーションの行方」が示すように、それほど親しくない他者とのコミュニケーションのための道具・潤滑油が「敬語」だったのだが、他者とのリアルなコミュニケーションをとる「場」が減ってしまったことで、「敬語」は「丁寧化」の度を越して「バカ丁寧化」したと。過ぎたるは及ばざるがごとし。一体敬語はどうなる、いや、敬語の行方ではなく、敬語が繋いでいた人間関係はどうなってしまうのか?
第1章「させていただきたがる人々」の『「させていただく」は耳障りか」と、いきなり内角高めの速球で攻めてきた感じが。この本が出たのは総選挙の前だが、「させていただく」をもっとも頻繁(「はんざつ」ではない)に使う一人は、何を隠そう、現総理・鳩山由紀夫氏ではないか。それも織り込み済みなのかな?
そして最終章の第5章では「変わるコミュニケーション」として、言葉のことだけではなく、正に「人間」を観察して評している。「言葉」は「人間」なのである。「人」は変わるのよ。良い方に変わればいいんだけどねえ・・・。


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2009、8、23読了

2009年11月11日 20:00 | コメント (0)

新・読書日記 2009_192

『伝える技術50のヒント』(山中秀樹、ソフトバンク新書:)

著者は元フジテレビのアナウンサーで、現在はフリーアナウンサー。最近、現&元フジテレビアナウンサー(それも男性)が、相次いで本を書いているような気がする。
それはさておき、読みやすい本である。
著者の山中さんとは、用語懇談会で2年ぐらいご一緒したが、はっきり言ってあまりウマが合う人ではなかった(向こうが避けていたような気がするが。私がうっとうしかったのかな?)。しかし、用語懇談会の雰囲気はお好きだったようで、フジテレビのアナウンス部から他の部署に異動され、用語懇談会の委員を辞める際には、とても悔しそうな感じで挨拶されていた。結局「しゃべる仕事」をするために会社を辞めてフリーになられたのだから、「しゃべる」ことに対する熱意・情熱は、並大抵ではない。その思いをこの一冊に込めたのだと思う。子どもの頃からアナウンサーになりたくてなりたくて、それを実現したという話などは「そうだったのか・・・」と引き込まれてしまった。


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2009、10、11読了

2009年11月11日 19:59 | コメント (0)

新・読書日記 2009_191

『風が強く吹いている』(三浦しをん、新潮文庫:2009、7、1)

何と、文庫本で650ページもある!
本屋さんで手にとって、ちょっとタジタジとなったが、映画を見る前に読みたかったので、意を決して購入。青春小説だねえ、と読む前から分かっていたが、改めて、そう感じた。
10章からなるこの小説、ド素人8人を含む10人が、箱根駅伝を目指す物語。「箱根」本番までに8章で400ページ、残りの2章で「箱根」本番を描いているが、これが250ページもある。しかし、一気に読んでしまう!582ページあたりと最終盤の650ページあたり、泣けます!
気になったおもしろい表現は、たとえば、
「釈迦の入滅を知った森の動物たちのように」(203ページ)
「曲芸飛行をするスペースシャトルに乗ったみたいで、座席で硬直したり気絶しそうになったりすることはあっても、清瀬の運転に身を委ねて眠るなど考えられなかった。」(224ページ)
「『まずいな』清瀬も、猫の轢死体を目撃したような表情になった。」(250ページ)
なかなかおもしろい。上手な比喩表現。
また、「ジョギング」のことを「ジョッグ」(103ページ)と言うんですね。
この小説では「ジャージー」ではなく「ジャージ」という短い表記がたくさん出てくる。
「乱れたジャージを整えた。」(231ページ)
「ジャージのズボンにいままさに手をかけようとしていた走(かける)は」(244ページ)
「清瀬は羽織っていたジャージを脱いだ。」(249ページ)
「コメントするキャプテンもジャージ姿だったが」(260ページ)
「同じジャージを着ていても」(464ページ)
「寛政大学のユニフォームとジャージに着替え、ベンチコートを手にする。」(504ページ)
「清瀬のジャージのズボンの裾をめくりあげようとした。」(513~514ページ)
「ジャージのポケットから携帯電話を取り出した走に」(523ページ)
「二人の視界のなかに、ジャージを穿いた脚が現れ、立ち止まった。」(551ページ)
「ジョージは走のジャージの袖を引っ張り」(558ページ)
「寛政大学のジャージを着て待ちかまえていた給水要員が」(560ページ)
「携帯電話をムサに預け、キングはジャージを脱いだ。」(566ページ)
「走は通話を終えた携帯電話をジョージに預け、ジャージを脱いだ。」(583ページ)
「紙袋からタオルやらジャージやらを引っ張りだしながら」(615ページ)
「ユニフォームのうえから手早くジャージの上下を着込み」(617ページ)
「寛政大学のジャージを着たものたちに向かって」(646ページ)
「清瀬はジャージのうえから、そっと右脚をこすってみた。」(609ページ)
また、解説の最相葉月も、
「下駄とジャージ姿で散歩できる気安さから」
と「ジャージ」を使っている。
それ以外に気付いたもの。
「『「月曜深夜」に放送!お楽しみに!』と言っておきながら、日付的には火曜日の午前一時に放映する。神童さん、これは変ではないですか?」(103ページ)
「深夜」という表現に対する著者の疑問を、登場人物が語っている。
「カレーの『ルー』」(149ページ)
「ルウ」ではなく「ルー」。また、
「碁会所(ごかいしょ)」
「ゴカイショってなんですか。」(174ページ)
と外国人留学生に言わせている。若い読者にはわからないだろうからと説明するあたり、さりげなく。「所」は「ショ」と濁らず。また「ジャージ」は短いのに、「パーカ」は長くて「パーカー」。
「ムサがTシャツのうえにパーカーを羽織った。」(216ページ)
「おバカ」という表現も出て来る。
「おバカで明るい学生たちの姿だ。」(224ページ)
「フリチン」ではなく「フルチン」。
「もう俺、フルチンで走ろっかな」(243ページ)
また、先生が幼稚園児に言うような言い方も。
「ジョージが悪あがきしたが、清瀬はもう聞いていなかった。『はい、さっさと支度する』」(347ページ)
「就職活動」はカタカナ略語で。
「『またシュウカツできないじゃないか』(432ページ)
死語のようなマイク・チェックの言葉も。
「『メーデー、メーデー』と大家はマイクの調子をたしかめる。そんなことを言うひとが、まだいたとは。」(641ページ)
まあ、とにかく中身もおもしろいが、言葉一つ一つ取り上げても興味深い作品でした。映画も見に行こう!っと。


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2009、10、25

2009年11月11日 19:55 | コメント (0)

新・読書日記 2009_190

『訊問の罠~足利事件の真実』(菅谷利和・佐藤博史、角川ONEテーマ21:2009、9、10)

「DNA型鑑定」という最新の科学的手法を信頼するがゆえにその誤謬に気付かず、気付いたあとはその鑑定の「権威」を守るため頑なに「見ないふり」を続けた「お上」のあり方を、"権威を守るための犠牲者"として17年半を塀の中で過ごした菅谷さんと、その弁護に当たった佐藤弁護士が、二人三脚で著した警告の書。
「なぜ、菅谷さんは無実なのに自白してしまったのか?」という点について、これまで私は「警察の取調べに自白強要などの問題があったのだろう」と漠然と思っていたが、実は菅谷さん側にも、「容疑者」という異常事態の中で誰でもが陥りかねない「(人間の)弱さ」があったことなども本人の文章でわかった。また司法の側、検察の側にも、判断を下した(あるいは下さなかった)罪があることを、佐藤弁護士が暴く。え?こんな裁判官だったのか!この前の国民審査の前にこれを読んでいれば・・・というようなくだりも。
足利事件の菅谷さんの「無罪」は決まったが、それで問題が解決したわけではなく、この「冤罪」をいかに検証して「次の冤罪」を未然に防ぐかが、今後の裁判の課題であることがよくわかった。(佐藤弁護士の文章は判例の引用など、法律の専門か向けのものの引用が多くて、ちょっと難しかったですけど。)


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2009、10、26読了

2009年11月10日 20:12 | コメント (0)