新・ことば事情 3721
「敷居が高い」
2009年8月10日の読売新聞に、
「『花町学』興隆~舞妓文化に多面的考察」
という見出しの特集記事を、待田晋哉記者が書いていました。その中に大変興味深い文章が。まず、
「舞妓は京都独特の名称で、東京の『半玉』さんにあたる」
そうだったのか。何となく腑に落ちた気がします。そしてもう一つは「あれ?」と思った表現。
「『一見(いちげん)さんお断り』は、なじみの客を心地良くもてなす一方で、敷居が高いと感じる住民は京都の中にも多いようだ』
この中に出てきた、
「敷居が高い」
が気になりました。本来の意味の「敷居が高い」は、
「何か悪いことをして、もう一度そこを訪れることに対して心理的抵抗感があって、行きにくい」
ということのようです。それを、
「銀座や新地の店は、安月給の私なんかには、敷居が高い」
というふうに、
「料金が高くて、中々行けない」
というような「間違った意味」で使うことが多いと最近よく指摘されるようです。つまり、
「高嶺の花」(「高根の花」とも書きますが)
の意味で使うということ。これは「誤用」とされているようです。今回は、
「心理的に行きにくい」
ということですから、誤用ではないのかもしれませんが、微妙に違うような気もしました。どうなんでしょうか?
(2009、10、15)
(追記)
10月16日の夜のフジテレビの「すぽると」で、「ボックスカート・レース」について片山右京さんが、
「とっつきやすく、敷居が低い」
と話していました。この「敷居」は、「ハードル」「障害物」の意味でしょうね
(2009、10、19)
(追記2)
2009年9月9日の日経新聞夕刊の「@関西(あっと・かんさい)」というコラムで、
「異論相次ぐワッハ上方移転」
という文章が載っていました。その中に大阪府の橋下知事が去年、文楽の重鎮・84歳の竹本住太夫さんと懇談した際に、
「文楽は敷居が高くて」
と話し、それに対して竹本さんが、
「敷居削っときまっさ」
と応じて、和気あいあいとしていたにも関わらず、今年8月6日の文化振興会議の席上でで、
「文楽には2度目はたぶん行かないだろうと思いますね」
と発言。それを聞いた竹本さんは、
「えらいこと言わはったなあ」
と落胆の様子だったと書かれていました。この記事を書いている日経新聞編集委員の中沢義則さんは、
「不見識としか言いようがない」
と知事を叱っています。たしかに、あんまり「文化的」な香りが、知事からは漂っていないですねえ。あ、それはさておき、橋下知事の
「敷居が高い」
という言葉の使い方が、新しい使い方(まあ、「間違った使い方」と言われるもの)でした。竹本さんの「返し」、最高ですね!
(2009、10、20)
(追記3)
古い本を整理していたら、こんな表現が。『放送レポート 178号』(2002年9・10月)の中の「視聴者の眼」というコラム。筆者は、『メディアリテラシー』(岩波新書)などの著書でも知られる菅谷明子さん。彼女が、
「ここのところニューヨーク公共図書館をテーマにした本の執筆に明け暮れている。この図書館は、膨大なコレクションを誇る世界有数の図書館だが、『敷居の低さ』でも世界一で、誰もが貴重なコレクションに容易にアクセスできる」
として、「誰もが容易にアクセスできる」ことを、「敷居の低さ」と表現していました。
(2009、11、23)
(追記4)
脚本家・一色伸幸さんの本『うつから帰って参りました』(文春文庫:2009、10、10;単行本はアスコムから2007、10)の中に「敷居が高い」が出てきました。
「敷居の高いレストランやホテルに、おっかなびっくり出入りし始めたのも、この頃だ。」
この「敷居が高い」も「義理を欠いて行きにくい」のではなく、
「値段や格式が高いので入りにくい」
という意味ですね。
(2010、1、14)