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『道浦TIME』

新・ことば事情 3731

「日曜深夜」

以前、もう3年ほど前になりますが、NNN系列(日本テレビ系列)の研修会に講師として出席したときに、系列局の若手アナウンサーからこんな質問が出ました。

「新聞ラジオ・テレビ欄は、午後11時のあとは『深夜・明朝』と書かれていますが、『深夜』という表現は何時から何時まで使えるのでしょうか?きょうと明日の境界線は?」

これに関して、たとえばビデオリサーチ社の「視聴率表」は、前日の番組の数字が印刷されていて、その日の午前9時に、インターネット上に掲示され、印刷されたものも午前10時には会社に届きます。そこには、

『昨日の29時(=午前5時)』

までの番組の視聴率が記されています。午前9の段階では、

『たった4時間前まで』

の番組の視聴率が記されているわけです。つまり『午前5時』を境に、『昨日と今日』、『今日と明日』の境界線が引かれているというわけです。

 

ということで、2006129日放送予定の『声~あなたとよみうりテレビ』は、「第8回子ども番組審議会」の様子も含めて15分拡大版で放送したために、放送開始時刻は、

「午前4時59分」

で、番組終了は、

「午前529分」

テレビの視聴率表上は「足掛け2日」の30分番組になりました。

<ここまで2006126日に書きました。当時のナンバーリングでは、UPしてないけど「平成ことば事情2306」>

 

その後、20079月の新聞用語懇談会放送分科会で出た質問は、

*「深夜」の使い方について、NHKでも最近「今日深夜0時30分放送」というスーパーとアナウンスの両方があった。各社「午前030分(2430分)」に放送する番組の表現はどうしているか?

というものがあり、各社の対応は、

→(NHK)規則はない。「日付が変わって、25日午前0時」「このあと午前0時」「25日午前○時○分」

(日本テレビ)問い合わせがあるものに関しては「○日午前○時○分」。直近も「日付けや曜日」を使う。「深夜」は使わない。

(TBS)24時制は使わずに、午前・午後で分ける(12時制)。「このあと、あしたの・・・」という言い方はせず、「このあと○時間後の午前○時から」というようにしている。「深夜」は使っていない。

(フジテレビ)編成は30時制(295959秒まで)になっている。「深夜」は使わず「あす未明」にする。

(テレビ朝日)その場で誤解のないように、わかりやすくやっている。「深夜」「翌○日」も使っている。「25時」のような表記はしない。

(テレビ東京)午前3時過ぎの「深夜映画」の予告で「水曜深夜3時」(=「木曜午前3時」の場合)という表記や、午後7時現在で「今夜1時」(=翌日の午前1時)という表現も使っている・・・。

(毎日放送)TBSに準拠。「このあと午前○時から」など。

(朝日放送)その場その場、現場まかせ。しかしテレビ東京の「今夜1時」はわかりやすいと思う。

(関西テレビ)「今夜0時○分」と使う。「きょう深夜」も使っている。

(読売テレビ)参考だが『ドキュメント'07』(日曜24時台OA)の告知ハガキでは「今夜2430分から(ビデオを録る方は、月曜午前○時○分)」と書いている。

(テレビ大阪)「深夜」は番宣で出てくる。「きょう深夜午前0時○分」という具合に。新聞のラ・テ欄の縦の帯に「深夜」と書いてあるので、それにあわせて編成が判断しているのではないか。

(共同通信)原則「きょう~」「きのう~」。「日本時間の今夜遅く」というような表現はある。新聞では、午前0時をすぎると全部「きょう未明」。

というような意見が出ました。

 

それから更に1年半が経ち、「情報ライブミヤネ屋」のスタッフN君から、

31()2455分から、『ドキュメント'09』で大相撲の床山・床寿さんの特集『最後の大銀杏』を放送するんですが、その時間の表記・読みはどうしましょう?」

と質問されました。

過去のこういった経緯を説明した上で、字幕スーパーは、

31()深夜2455 ~2525放送」

としました。ナレーションもそれに従って、

「深夜2455分」

としました。分かりやすさを第一に考えた結果です。こういった番組PRの場合は、ニュースでの表記とは、またちょっと基準が違いますね。

(2009、2、27)

(追記)

映画化されて話題の小説『風が強く吹いている』(三浦しをん、新潮文庫:200971を読んでいたら、アフリカからの留学生ムサの発言として以下のような言葉が。

「『「月曜深夜」に放送!お楽しみに!』と言っておきながら、日付的には火曜日の午前一時に放映する。神童さん、これは変ではないですか?」(103ページ)

これは、「深夜」という表現に対する著者の疑問を、登場人物が語っているのですね。

                        (2009、10、27)

2009年10月30日 15:13 | コメント (0)

新・ことば事情 3730

「宅八郎評論家」

2009年10月23日夕方、「ミヤネ屋」のスタッフのY君が、

「道浦さん、道浦さん、いま、TBSで・・・」

テレビ画面を指し示すではないですか!一体何が起こったのか?と思ってテレビを見ると、そこには、自分のブログ上で音楽評論家を「ブッ殺す」などと脅したとして、オタク評論家の宅八郎容疑者書類送検されたというニュースで、TBSのサイドスーパーは、

「宅八郎評論家

つまり「容疑者」呼称を避けて、肩書として、

「評論家」

を使っていたのです!Y君いわく、

「いやあ、珍しいなあと思って。『稲垣メンバー』みたいですね」

とのこと。私に知らせるというところが、なかなか、わかっていますね。TBSはその後の午後7時台のニュースでは、アナウンサーが、

「宅評論家は・・・」

のように読んでいました。字幕だけでなく音声でも「評論家」を肩書として使っていました。ちなみに午後6時代の関西テレビのローカルニュースでは、

「宅容疑者」

でした。「容疑者」でいいのにそれを避けるのは、それだけ「容疑者呼称」に手垢がついているということでしょうね。推定無罪だから、呼び捨てをやめて「容疑者」を付けるようになったのに。

「書類送検」という処分では、一般人なら「匿名」で名前が出ないところですが、宅さんぐらいの有名人になると話題になり名前も出ますが、「容疑者」とするほどでもない。そういった判断の時などに「容疑者呼称」の代わりに、普通なら「社長」「部長」「課長」などの「肩書」をつけますが、それがない、いわゆる「自由業」の人の場合には、何と読んでいいのかが難しく、これまでも、

「稲垣メンバー」

のような例はよくあります。よくあるといっても「容疑者」よりは少ないので、目立つわけですね。

そういった例に関しては、皆さん「平成ことば事情426稲垣メンバー」や「1960紳助所属タレント」「2083小泉今日子の肩書」もお読み下さい。

                                          (2009、10、23)

2009年10月30日 15:12 | コメント (0)

新・ことば事情 3729

「空気清浄機のアクセント」

ダイキンの「空気清浄機」のコマーシャルを放送していました。その際にCMの男性ナレーターは、

「クー/キセージョ\ーキ」

というふうに「コンパウンド」させた「中高アクセント」で読んでいました。それを聞いて私は「おや?」と思いました。私なら、

「ク\ーキ・セ/ージョ\ーキ」

と、2語に分けて読むと思ったからです。コマーシャルを読む人はこの「空気清浄機」というものに慣れているので、コンパウンドさせたのでしょうか?

「空気清浄機」自体のコンパウンドは、私にとってはまだ「許容」です。しかしちょっと気になったのは、今後の傾向です。「空気」は単独ではもちろん

「ク\ーキ」

「頭高アクセント」ですが、今後もしかしたら「空気清浄機」の「くうき」の部分のアクセントと同じになって、

「ク/ーキ」

という「平板アクセント」になるのではないか?という危惧です。結構、ありうると思います。「国土交通省」が2001年1月に出来た頃は、みんな、

「コ\クド・コ/ーツ\ーショー」

2語に分けて読んでいたのに、いまやみんな、

「コ/クドコーツ\ーショー」

「中高アクセント」になっています。その次のステージはどうなるのか?ということです。普通は、

「国交省(コッ/コ\ーショー)」

と省略形になりますが、もしかしたら、分離した1語1語のアクセントにも影響を与えるのではないか?

そのほか、20年ぐらい前には「そんなアクセント、ヘンやろ」と思っていたものが、現在、かなり使われています。たとえば「とりあえず」のアクセントは、

「ト/リア\エズ」

しかないと思っていましたが、20年ほど前に、これを「平板アクセント」で、

「ト/リアエズ」

と言う奴が出てきたのを覚えてますが、現在このようにしゃべる奴が、少なからずいます。

それと同じことが「空気」でも起こるのではないか?関西はあまり起こらないでしょうが、東京は危ない。「空気」だけに「感染」します。

                                          (2009、10、23)

2009年10月30日 15:11 | コメント (0)

新・ことば事情 3728

「泡のようなもの」

押尾学被告の初公判を控えた1023日正午前日本テレビ「思いっきりDONでの、これまでの事件の流れを紹介するVTRの中で、

「死亡した女性は、2錠目のMDMAを飲んだら、泡のようなものを噴いて倒れた」

という文章が出てきました。この、

「泡のようなもの」

がひっかかりました。「泡のようなもの」って何なんでしょうか?泡ではない、何か?噴いたものの成分はもちろん分かりませんが、「形状」は見ていたのですから、わかるはずです。ですからこれは、

「泡を噴いて倒れた」

でいいのではないでしょうか?

「泡のように見えて、実は気泡の大きさが"泡の基準"に満たないので、厳密に言うと、あれは泡ではなかった」

とかなんとかいうなら 話は別ですが、そんなことはないと思います。よくニュースで、

「バールのような物でこじあけられ」

なんてのが出てきますが、この場合の

「バールのような物」

は、こじ開けた形跡から判断して「バールのような形状のものではないか?」と推測した上での表現ですから良いのですが、この「泡のようなもの」はそういうわけでもありません。うっかりすると聞き逃しますが、明らかにおかしな表現ですね。

しかし、その後の「ミヤネ屋」でも同じ表現が出てきたのです。字幕スーパーも。そうすると、供述がそのような表現だったのかもしれない。もしかしたら、白っぽい吐瀉物(としゃぶつ)の中に細かい泡が混じっているようなものだったのかも。確かに「泡を噴く」というと、シャボン玉大の泡を噴いているようなイメージがあるから、そうではないということを言いたかったのかもしれません。そこで原稿のまま

「泡のようなもの」

で読みました。 

                                (2009、10、23)

(追記)

ああ、それなのに、押尾被告の判決公判を伝えた112「ミヤネ屋」のパネルでは、

「泡を吹いて」

になっているではありませんか!やっぱり「泡」でよかったんだ!

 (2009、11、2)

2009年10月29日 15:13 | コメント (0)

新・ことば事情 3727

「『光と影』か、『光と陰』か」

20091023日、押尾学被告の初公判が開かれました。それを報じた「ミヤネ屋」のパネルで、「押尾学被告の31年の 光と影」

と見出しを出したのですが、

「これって『光と"陰"』ではないか?」

とちょっと疑問が。「影」「影法師」「人影」のように、

「光が物をさえぎることで出来る、ものの形」

であり、一方「陰」は、

「光が当たらない暗い部分」

ですよね。その意味ではこの場合は、

「光と陰」

だと思います。ただ「光と影」の方が、「光と陰」より、文字面はかっこいい(収まりがいい)んですよね。

それと、「影」は、「光」を「実像」とした場合の「虚像」というふうに捉えることも出来ます。どちらが「実像」でどちらが「虚像」なのかは分かりませんが、もしかしたら、世間の脚光を浴びていたこれまでの俳優人生が「影=虚像」だったのかもしれません。それなら、

「光と影」

でもOKかなと。Google検索では(1023日)、

「光と影」=154万件

「光と陰」=  8万8500件

と、「光と影」が圧倒的ですが。いつもとっても表記に迷うんです、この「光とカゲ」は。あ、カタカナでもいいかな?

「光とカゲ」=3万3200件

「光とかげ」=  6560件

でした。ついでに平仮名にしたら、「とかげ」の一種のようですね。

                                          (2009、10、23)

2009年10月29日 15:02 | コメント (0)

新・ことば事情 3726

「不可解なIT用語」

スクラップを整理していたら、こんなメモが挟まっていました。

「使用しているプライバシーの設定に基づいてCookieが制限されるたびに、プライバシーのアイコンがステータスバーに表示されます。プライバシーレポートを表示するには、そのアイコンをダブルクリックしてください。」

ああ、思い出した!以前、パソコンが急にフリーズ(動かなくなった)時に、この文章が画面に出てきたのですが、あまりにも意味不明なので、パソコンを殴って壊した時の文字だ!・・・・ウソです。殴っていません。心の中ではブッ壊していましたが。でもあまりに意味不明なので、手書きでその「文字列」を書き残していたものでした。こんな机の奥に眠っていたのか。

それにしても、この文章の中で、私がわかる言葉は、最後の、

「アイコン」「ダブルクリック」

だけです。「プライバシー」は分かるけど、たぶん、このパソコンの用語と意味が違うと思います。大体、なんで人でもないパソコンに「プライバシー」があるんだよ!今、変換したら、

「プライ橋―」

になってるし!パソコンだってわかってねえーじゃねーか!

あれからおそらく5~6年経ちますが、いま読んでみても、やっぱりこの中で私がわかるのは「アイコン」と「ダブルクリック」だけです・・・。

                                          (2009、10、22)

2009年10月28日 14:57 | コメント (0)

新・ことば事情 3725

「『素晴らしい』と『素晴しい』」

1017日、作曲家の加藤和彦さんが亡くなりました。62歳でした。自殺の可能性があるとのことです。残念です。

そのニュースを伝える際に、代表曲の一つとして紹介したのが、

「あの素晴らしい愛をもう一度」

その字幕スーパー、字幕チェックのスタッフOさんから、

「道浦さん、間違ってますよ」

と指摘されました。どこが違ったかと言うと、

×「素晴しい」→○「素晴しい」

なのだそうです。「ら」は要らない、とのこと。後で、レコードのジャケットを確認すると、たしかに、

「あの素晴しい愛をもう一度」

となっていました。

Googleで検索してみると(1019日調べ)

「素晴しい」 =244000

「素晴しい」=306000

と、送り仮名の基準に従った「素晴らしい」の方が件数は多かったのですが、「素晴しい」も結構ありました。また、(10月22日調べ)

「あの素晴しい愛をもう一度」=  5万3900件

「あの素晴らしい愛をもう一度」=11万000件

と、「間違った表記の方が多い」結果でした。

いずれの表記にせよ、加藤さんの生み出したメロディの、

「すばらしさ」

には、いささかも変わりはありません。

合掌・・・。

                                              (2009、10、19)

2009年10月28日 14:54 | コメント (0)

新・ことば事情 3724

「パー券」

今年2009年)の216のことです。朝日新聞(大阪版)を読んでいたら、

「大賀社長側 知事のパー券購入~大分キヤノン操業年」

という見出しが。その見出しの、

「パー券」

に目が引かれました。私の持っている「パー券」のイメージは、

「ディスコ(今なら「ク/ラブ」か?)などで開かれるパーティーなどのチケット」

のイメージです。

「パーティー券」→「パー券」

という、とっても大胆な省略法。ちょっと軽い、「パー」のイメージがあります。

この記事の指す「パー券」は、記事本文を読むと、

「政治資金パーティーのパーティー券」

のようです。うーん、それが「パー券」?ちょっとイメージがなあ。

産経、毎日、読売新聞は、

「政治資金パーティー券」

としていました。

その後930日の大阪市内版でも朝日新聞は、

「知事後援会~パー券収入8割」

という見出し。さらに1027日の朝刊にも、

「パー券収入も虚偽記載~首相資金団体見栄えで水増し」

という見出しで、本文は「パーティー券収入」と書かれていますが。

朝日は「パー券」という省略語、お好きなようです。

                (2009、10、27)

 

(追記)

201132日の産経新聞で、前原誠司外相の政治団体が、50万円分のパーティー券を買ってもらったとされる会社が「買っていない」と言っている記事を載せていました。その見出しで、

「パー券」

という省略形を使っていました。3日の毎日新聞も、

「パー券」

を見出しに使っていました。1年半ほどの間に、朝日だけでなく産経・毎日も「パー券」を使うようになったようです。読売は使ってないのかな?気付かないだけかな?

 

 

 

2009年10月27日 14:47 | コメント (0)

新・ことば事情 3723

「たんぱく質か?タンパク質か?」

秋です。「ノーベル賞ウイーク」ですね。オバマ大統領の「ノーベル平和賞」授賞はびっくりしましたが。

去年、下村博士がノーベル化学賞を取った「緑色蛍光タンパク質」、ほら「光るクラゲ」です。その、

「タンパク質」

の表記は「カタカナ」でいいのか?それとも「平仮名」で、

「たんぱく質」

とすべきなのか?と「ミヤネ屋」のスタッフから質問を受けました。

一般的には平仮名で、

「たんぱく質」

なのですが、例外的に『学術用語集』の表記だけは、カタカナで、

「タンパク質」

なのです。今回「ミヤネ屋」に出てきたのは「学術論文の名前」ですので、カタカナの、

「タンパク質」

にしました。その翌日でしたか、今年のノーベル化学賞の受賞者が発表されていました。やはり「たんぱく質」関連の業績でした。各新聞の表記は、

(読売)リボゾーム解明の3氏~たんぱく質を作り出す「合成工場」

(朝日)「たんぱく質工場」解明

(毎日)リボソームの構造解明

(リボソームの説明の中で「たんぱく質の合成向上とも呼ばれる」と)

(産経)リボソームの構造解明

(「細胞内でタンパク質を合成する小器官リボソーム」)

(日経)「たんぱく質工場」構造解明

ということで、産経新聞がカタカナの「タンパク質」を使った以外の4社は、平仮名の「たんぱく質」でした。産経新聞は、その後の1019日の朝刊の見出しでも、

『「タンパク質合成工場」の詳細解明』

カタカナの「タンパク質」を用い、イギリスMRC分子生物学研究所のベンカトラマン・ラマクリシュナン博士、アメリカ・エール大学のトーマス・スタイツ教授、イスラエル・ワイツマン科学研究所のアダ・ヨナット教授(女性)3人の業績を紹介していました。

               (2009、10、19)

2009年10月24日 14:46 | コメント (0)

新・ことば事情 3722

「サッカーの王様か?神様か?」

102日、「2016年五輪」の開催地を決定するIOC総会が開かれ、結局開催地は「リオデジャネイロ(ブラジル)に決まりましたが、その招致のためにブラジルからやってきた、「ペレ」ですが、

「サッカーの神様」

でしょうか?それとも、

「サッカーの王様」

でしょうか?

「ミヤネ屋」の原稿では、

「サッカーの神様」

と出てきて、ひっかかりました。結局、

「キング・ペレ」

と言われていたのを思い出して、

「王様」

で原稿を読みました。たしか「サッカーの神様」は、「白いペレ」(!)とも言われた、

「ジーコの(日本における)敬称・愛称」

だったと思います。しかし産経新聞の102日の夕刊は「神様」としていました。

ネット検索したところ(102日)、

「サッカーの王様、ペレ」=5370件 

「サッカーの神様、ペレ」=4840件

と、「王様」ややリード。「共同通信」「スポニチ」「デイリー」は「王様」でした。また、

「サッカーの神様、ジーコ」=1万8800件

でした。

                (2009、10、19)

2009年10月24日 14:44 | コメント (0)

新・ことば事情 3721

「敷居が高い」

2009810日の読売新聞に、

「『花町学』興隆~舞妓文化に多面的考察」

という見出しの特集記事を、待田晋哉記者が書いていました。その中に大変興味深い文章が。まず、

「舞妓は京都独特の名称で、東京の『半玉』さんにあたる」

そうだったのか。何となく腑に落ちた気がします。そしてもう一つは「あれ?」と思った表現。

「『一見(いちげん)さんお断り』は、なじみの客を心地良くもてなす一方で、敷居が高いと感じる住民は京都の中にも多いようだ』

この中に出てきた、

「敷居が高い」

が気になりました。本来の意味の「敷居が高い」は、

「何か悪いことをして、もう一度そこを訪れることに対して心理的抵抗感があって、行きにくい」

ということのようです。それを、

「銀座や新地の店は、安月給の私なんかには、敷居が高い」

というふうに、

「料金が高くて、中々行けない」

というような「間違った意味」で使うことが多いと最近よく指摘されるようです。つまり、

「高嶺の花」(「高根の花」とも書きますが)

の意味で使うということ。これは「誤用」とされているようです。今回は、

「心理的に行きにくい」

ということですから、誤用ではないのかもしれませんが、微妙に違うような気もしました。どうなんでしょうか?

                  (2009、10、15)

(追記)

1016日の夜のフジテレビの「すぽると」で、「ボックスカート・レース」について片山右京さんが、

「とっつきやすく、敷居が低い」

と話していました。この「敷居」は、「ハードル」「障害物」の意味でしょうね

 

(2009、10、19)

(追記2

200999日の日経新聞夕刊の「@関西(あっと・かんさい)」というコラムで、

「異論相次ぐワッハ上方移転」

という文章が載っていました。その中に大阪府の橋下知事が去年、文楽の重鎮・84歳の竹本住太夫さんと懇談した際に、

「文楽は敷居が高くて」

と話し、それに対して竹本さんが、

「敷居削っときまっさ」

と応じて、和気あいあいとしていたにも関わらず、今年86日の文化振興会議の席上でで、

「文楽には2度目はたぶん行かないだろうと思いますね」

と発言。それを聞いた竹本さんは、

「えらいこと言わはったなあ」

と落胆の様子だったと書かれていました。この記事を書いている日経新聞編集委員の中沢義則さんは、

「不見識としか言いようがない」

と知事を叱っています。たしかに、あんまり「文化的」な香りが、知事からは漂っていないですねえ。あ、それはさておき、橋下知事の

「敷居が高い」

という言葉の使い方が、新しい使い方(まあ、「間違った使い方」と言われるもの)でした。竹本さんの「返し」、最高ですね!

(2009、10、20)

(追記3)

古い本を整理していたら、こんな表現が。『放送レポート 178号』(2002910月)の中の「視聴者の眼」というコラム。筆者は、『メディアリテラシー』(岩波新書)などの著書でも知られる菅谷明子さん。彼女が、

「ここのところニューヨーク公共図書館をテーマにした本の執筆に明け暮れている。この図書館は、膨大なコレクションを誇る世界有数の図書館だが、『敷居の低さ』でも世界一で、誰もが貴重なコレクションに容易にアクセスできる」

として、「誰もが容易にアクセスできる」ことを、「敷居の低さ」と表現していました。

(2009、11、23)

 

(追記4)

脚本家・一色伸幸さんの本『うつから帰って参りました』(文春文庫:20091010;単行本はアスコムから200710の中に「敷居が高い」が出てきました。

「敷居の高いレストランやホテルに、おっかなびっくり出入りし始めたのも、この頃だ。」

この「敷居が高い」「義理を欠いて行きにくい」のではなく、

「値段や格式が高いので入りにくい」

という意味ですね。

                                         (2010、1、14)

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2009年10月24日 14:42 | コメント (0)

新・ことば事情 3720

「いいです」

108日の産経新聞の読者の意見(投稿)のコーナーに、中国からの留学生(24歳)の意見が載っていました。アルバイト先で、

「氷は要りますか?」

と聞いたらお客さんが、

「いいです」

と言ったので、氷を持って言ったら、怪訝な顔をされたと。

この留学生の国(中国)では、要らない時は「要らない」とはっきり言うと。だからこういった分かりにくい中途半端な物言いは「如何なものか」という意見です。

これは実は、「いいです」にも2種類あるということです。つまり、

(1)   相手が言ったことを「肯定」する「いいです」

(2)   「持ってきてくれなくてもいいです」の省略形としての「いいです」

この2つがあって、

「この場合は後者である」

ということですね。おそらくこれは、日本人なら同じ「いいです」でもどちらのいいですか大体分かるけれど、やはり日本語体験の少ない留学生では分からないということのようです。日本語は奥が深い、ということでしょうか。

                   (2009、10、15)

2009年10月24日 14:41 | コメント (0)

新・ことば事情 3719

「もってる」

大リーグ、シアトル・マリナーズのイチロー選手が、メジャー史上初めて9年連続200安打を達成した後の会見を載せた新聞記事に、イチロー選手が、

「もってるのか、もってないのか」

と話したと書かれていました。これはどういうことかと言うと、

「シーズン当初と最近、胃潰瘍やふくらはぎの張りで16試合も欠場しながら、9年連続200安打という偉業を達成できてしまったという意味では、『強い運』を持っていると言えるが、それが地元のシアトルのスタジアムではなく、敵地(ビジター)での達成ということは、『運がない』とも言える。だから、『(運を)もっているのか、もっていないのか』」

ということのようです。

つまり「もっている」「もっていない」の前の「(強い)運」が省略されています。その意味では、

「結果を出す」

という言葉が、

「『良い結果』の『良い』を省略」

しているのと似た語法ですね。ほかにも、

「もてない」

が、

「『女にもてない』の『女に』を省略」

しているのも、似ています。

                 (2009、10、15)

2009年10月24日 14:40 | コメント (0)

新・ことば事情 3718

「大酒飲みか愛飲家か」

10月6日の「ミヤネ屋」の「ヨミ斬りタイムズ」のコーナーで、産経新聞夕刊(大阪にはあるのです)の記事を紹介しました。それは、

「閉経後の女性の大酒飲みは、乳がんリスクが高い」

というものでした。その「大酒飲み」の基準というのは、

「1週間に日本酒換算で7合以上飲む人」

というのです。その場合乳ガンの発症率は、まったく飲まない人の1、74倍という記事でした。愛知県がんセンター研究所疫学・予防部の川瀬孝和主任研究員らの研究だそうです。この記事を紹介する前に、森若アナウンサーから疑問が。

「1週間にお酒7合飲んだら"大酒飲み"なんですか?そのぐらい飲んでしまうことはありますけど・・・」

たしかに。

「1日に7合」なら「大酒飲み」かもしれませんが、「1週間」だと、それほど「大酒」飲みという感じはしませんね。

そういう疑問を持ちつつ、後で同じ日の日経新聞夕刊に載っていた同じ内容の記事を見たら、こちらの見出しは、

「乳がんリスク 愛飲家は高い?」

というものでした。「大酒飲み」の代わりに「愛飲家」が使われていました。あ、こっちの方が、表現がいい!

「大酒飲み」には明らかに「マイナスの評価」が働いていますね。「愛飲家」はどちらかと言うと「プラスの評価」が。そういえば「愛煙家」なんて言葉もありましたね、だいぶ死語になりつつあるかもしれませんが。

もしかしたら産経の記者の人は「お酒を飲まない酒嫌いの人」で、日経の記者の人は「お酒が好きな人」だったのかもしれません。

                 (2009、10、15)

2009年10月24日 14:38 | コメント (0)

新・ことば事情 3717

「『~に言及』か?『~を言及』か?」

「ミヤネ屋」のNデスクからの質問です。

『「赤字国債発行の可能性『に』言及する」でしょうか、それとも「赤字国債発行の可能性『を』言及する」でしょうか?』

答えは「に」

「に」「赤字国債発行という事態にまで達する可能性に『言及=言い及ぶ』」ので、「そこに至るまでの『過程』を含んだ言い方」になります。それに対して「を」は、単に「赤字国債発行の可能性」という「事象のみ」を指しているので、「そこに至る『過程』」は含まれていません。この場合、本当は赤字国債なんて発行したくないけど、仕方なくそうなってしまうかも、というニュアンスを表すのであるならば、「に」の方がいいでしょう。

もしこれが、

「指摘する」

ならば、「を」です。「指摘する」の場合は、結果を指せば、それに過程が付随するからです。・・・というふうに答えました。

                (2009、10、15)

2009年10月24日 14:38 | コメント (0)

新・ことば事情 3716

「マニフェストのアクセント2」

2009年8月30日の第45回衆議院総選挙は、民主党の歴史的圧勝に終わりましたが、その選挙報道の中で見かけた人々の「マニフェスト」のアクセントです。

 

<頭高アクセントの「マ\ニフェスト」>

     小沢一郎

     日本テレビ「ZERO」キャスター・村尾さん

     前原誠司

      

<中高アクセントの「マ/ニフェ\スト」>

     島田紳助

     中野寛成

     林芳正・元大臣

*NHK国谷裕子キャスター

<両方>

     日本テレビ・粕谷政治部長は、中高2回、頭高2回

     読売テレビ・辛坊治郎解説委員は、ほとんど頭高。1回だけ中高。

 

今後も注目しておきます。(2009910日までに書きました)

                  (2009、10、15)

2009年10月24日 14:37 | コメント (0)

新・ことば事情 3715

「半純血のプリンス」

今年の夏、映画『ハリー・ポッターと謎のプリンス』の日本語吹き替え版を、子どもと一緒に観に行きました。

この映画のタイトルの「謎のプリンス」に当たる部分の英語原題は、

the Half-Blood Prince

つまり直訳すると、

「混血の王子」

なのですが、「混血」という表現には差別的なニュアンスがあるために、映画の日本語訳タイトルでは、「謎のプリンス」となっています。3年前に日本語の翻訳本が出た時点で、一部の放送関係者の間で少し話題になりました。

私はまだ、日本語の翻訳本は読んでいなかったのですが、今回映画を観ていたら、「謎のプリンス」というタイトルとは別に、

「半純血のプリンス」

という言葉が出てきました。「the Half-Blood Prince」に当たる部分は「謎のプリンス」に置き換えたのではなかったのでしょうか?なぜ「半純血」などという、日本語としてこなれない表現が出てくるのでしょうか?(「半純血」は、紛れもなく、「混血」の言い換え表現でしょう。)

これは映画の吹き替えだけの問題なのか、それとも日本語翻訳本でもそうなっているのか?気になったので、すぐに近くの図書館で本を借りて来て読んだところ、本の松岡佑子さんの訳が、

「半純血のプリンス」

となっていました。映画の字幕屋さんが「半純血」と付けたわけではないようですね。

もう一点、気づいたのは、日本語翻訳本・下巻の表紙カバーの折り返しの所に、

「謎のプリンス(the Mysterious Prince)」=「原作ではthe Half-Blood Prince。ローリングは翻訳にthe Mysterious Princeを使うことを許可した」

という注釈がついていたことです。

本や映画のタイトルは「謎の」を使うことで「混血」を避けたが、本文の中では(日本語としてはこなれていない)「半純血」という表現を使わざるをえなかったようですね。

最初は違和感を覚えた「半純血」という言葉ですが、本を読み進むにつれて、「マグル(人間)」と「魔法使い」という2つの異なる「種」が「半分半分」ということを指していることから、「血が混ざる」という意味の「混血」ではなく、(こなれていないとは言え)「半純血」とせざるを得なかった心情も分かる気がしました。その意味では英語の、

the Half-Blood

が一番分かりやすいですね。直訳して、

「ハーフのプリンス」「ハーフ王子」

でも良かった気もするが、軽すぎますかね、それじゃ。

                 (2009、10、15)

2009年10月24日 14:35 | コメント (0)

新・ことば事情 3714

「漢族か?漢民族か?」

新疆ウイグル自治区で大規模な暴動が起き、156人とも400人ともはたまた800人とも言われる試写が出ている模様です。そのなかで、日頃から「ウイグル族」と反目していたのは「漢族」なのか?それとも「漢民族」とあらわすのか・メディア各社が揺れています。

78の朝刊各紙を見ると、

(読売)漢族(ただし79日社説は「漢民族」)

(朝日)漢族

(毎日)漢族(ただし78日社説は「漢民族」)

(産経)漢族

(日経)漢民族(ただし78日社説は「漢族」)

(共同)漢民族

と、「漢族」が4紙、「漢民族」が1紙と1通信社の記事(産経新聞に載っていた共同通信の記事)ですが、一般の記事と社説で、同じ新聞社の中でも統一されていないようです。

79日の読売新聞朝刊に談話を寄せている、現代中国政治史が専門南山大学・星野昌裕准教授は、

「漢族」

と、談話で話している模様です。

7月9日の毎日新聞の1面コラム「余録」では混在しています。最初「漢民族」と書き、次には「漢民族の反ウイグル人デモ」、さらにカッコ付きで「『漢族化』」、さらに「漢族支配」「漢族の反発」と、最初2回が「漢民族」で、後半は3回が「漢族」でした。

新聞用語懇談会の委員の知り合いの皆さんにメールで尋ねたところ、それぞれの意見(おもに社の現状と個人的見解だと思います)が返って来ました。

NHK

今回「漢族」。以前は、通常単独では「漢民族」だったが、民族間の対立ということで、不公平にならないよう「ウイグル族」に合わせて「漢族」としたと推測される。

(静岡放送)

我が社では特に取り決めない。個人的には「ウイグル」に対しての表現は「漢」だと思う。

(朝日新聞)

「漢族」。共同通信のように「○○族」「○○部族」は使わないという規定はない。「民族」を略したものが「族」という解釈でいいのではないか。字数の問題もあるだろうし、特にどちらかに統一しているということはない。

(朝日放送)

「漢族」。朝日新聞出稿の放送原稿が「漢族」になっているので、そのまま放送している。「ウイグル族」は、「ウイグル民族」という言い方をしないので、対応させるならば「漢族」がふさわしいのではないか。

(共同通信)

714日、以下のお知らせを加盟新聞社に連絡した。

◎中国の民族表記変更のお知らせ

「中国の民族表記について、これまで『記者ハンドブック』に従って

「漢民族」、「チベット民族」

と表記してきましたが、14日からそれぞれ「漢族」「チベット族」と表記するのを原則とします。

①中国国内では「漢族」などと漢字表記している

②当事者が蔑称(べっしょう)と受け止めていない

③日本語でも「族」表記が定着している

ためです。

そのほかの少数民族についても「ウイグル族」「チワン族」などと表記します。

しかし、放送報道局の放送原稿では、「漢族」については、耳で聞いて分かりにくい上、

「奸賊」と誤解される恐れもあるためという理由で、引き続き「漢民族」の表記も使用することにしている。

 

なるほど。分かりやすいですね。

また、724日の産経新聞のコラム「正論」を見ていると、中嶋嶺雄・国際教養大学理事長・学長が、

「漢族(中国人)によるウイグル族への暴行事件」

と書いていました。流れは「漢族」のようです。

                      (2009、7、24)

2009年10月24日 14:32 | コメント (0)

新・ことば事情 3713

「~を暴行した」

107日、家で読売テレビの「ニュースをゼロ」の関西ローカルのニュースを見ていたら、

「相良さん"を"暴行したことを認めています。」

という文章が出てきました。これは、

「相良さん"に"暴行したことを認めています」

ではないのでしょうか?「殺した」「殴った」「蹴った」「刺した」「強姦した」「襲った」なら「~を」ですが。いかがでしょう?私は違和感がありました。

そこで、すぐに担当アナウンサーにメールしたところ、

「おっしゃるとおり」

というタイトルの返事が。本文には、

「問題のくだり、何か違和感があって引っかかっていましたが・・・、そうですね。報道デスクに伝えておきます。」

とのことでした。この助詞の「に」と「を」、最近とみに、こういったミスが目立ちます。助詞の使い方が変わってきているのかもしれません。                       (2009、10、15)

2009年10月24日 14:26 | コメント (0)

新・ことば事情 3712

「三つ星」

昨日(2009年1013日)の「ミシュラン・ガイド京都・大阪編」発表のニュースで出てきた、

「三つ星」

の表記。けさ(1014日)の朝刊各紙を見てみたら、一般紙・スポーツ紙すべて、

「三つ星」

でした。ちょっと前の資料では、今年7月の日経新聞が、

「3つ星」

という表記を使っていたことがありました。ちなみにGoogle検索(1014日)では、

「三つ星」=802000

「3つ星」=999000

「三ツ星」=904000

「3ツ星」= 82400

でした。

ネットの傾向は「3ツ星」以外は、拮抗(きっこう)していますね。

                     

               (2009、10、14)

2009年10月24日 14:25 | コメント (0)

新・ことば事情 3711

「『山手線』命名100年」

2009年10月14日の朝日新聞夕刊(大阪版)に、

「『山手線』命名100年」

という見出しが載っていました。1周34、5キロメートルを約1時間で結び、1日数百万人が利用する、

「首都の足」

と表現されています。そういえば、きょう10月14日1872(明治5)年に「新橋―横浜間」に日本初の鉄道が開業した「鉄道の日」

そして、1909(明治42)年10月12日、当時の鉄道院が、品川線(「品川ー新宿―赤羽間」)、豊島線(「池袋―田端間」)、貨物支線(「大崎―大井連絡所」)をあわせて「山手線」と命名したのだそうです。だから正確には100年と2日、ですね。

そして、1925年に上野ー秋葉原―東京間の高架(!)が完成して環状運転を開始したとのこと。そして、よく聞かれるというか自分でも「?」と思うのですが、

「『やまてせん』か?『やまのてせん』か?」

ということに関しても、記事には記されていました。

「『やまてせん』と混在していた読みは、1971年、『やまのてせん』に統一された」

そうだったのか!やっぱり

「やまのてせん」

でいいんだ!昔のことをよく知っている人は、

「やまてせん」

という人もあるのでしょうね。納得しました。

                  (2009、10、14)

2009年10月24日 14:24 | コメント (0)

新・ことば事情 3710

「ガイジ」

2009年1月8日の朝日新聞朝刊「子供の声聞こえてる?未来へ」という特集記事で、

「ガイジ」

という呼び方があると書かれていました。

「障害児」

のことだそうです。初めて耳に(目に)しました。もちろん正式な言い方ではありません。頭の「ショウ」を略したこういった略語は、差別的な言葉、侮蔑語、隠語として使われることが多い略し方です。しかも子どもたちはこの言葉を、障害のある子どもに対して言うのではなく

「人と違ったり、変だったりする子」

に対して使うのだそうです・・・。

「ひどいと思うけど注意できない。自分が言われてしまいそうで・・・」

という中学1年生の女子の声が紹介されています。

「勇気を持って、注意しよう!」

というのは簡単ですが、なかなかそんな勇気を出せない気持ちも、よくわかります。

「で!どうする」

という解決策のまとめ高橋美佐子さん(記者?)は、

「教育現場に今、『死ね!』という言葉が氾濫している。『ガイジ』には揶揄のニュアンスも含まれ、発する側の罪悪感は乏しい。受けとめる側によっても、言葉の意味は軽くなったり重くなったり。だが教室の片隅で、病気や障害などリアルな『死』を身近に感じる子が、身を固くして聞いている。(中略)子どもの言動を注意する前に、まず大人のわたしたちが『おかしい』と伝える勇気を持とう。子どもの社会は大人のそれを投影している。」

そうなんです、子どもの社会は、大人の社会の空気を敏感に感じて投影されているんです。「空気を読む」のは、「大勢(たいせい)の空気を読む」ことよりも「弱い立場の人たちの空気を読む」でなければ、「"魔女"狩り」になってしまう。

先日見た、劇団四季のミュージカル『ウィキッド』は、「悪い魔女」の"ウィキッド"の物語ですが、「悪い」「良い」は誰が、何のために決めるのか?そして必ずそういった「悪い」立場のもの、憎しみの対象=スケープゴートを求める傾向が、人間にはあること、その中で どう生きていけばいいのか、どう生きていくべきかを考えさせられる、大変興味深いミュージカルでした。是非一度ご覧下さい。少し、話がそれてしまいましたが・・・。

            (2009.10、14)

 

2009年10月20日 14:22 | コメント (0)

新・ことば事情 3709

「最短か?最速か?」

1014日の「ミヤネ屋」冒頭の、読売テレビで2階からの顔出し中継コーナーで扱った話題、

2045年開業予定の東京―大阪・リニア中央新幹線」

で、当初原稿・スーパーともに、

「最短67分」

と出しましたが、「読売新聞朝刊」の見出しは、

「最速67分」

だったことから、スーパーを、

「最速」

に直しました。しかし、原稿は間に合わず、「最短」のままで放送されました。

ところが、読売新聞の記事をよく読んでみると、記事本文は、

「最短」

と書かれています。一体どちらが正しいのか?思うに、

「スピード」に着目すれば「最速」、「所要時間」に着目すれば「最短」

なのではないでしょうか?

この場合、3つあるリニアのルートの中で「所要時間」が「一番短い」のですから、

「最短」

の方が適当だったような気がします。どちらでも「間違いとは言えない」とは思いますが。新聞各紙をチェックすると、

毎日・産経・日経=「最短」

朝日=見出しも本文も「最速」

でした。(読売だけ見出しは「最速」、本文は「最短」

私は「最短」派です。

                  (2009、10、14)

2009年10月20日 14:21 | コメント (0)

新・ことば事情 3708

「2歳と10か月の男児」

1013日、神戸市長田区の集合住宅で昼火事があり、この住宅に住む2歳の男児と生後10か月の次男が亡くなりました。当時両親は不在で、2人と一緒に留守番していた5歳の長女は、近所の人に助けられて無事だったとのこと。やりきれない気持ちになりますが、なぜ親は、生後10か月の乳児を含む乳幼児3人だけを残して出かけてしまったのでしょうか・・・。

ところでそのニュース原稿ですが、最初、

2歳と10か月の男の子の遺体が見つかりました」

となっていました。しかしこれだと、

「2歳10か月の男の子が1人」

なのか、それとも、

「2歳の男の子と、生後10か月の男の子の、合計2人」

なのかが大変分かりにくい。

「10か月」の前に「生後」を付けて、

「生後10か月の男の子」

とした方が誤解を避けることが出来るでしょう。更に、

「2歳と生後10か月の男の子」

とするよりも、多少重複する感じはありますが、

「2歳の男の子と、生後10か月の男の子」

とした方が、耳で聞いて分かりやすいと思いました。

そうしたところで、命は戻りませんが・・・。

                  (2009、10、14)

2009年10月20日 14:19 | コメント (0)

新・ことば事情 3707

「柳ヶ浦か?柳ケ浦か?」

地名の表記で出てくる「ケ」と書いて「が」と読むもの、この「ケ」にも2種類あるのにお気づきでしょうか?「大きいケ」と「小さいヶ」です。以前、「平成ことば事情3415八ヶ岳」で書きましたが、またそういった事例が出てきました。九州の地名であり高校の名前でもある、

「柳ヶ浦」

です。この「ケ」は大きい?小さい?新聞を見ると、

「読売新聞」だけが「小さいヶ」

で、

「朝日・産経・毎日・日経・スポニチ・報知」は「大きいケ」

でした。なぜでしょうか?ちなみに「柳ヶ浦高校」のHPは「小さいヶ」でした。

各社の知り合いに聞いてみたところ、

 

<朝日新聞>

「柳ヶ浦」の「ケ」や、「1カ月」の「カ」は大文字表記にしている。元々、「1箇月」などと書かれていたものだが、箇の略体「个」がカタカナの「ケ」に似ているため、代用されたもの。これが、さらに格助詞「が」にも代用され「柳ヶ浦」「霞ヶ関」のような表記になった。朝日が「ケ」「カ」を大文字で表記するのは、五十音表に「ケ」「カ」の小文字が存在せず、「ケ」「カ」の小文字に対応する発音の役割がないから、というのが理由。ただし、見出しなどでは、バランスを考慮して「やや小さいフォント」を使用する場合もある。「ケ」「カ」を小さく表記している理由は、おそらく「ケ」「カ」にほとんど意味がない、ということなのだと思う。「柳ヶ浦」を「柳浦」、「霞ヶ関」を「霞関」と書いても、ほとんど問題はない。事実、「阿佐ヶ谷」「阿佐谷」など両用の表記を持つ地名もあるのだから。ただ、「1カ月」を「1月」と書くと、どう読めばいいのか迷う場合もある。「ケ」「カ」は「読み手の手助けにする符号」なのだとの考えに基づけば、小さく表記することも一つの選択肢だろう。また「小さいケ」は使っていない。そういう字は2006年までの文字一覧にはなかったが、その後追加された。しかし、日常的に使っていない。

 

<産経新聞>

産経は固有名詞のもとの表記がどうであろうと、「ケ」「ガ」は「小さな字を使わない」というのを、一応の原則としている。しかし例外もあり、取材記者が「どうしても小さな字を使ってくれ」と言えば、あっさりと通してしまうこともあるようだ。

 

<毎日新聞>

「柳ケ浦」に限らず、毎日ではこの手の固有名詞すべて「大きなケ」にしている。社員で「小さなヶを署名に使いたい」と「強い希望」を出した記者もいたが、却下したこともあった。個別の対応が難しいので「すべて小さなケ」か「すべて大きなケ」かの二者択一になる。毎日新聞では昔から記事では「大きなケ」を使ってきたので、外部の申し入れなど変える大きな理由も特になく、そのままにしているというのが実態。

 

また、199612月毎日新聞のコラム『読めば読むほど:校閲インサイド~「ケ」と「ヶ」は他人の関係 』(軽部能彦記者)によると、

『1ケ○円、3ケ月間、神奈川県茅ケ崎市......。ケと書いてあるのに、なぜか、それぞれ「コ、カ、ガ」と読みます。片仮名は表音文字ですから、ケをほかの音に、しかも三つの音に読ませるというのはルールに反します。では、このケはなにものでしょう。片仮名は主に漢字の画を省略して出来上がっておりケも「介」を簡略化した文字です。ところが「1ケ」「3ケ月」のケは、数をかぞえるときなどに使われる漢字の「个」が変わってできたもの、あるいは「箇」の竹かんむりの一方を拝借したものであるとか言われています。どうも片仮名のケとは、他人の関係らしいのです。姿かたちが似かよっているというより、今では両方とも区別なく「ケ」を使っていますから、もはや一心同体じゃなくて二心同体になってしまったわけです。それでも「1ヶ」「3ヶ月」などと、小さく記すことがあるのは、片仮名となんとか書き分けようという気持ちの表れでしょうか。茅ケ崎市の場合も「正式には茅ヶ崎と小さく表記する」そうで「1947年10月に市になる際、出された政府の通達が小さかったから」(同市役所)だとか。ところで、毎日新聞では「1ケ」「3ケ月」とはせず、「1個」「3カ月」と書くようにしています。人名や地名のような固有名詞は別ですが、そのときでも、大きな文字が使える見出しなどのほかは、「茅ヶ崎市」といったようにはしていません。新聞記事の文字はもともと小さいのに、さらに小さい文字を使うと読みづらくなるからです。』

とのことです。ふーむ、いろいろ事情はあるようですね。その後出てきた、茨城県の、

「龍ケ崎市」

「ケ」は「大きい」のだそうです。うーん、ややこしい!市役所のHPの「ケ」は確かに大きかったです。ほんとに、ややこしい!

                 (2009、10、14)

 

2009年10月20日 14:11 | コメント (0)

新・ことば事情 3706

「名前で飲ませる缶コーヒー」

いつものように、飲み物の自動販売機の前に行って気が付いたこと。

最近、やたらと「主張する缶コーヒー」が多い気がするのです。たとえば、写真のようなものです。

 

「至福のラテ」

「微糖の芸術」

「超微糖の哲学」

これらは「ネッスル」ですが、「ジョージア」でも、

「ご褒美ブレイク」

なんて缶コーヒーがあります。新しいもの好きの私は、ついつい一通り、買って飲んでしまいます。

これまでもコーヒー以外の飲み物では、

「オレンジ丸ごと つぶつぶオレンジジュース」

といったように、とても説明的なこういった傾向は見られましたが、こと缶コーヒーで、

「イメージを高める形容がついたコーヒー」

というのは新しい傾向ではないかと。そんなことを考えながら一服している私です。

2009、10、13

2009年10月20日 13:30 | コメント (0)

新・読書日記 2009_189

『すべての経済はバブルに通じる』(小幡績、光文社新書:2008、8、15)

バブルはそのこと自体がすべて」

という説明は、最初、「説明を逃げてる!」と思いましたが、読み進めるうちに、ちょっと納得。しかし、「バブル」は人をうらやむ、相対評価だから起きるのであって、「人は人、自分は自分」という絶対評価の中では起きないのではないか?とも感じた。

そして「金融資本主義」は「キャンサー・キャピタリズム」であると看破する著者、この本が出た時点では、まだ「リーマンショック」は起きていないにもかかわらず(直前!)、緩やかにそれを予言している!鋭い透視は、冷静なデータ分析と巨視的な視点に支えられているのだろう。

これを読んで、勝間和代氏は金融資本主義の走狗・広告塔に過ぎないということが、よくわかった。経済を「ガン化」させることを促進させているのだ。それは一部の人の精神を「ガン化」させているかも知れない。(うまくフィットする人は、いいのでしょうが)


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(2009、10、17読了)

2009年10月19日 19:42 | コメント (0)

新・ことば事情 3705

「ショウワクセー」

 ある雑誌で、作家の高橋源一郎さんが書いていたのですが・・・・。

高橋さんが教えている大学では12年生が、34年生を指して、

「ショーワクセー」

というそうです。高橋さんは

「小惑星?」

と思ったら、実は「平成生まれ」の1・2年生が、「昭和生まれ」の3・4年生を指して、

「昭和臭ぇー」

と言っているのだと。ヒエー、そうなのか!これってとっても「差別的」だよなあ・・・そんな細かいところで差別してどうする!!

「小惑星イトカワ」と聞いて「小学生イトカワ」と聞き違えた私としては、思うわけですわ。(「平成ことば事情2411小惑星イトカワ」もお読み下さい。)

(2009、10、13)

2009年10月19日 19:35 | コメント (0)

新・ことば事情 3704

「秋秋刃魚」

92、会社が休みの日に、大阪ミナミで昼時にふらっと(初めて)入ったお店のメニューを見ていたら、

「秋秋刃魚の葱焼き」

というメニューが壁に張ってありました。「秋」が頭についています。平仮名で書くと、

「あきさんま」

と言うつもりなのでしょう。「秋のサンマ」かあ・・・と思ってよく見ると、微妙に違う。「秋刀魚」

ではなく、

「秋刃魚」

つまり、

「刀」→「刃」

うーん、頼んだ方がいいのか?・・・「秋秋刃魚」、結局、頼みませんでした。

そしてそのメニューの横には、

「鱧の天ぷら」

と、さらに、

「松茸の土瓶蒸し」

と書かれたメニューが張ってありました。「秋」と「夏」が「呉越同舟」(?)の微妙なメニューなのでした。

(2009、10、13)

2009年10月19日 19:34 | コメント (0)

新・ことば事情 3703

「馬車が歩く?」

本当に久しぶりに、何年ぶりかで、知り合いのUさんからメールが来たと思ったら、言葉に関する質問のメールでした。

「教えて下さい!『馬車』は、やはり『走る』としか表現できないのでしょうか。『馬車がトコトコ音を鳴らし走っている、のどかな風景』の文章で、そのスピード感に違和感があり、馬車はトコトコ『歩いている』に変えると、車が歩くのも変だし。困ってます。ご意見いただけると有り難いです。」

うーん、なんじゃ、こりゃあ!という質問ですね。よーし、答えてやろうじゃないの。「馬車が歩く」はいくら比喩表現としてもおかしいよなあ。そこで、

「お尋ねの『馬車』の件ですが、『進む』ではいかがでしょうか?もしくは『行(ゆ)く』でもいいのでは?」

と返事のメールを送ると、

「有難うございますっ!結局、『行く』を少し客観的に『行き過ぎる』or『通り過ぎる』でいきます。『馬車がトコトコと通り過ぎる、のどかな風景』。『馬車』って『馬』ではなくて『車』なんですね。こんな事考えた事もなかったです。有難うございました。勉強になります。感謝です。」

というお返事が。結局は役に立ったのか、立たなかったのか?ちょっとはお役に立てたようではあります・・・。

(2009、10、13)

2009年10月19日 19:33 | コメント (0)

新・ことば事情 3702

「弔問に訪れる」

 105日の「ミヤネ屋」の原稿をチェックしていたら、Hディレクターから、

「原稿に『中川氏の弔問に訪れた鳩山総理』というのがあったのですが、『弔問に訪れた』は重複していませんか?」

と質問が。辞書を引いてみると、確かに「弔問」は、

「死者の遺族を訪問してくやみを言うこと。弔慰。」(『広辞苑』)

とあり、実際に訪ねて、お悔やみを言うことです。つまり「弔問に訪れる」厳密に言うと「重複表現」でしょう。ただ、『広辞苑』「弔問」の意味の中に、

「弔意」

ともあったことからも、「弔問しました」だけだと「訪れた」というニュアンスが弱く感じられるために、「訪れました」を付け足したくなる気持ちも分かります。

今回は「弔問に訪れる」は「許容」ということにしました。今後、「弔問に訪れる」という表現に注目していきたいと思います。

 

(2009、10、13)

2009年10月19日 19:32 | コメント (0)

新・ことば事情 3701

「畳75枚分か?75畳分か?」

夕方のニュース「ten」のスタッフから電話がかかってきました。

「道浦さん、出雲大社にある大きな『日の丸』の大きさの表現なんですが、『畳75枚分』でしょうか?それとも『75畳分』でしょうか?」

少し考えて、

「うーん、どちらでも間違いではないようにも思うけど・・・・そうだな、『部屋の広さ』を表すのなら『75畳分』だけど、この場合は『旗の大きさ』を示すんだよね。それなら、『畳1枚を基準』にしてそれが『何枚分あるのか』という意味で考えて、『畳75枚分』の方がいいかな。『~畳』という助数詞は、『広さの単位』だからね。」

それから、関連の話として、

「『百畳敷き』とか『千畳敷き』とか呼ばれる名所なんかがあるけど、それは実際に『100畳』や『1000畳』きっちりあるのではなくて、『広い』ということを言っているんだよね。『ナナイロ(七色)の変化球』とか『ゴシキ(五色)沼』のようなものですね。この場合の『~畳』はやはり『広さ』の単位だね」

「わかりましたあ!」

ということで、一件落着でした。

(2009、10、13)

2009年10月19日 19:30 | コメント (0)

新・読書日記 2009_188

『のはなし に』(伊集院光、宝島社:2009、10)

あ、『のはなし』の「2」が出てるじゃないか!
と、行きつけの本屋さんの「なんでこんな所に並べてあるんだろ?」というところに積んでありました。
以前読んだ『のはなし』は、めっちゃくちゃおもしろくて、
「伊集院光って、なんて才能があるんだろう!」
と感心したので、当然この「2」も大きな期待を持って読みました。
が、ちょっとそういう「大きな期待」から言うと、「期待はずれ」気味?伊集院に慣れてしまったのか?エッセイによって、前の本より「当たりはずれ」があるように感じました。
でも、「おもしろい!」と笑うよりは、
「なるほど、そういうふに構成するか、さすがだな」
と感じることが多かったように思います。結構長い期間のエッセイ(6年分ぐらい?)を集めているようです。


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2009、10、11読了

2009年10月19日 11:59 | コメント (0)

新・読書日記 2009_187

『テレビは見てはいけない~脱・奴隷の生き方』(苫米地英人、PHP新書:2009、9、29第1刷)

タイトルがとても"挑戦的"というか(それは私がテレビ局の人間だからそう思っただけですが)、それにつられ買って帰り、家に帰ってから、
「あ、この本の著者は・・・」
と思い当たりました。というのは、以前、シンプルな装丁が気に入って買った「話し方に関する本」、これが家で読んだら「トンデモ本」で、読書日記に載せるまでもないという判断をしたことがあったのですが、その本の著者だったのです・・・。
でもとりあえず、読んでから判断しようと。
うーん、雰囲気としては「ドクター中松」みたいな感じなんですよね。すごい人のようなんだけど、すごすぎて(?)地に足が付いていない、フワフワしていて、常人では理解しにくいような・・・。1~2割は共感できるところはあるのですが・・・。というところで、勘弁してください。


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2009、10、12読了

2009年10月19日 11:58 | コメント (0)

新・読書日記 2009_186

『これでよろしくて?』(川上弘美、中央公論新社:2009、9)

久々に川上弘美の小説を読んだ。
なんだか時間がゆったり流れている感じがする。ふた昔前の「吉本ばなな」の小説の人物が、20歳年を取ったようなそんな感じか。
この小説の中では、「夫婦と家族」「嫁と姑」、そしてまたまた「家族って何?」ということを考えさせられる。しかも最後には「スカッ」とした感じがするので、「癒やし」の小説だと思います。


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2009、10、12読了

2009年10月19日 11:56 | コメント (0)

新・読書日記 2009_185

『お金は銀行に預けるな~金融リテラシーの基本と実践』(勝間和代、光文社新書:2007、11、20第1刷・2008、4、30第13刷)

妻が読んで「もう要らない」と言っておいてあったので、ざーっと読んだ。
うーん、どうだろ?
この本が出たのが、サブプライムローン、リーマンショックの前で、その時期に5か月で13刷という凄い勢いのベストセラー。その後の売り上げは、どうなっているのだろうか。
全体として「上から目線」というか、対象とする読者を選んでいる感じがある。ところが、買って読んでいる人は、著者が考えている対象者じゃないというようなギャップがあるように感じるのだが。そうでもないのか???
ちょっと、違うというか、あわないなあ。
(「AERA」の対談の後に読んで、やっぱりこれは香山さんとは全然かみ合わないやと、改めて思いました。そして香山さんがなぜ噛み付くかも、感覚として共有できた気がします。)


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2009、10、12読了

2009年10月19日 11:55 | コメント (0)

新・読書日記 2009_184

『週刊AERA~香山リカVS勝間和代』(朝日新聞出版:2009年10月12日号)

『香山リカ×勝間和代 激論2時間「ふつうの幸せ」に答えはあるか』
という巻頭特集、この二人を戦わせるなんて、編集者、すごい!今一番ホットなんじゃないですか?ハブとマングーズの対戦のような激闘です。
対談の様子は6ページしかなくて物足りないんですが、いやあ、すごいよね。異種格闘技のような感じで。絶対かみ合わないと思っていたら、やっぱりかみ合わない感じで、・・・。戦いを仕掛けたのは香山さんの方だと思うけど。というのも、37万部のベストセラーになっている著書『しがみつかない生き方』の中で、「勝間和代を目指さない」と、否定的に勝間さんを実名で登場させているんだから。いきなりケンカ売られても・・・という感じが勝間さんにはあるでしょうね。いやあ、もっと読みたかったなあ!


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2009、10、5読了

2009年10月19日 11:51 | コメント (0)

新・読書日記 2009_183

『大人のジョーク』(馬場 実、文春新書:2009、4、20第1刷)

読み終わって・・・あれ?これ、前に読んだ気がする・・・。
調べてみたら・・・ああ!5月に「読書日記85」で書いてるじゃない!その時は☆3つ。やはり2度目だと、「どこかで見たような・・・(当たり前だ!)」という気がして、☆が半分減りました。


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2009、10、13読了

2009年10月14日 12:48 | コメント (0)

新・読書日記 2009_182

『落語 昭和の名人決定版・十代目金原亭馬生 弐』(編、小学館:2009、9、1)

「首ったけ」(昭和43年9月27日)、「佐野山」(昭和56年6月6日)、「初天神」(昭和57年1月7日)の3題。うーん、どうでしょう。「初天神」は、小さんの方が好きだなあ・・・なんて思ったりしながら聞きました。


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2009、8、29聴了・読了

2009年10月14日 12:43 | コメント (0)

新・読書日記 2009_181

『折れそうな心の鍛え方』(日垣 隆、幻冬舎新書:2009、9、30)

最近注目している「心が折れる」という言葉がタイトルに入った本ということで、すぐに購入。日垣さんが「うつ」気味なんだそうだ。いつものアイロニーさが陰を潜めて、誠実な感じのする一冊。「折れそうな心」を鍛える50の方法が書かれているほか、後半の「泣ける映画ベスト30」もお勧めです。
中でもストレスの対処法として簡単に3つのことが記されていたのが「なるほど」と思いました。それは、
(1) あとで放り出すようなものは最初から引き受けない。
(2) 引き受けてしまった以上は、楽しむ(そのストレスを育てない)。
(3) ストレスのままだったとしても、その仕事に対する評価を確保する。
なるほど、なるほど。自分でも、そういうふうにやっているような気がします。(1)は仕方なく引き受けてしまうことがあるけど、(2)と(3)はそうだなあ、そうしてる感じ。それが出来ない時には「爆発」しています。ストレスは溜め込まないことが大切ですね。


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2009、10、8読了

2009年10月13日 12:22 | コメント (0)

新・読書日記 2009_180

『「51歳の左遷」からすべては始まった~大逆転のリーダーシップ論』(川淵三郎、PHP新書:2009、7、1)

川淵チェアマン(今はキャプテンか)は、日本サッカーをプロ化させ、W杯に出場できるようにした、日本サッカー界にとっての大大功労者で凄い人ではあるが、人間として"好きなタイプか"と言うと...ちょっと違う。ちょっと一癖も二癖もあって、どちらかと言うと「イヤなヤツ」に分類されることが多いのでは?と勝手なことを言っていますが、そんな川淵さんの人生の大きな変革点は、51歳の時に子会社への出向を命じられたこと。それまでにも異動はあったし、サッカー選手の現役から監督などのへ変化はあったけど、この51歳の出向が一番大きく、しかも"その後の川淵三郎"を作ったきっかけだったと。
結局、人生いろいろな出来事に翻弄されるのだけど、それをいかに前向きに捉えて努力をするかということが大切なんだろうなあと、PHP的観点でそう思いました。
現在、奥様がC型肝炎の闘病中で、皿洗いから洗濯まで、家事は川淵さんが(全部ではないだろうけど)やっていると「告白」しているが、それも奥さんとしては「言ってほしくない」ことかもしれないけど、その辺は「言っちゃう」人であり、世代なんだろうなあと思います。意外と良かったです、この本。


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2009、10、4読了

2009年10月13日 12:19 | コメント (0)

新・読書日記 2009_179

『関係する女 所有する男』(斎藤 環、講談社現代新書:2009、9、20)

この本を本屋さんで見かけて、タイトルを見た瞬間「そうよ、そうなのよっ!!」という感じでこの本を手に取り、レジに向かった。もちろん「男はこう、女はこう」と100%決め付けることは出来ないが、「確かにそういった傾向がある」と日ごろ感じていたので、「なぜ、そうなんだろう?」という部分に、ガゼン興味が湧いたのであった。だって、モノを集めるのが好きな、いわゆる「おたく」「マニア」って、圧倒的に男が多いでしょ?子どもの頃、切手やカードを集めていたのは「男の子」出し、やっぱり「男」には『収集癖』があるのでは?詳しくは本書を読んでください!


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2009、9、27読了

2009年10月 9日 12:13 | コメント (0)

新・読書日記 2009_178

『数学者が読み解く仏教世界~冥途の旅はなぜ四十九日なのか』

大変、期待を持って読んだが、だんだんそれがしぼんでいった感じ。期待が大きすぎたかも・・・。とは言え、大変ためになる本。数字と仏教世界の関係、そして仏教が描いた数学的というか哲学的な世界を垣間見ることが出来る一冊。
数学も言語学も宗教学も、突き詰めていくと「哲学」につながるのではないか。そんな気がした。だって人間がやることだもの。そして人間も自然の一部だもの。"あいだみつを"的に、シメ!


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2009、10、3読了

2009年10月 9日 12:12 | コメント (0)

新・読書日記 2009_177

『世襲義員のからくり』(上杉隆、文春新書:2008、5、20)

「ミヤネ屋」でもおなじみの上杉さんの本。『週刊文春』に不定期連載中の特集だが、"いまこの時期"(今年5月)に出すことが「時宜を得ている」と判断されたのだろう、その意味で"緊急出版"なので、新書にしては薄い(ページ数が少ない)。その分、読みやすいとは言える。
結局「世襲」は、「政治資金」という「無税の相続」が、他の(資金の乏しい)新しい人材の政界への進出を阻害している、と。「無税」というのは「宗教法人」にも通じる?政治は宗教なのか?誰のための政治なの?と。「芸能人の世襲」とはワケが違う「政治家の世襲」を斬る。


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2009、9、30読了

2009年10月 9日 12:11 | コメント (0)

新・読書日記 2009_176

『大麻ヒステリー~思考停止になる日本人』(武田邦彦、光文社新書:2009、6、20)

今年は、「薬物」に関して有名人や若者が捕まる事件が相次ぎ、否応なくそういった薬物に注目してしまう。とは言え、普段もちろんそういった薬物と付き合いはなく「いけないもの」「悪いもの」とバッサリ切り捨てて、それ以上の知識・認識を持っていない私にとって、この本は「目からウロコ」。そしてこの本は、「大麻」とどう付き合うか(付き合わないか)ということを説いているのではなく、世間一般に言われている"常識"を疑う目をしっかり持ちなさいよ、ということを説いている本。だって著者は、あの「武田邦彦」先生だもん。


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2009、8、13読了

2009年10月 9日 12:10 | コメント (0)

新・読書日記 175

『折れない心の作り方』(斎藤孝、文藝春秋:2008、8、30第1刷・2009、3、10第3刷)

「心が折れる」という言葉に、いま注目している。2010年版の『現代用語の基礎知識』でそれについて書いているのだが、そうして改めてこの言葉に注目してみると、色んなところで見かける。かの齋藤孝先生も書いていた。しかも使われ始めたのは「格闘技」からだと。私の予想と同じであった。意を強くしました。それにしてもなぜ「心」が「なえる」ではなく「折れる」なんでしょうね?


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2009、9、29読了

2009年10月 9日 12:08 | コメント (0)

新・読書日記 2009_174

『芸のためなら亭主も泣かす』(中村うさぎ、文春文庫:2008、8、10)

「芸のためなら女房も泣かす」と言えば、春団治だが、近頃は「男女逆転現象」が・・・。
『週刊文春』の連載エッセイを単行本にして2006年に出したものを、2年後に文庫化したもの。昔は中村うさぎのエッセイ、よく読んでいたのだが、一時期、読まなくなった。ちょうどその頃のもの。だって、「一体この人は、どこまで壊れていってしまうのか?」というのがわからなくて、怖かったんだもん。ブランド物、ホスト、整形と来て、ついにデリヘル嬢...普通じゃないっす。その真面目さというか、特攻隊のような突っ込み方。最近はまた、お役所の人と「区民税滞納」で闘っていて、それは共感を持てるのでまた読んでいたのだか、ここ数か月、何だかまた話が重くなってきて、「大丈夫か、中村うさぎ!?」という感じ。昔の「北杜夫」のような感じがする。躁鬱の気があるのではないか?おもしろいんだけど、巻き込まれる周囲の人は大変だと思う。本人はわかっちゃいるけど...なんだろうなあ。


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2009、9、28読了

2009年10月 9日 12:07 | コメント (0)