新・読書日記 2009_63
『大槻教授の最終抗議』 (大槻義彦、集英社新書:2008、11、19)
154ページと薄い本。「講義」と「抗議」の意味をかけているんでしょうね、タイトルは。ということは、引退するのでしょうか?大槻教授は?
「オカルトという非合理な精神はファシズムにつながる危険が大きい、と私は思っている。」
というところが、一番印象に残りました。
『大槻教授の最終抗議』 (大槻義彦、集英社新書:2008、11、19)
154ページと薄い本。「講義」と「抗議」の意味をかけているんでしょうね、タイトルは。ということは、引退するのでしょうか?大槻教授は?
「オカルトという非合理な精神はファシズムにつながる危険が大きい、と私は思っている。」
というところが、一番印象に残りました。
『この金融政策が日本経済を救う』 (高橋洋一、光文社新書:2008、12、20)
「たかじんのそこまで言って委員会」にもよく出演している経済の専門家。元官僚で東洋大学教授。「政府紙幣」の発行を唱えている。「委員会」では宮崎哲弥さんが、この人の経済政策に賛同しているので、どんな本かと思い読んでみた。けっこう難しかった。最後に「インフレターゲット」的な話も出てきた。また、「実体経済」とは、「経済のうち、金融面を除いたもの。モノやサービスの生産・分配に関わる部分。GDPで計測できる」と書かれていた。「ふーん」と思って勉強になったな・・・・と思った次の日の夕方、衝撃のニュースが!著者の高橋洋一氏が、「窃盗」容疑で書類送検されたというのだ。しかも犯行の場所は「スーパー銭湯」で、他人のサイフとブルガリの腕時計を盗み、「こんな高級腕時計をしている人は、どんな人か知りたかった」というのが理由だというのだから、あきれます。なんなんだあ・・・。☆一つ、減らそうか。
『神の雫20(モーニングKC)』 (作・亜樹直、画・オキモト・シュウ、講談社:2009、3、23)
マンガです。今年の初めに1巻から19巻まで一気に読んでしまいました。その後ドラマが始まって・・・これは残念ながら、視聴率低かったんですけど。ようやく20巻が出ました。1冊だけだと、アッという間に読んでしまうなあ。
21巻が出るのは7月だとか。待ちきれないなあ。
『出身地(イナカ)がわかる! 気づかない方言』 (篠崎晃一+毎日新聞社、毎日新聞社:2008、8、30)
「気づかない方言」というものがあるのを知ったのは、10年ほど前。大阪人が「共通語」と思っているけど、れっきとした「大阪弁」であるというもので、たとえば「なおす」(=「片付ける」の意)、「押しピン」(=「画鋲」の意)。三重県だと「とごる」(=「沈殿する」の意)など。本人は「方言だよ」との指摘を受けて初めて、「え?これって方言なの?」と驚くという言葉である。島根県の「気づかない方言」で「みやすい」(=「簡単」の意)というのがあるそうだが、島根の隠岐出身のスタッフに「『きょうのテストは、みやすかったよ』っていうふうに言う?」と聞いたところ、「言いますよ・・・え?方言なんですか?」と驚いていた。ウッシッシ。
『続・世界の日本人ジョーク集』 (早坂隆、中公新書ラクレ:2009、3、10)
「続」とあるので、もともとの「正」があった。それも以前読んだが、今回の「続」は、単に世界の日本人ジョークを集めて紹介するのではなく、そのジョークの背景や、そこから引き出される著者の考えを、かなり厚めに書いているので、"著者・早坂 隆の著作"という色合いが、前作より濃くなっていると言えるのではないだろうか。
また、従来の「日本人観」がここ10年・20年の間で変わってきていて、これまでの「メガネをかけてカメラをぶら下げた、エコノミックアニマル」から、「精密機械を作り、アニメや映画などでも"クール"でカッコイイ」という「プラスのイメージ」に変わってきているということを、日本人自体がまだ認識していないのではないか、ということも示している。 なんだか「大阪人」「大阪弁」のイメージの変化とも重なるなあという風に思ったのでした。
『排除の空気に唾を吐け』 (雨宮処凛、講談社現代新書:2009、3、20)
最近よくその名前を目に(耳に)する雨宮処凛。これまで、その醸し出す雰囲気が「あまり合わないな」と思って避けていたのですが、本書は大変刺激的なタイトルに、つい買って読んでしまいました。読んでみたら、その現場感覚は「なるほど」と思ったのですが、主張には「・・・?」と思うところが少なくありません。シングルマザーで、2歳の子どもに一人で留守番をさせてスノーボードをしに行っている間に火事になり、子どもが死んでしまった母親が、「育児に終われて、ちょっとだけ息抜きをしたかった」。普段は子供の予防接種にも欠かさず連れて行き、子どもを寝かしつけた後の夜中に一生懸命働いていたなどの背景が書かれています。また6歳の息子に、2歳の双子の男児と女児の面倒を見させて男のところに行ってしまい、その間に2歳の子が餓死してしまった母親とか・・・これに対する「シングルマザーに対する社会の構造がおかしいから」という言い分に、説得力はありますか?たしかに「貧困率」は、ある調査によると「両親がいる子どもの家庭」が11%なのに対して「シングルマザーの家庭」は66%という経済格差があるのは事実でしょうが、シングルマザーの家庭でもちゃんとやっている家庭がたくさんあるのに・・・。それとこれとは話が違うと思いました。「もやい」の湯浅氏と、この雨宮氏は、話が合うのかなあ?
『日本語の作法』 (外山滋比古、日経BP社: 2008、10、8第1刷、2009、2、16第3刷)
前も書いたかもしれませんが、外山滋比古さんといえば、高校から大学時代、つまり今から30年ほど前によく読んだ人。でも最近また、その頃の書物の復刻版(?)や、新しい書物がよく出ているのですね。すごいです。
この本も「日経ビジネスアソシエ」という雑誌に2005年10月から2008年7月まで連載されていたコラムから抜粋されたもの。頑張っておられるなあという気がします。
「外来語、カタカナ語を乱用するのは怠けであり(中略)不届きである」
というのは、同感。これは「コンプライアンス」という言葉に向かってのひとこと。
「イギリスのチャーチル元首相は『大声で話すと、知恵が逃げ出す』と言った。」
のだそうです。たしかになあ・・・。
「大正の中頃のこと、『とてもきれいだ』というような言い方が始まって、心ある人は心を痛めたという。」「とても」の後には「否定」を伴うのが普通で、「とても」を強調語に使うのは「破格」だったそうだ。今の「全然」と似てますね。
などなど、薄い冊子ですが、勉強になります。
『ありふれた思い出なんてないさ』(沢野ひとし、新風舎:2007、5、15)
つぶれてしまった新風舎から出ている本。以前、新風舎の編集の方が、送ってくださった。なかなか読めずにいたのだが、週末にふと手に取り読み出したら、惹き込まれた。著者の「へたうま」風のイラストは、椎名誠の小説のイラストで見知っていたが、エッセイをちゃんと読んだことはなかった。なんと言うのかなあ、切なさというか、孤独というか、わびしさというか、でも、そこはかとなく感じられる「生きる」ということの喜びと悲しさ。それが、文体からもまたその絵からもあふれ出ているのである。いい本だ。
まず絵を全部見てから、エッセイの方を読み出した。
「人生って・・・」
なんて言葉を、がらにもなくつぶやいてしまいそうな一冊だ。
「犬はネコと違って常に愛想を振りまき、」(154ページ)
「クロは娘の顔を見ている間、しっぽを振って愛嬌を振りまいていた。」(166ページ)これは「愛嬌を振りまく」が正しいですね。って、そんなこと、どうでもいいよ!
『翻訳のココロ』 (鴻巣友希子、ポプラ社:2008、12、5)
このところ翻訳者の本で注目は、この鴻巣友希子。何冊か出ている。いずれもかなり専門的ではあるが、詩人のような部分も感じられるし、女性的ではなく男性的な部分も感じられておもしろい。ワインのカーヴなどを訪ね歩いたところなどもおもしろかった。wineという言葉を「ワイン」と訳すか「ぶどう酒」とするか「酒」とするかなど、ある意味wineの文化の違いでもあり、日本の酒文化の多様性でもあるところがおもしろかったが、実際に訳す人は大変だろうなあ。「嵐が丘」の翻訳の話も、興味深かった。
『その国語力で裁判員になれますか?』 (入部明子、明治書院:2008、4、20)
挑戦的なタイトルだが、中身はいたって謙虚で丁寧。1000円は高いけど、適正価格は700円ぐらいか。去年の4月、1年前にもう出ていたんですね。気付きませんでした。
このタイトルのように言われたら、
「すみません、無理です、ゴメンナサイ、裁判員やめます」
って言っちゃいそう。うーん、でもこんなに勉強しないと裁判員ってなれないのか。大丈夫かな、もうこの5月に始まるのだけれど・・・。
『言語学の戦後』 (田中克彦、聞き手・安田敏朗・土屋礼子、三元社:2008、10、31)
田中克彦先生に、安田敏朗・土屋礼子の両氏がインタビュアーになって話を聞いたもの。かなり専門的な話なので、興味のない人にとっては、まったく「なんのこっちゃ」みたいな本ですが、多少興味のある方にとってはとてもおもしろく貴重な一冊と言えるのではないか。以前、爆笑問題の二人が田中先生に話を聞くテレビ番組の内容を本にしたものがあったが、あちらは入門者向けにやさしく話されて(書かれて)いたが、これは専門的。以前読んだ、鈴木孝夫との対談の方が私はおもしろかった。安田と田中は、直接の師弟関係でもないし年齢的な隔たりなどもあって、全体の雰囲気としてやや遠慮があるように感じられた。
『「汚い」日本語講座』 (金田一秀穂、新潮新書:2008、12、20)
秀穂先生が、"養老先生化"したような、意識垂れ流し系の本。
大学のゼミでの話を中心にしているような感じですが、これまでの秀穂先生の本に比べるとおもしろい。でもちょっと話が「下(しも)」中心で。そこがおもしろいと言えばおもしろいのだが、ちょっと「汚い」です。「けがれ」系じゃない「きたない」系の言葉の意識・テツガクの本ですね。
『お言葉ですが・・・ 10ちょっとヘンだぞ四字熟語』 (高島俊男、文春文庫:2009、3、10)
久々の「お言葉ですが・・・」に出会った!もう「週刊文春」での連載が終わって2年半も経つのかあ。それでも文庫本を出してくれるのは、著者も書いているが、ありがたい。でも・・・11冊目はきっと出ないんでしょうねえ・・・単行本がよその出版社から出てしまったから・・・そういうこともありましたな。
でも、本当にどこからでも楽しめる、知的好奇心を満たす本ですよ。「あとからひとこと」も楽しいです。
『橋下「大阪改革」の正体』 (一ノ宮美成+グループ・K21、講談社:2008、12、25)
赤い表紙の本。ちょうど橋下知事就任1年なので、たくさん本屋さんに積まれていた。「講談社だからしっかりした本だろう」と思って買ったのだが、ちょっと偏った感じかなあ、と。もっと冷静な筆致で書いてくれると、信憑性も増すのだが・・・。
小学5年生の息子が、この本の表紙を見て、
「これ、橋下知事を批判している本なん?」
と尋ねるので、びっくりして、
「ど、どうしてわかったの?」
と聞くと、
「帯に書いてあるもん」
と答えました。
雑誌『VOICE』誌上で2002年から2008年まで連載された短いエッセイをまとめたものだが、月に一回短いものを読んだだけでは単なる時事評論としてしか伝わらない部分が、まとめて読むと、
「これでもか!」
と思想として伝わってくる。一言でいうと養老先生の主張は一貫して、
「石油依存文明の否定」
である、というのが感想。それにしても先生は「脳みそ垂れ流し状態」にしているなあと思う。
それは、社会のくびきから自由だからなのではないか。つまり「隠居」か?
『裁判官の人情お言葉集』 (長嶺超輝、幻冬舎新書:2008、9、30)
前著『裁判官の爆笑お言葉集』(長嶺超輝、幻冬舎新書)が30万部の超ベストセラーで、その続編。前著のほうがバランスが取れていたが、これはこれで興味深い。海外の裁判の例なども出ていて参考になる。
あとがきで、「次は法律の本を書きます」と去年の秋に書いていたが、その法律の本が「小学館」から出た。なんとその担当者が、拙著『スープのさめない距離』の編集者と同じ人。その人から「今度、こんな本を出しました」と連絡が来た時に、実は私は本書を読んでいたという奇縁です。
それにしてももうあと1か月半で「裁判員制度」始まっちゃいますねえ・・・。
『自然体~自分のサッカーを貫けば、道は開かれる』 (遠藤保仁、小学館101新書)
サッカー日本代表の遠藤選手の本。たぶん語り下ろしだと思う。そういう文体。最近小学館のこの新書とか幻冬舎新書とかは、スポーツの注目選手に語らせて本にしている中村俊輔とか高原選手も、そういった感じの本なのだと思っているが、それで合ってるのかな?
スポーツ雑誌の特集のちょっと長い版というような感覚で読めばいいのだと思います。そのわりには値段は高いから、儲かるのでしょうねえ。
『俺だって子供だ!』 (宮藤官九郎、文藝春秋: 2008、10、30第1刷・2008、12、25第2刷)
表紙の絵が、「せなけいこ」さんだ!と思って手に取ると、「週刊文春」で連載していた宮藤官九郎さんの子育てエッセイだった!先日連載が終わって、官九郎さんの娘「かんぱ」ちゃんのその後の動向も、ちょっとわからなくなっていたが、久々に知り合いの子どもさんにあったような、そんな感覚。「大きくなったね・・・」というか、生まれたときからの話を読むにつれ、「ああ、どこも同じだなあ・・・」と。子育てお父さんの記録として、価値のある一冊です。
「かんぱ」というのは(変わった)本名と思っていたら「ニックネーム」だってさ。彼女が大きくなったら、この本に感謝するんじゃないかなあ。どれだけ父親の愛情が深いか(深くないか)よくわかる一冊です。じっくり読みました。
2008読書日記053「ふうせんねこ」(せなけいこ)も読んでください。
『昭和の名人決定版・ 三代目古今亭志ん朝・弐』 (小学館CDつきマガジン、:2009、3、17)
「抜け雀」47分、「厩火事」28分。けっこう長めの話。「抜け雀」では、長めの「枕」が、しっかり「落ち」につながっている。夫婦の会話、特におかみさんのしゃべり方なんぞは、いいです!同じ話を違う役の人が3回もするところは、「ネタがよくできているなあ」と、構成がしっかりしていると思いました。京都のお寺には本当に「抜け雀」のふすまがあるそうで、冊子の方には、その写真も載っていました。
ただ全体にしゅべりのテンポが早すぎて"ため"がないように感じました。
『起きていることはすべて正しい』 (勝間和代、ダイヤモンド社: 2008、11、28第1刷、2008、12、19第7刷)
タイトルに引かれて買って読んだが、読めば読むほど、「これなら読まなくても・・・」という思いが・・。生き方が違うということで。斜め読みした。その中で気になったものは、
「落とし込む」
という言葉。
「なかなかこれを日常生活にまず落とし込んで、無駄をなくそうと考えることは、発想の転換が必要です」
「あらゆることは『技術』に落とし込むことができます」
と出てきましたが、これって「ビジネス用語」かな?また、
「パーソナル資産を絞り込むことでもあります」
「マッキンゼーやアーサー・アンダーセンでは、ロジカルシンキングをたたき込む」
のだそうで、「~込む」のが著者はお好きなようです。また、
「図書館を使い倒すことが正しいパーソナル資産の使い方」
と「使い倒す」を使っていると子らはパワフルで、ちょっとお下品。
人生で大事な資産は、「経験・技術・お金・人脈」という「四つのダイヤ」なんだそうです・・・有名人との交流や有名テレビ番組への出演をさりげなく(?)自慢げに折り込こんだり(それも頻繁に)、何かプンプンにおうんですけど・・・。
この本に書かれているように"迎合しないで"感想を言わせてもらうと、
「なんだかなあ・・・」
です。
「カルロス・ゴーン、具体的に何を行って日産を立て直らせるのかと聞かれて真っ先に返答があったのが、『正しい目標設定』」。
「妬む、怒る、愚痴るが三毒」
というのは参考にさせていただきます。
『ジェネラル・ルージュの伝説 ~海堂尊ワールドのすべて』 (海堂 尊、宝島社:2009、3、6)
海堂 尊の新作だあ!と、書店で見つけてすぐに読んだ。表題の小説以外に、これまでの連作の舞台裏なども書かれた、「海堂ファン」にはたまらない一冊。そうか、そうだったのか!ということが満載です。
海堂ファンには
『舊漢字~書いて、覺えて、樂しめて』 (萩野貞樹、文春新書:2007、7、20)
『舊』と書いて「きゅう」と読みます。新らしい字体で書くと「旧漢字」。あれ?矛盾してます?してないよね。新しいものが出てきて初めて「旧」になるんだから。それまでは「本字」です。
私が何とか旧字体を読めるのは、小学生時代に『のらくろ』の復刻本の漫画(まんぐわ)を読んだり、田舎の古い家の屋根裏にあった『国史美談』なる旧字体の本を、興味を持って読んだりしたことがベースにあると思う。もちろん、中学、高校での古文の授業もあったのだが。でも、読めるけど書けません。訓練しないと、書くのは無理です。で、この本で訓練するってか?うーん、そこまではしませんが。
ですから、慣れれば丸谷才一の本などは、苦もなく読めます。最初は読むスピードが遅いけどね。
『反貧困~すべり台社会からの脱出』 (湯浅 誠、岩波新書:2008、4、22第1刷・2009、1、26第10 刷)
著者の言う「すべり台社会」とは、一般の人が「貧困」に陥り「生活保護」を申請するに至るまでに、3段階ほどの「セーフティネット」が設けてあるにもかかわらず、そのネットの網目が粗すぎて、皆、一度すべり台を滑り出すと途中でネットに引っかからずに、下まで落ちてしまう社会に(現在の日本は)なっているということ。生活保護の手前に、もう一つ有効なネットをしっかりと設置することが必要ではないか?というのが、大まかな著者の主張だ。
この本が出たのは去年の4月。もう1年が経とうとしている。著者が呼びかけ「村長」を務めた年末の東京・日比谷公園での「年越し末派遣村」に注目が集まったことで、この本にも脚光が当たった。ちょうどこの本を読んだあと、昨日(3月15日)の読売テレビの『たかじんのそこまで言って委員会』のゲストに、著者の湯浅さんが登場。当初、湯浅さんに対して、"胡散臭い視線"を向けていたパネリストたちに対して、非常に筋道を立てたしゃべり方で、必要以上に熱くなることもなく語り、過激なパネリストたちを納得させていた様子には感服した。
『マジョガリガリ』 (森 達也、TOKYO FM出版:2009、3、6)
東京FMでの森 達也の番組「森の朝ごはん」でのゲスト20人との対談をまとめた本。対談部分が各6ページしかなく、森の感想が4ページ。対談部分が短すぎる。これから・・・というところで、急に話が終わってしまう感じ。
装丁が、目を引く黄色地に黒い太い文字、ショッキング・ピンクのイラストと、ド派手。軽い。装丁はゲストでも登場する、しまおまほ。黄色地は、「注意!」の看板のようでもあり、『ごくせん』の単行本の色のようでもある。タイトルは「『魔女狩り』狩り」。「魔女狩り」をする人たちを狩る、というか、糾弾するというか、同調しないぞ!というか、そんな感じ。対談相手の一人、コピーライターの糸井重里の言葉から取っている。
ナポリタンへの飽くなき探求心が堪能できる。ナポリタンを追ってケチャップ会社の本社があるアメリカはピッツバーグに、はたまた「ケチャップ消費世界一」のスウェーデンまで足を伸ばすかと思ったら、関東で「ナポリタン」というが、関西では「イタリアン」というとか、「名古屋のナポリタンは鉄板に乗っていて卵がかかっている」とか、「新潟のナポリタンは焼きそばだ」とか、驚きの新事実が満載!休みの日にボーッとして読むのに最適。著者は1962年生まれのフリーライター。女性かと思っていたら、男性だった。