黄金列伝

月亭八方 陣内智則 月亭方正

放送内容

ブラックマヨネーズ

2014年8月16日(土)
午前10:30~11:25

多数のレギュラー番組を抱え、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのお笑いスター・ブラックマヨネーズ。だが、売れない時代も長く、2人のデビュー当時から親しい先輩の陣内智則は「こんなにおもろいのに、なんで売れへんねん?」と歯がゆい思いで不遇の後輩を見守っていたという。そんなブラックマヨネーズの波乱の芸人人生を3つのブロックに分け、そのときどきに2人が感じてきた“幸福度”をおなじみの「幸せ・不幸せグラフ」で明かしながら、陣内、月亭八方、月亭方正のMCトリオと繰り広げる爆笑トークとともに振り返っていく。

 まずは、コンビ誕生の1998年から2003年。ともに京都出身だが、まったく面識のなかった小杉と吉田が出会ったのはNSC。1994年に13期生として入学し、それぞれが同級生と組んでいたコンビを解散後、ブラックマヨネーズを結成した。「コンビを組んだからには、ネタ合わせは毎日せなアカン」という吉田の提案で、同じマンションに部屋を借り、毎日欠かさず会っていたという2人。しかし、「お前が俺の上の部屋やと足音でドンドンされるのが嫌。隣やと鬱陶しい」と、「斜め」に位置する部屋を小杉に借りさせるなど、細かすぎる“吉田ルール”に小杉は日々悩まされることになり…。ネタ合わせで訪れるファミレスに入店するときやソファに座るとき、果ては、会話中の目線まで、「こんなこといちいち言われたことないから反論のしようがない!」と小杉を困惑させた、怒濤のように襲い来る吉田の“ダメ出し”とは?さらに当時、2人が日課のように続けていたというある“特訓”も明らかに。陣内も「あの爆発力には敵わない」と舌を巻く、百発百中で爆笑をもぎとる2人のフリートークのルーツはここにあった!?

 さて、そんな密着生活のかいもあり、コンビの絆を強めていった小杉と吉田。ところが、結成時は高かった“幸福度”はみるみる落ちていき、3年後にはどん底にまで転落する。陣内ら身近な芸人たちの間では実力を高く評価されていたものの仕事がなく、活動する舞台まで失いかけていた2人はまさに崖っぷち状態で…。当時、ブラックマヨネーズのよき相談相手だったという陣内が「あれは忘れられへん」と語る、ある夜、吉田から受けたという苦悩に満ちた電話の内容とは?さらに、ブラックマヨネーズの同期芸人・チュートリアルの徳井がNSC時代の2人についてVTRで証言。ブラックマヨネーズの笑いの根底を支えるある“個性”は「このころすでに完成されていた」というのだが…。また、2人が本格的な演芸番組に初出演した2000年のネタ映像も大公開!今の姿からは想像もできないほどスリムな体型と、フサフサのロングヘアが印象的な小杉が、「やたらかっこつけるヤツやった」「○○がなんかカンに触って…」など若き日の恥ずかしい言動の数々を吉田と陣内から暴露されるはめに!

 続いては、2004年から2006年。2001年ごろから漫才賞レースなどで頭角を現し、ようやく注目を浴びるようになったブラックマヨネーズはレギュラー番組も激増し、関西の超売れっ子に。“幸福度”も上昇するのだが、多忙を極めていた2004年、吉田のグラフはまたも急降下する。「『俺、何やってるんやろ?』って精神的に追い詰められてた」と当時の心境を打ち明ける吉田だが、そこにはいかにも吉田らしい(?)ある理由が…。そして翌年の2005年、“幸福度”は再びピークに。この年、ブラックマヨネーズは『M−1グランプリ』で見事優勝し、漫才師の頂点を極めたのだ。しかし、すぐには東京に進出することなく、関西での仕事をこなしていた2人。そこに秘められた小杉と吉田の思いとは?

 そして、2007年から現在。東京での仕事も増え、ついに拠点を東京に移した2008年、吉田の“幸福度”はまたまたどん底へと落ちてしまう。その理由はなんと、2004年とまったく同じ!「当時、動物園にいる動物たちがうらやましくて仕方なかった」と語る吉田が明かす“不幸を感じるワケ”に「ええ加減にせぇ!」と陣内はあきれ顔!?一方、今年公開された映画『サンブンノイチ』に出演するなど活躍の場を広げている小杉は、“幸福度”も頂点のMAXを継続中。そんな小杉と俳優としての顔を、『サンブンノイチ』の監督・品川ヒロシがVTRで証言する。撮影現場でも人気者だったという小杉。だが、吉田がそんな相方に「ムカつく!」とブチ切れた大事件を明かし、その思わぬ結末に陣内らは大爆笑!さらに、吉田が「○○の後輩とは絶対につき合わない!」など独自のこだわりから生まれる“吉田ルール”を激白!小杉と吉田が“相方に言っておきたいこと”をぶちまけ合うほか、2人が抱く“ブラックマヨネーズの未来像”などを語り尽くす!

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