今回の配達先は、台湾。ここでラーメン店を経営する野条岳さん(28)へ、兵庫県で暮らす父・誠さん(60)、母・靖子さん(57)の想いを届ける。
飲食店がひしめく台北・東区の繁華街にラーメン店「麺処 田冶(たじ)」を構える岳さん。大学生の頃、留学でやってきた台湾が気に入った岳さんは、21歳で大学を中退して移住。さらに現地の日系のラーメン店で働いているときにシュウさんと出会い、24歳で結婚した。それを機に、台北で自身のラーメン店を開業。店は年中無休で、毎朝7時から仕込みを始め午前11時にオープンすると、早速たくさんのお客さんが押し寄せる。忙しい中でもお客さんに目を配る岳さんは、麺の太さや茹で時間を調整するなど激戦区で勝ち残るためにさまざまな工夫を凝らす。さらには飽きがこないよう、季節限定のラーメンも考え提供している。午後2時過ぎ、大盛況のランチタイムが終わり1時間ほど仮眠をとった岳さんは、夜営業に向けて買い出しへ。午後5時に再び開店すると、昼にも増してお客さんが訪れ満席になる。こうして16時間以上ほぼぶっ通しで働き、家路についたのは午後10時半だった。
開業してもうすぐ4年。岳さんはがむしゃらに働き続け、田冶を日本式ラーメンが大ブームの台湾でもおいしいと評判の店に成長させた。一方、妻のシュウさんは日本で子育てをするため、昨年生まれた娘の和由ちゃんとともに日本へ移住した。娘の未来と自分の未来…悩みに悩んだ末、「ラーメン店の成功なくして家族に幸せは来ない」と、別々に暮らすことを選択したのだった。離ればなれの生活はもちろんさみしいが、岳さんは「失敗して、『あのときラーメン屋をやめて子どもと生活していた方がよかった』とはなりたくないから、いま頑張ろうという気持ちでやってます」と自身を奮い立たせる。
岳さんの原動力となっているのが、中学時代に経験したある出来事。サッカー部のキーパーだった岳さんは、友人との接触が原因で下半身が麻痺し、足が動かなくなってしまったのだ。突然身に降りかかった事故とケガ。その後、リハビリをする中で考えたのが「今やりたいことは絶対にやる。“明日でいい”というのをやめた」。その思いが岳さんを突き動かしているという。そして、多忙なラーメン店に加えて昨年から始めた新事業が、ラーメンの技術を教える学校。評判を呼ぶラーメン学校は受講者が後を絶たず、この1年で早くも3人の卒業生が開業している。
家族の未来のため四六時中働く岳さんだが、実は大学時代は真逆の生活をおくり、友人と遊んでばかりだったという。そんな息子を見かねて、台湾留学を勧めたのは母。「あのまま日本にいたら、今頃何してるねんっていう感じの生活でした。ほんまにお母さん、親に感謝ですね」と岳さんは振り返る。
台湾に行くきっかけを作った母・靖子さんは、「まさかずっと台湾にいるとは…そのまま大学も辞めてしまったし」と苦笑い。ただ現在は「周りに恵まれて、奥さんや両親にもすごくかわいがってもらっている。1人でただ行っただけでは絶対お店なんか出せていないと思います」と、巡り合わせに感謝する。また、父・誠さんも「家族のために仕事をしているんだから、家族が一緒に住むのが一番いいと思うし、成功してそうなってほしいですね」と息子一家の幸せを願っている。
台湾に渡り7年。「台湾で誕生した日本のラーメン屋の一番を目指したい」と意気込み、将来の成功と家族の幸せに向かってがむしゃらに働く息子へ、両親からの届け物は中学時代、サッカー部で全国大会に出場したときの記念品。下半身が麻痺するという逆境に立たされながらも復活し、夢を掴んだ頃の思い出の品だ。添えられた手紙には、妻と娘と離れひとり奮闘する息子への想いが綴られていた。初めて親からもらった手紙に、思わず涙があふれる岳さん。そして、「子どもや奥さんのためにも台湾でしっかり成功して、僕ら家族の選択が『よかったね』って言えるように頑張っていけたらと思います」と改めて奮起するのだった。