今回の配達先は、世界で最もプロレスを愛する国・メキシコ。ここで武者修行中のプロレスラー・川村興史さん(30)へ、奈良県で暮らす父・俊彦さん(66)の想いを届ける。
メキシコで「ルチャ・リブレ」と呼ばれるプロレスは、「自由な戦い」の意味を持ち、他国のプロレスとは一線を画す国民的スポーツ。国中に小さな会場がたくさんあり、リングではルチャドールと呼ばれるプロレスラーたちが華麗な空中殺法とスピーディーな投げ技、関節技で戦いを繰り広げている。
幼い頃に空手を始め、大学時代プロレスに熱狂した興史さんは卒業後、東北を拠点とする「みちのくプロレス」に入団。プロレスラーとしての人生をスタートさせた。そして2022年に退団すると、何のつてもなく単身メキシコへ渡り、ルチャ・リブレの世界に飛び込んだ。「ゼロの状態から成り上がってやろうと思って」と、熱い想いを武器に「KUUKAI」のリングネームで活動。今では毎週末試合に呼ばれるほどのルチャドールとなった。
ルチャ・リブレの試合時間は30分から1時間あり、全力で戦い抜くスタミナと肉体が必要とされる。そこで興史さんは朝7時からランニングを始め、街角の青空ボクシングジムなどでもトレーニングを重ねる。午後はアリーナで練習。ルチャ・リブレは他の格闘技に比べ圧倒的に技の危険度が高いため、身体に染み付くまで攻撃と受け身を何度も繰り返す。そんな練習に明け暮れる興史さんの姿に、アメリカや日本でも活躍するスター選手で、興史さんの師匠であるデムスさんも「スターになる素質は十分にある」と太鼓判を押す。
みちのくプロレスでは将来が嘱望される選手だった興史さん。しかし、本場でルチャ・リブレを極める道を選んだ。「諦めたくない」、その決意の裏には「途中で諦めるような弱い人間になるな」という、かつての父の言葉が心にあったという。父ともうひとり、厳しい修行の心の支えとなっているのが、入門後すぐの頃にガンで他界した母・妙子さん。だが、母の猛反対を押し切ってプロレスの世界に入ったこともあり、「プロレスをやりながらも、これって親孝行なのか? 悲しませているだけじゃないのかと葛藤があって、中途半端に辞められなくなってしまった。ここで辞めたらもっと悲しむんじゃないかって…」と複雑な胸の内を明かす。
週末のある日は試合のため、首都メキシコシティから車で1時間離れた小さな町へやってきた。第一試合から会場の熱気が最高潮に達する中、興史さんも出番を迎える。今回は日本から武者修行に来て半年になるマスクマンのKURAMAさんとタッグを組んで、マスクマンのメキシコ人タッグチームと対戦。メキシコ対日本の対抗戦は人気のカードで、完全に悪役であるKUUKAI・KURAMAタッグはリング内外で大暴れし、悪の限りを尽くして観客をあおっていく。一方、最初はやられ放題だったメキシコタッグも反撃を開始し、観客もヒートアップ。両者一歩も譲らぬ手に汗握る攻防となり、会場はこの日一番の盛り上がりをみせた。
初めて現地の様子を見た父・俊彦さん。練習の環境、以前より大きくなった息子の体格、そして何より熱いルチャ・リブレの試合に「全然日本とは違いますね」と目を見張る。また俊彦さんは、興史さんのプロレス界入りを反対していたという母・妙子さんとの秘話を披露し、「本人には言っていないと思いますけど、家内は喜んでいました。信念を貫いて、最後までやってほしいと言っていましたね」と、語られることのなかった母の本心を明かす。
興史さんの今の夢は、メキシコのトップ団体CMLLに上がり、ルチャ・リブレの聖地であるアレナ・メヒコで試合をすること。そして、ついに今年の年末、CMLLの契約試験が受けられるところまで這い上がってきた。間近に迫る夢に向かい突き進む息子へ、父からの届け物は練習用の新しいレスリングシューズ。さらに手紙には、「『KUUKAI』の名前がメキシコでトップになることを期待しています」「立派なプロレスラーとして大成することを願っています」と綴られていた。そんな父からの激励に、まっすぐ前を見据えた興史さんは「トップに立って、『KUUKAI』の名前を世界中に届けたいと思います。もう少し待っていてください」と力強くこたえるのだった。