今回の配達先は、世界一のドリアン生産国であるタイ。ここでドリアン農家見習いとして奮闘する坂井達弥さん(33)へ、福岡県で暮らす父・秀則さん(67)、母・洋子さん(64)の想いを届ける。
達弥さんがこの日やってきたのは、タイ南東部の街・チャンタブリー。トロピカルフルーツの名産地であり、タイにおけるドリアンの全収穫量の半分以上を占めることから「ドリアンの都」と呼ばれている。ドリアンは高級フルーツながら、輸送中に熟して強烈な匂いを放つため、日本ではくさいというイメージも。だが現地で食べると「最初に甘くてトロピカルな味がきて、チョコレートとかクリーム系の甘さがきます」と達弥さん。「ぼくはタイのドリアンが一番おいしいと思う」と胸を張る。
実は達弥さんは元プロサッカー選手。2歳の時にはすでにサッカーボールを蹴り、Jリーガーを目指してアビスパ福岡のジュニアユースに在籍。名門・東福岡高校では主将を務め、インターハイに出場した。そして2013年、念願のJリーガーとなり、2014年には日本代表に選出。しかもスタメン出場という大役だった。しかし、達弥さんのトラップミスからボールを奪われ失点。以来、代表のピッチに戻ることはなく、夢だった日本代表という肩書きがただ苦しいだけのものに変わっていったのだった。その後伸び悩んだ達弥さんは、2020年、新天地を求めタイに渡り、トップリーグでプレー。そんなあるとき、妻・夏美さん(32)と立ち上げたYouTubeで、世界一くさいといわれるドリアンを食べてみることに。軽いノリだったが、達弥さんはそのおいしさにすっかり心を奪われてしまう。そして半年前、サッカー選手からドリアン農家へ転身を決意。現在は各地の農園に手当たり次第連絡を取り、勉強している真っ最中だ。タイ語はほとんど話せないため、農家とのコミュニケーションはスマートフォンの翻訳機能だけが頼りだが、とにかく現場に出て本場の知識を叩きこんでいる。
妻の夏美さんとは7年前に結婚。当時はタレント活動をしていたが、達弥さんがタイでプレーするのを機に引退した。昨年はどのチームからもオファーがなく、苦しい日々をおくっていた達弥さんの傍らで、「たっちゃんらしさがなくなるのは絶対嫌だった」という夏美さんは、次の夢が見つかるまで支えたいとの思いからバンコクでウェディング会社を起業。「ドリアン王になる」という夫を全面的にサポートしている。
達弥さんは農園巡りをする一方で、日本人が経営するオーガニックファームに週4日住み込み、農業の修業をしている。代表で師匠でもある大賀昌さんは、自身も43歳で医療の世界から転身したこともあり、達弥さんを息子のように可愛がってくれている。妻、現地の農家、大賀さん…様々なサポーターに後押しされながら少しずつ農業の道を歩み始めた達弥さん。実は、これまで日本の家族には決して言ってこなかったのが「引退」という言葉。しかし、「もうサッカーに戻れないというくらい農業が好きになっている自覚がある。今だったら『引退する』と言えますね」と、すがすがしい表情で語る。
息子の引退宣言を受け、母・洋子さんは「はっきりとは聞いたことがなかった。私も聞くに聞けなくて…」と本音を明かす。また父・秀則さんは「彼のしゃべり方や目つきも、ドリアンの話をするときはだいぶ違いますね」とその本気度に驚いた様子で、洋子さんは「なっちゃんありきですよね」と、妻・夏美さんにも感謝する。
夢を叶え続けてきたサッカー人生にピリオドを打ち、「ドリアン王」という次なる夢に向かって突き進む息子へ、届け物は母が手作りしたドリアンの帽子。以前プレゼントしたものから素材をバージョンアップさせ、かぶりやすくした2代目だ。もうひとつは達弥さんが小学生の時に作った宝箱。中には、サッカーで伸び悩む達弥さんに母が宛てた20年前の手紙が大切に保管されていた。「やってみなきゃわかんない!また挑戦すればいいんだから失敗を恐れないで!!」。時を超えた母からのメッセージに目が潤む達弥さん。そして「一緒に夢見てくれる妻がいて、親がいて、幸せだなって思います。最近、できるかできないかと思うこともありましたが、小学生から一緒のことをやってたんだなと再確認できたし、継続して続けたいなと思っています」と、こみ上げる涙を抑えながら決意を新たにするのだった。