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#7425月5日(日) 10:25~放送
バングラデシュ

 今回の配達先は、バングラデシュ。ここでアニメ制作会社を立ち上げた水谷俊亮さん(39)へ、奈良県で暮らす父・充宏さん(69)、母・てる子さん(64)の想いを届ける。
 かつてはアジア最貧国と呼ばれていたバングラデシュ。だが今は急激な経済成長が続き、首都・ダッカは人々の活気で溢れている。そんな町の一角にあるアニメ制作会社「スタジオ・パドマ」は俊亮さんが社長を務め、スタッフは全員バングラデシュ人。ほとんどが20代前半という若きアニメーター集団だ。日本企業の現地向け商品のテレビCMを手掛けたり、日本のアニメ作品の下請けなどをしているスタジオ・パドマは今、社運をかけた大仕事に挑んでいる。それがスタジオ初のオリジナル長編アニメ映画の製作。50年前、パキスタンからの独立戦争に突入したバングラデシュを舞台に、田舎に疎開した家族が支えあって生きるという物語だ。現地で劇場公開されるアニメ映画は日本をはじめ海外のものしかなく、この作品が完成すればバングラデシュのアニメスタジオとしても初の長編映画となる。製作は始まったばかりで、監督である俊亮さんが描いた絵コンテをもとに、キャラクターの動きを演出していく。作画には日本のスタジオと同様パソコンを使うが、わずか1分間の映像に必要な絵は700枚以上。ひたすら作画するアニメーターたちはまだまだ経験も浅く、すぐにOKは出せないものの、これからバングラデシュのアニメ界を担う彼らのため俊亮さんは粘り強く丁寧に演出し、修正を重ねていく。
 目標は「スタジオジブリ」だという俊亮さん。昔から絵を描くことが大好きで、子どもの頃は弁当店を営む両親の帰りを待つ間、弟と観るジブリ映画が何よりの楽しみだったという。転機は2007年、大学でグラフィックデザインを学んでいたときに、異文化交流の授業でバングラデシュを訪れたこと。そこで現地の人々の純粋な人柄に惹かれた。だが一方でこの国が抱える深刻な問題にも直面。いまだに国民の3分の1が貧困層で、学校に通えない子どもが社会問題化していた。そんな子どもたちのために何かできないかとの思いが募った俊亮さんは、2009年に現地へ移住。そして教育支援団体で活動するうちに、大好きなアニメを子どもたちの教育に活かせるのではと考え、支援活動を続けながら資金を貯めた。また俊亮さんが「彼が最初に『アニメを作りたい』って言わなければ今の会社はしていなかった」というのが、スタジオで背景を担当するモタレブさん(31)。15年前に出会った2人は、アニメ好きという共通点からすぐさま意気投合し親友に。スラムで暮らし、その日の食事にも困っていたモタレブさんが「アニメを作る」という夢を語ったことで、俊亮さんはアニメスタジオの設立に踏み出せたのだった。こうして2014年にスタートしたスタジオ・パドマは当初、下請け仕事を格安で受け、日銭を稼ぐような厳しい状況だった。だが2人で支え合いスタジオが軌道に乗ると、モタレブさんは家族とともにスラムからダッカ市内に引っ越し、貧困から抜け出すことができたのだった。
 両親の猛反対を押し切って日本を飛び出したものの、栄養失調で緊急帰国したこともあった。だが今回、現地でいきいきと働く息子を見た母・てる子さんは「楽しそうでしたね」と安堵し、父・充宏さんも「いいのを見せていただきました。行きたくなりました」と頬をゆるめる。
 バングラデシュ初のオリジナルアニメ映画を完成させ、世界中の人に観てもらいたい…そんな大きな目標に向けて仲間たちと走り続ける俊亮さんへ、両親からの届け物は、何年も日本で正月を迎えていない息子のために作ったおせち料理。重箱には、実家の弁当店の名物でもある特大のおにぎりも入っていた。父が具材を仕込み、母が握ったおにぎりを頬張り「やっぱり世界で一番おいしい」と感激する俊亮さん。「小さいときから握っているのを横で見てきたし、これで育ててもらった。本当にこの両親だからこそ今、こうして幸せに生きさせてもらってると思って感謝の気持ちでいっぱいです」。そして、心配をかけていた両親に「僕の大好きなバングラデシュを自分の目で見てほしい。見てくれたら絶対安心すると思うし、バングラデシュを好きになってくれると思う。そう期待して、今年、来年中には来てくれへんかなあと心から願ってます」と想いを伝えるのだった。