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#7384月7日(日) 10:25~放送
カナダ

 今回の配達先は、カナダ。ここでブーツ職人として奮闘する十文字恭介さん(42)へ、千葉県で暮らす父・由広さん(76)、母・明子さん(76)の想いを届ける。
 由広さんによると、恭介さんは日本で靴職人をしていたわけではなく、なぜカナダでブーツを作るようになったのか経緯もよく知らないという。明子さんにとっても驚きだったようで、「しょっちゅう外国へ行ったり帰って来たり自由に生活していたものですから、カナダに行ったのもその続きぐらいな感じで、また帰ってくるだろうと思っていました」と明かす。
 バンクーバー島のスークは、森林と海に囲まれた林業が盛んな街。10年前、「十文字ワークス」を立ち上げた恭介さんは、スークに構えた工房でエンジニアブーツやマウンテンブーツ、カジュアルなサンダルブーツなどさまざまな革靴をフルオーダーメイドで作っている。現在仕上げに取り掛かっているのはワークブーツ。大工をしている依頼主は足の横幅が広いため、履いてもつま先が痛くならないブーツを希望しているという。そこで木型を依頼主の足に合うように加工。さらに強靭な牛革を使って、すべての工程をハンドメイドで仕上げていく。こうしてオーダーから3か月、世界に一つしかないワークブーツが完成。抜群の履き心地に、依頼主も「パーフェクトだね」と大満足したようだ。
 昨年、日本で展示会をして以降、日本人からの発注も増えてきたそうで、次は60代の女性からオーダーされたカジュアルなブーツに取り掛かる。靴の構造は複雑で、1足に要する工程は200以上にも。恭介さんはその全てをたった1人で行っている。そんなブーツ作りを始めて15年。ときに失敗することもあるが、「こういうのは日常茶飯事。すべてが完璧にいかないし、悔しいけど、ひとりひとり足が違うので…奥が深いです。だからやり続けているのかもしれないですね」と語る。
 実は、恭介さんの母・明子さんは若い頃、革職人を志していた。レザークラフト教室を営み、作品の販売もしていたが、子育てなどに追われその道を断念したという。一方、恭介さんがブーツ職人になったのは15年前、ワーキングホリデーで訪れたカナダでの運命的な出合いがきっかけだった。観光中、道に迷った恭介さんは、たまたまそばにあったブーツ店に入ったという。そこには林業の労働者が履く本物のワークブーツが展示されていた。初めて見る、ファッションではない強靭で重厚感のある靴に衝撃を受けた恭介さんは、弟子入りを志願。靴作りの経験もない、英語も話せない若者が道に迷ったことから人生が変わってしまったのだった。恭介さんが迷い込んだ先は「VIBERG BOOT(ヴァイバーグブーツ)」という、当時は職人も5人程度の小さな工房。今や日本にも進出を果たす、北米を代表するブーツメーカーに成長した。こうしてヴァイバーグで職人として修業を積み1人前になった恭介さんは、現在も週に4日勤務している。
 妻で美容師の恵美子さん(41)とはカナダで出会い、8年前に結婚。2人の子どもにも恵まれた。今、自宅の工房に出入りし靴に触れる子ども達の姿を見て、ふと自分の幼い頃を振り返る瞬間があるという。「僕は親から何か学んだとは考えてこなかったんですけど、親が何をしていたかというのは小さい時に見てきた。それが今に繋がっているというのは、僕が親になって気づいたことですね」。
 思いもよらない出合いから、計らずも母が志した世界と同じ道へ進むことになった息子へ、届け物は母・明子さんが作った革のレリーフ。丸い形に加工された革に鶏が立体的に彫り込まれている。昔から実家に飾ってあったものだが、恭介さんもこれが一体何なのかは知らないという。すると明子さんからの手紙には、「この作品、実は未完の掛時計です」とその答えが。改めてじっくりレリーフを眺めた恭介さんは、「正直、僕には作れない。母親がこういったジャンルの革職人としていろいろ取り組んできたというのは、今となればこれを見ただけでわかりますね」と感服する。そして「託されたんですね。母から受け取ったバトンをずっと使いたいと思います」と伝え、工房の一角にレリーフを大切に飾るのだった。