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#7353月10日(日) 10:25~放送
ドイツ

 今回の配達先は、ドイツ。ここで写真家として奮闘する山田悠人さん(40)へ、東京都で暮らす父・敏郎さん(70)、母・すみえさん(70)の想いを届ける。
 廃墟写真で名が知られる悠人さん。そのきっかけとなったのが、6年前に日本で出版した写真集「SILENT WORLD-消えゆく世界の美しい廃墟-」。ヨーロッパの廃墟を3年かけて撮り続けた写真は評判を呼び、今では版を重ねて世界中で販売されている。そんな悠人さんが次の個展に向けて撮影にやってきたのは、かつての東ベルリンに残る廃墟。ソ連軍の兵士と家族が使用していた住居や劇場、プールなどの痕跡が生々しく残る戦争遺跡をデジタルカメラに収めていく。撮影した画像はデジタル加工して、イメージ通りの作品に仕上げる。実はこの加工こそが、悠人さんの強み。元々グラフィックデザイナーだった悠人さんは、他の写真家にはない構図を作る独自のセンスと、グラフィックデザインで培った優れた加工技術が高く評価されているのだ。写真家としてのキャリアはまだ10年。廃墟写真で知られるようになるまで収入はほとんど無かったというが、最近では展示会を開けば作品が完売するように。自動車メーカーやスポーツブランドなど世界的な企業から商業写真の依頼も増えてきたという。
 家族は妻のコネリアさん(39)と2人の子ども。10日後には3人目が生まれる予定だ。幼い頃から絵を描くのが好きだった悠人さんは、グラフィックデザインの道に進んだ。そしてより深くデザインを学ぶため、米ニューヨークに留学した時にコネリアさんと出会った。2010年、2人は日本で結婚するが、翌年に東日本大震災が発生。これを機にコネリアさんの実家があるベルリンの郊外へ移住した。そこで魅了されたのが、ドイツの自然の美しさ。家の隣にある湖に沈む夕日、森を散歩すると出会う動物たち…そんな光景を家族や友人とシェアしたいとの想いが湧き、30歳にしてグラフィックデザイナーから写真家に転身したのだった。当時、デザイナーとしての収入は十分あったにもかかわらず、突然の転職。それでも応援し続け、家族を支えるコネリアさんに悠人さんも感謝する。
 ある日は、展示会に向けての撮影でハンガリーへ。どうしても撮りたい廃墟があるという。訪ねたのは、ブダペストにある100年以上前に建設された発電所。20年前に閉鎖されて以来、廃墟になっている。古い機械だけが残るがらんとしたスペースに足を踏み入れると、思わず「ヤバい…」と声が漏れる悠人さん。「ずっと片思いをしていた人にいきなり告白されたような気持ちです」と、念願だった場所での撮影に喜びがあふれる。そしてシャッターを切りながら、「自分の作品でみんなを幸せにしたり、驚かせたいという気持ちはある。それをプリントや展示で、大きい作品で見てもらえたらうれしい」と語る。
 そんな様子に、「息子は愛想がない」と言っていた母・すみえさんは「すごく新鮮でした。結構饒舌に話もしていたので…」と驚く。一方、父・敏郎さんも「うちの息子は光の使い方がすごいな…と思うのは親バカかもしれませんが、私だったら自慢しまくるけど、息子はまったく言わない。内に秘めてるものが多い分、口には出てこないんですね」と感心する。
 美しい景色を誰かに伝えたいと、その時しか残せない一瞬を切り取る息子へ、日本の両親からの届け物は悠人さんの祖父が大切に使っていた約50年前のフィルムカメラ。さらに両親が撮りためた昔の悠人さんの写真も。その全てに幼い息子の溢れんばかりの笑顔が焼きつけられていた。「最近はあまり私たちの前では笑わなくなりましたね。でも、時折見せる笑顔はとても素敵です」という母の手紙を読み、笑みを浮かべる悠人さん。「自分が親になって、どの親も一緒なんだなって。子どもが一番かわいいし、何歳になっても変わらないんだろうなと。改めて、自分自身もそうなんだろうと実感しました」。その後、悠人さんが祖父のカメラで一番最初に撮影したのは、新しく増えた家族の写真だった。