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#7301月21日(日) 10:25~放送
ケニア

 今回の配達先は、ケニアの首都・ナイロビ。ここでファッションデザイナーとして奮闘するアウィル・タキ・アユミさん(38)へ、鳥取県で暮らす父・博さん(68)、母・年恵さん(64)の想いを届ける。
 アユミさんのブランド「ノマディック・アルティザン」は、主に東アフリカで愛されている伝統的なプリント生地「キテンゲ」を使っているのが特徴。同じくファッションデザイナーである夫とともに開いたショップには、カラフルな柄物のワンピースやジャンプスーツが並んでいる。女性が美しく見えるシルエットにこだわり、約20種類の定番デザインに加えて季節ごとに新作も発表。キテンゲの仕入れのため、週に1度は布問屋に足を運んでいる。昔ながらの古典柄や今どきのモダンなデザインなど、毎週のように入れ替わる布は同じものがほぼ入荷しないため、キテンゲとの出会いは一期一会なのだという。
 アトリエではテイラーが5人も働いているが、商品は常に数か月待ちの状態。ここまで人気になったのは、ある出来事がきっかけだった。夫とディナーに出かけたときのこと、1人の女性がアユミさんの着ていたワンピースに一目惚れし、声を掛けてきたという。実は彼女はカナダの映画監督で、ハリウッドの祭典にアユミさんが作ったワンピースで出席。その様子をSNSにアップしたのを機に、世界中からオーダーが殺到したのだ。注文が増える中でも、アユミさんはテイラーが縫製した服を細部までチェックし、最後の仕上げは全商品自ら行っている。ミシンで真っ直ぐに縫う、縫いしろは1センチに統一するなど、そのこだわりは最初ケニアのテイラーたちには理解されなかったというが、アユミさんは「丁寧に作ったものが伝わると信じているし、そうやって作っているから私のブランドを買ってくれるお客さんがかえってきてくれてるんじゃないかと思う」と信念を語る。
 絵画や手芸、音楽など子どもの頃から何かを作ることが大好きで、大学は芸術学部を選んだアユミさん。卒業後、大手レコード会社に就職したが、クリエイティブなものづくりがしたいという思いが日に日に強くなり、退社。本当にやりたいことを探すため世界放浪の旅に出発し、日本には一度も戻らず5年間で45カ国を巡った。そんな中、ルワンダで偶然出会ったキテンゲに魅せられ、洋服を作ることを決意。2018年、東アフリカ経済の中心地であるナイロビに移住する。しかし、実は洋裁の経験はゼロ。買ってきた洋服をほどいて研究するなど独学で服作りを始めたのだった。
 アトリエに隣接する自宅では、夫のレイザックさんと2歳の息子・イルミくんと暮らす。順風満帆の人生に見えるが、高校生の頃、実家の酒販売店が倒産。両親は多額の負債を抱え、アユミさんは朝から夜中までアルバイトをして大学の学費や生活費を稼いでいた。親を恨めしく思う感情もある中、世界放浪の旅に出発する日、別れる直前に母が「これだけ持って行って」とアユミさんの手に握らせたのは3千円の現金。せめてもの餞別だったが、アユミさんは「苦しんでいる両親を助けもせずこれから出て行くんだと思ったら、ここから後戻りはできない」そう強く感じたという。そのため、胸を張って“これをやる”というものが決まるまではどんなに苦しくても日本に帰れず、結果5年にも及ぶ旅になったと明かす。そんな娘の本心を初めて聞き、「申し訳ない気持ちです」と涙をぬぐう母・年恵さん。その言葉に、父・博さんも深くうなずく。
 アフリカで一生を捧げてもいいと思えるものに出会った娘へ、両親からの届け物は、旅先から5年間、アユミさんが両親に宛てて送り続けた85枚の絵ハガキ。さらにそれぞれのハガキには、当時返事が出せない代わりに書いていた母のメモが添えてあった。「大丈夫か…」「早く帰ってくればいいのに!でもそれは言ってはいけない」「そんなに一人で戦わないで」…娘に伝えることができなかった母の想いが詰まったメモを読みながら、アユミさんは大号泣。「こんなむちゃくちゃな生き方をしてる私なのに、いつも何も言わずに応援してくれて…」と涙ながらに両親に感謝を伝える。そして、「きっと両親は私が私らしく生きることを望んでくれてると思うけど、本当にたくさん苦労してきたから、この先は金銭的にも助けてあげたいと思います」と恩返しを約束するのだった。