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#71510月1日(日) 10:25~放送
ニュージーランド

 今回の配達先は、ニュージーランド。見習いジョッキーとして奮闘する熊谷勇斗さん(27)へ、岩手県で暮らす母・祐子さん(54)の想いを届ける。
 息子がジョッキーになる夢を叶えるためにニュージーランドへ行くと聞いたときは、「ちょっとびっくりでした」と祐子さん。「反対しても言うことを聞くような子じゃないので、『まあ、しょうがないか…』と。どうしようもなかったですね」と当時を振り返る。
 ニュージーランド北島に位置する街・マタマタ。競馬の街として知られ、多くの人が競走馬の仕事に従事している。勇斗さんは6年前からマタマタにあるウェックスフォード厩舎に所属。ニュージーランドの歴代年間最多勝記録を保持していたランス・オサリバンさんがオーナーを務める名門厩舎で、50頭の競走馬と10人ほどのスタッフを抱えている。2021年、勇斗さんはデビュー戦で初勝利を収め、有望選手として注目を集めた。しかしその後のレースでは思うような結果は残せていない。そして2日後にもレースを控えているが、まだ見習いのため日課である仕事も山ほどあり、毎朝4時半から10頭近いサラブレッドをレースに出られる状態に調教。さらに厩舎の掃除や餌やりなどの仕事もこなさなくてはならない。
 子どもの頃から無類の動物好きだった勇斗さん。動物に関わる仕事に就きたいと思いながら進路に悩んでいた頃、偶然テレビでフランスの「凱旋門賞」という世界最高峰の競馬レースを目にする。そこで日本馬が奮闘する姿に「これだ!」と思い騎手になる夢を描くも、日本の競馬学校に入るには年齢や視力など厳しい条件があり、それらをクリアすることは困難だった。だが、ニュージーランドでなら見習いとして厩舎で働きながらジョッキーになれると知り、勇斗さんは何のあてもなく現地へ。飛び込みで厩舎を回り、どこも門前払いされる中、現在の厩舎だけが彼を受け入れてくれたのだった。
 ニュージーランドへ渡った当初、何も知らなかった勇斗さんに体重管理や馬の乗り方など、ジョッキーに必要なことの全てを教えてくれたのが先輩ジョッキーの柳田泰己さん。兄と慕う柳田さんに支えられ、ジョッキーへの道を邁進していた。しかし2022年8月、柳田さんがレース中の落馬事故で帰らぬ人に。勇斗さんは柳田さんのためにも馬に乗り続けようとしたものの、かけがえのない存在を失ったショックは大きく、レースに対しての恐怖心がふくらみ、大好きだった馬にも乗れなくなってしまう。その後、医師からPTSD(心的外傷後ストレス障害)との診断を受け、日本に帰国。ジョッキーとしての再起は誰もが諦めていた。そんな勇斗さんが再びニュージーランドに戻ることができたのは、何も言わず見守ってくれた両親のおかげだという。日本で過ごすうちに自然と「やっぱり馬に乗っていたい」と思うように。そして今、再びレースに挑むことを決意。2日後に出走するレースが復帰戦となる。
 馬に乗れなくなって以来初めてのレースを迎えた当日。「もう本当にやるしかない。終わって『楽しかった。また頑張ろう』と思えれば、それが一番いいのかなと思う。結果以上に自分の気持ちを確かめたいです」。そう言って競馬場に向かった勇斗さんは、ゼッケン4番のミスターロケットに騎乗。ゲートが開いてスタートすると、まずは3番手と好位置につけた。しばらくすると徐々に順位が落ち、結果は11頭中8着。しかし、最後まで無事に走り終えることができた。「全然だめ。すごいへたくそだし、まだまだです」と勇斗さんは反省するが、その表情は明るい。
 再び一歩を踏み出すことができた勇斗さんへ、日本の母からの届け物は馬のお守り。母が手作りしたもので、添えられた手紙にはお守りに込めた意味と応援のメッセージが綴られていた。そんな母のエールに感激する勇斗さん。そして「うれしいですね。この想いを受け止めて頑張りたいと思いました」と、改めて奮闘を誓うのだった。